再生 11 背けた十字架
何が起きているか分からなかった。
あたしは、ただ見ていることしかできなかった。
高屋とトウマの戦いで麗に異変が起こり、麗の魔法を受けたトウマは全身に傷を負い倒れてしまう。呼吸も乱れ激痛に苦しんでいるトウマの左の鎖骨から首にかけて黒い逆十字の印が浮かび上がっていた。
高屋は驚きながらも、何か確信を得た笑みを浮かべた。
「やはり呪印でしたか」
聞き慣れない言葉を聞いた悠梨は、一度聞いただけでは理解できなかった。
「呪印?」
「トウマ様は覚醒して、力を使えば使うほど力が強くなるんだ」
「けど、使えば使うほど呪印が浮かび上がり、動けなくなるくらいの激痛に襲われる。…それを知っててトウマ様も力を抑えてたけど、あいつは呪いのことを知っていたみたいだね」
カズとフレイはトウマに駆け寄ると、高屋を睨みつける。
「じゃあ、レイの印も…………って、無い?!」
悠梨はすぐに麗の顔を見た。しかし、麗の頬には何も無かった。
「幻術ですよ」
「幻黒師ルトは幻術も使う。あいつはあの子を操り、幻術であの子の頬にトウマ様と同じ印を見せた…」
「君、やっぱり嫌いだよ」
高屋の言葉にカズとフレイは同時に高屋に向かって襲いかかる。カズは瞬時にしゃがみ回し蹴りをする。高屋が宙に舞い、着地する前にフレイが背後に回って殴りかかる。
高屋は避けるのが精一杯の様子だった。
フレイが次々に攻撃を仕掛ける。
「こちらの双子は大変ですね」
高屋は目だけで麗を見ると、両腕を交差して顔面に目がけたフレイの蹴りを受け止める。
「ねえ、呪印をつけたの、君?」
「…………さあ」
高屋は考えたふりをして笑っている。
「…力を封印したほうが良いかもしれないね」
学園祭の時には冷静で落ち着いて見えたフレイが静かに怒りをあらわにしている。
「僕にはやりたいことがあるので、それは困ります」
高屋から余裕が無くなり、フレイの上段蹴りをかわすと間合いをとる。
二つの声が重なる。
『蒼穹の裁き、孤独の咆哮、畏怖と狼狽の力を降り落とせ………ホーリーブラスト!』
フレイが高屋から離れて二人が呪文を唱えると、天井に大きな光の魔法陣が描かれ輝きはじめる。
光の魔法陣から衝撃波のような刃が降り爆風が巻き起こる。
「!!」
高屋は小さく呪文を唱え、自分の周りに黒い魔法の壁を作る。しかし、光の刃は魔法の壁や地面に当たると爆発して光と風で視界が遮られる。
『無の統制、果てない構築、双番の支配を廻れ………ヴォッソゾーン!』
次に呪文を唱えると、向かい合った二人の両手から格子状の直方体が振動のように広がり、講堂全体に広がる結界に亀裂が走る。
爆風がおさまると、そこには全身に傷を負った高屋は腕を押さえ立っていた。
高屋は何かに気づいて天井を見上げた。
「僕の知らない魔法のようですね…けど…」
高屋が右手で指を鳴らすと、講堂全体を覆う結界が壊れ、再び講堂全体に結界が張られる。
「今日は満月、僕の魔力は強くなります。貴方達の力には及びませんが、どうするつもり………」
高屋は月に背を向け、挑発するように笑う。その時、鈴の音が響く。
「誰かが結界内に侵入した……?今の僕の魔力で結界に侵入する人がいる…」
『甘いよ』
驚く高屋に対してカズとフレイが笑う。
「俺らだから使える魔法がある」
「それに、これはトウマ様の命令だからね」
高屋がトウマを睨むと、トウマは腕を押さえ激痛に苦しみながらも強気な笑みを浮かべていた。
トウマの隣で何も動けない悠梨は、ふと、トウマの影が揺れたことに気づいた。
鈴の音が近くなる。講堂の入口の結界に亀裂が走り、そこから誰かが近づいている。
「貴方は…」
結界に侵入したのは覚醒した梁木だった。
「この魔力…ルトですね」
「ショウ!」
悠梨は驚き、フレイとカズは変わらず笑っている。
「トウマ様は覚醒してから記憶と能力の連結の早い梁木君に目をつけていた」
「そして、君が恐れているだろう梁木君が覚醒し、彼を結界内に侵入させないように自分の魔力が強くなる満月の日に仕掛けた」
「だから、僕の結界に何かしたというわけですね」
高屋の額からから冷汗が流れる。
『さあね』
二人は様子を伺い、はぐらかして笑っている。
高屋は少し焦りながら梁木を見ると何かを詠唱している。
「汚れしものの不浄なる全てを取りはらえ…」
それが何か気づいた高屋は、虚ろな目をして立っている麗に命令する。
「させません。…麗さん!」
高屋の声に反応すると、麗は両手で剣を構え梁木に向かって切りかかろうとした。
「エイコ!!」
『!!!』
麗の動きより先にトウマが叫ぶ。トウマの合図で麗の影から手が伸びて麗の足を掴むと、動きを止める。
それを見た高屋と悠梨は驚いた。
「アンチディルク」
呪文を唱えると、麗の真下に白い魔法陣が描かれて麗は淡い光に包まれる。淡い光に包まれた麗は瞳の色が元に戻り、張り詰めていたものが途切れたように膝をついて倒れてしまう。
「レイ!」
それまで見ていた悠梨が叫び、麗に近づこうとしたその時、舞台の袖から声が聞こえた。
「レイ!!」
それは不安な表情を浮かべた中西だった。中西は震えている。
「さっきから何が起こってるんだ……?それに、皆…瞳の色が違う。どういうことなんだ?」
中西は目の前の非現実的な出来事を見ていて、辺りを見ながら驚いていた。
「中西先生!」
「結界に入れるのは能力者だけ…」
「覚醒している様子じゃないね」
全員の視線がいっせいに中西に集まり、全員が様子を伺っている。その中で高屋だけは楽しそうにも見えた。
「予想していないことが起こりましたね」
その時、中西の背後の空間が歪み、空間を裂くように実月が現れる。
『!!!』
その場にいた全員が驚き、殺気を感じた中西は避けるように振り返った。しかし、実月が中西の目を覆うように手をかざすと、中西はその場で気を失って倒れてしまう。
「面倒なことになってきたな」
実月は白衣のポケットから煙草とライターを取り出すと、煙草に火をつけてくわえる。
実月の瞳が海のような深い青色に変わっていく。
「やはり、貴方も能力者でしたか…」
高屋は何かを恐れるように実月を見ている。
「高屋、結界を解け。今のお前に手は無いぞ」
「………」
実月が見下すように笑うと、高屋は言葉を詰まらせた。
実月は煙草を吸い、煙を吐く。
「鈴丸」
溜息を吐くように呟くと、どこかで烏の鳴き声が聞こえ反響する。
その瞬間、講堂を覆っていた結界に亀裂が走り、硝子のように砕けて消えていく。
『!!!』
砕け散る結界に全員が驚いて天井を見上げた。
「僕の結界が崩れる……?!」
高屋は唖然としている。
外の景色を見ると日が傾き始めていた。
高屋が実月を見ると、いつの間にか実月の右肩に紅蓮のような赤い瞳の烏がいた。
「さあ、どうする?」
実月は煙草を吸いながら、ずっと高屋を睨んでいる。
高屋は視線を反らし、腑に落ちない様子で息を吐いた。
「……分かりました。今日はここまでにしておきます」
そう言うと、高屋の姿は霧のように消えていってしまう。
結界が消え、それまで見ていることしかできなかった悠梨が口を開く。
「マジありえない!実月先生、どういうこと?!」
全員の瞳の色は元に戻り、カズとフレイも顔を見合わせる。
「とりあえず、動けない三人を連れて保健室に行くぞ」
いつの間にか烏はいなくなり、実月は煙草をくわえたまま気を失っている三人を指差した。
夕方、保健室には白衣を脱いだ実月が椅子に腰掛ける。保健室のベッドには麗、中西、トウマが横になっている。
悠梨、梁木、フレイ、カズを見ると実月は机に肘をついて話し出した。
「さ、思う存分話せ」
「実月先生、最初にあたし達に会った時に色々教えてくれたけど、先生は誰の力を持っているの?」
「ああ?そのうち分かるさ」
実月は即答した。
「トウマ様が言ってたけど、先生は要注意人物だってな」
「さあな」
カズの言葉にもはぐらかして笑っている。
「カズさんとフレイさんは誰の力を持っているんですか?さっきの力…トウマさんもあたし達と全然違う」
聞いても無駄だと知った悠梨は、カズとフレイに問いかける。
「俺達はスーマ様に仕えていた者の力を持っているよ。側近みたいな感じ」
「トウマ様は梁木君の力に気づき、まだ力を十分に出せないと思って僕達が結界の内側から干渉したっていうことだよ」
カズが梁木を見ると、梁木は困惑した表情を浮かべている。
「本を読むようになり、僕はカリルの記憶が分かるようになりました。前に僕とレイがライブに誘われた時もそう感じました」
「そうだ、レイはゲームでルトの幻術にかかったレイナが別の世界にいた時、この世界の出来事と一致してるって言ってた…」
「確かに似てますね」
梁木と悠梨はベッドに寝ている麗を見る。二人は半信半疑だったが、今、起きていることを信じるしかなかった。
「僕も聞きたいことがあります」
それまで何か考えていた梁木は頭を上げた。
「本を読んでいてレイが狙われるかもしれないと思い、講堂に行くと結界が張られていて入ることができなかった。お二人が内側から干渉したというなら、トウマさんが叫んだエイコというのは、一体何ですか?」
フレイとカズは顔を見合わて何かを考えている。
「身代わりだよ」
「身代わり?」
「そう、トウマ様の血筋もあるかもしれないけど、力を持っていると狙われやすくなる。トウマ様は本を読み、スーマ様がどうなるか知った上で、護影法という特殊な術でエイコを創ったんだ」
『!!』
カズの言葉を聞いた悠梨と梁木は目を丸くして驚いた。
「じゃあ…エイコさんは存在してないっていうこと?」
「トウマ様の影としては存在してる」
「だから、影があればエイコはいつでも喚ぶことができる」
フレイとカズが説明してると、それまで聞いていた実月が白衣のポケットから煙草とライターを取り出すと、煙草に火をつける。
「そんな話、ここでしていいのか」
「兄さんの言った通り、先生は要注意人物です。でも、気づかないくらいだけで保健室に強力な結界が張られている。先生が張った結界なら、外部には漏れないし、外部から侵入はできないと思う」
フレイの淡々とした説明に、実月が鼻で笑った。
「流石だな」
悠梨は口を挟まず、睨むように実月を見ていた。
「中西先生がいつからあの場所にいたか分からないが、本やゲームを見る限りまだ覚醒していない奴もいる。まあ、生徒会は確かに怪しいな、梁木?」
天井に向かって煙草の煙を吐くと、梁木の顔を見て笑う。
「お前が聞きたいのは、それだろ?」
「……よく分かりましたね」
梁木は思っていることを先に言われ、少なからず驚いていた。
「記憶の連結が早いなら、誰が能力者か分かるかもしれないぞ。生徒会には気をつけろ」
「はい」
「それと…」
実月は短くなった煙草を灰皿で潰すと、椅子の向きを変えてベッドに横になる三人を見る。
「あいつや水沢はいいが、中西先生はどうしたものか…」
保健室の窓の外で小さな影が動き、実月は何かを企んでいるように笑った。
夕方六時。
五階の情報処理室では、一人の男子生徒がパソコンの前で肘をついて身体を揺らしながらうたた寝していた。
パソコンの横には教科書とノート、『新曲と歌詞』と書かれた紙があり、単語や印がつけられていた。
「(舞冬祭あんまり見れなかったし、いきなり補習はないよな。次の歌詞…音楽は浮かぶのになあ…。結城先生が来るまで考えよう…)」
少年は考え事をしながら、今にも寝てしまいそうだった。
その時、扉が開き、結城が教室に入ってきた。
「一年E組、月代聖樹」
結城は厳しい口調で名前を呼び、少年に近づいていく。
「私は補習と言ったはずだが…」
結城にとっては注意程度の口調でも、月代と呼ばれた少年にとっては眠気も覚める気分だった。
月代の顔は引きつり、嫌な予感がして言葉を探す。
「あ、いや、補習は終わらせて。…そ、その、先生を待ってる間に眠たくなって……」
視線を泳がせながら結城を見ると、教室の窓から満月が見えた。結城の後ろにある満月は二人を照らしてるようにも見える。
「満月……」
それを見た月代は何かを思い出す。それと同時に全身に激痛が走り、立っていられなくなった月代はその場で倒れてしまう。
「な………んだ、こ、れ……」
呼吸が乱れ、痛みが激しくなっていく。
月代を見下ろした結城は片膝をついて腰をおろし、月代の左手首を掴む。
「私が誰か分かるか?」
氷のような冷たい目が月代を映している。室内にいるはずなのに結城の手は冷たかった。
「……結、城、先生…?」
息をするだけでも苦しくて、痛みで涙が零れる。
結城は違う名前を呼ぶ。
「マリス…私の名前を言ってみろ」
自分とは違う名前を聞いた月代の身体は震え、激しい痛みに絶叫した。
「(背中が痛い……苦しい…)」
意識が遠ざかるような気分で結城を見ると、いつの間にか結城の瞳の色は黄金に変わっていた。
月代の頭の中で一人の女の子が浮かぶ。髪の長い自分に似た子は引き止めるように声を上げていた。
「(その声を聞かないで…!)」
「(この子、次の歌で頭に描いていた女の子みたいだ)」
意識も朦朧として、痛みを耐えながら結城を見ていた。
「(結城先生の目…睨まれただけで怖いのに……目が離せない…)」
結城は挑発するように笑い、顔を近づける。
「何を躊躇っている?」
月代が恐怖を感じて顔を背けると、結城の影はまるで悪魔のような形をしていた。背中には翼、太股の付け根あたりには長い尾のような影が映っている。
「(結城先生の後ろ…)」
目を閉じれば意識を失ってしまうような間隔が続いている。錯覚なのか結城の後ろに、結城とよく似た男性が見えている。
月代はそう思いながら、もう一度、結城の顔を見た。
楽になりたい。
彼は誰なのか。
俺は誰なのか。
月代にある意識が生まれ、思い出すように言葉を呟いた。
「ラグマ……様…」
その言葉を口にした月代の身体は大きく震え、瞳は青色に変わっていく。
結城は口角を上げて笑い、月代の手首を離した。
痛みに耐え切れなくなった月代は目を閉じると、そのまま意識を失ってしまう。
結城は立ち上がり月代を見ると、どこかで声が聞こえた。
「強引ですね」
結城が教室の入口を見ると、いつの間にか傷を負った高屋が扉にもたれかかりながら笑っていた。
「高屋か」
高屋は教室に入り、倒れている月代を見ると結城の顔を見る。
「あーあ…覚醒させてしまいましたか」
「調子に乗って傷を負ったようだな」
「思ったより面倒な人達がいました。それにしても…良いんですか?彼を覚醒させたら、彼女まで覚醒してしまうかもしれませんよ?」
高屋の言葉を聞いた結城は、何かを考えて息を吐くと、冷たい目で高屋を睨む。
「より完全な器にするためだ」
「怖い人達ですね」
思ってもいないことを口にして高屋と結城は意味ありげに笑う。
「そういえば…彼女は見つかったのですか?」
「まだこの学園にはいない」
「まだ、ということは、何か考えてますね」
結城の表情が少し曇り、窓から外を眺める。
「あいつに見つかる前に探すだけだ」
満月を睨むように見る結城の影は悪魔のような翼と尻尾が生えていた。