再生 1 はじまりの夢
雲一つない空。
周りには何もなくて広い草原には柔らかい風が吹いてる。
ふと、私の目の前に一羽の黒い蝶が飛んできた。
見たことのない綺麗な色でその蝶を追って歩いていると、目の前に誰かが立っている。私に気づくと、その人は立ち上がり振り返った。
民族衣装みたいな長くゆったりしたローブを着ていて、薄紫の長い髪は太陽の光に反射して小さく輝いてる。逆光のせいで顔が見れないけど、右頬に古い傷痕が見える。
その人が私に向かって口を開く。
「さあ、行きましょう」
手を差しのべて微笑している。
そしてー…。
「…、沢……水沢!!」
大声に驚いて、少女は意識を戻して飛び起きた。
声のするほうを振り向くと四十代くらいの男性が怒っている。
「こんな時に寝るなんて余裕があるな、水沢」
教室の中では数人の生徒が少女を見ていた。
黒板には学園祭実行委員会議と書いてある。今日は学園祭前の打ち合わせだった。少女の意識がはっきりする頃、チャイムが鳴り響く。
少女の隣には心配して様子を伺う少女がいた。
「ま、午後の打ち合わせまで時間はある。それまでしっかりしろよ」
男性は解散を伝えると、他の生徒達はテーブルの上に並べてあるプリントや筆記用具を片付けて退出していく。
「何してるの?早くご飯食べに行こう?」
「あ…うん」
横に座っていた少女もプリントや筆記用具をまとめると立ち上がっていた。
教室を出ると廊下に光が差し込み暖かかった。
人気の少ない廊下を歩きながら少女は話しかけた。
「レイ、どうしたの?打ち合わせ中に寝るなんてやばくない?」
「うん…なんだか眠くなって。夢まで見ちゃった」
筆記用具を片手に目をこする少女は水沢麗。欠伸をおさえ、何かを思い出そうとしている。
「夢?」
横にいる麗より少し背の高い少女は風村悠梨。明るめの茶色の長い髪を触りながら、話の続きを気にしている。
「広い草原にね、薄紫色の髪の人が立ってて、で、こっちを向いて『さあ、行きましょう』って…」
「っていうか、それ『WONDER WORLD』じゃない?」
「あっ!オープニングの…!」
悠梨の言葉に麗は何かつまっていたものが抜けたように驚いた。
WONDER WORLDは悠梨が熱中していて、少女と少年が魔法や技を使って旅をしていくファンタジーゲームである。悠梨の影響で麗もゲームを始めていたのだった。
「ユーリ、私、今までそんな夢を見たことなかったよ?」
「夢に出てくるなんて…何かあるかもしれないね」
「もう、やめてよ」
茶化して笑いあう二人は階段を下りていった。
二人が通う透遥学園は中等部、高等部、大学部で成り立っている。学園内は研究所、礼拝堂、学生寮などの様々な施設も整い、また、学業以外にも才能や個性を伸ばし、未来ある将来を切り開く能力も養われている。
二人は高等部一年に在学している。
食堂は平日の昼間にも関わらず生徒は数えるほどしかいなかった。
麗と悠梨はトレイを持ちながら空いている席に座って食事を始めた。
「人がいないと広く感じるよね」
「今日は中等部の文化発表会だからね。高等部にいるのは実行委員くらいじゃない」
「ユーリは行かなくて良かったの?中等部に友達がいるって言ってなかった?」
学園内で行われる行事は殆どが全員参加で、実行委員である二人は中等部に行かずに準備をしていたのだった。
「知り合いに録画を頼んでおいたからいーの」
卵とツナが入っているサンドイッチを食べながら悠梨が答える。
「レイ、今日は何時くらいに帰れるかな?」
麗はお茶を飲んで、考えた。
「えーと、午後から講堂で舞台の設営とゲストのリハーサルがあるから、夕方くらいだと思うよ」
「ゲスト、もう来てると思う?」
麗は野菜とハムの入ったサンドイッチを頬張り、添えてあるスープを飲んでから答えた。
「うん」
「食べたら見に行こうよ?」
「もう、急がなくても見れるのに」
先に立ち上がった悠梨に続いて麗はお茶を飲み終えると立ち上がり、トレイを返して食堂を後にした。
講堂の舞台上には数人の生徒が集まり、プリントを見ていた。麗と悠梨も近くにいた女性教師からプリントを受け取り、目を通そうとすると舞台の端にいた男子生徒が口を開いた。
「午後は舞台の設営と当日の進行の確認です。よろしくお願いします」
男子生徒は挨拶をすると一礼した。
生徒達が拍手をしている中、麗の目の前にいた二人の女子生徒が小声で話している。
「ねえ、三年の滝河純哉先輩、かっこいいよね」
「生徒会会計で水泳部のトップ、憧れちゃう!」
滝河の合図で生徒達はいくつかのグループに別れ、照明や音の確認する生徒や、看板や小道具を取りに講堂から出ていく生徒もいた。
麗がマイクスタンドを運んでいると、一人の女性が近づいてくる。
「水沢」
「あ…、中西先生」
麗は振り返り何かに戸惑ったが中西の顔を見た。背の高い女性は麗と距離を縮める。
「本当に有志の舞台には出ないのか?」
「はい、運営スタッフですし、明日はステージを見たいんです」
「そうか…」
どこか残念そうに呟く中西に麗は耳元で呟いた。
「いいじゃない、葵の部には上手な人がいっぱいいるし」
麗の口調が変わると中西は笑い、周りに聞こえないくらいの声で返した。
「…じゃあ、舞冬祭の時にまた誘うよ、レイ」
中西は麗の肩を軽く叩くと手を振って去っていく。
高等部で体育を教える中西葵はさっぱりした性格と厳しさの中にも思いやりがあり、女子生徒にも男子生徒にも好かれていた。
「はあ……舞冬祭って後三ヶ月もないじゃない」
麗は小さな溜息をついた。
二時間後、準備を終えた生徒達は舞台上に集まり雑談をしていた。
麗と悠梨も舞台に上がると、それまで近くにいた教師と話をしていた滝河が少し困惑した表情で生徒達の前に戻ってきた。
「お疲れ様です。最後に明日のステージゲストのSPARKの皆さんにお越しいただいています」
滝河が舞台袖の方を向き一礼すると、三人の男性と一人の女性が現れた。四人の姿を見た生徒達は声をあげて歓喜したり、四人をまじまじと見ていた。
四人は私服だと思われるラフな服装で挨拶をする。
「初めまして、ギターのカズで~す」
「ベースのフレイです」
「………エイコです」
三人が挨拶して、最後の男性が一歩前に立った。
「ボーカルのトウマです。今回は透遥学園の高等部学園祭に呼んでいただきありがとうございます。皆さんの思い出に残るように頑張りますので、よろしくお願いします」
四人の中でも一際目立つ男性は、背は高く、金に僅かに黒が見える髪、両耳にはピアスをしている。
トウマが笑顔で一礼すると、生徒達も次々に挨拶をした。
生徒達の後ろで麗と悠梨が聞こえないように身体を近づけて話した。
「レイ、なんかかっこよくない?」
「うーん、私は思っていたより優しそうだなって思ったよ」
二人の声に気づいたのか、トウマは麗を見つけと少し驚いて微笑した。
顔を赤くした二人は戸惑い、悠梨は麗の肩を軽く押した。
「ちょっと、レイ!何?知り合いっ?!」
「う、ううん、知らないよ…っ」
「………怪しい」
「本当だってば」
声を抑えて話しているが、二人は何かに動揺してた。
そんな二人に気づかず、滝河は生徒達に挨拶する。
「それでは、本日は解散します。お疲れ様でした」
『お疲れ様でしたー!』
生徒達も一礼して、荷物を持って帰り、ある生徒は作業に戻っていった。
麗と悠梨は舞台の隅に置いてあった鞄を持つと、帰る前にもう一度見たかったのか、滝河や教師と打ち合わせわしているトウマ達に少し近づいた。
楽器の音あわせをしていたカズとフレイがそれに気づいて二人に話しかける。
「あれ?もしかして、俺達を見にきたの?」
「だったらいいんだけどね。僕達、ベースとギターだからあまり目立たないよ」
明るく話しかけたカズと、一見大人しそうに見えるフレイの会話はどこか間が良くて、二人は声をかけるタイミングを失っていたのだった。
「あ、あの、二人は仲がいいんですね」
様子を見て悠梨が声をかける。
「だって、俺達、双子だもん」
「僕が弟、カズが兄になるんだよ」
一応ね、と付け加えてフレイは軽く笑う。
髪型は違うけど、よく見ると二人の顔立ちは似ていた。カズは右耳、フレイは左耳に赤く光るピアスをつけていた。
「あ、エイコが呼んでる。ごめんね、明日を楽しみにしててね」
「フレイ、待てよ」
フレイの後を追うようにカズは手を振り、二人に背を向けて戻っていった。
「…私達も帰ろうか?」
「うん」
二人は舞台を下りて講堂を後にした。
夕方、おしゃべりしながら廊下を歩いていると、麗は立ち止まり鞄を開けて何かを探しだした。
「どうしたの?」
「いけないっ、今日、返却日だった。ユーリ、図書室に寄ってもいい?」
「いいよ」
二人は階段を降りていく。
三階には広い図書室と資料室がある。麗や悠梨も授業で利用したことがあった。すでに閉館の準備をしてために、人の出入りは少なかった。
麗は受付のカウンターにいた生徒に声をかけて本を渡した。
「あ、あの、少しだけ見てもいいですか?」
「はい。少しだけならいいですよ」
女子生徒は優しい笑みをうかべて答えた。
「レイ、何かあったの?」
受付を離れた二人は図書室の奥へと歩いていく。
「ううん、なんとなく。何かあれば借りるし、無いなら帰るだけだよ」
麗が足を止めると上を向いて驚き、一冊の本に手をかけようとした。
それを見ていた悠梨も驚いて足を止めた。
「レイ、この本のタイトルってさ………」
「…うん」
深い緑色の表紙の本は少し色あせていて、表紙には金色の文字で『WONDER WORLD』と書かれている。偶然にも二人が知っているゲームの名前と同じだった。
「WANDER WORLD…」
「開いてみる?」
悠梨は本に興味を持ち、麗も考えている。
やがて、意を決してゆっくりと表紙を開いた。
その時、突然、本から光が溢れて強い風が吹きだした。強い光に二人は視線を逸らす。
「まぶしいっ!」
「何…これ!?」
本は音を立ててめくれ、図書室全体を明るくするような輝く光が流れていた。
光と風はしばらく止むことはなかった。