~午前二時一分~
家に帰ると、雨井が温かいスープを作ってくれていた。何も言わず差し出されたそれを、私は何も言わず飲んでいた。家の中はキッチン以外暗く、ペットたちはもうすでに寝てしまっていた。
「お疲れ様でした」
「あぁ。・・・雨井」
「なんでしょう」
「セミは・・・無理だな」
「ははは、次は頑張りましょう」
「もう無いさ、もういいさ」
ゆっくりと腰を上げ、中庭へ向かう。中庭の中央に立つと、月がよく見える。いつもみたいに漱石やエジソン達が居らず、私と雨井二人だけがこの家にいるような気分だった。その見えた満月には、薄い雲がかかっていた。ぼーっと見る夜空はなぜだか虚しく感じた。いつも理由なく見つめている空だが、今は見つめる理由が何か欲しかった。
「相変わらず、ここから見る月は綺麗だな」
ふと何かを紛らわせるために吐いた私の言葉に、雨井が微笑み、返す。
「えぇ、でも、ここからだと月の光が強すぎて、星の光が見えませんね」
「どこで見ても同じだろう」
そういうと雨井は笑い、手に持っていたスープをこぼし、熱がっていた。その様子を見て私も笑ってしまった。雨井は気を取り直して再びスープを持ち、一口飲んでからほっと一息ついた。
「確かに、そうかもしれませんねぇ。でも、どうせ同じなら好きな場所で見てきた方がよろしいのでは?今日はきっと美しい星が見えるでしょう」
気分転換でもして来いと言いたいのだろうか、雨井はニヤニヤと、真剣ではない笑顔を私に見せた。雨井の提案に反論する元気もなく、私はカバンも携帯も持たず玄関へ向かう。
「あ、これ、持って行って食べるといい」
そう言って雨井は私にあの日と全く同じ値札が張られたみたらし団子を渡してきた。そう言えばあの場所では食べたことがなかったな。今日ばかりは雨井の心遣いに感謝しよう。一本を雨井に渡し、表へ出た。
公園までの道は、どんな顔をしていたのか思い出せない。きっとこれまでになく無表情だったことだろう。だが、足取りは軽く、頭もそれほど重くはなかった。カバンを持っていなかったからであろうか。今思い出しても理由は分からない。ただ、昨日のように「消えてしまいたい」という思いはなく、もしかすると思うほどの気力もなかったのかもしれない。
家から分かれ道の間に広がる水田には、夏の初めの頃にはカブトエビがよく出る。人間になって間もない頃は、その生物を見て驚いていた。今見えるのは実った穂に咲く花々、こうやって稲をまじまじと見たことはなかったかもしれない。白く小さい花に見えるものは雄しべで、イネには花弁が無い。
そうだ、明日はこれを時雨君に教えてあげようか。そもそも、明日は来てくれるのだろうか。公園へ向かう足は、少しだけ重くなった。
公園に着く頃には、空は少しだけ多く雲がかかっていた。いつもの背もたれの無いベンチに腰掛け、空を見上げる。晴れているときは北極星を簡単に見つけられるが、この日は探すのも一苦労だった。いつもは星座を探し、昨日はなかった星を探す私だが、その時はただぼーっと眺めていた。
「今日の空は、そんなにきれいではないな」
虫も鳴かない、カエルも鳴かない夜、私だけが一人鳴いていた。
その時、入口の方で鈴の音がした。聞き覚えのあるその音に、私の目は速く焦点を合わせる。予感は当たり、立っている時雨君の姿がそこにはあった。




