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蝉日記  作者: 十匙謎人
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決壊

 夏季特別講義も終わりが近づいていた。そろそろまたレポートとにらめっこをする時期が来ると思うと憂鬱な気分になる。


「以上が今回追加したレポート課題だ。今一度言うが、単位修得可能者はレポート評価A以上のみとし、それ以下は不可となる。一見厳しいように聞こえるが、私の講義をすべて出席していた者ならA+は余裕だ。提出期限は今週の土曜の正午までとする。アルバイトやその他事情で忙しいかと思われるが、諸君の力量なら可能であると信じている。なお、レポートに関する質問は助手の時雨君にするか、私に直接聞いてもらっても構わない。では本日の講義は終了する。頑張ってくれ」


 この日最後の講義が終わった。講義が終わると大抵四、五人が並びその日の講義内容の質問に来る。私が一人でやっていた時は時間がかかっていたが、時雨君が助手になってからは短い時間で終わることが出来ていた。研究室に戻ると時雨君は背伸びをし、


「さぁ今日もちゃちゃっとやっちゃいましょうか!」


とパソコンに向かった。私も私でデスクに向かい、教授としての仕事の残りを片付けに入った。といっても時雨君の給料の請求書作成と、自分の論文の編集、あとは次の海外研究の予定と費用の算出くらいだった。時刻は一八時半、恐らく二時間もあれば終わるだろう。私の仕事は一時間ほどで終わった。あとは時雨君の手伝いをするくらいであったが、見てみると彼女の仕事は割とまだ残っていた。どうしたのかと思うと彼女の手元の携帯が度々震えていた。


「今日のあの子からか?」


「あ、はい、すみません!すぐ終わらせちゃいますんで」


「いいさ、本来は私の仕事だ。それにまだ一九時半だ。君さえよければゆっくり話してやればいい」


そういうと時雨君は照れ臭そうにしばらく携帯を触り、作業に戻った。結局予定していたよりも三〇分遅く終わったが、それでもレポートと戦争する際よりは早く帰れている方だった。


 帰る道中、時雨君はずっと下を向きながら嬉しそうにしていた。


「よっぽど友達が出来たのが嬉しく見える」


「へへへ、ほら、うちの大学ってクラスとかゼミとかないじゃないですか。だから友達が出来てもみんなすぐに連絡取れななくなったり、そもそも友達作ろうとしていなかったり・・・。私実は作り損ねちゃったんですよ。高校までにも友達はいたんですけど、なんとなく疎遠になっちゃって、いまさら何話せばいいのかなとか思ったり。だから、今日みたいに作れたのが本当に嬉しいんです。一緒に食べる約束もしちゃいましたし」


彼女に友人が少ないのは意外だった。彼女のような明るい性格の持ち主は、むしろ友人が多すぎて困るのではないかと思っていた。そう言えば私も高校時代、少しだけ学校に行ったことがあるが、クラスの人気者ほど今は連絡を取れない者が多かった。もしかすると人気者というのは栄養ドリンクのように、どこかで接しているだけで満足してしまい、長期的に連絡を取り合おうという気までにはならないのではなかろうか。残念ながら高校で友人を作ろうとしていなかった私がこれを証明することはできないが・・・。


「あ、じゃあここで、今日もお疲れ様でした!」


「あ、あぁ。それではな」


その時、また秒針が鳴り響いた。このまま彼女を行かせてしまっては、ダメになってしまうという恐怖が一気に増し、私の体はそれに耐えきれなかった。


「時雨君!」


「は、はい?」


「公園に…行かないか」


驚く様子もなく、時雨君は私についてきてくれた。いつもの指定席に座るも、何を話せばいいのかわからなかった。彼女はいつも通り空を眺め、今日は携帯に友人もいた。




「時雨君は、私のことをどう思っている」


「はい?」




酷く混乱してしまった私は、思わぬことを口走ってしまった。


「どう思っているか…そうですねぇ…変わった人ですね」


「そうか」


「あぁ、悪い意味じゃなくて、なんというか、もっと正しい言葉で言えば、不思議な人です」


「不思議?」


「はい。元々教授は変わってましたけど、でも教授を好きな人っていっぱいいるじゃないですか。なんだか分からないんですけど、教授と一緒に居ると、落ち着くんです。それに、こんな言い方正しいのかわからないけど、教授は絶対に敵にはならないっていうか、きっと喧嘩しても仲良くしてくれるんだろうなって、安心できるんです。なんだかんだ言っていろいろ支えてくれますし、他のみなさんだって、それこそ八足さんも思ってるはずです」


「そうか、ありがとう」


嬉しい言葉ではあったが、それ以上に私は不安になった。彼女はもう、私に線を引いているように思えてしまったのだ。この線を乗り越えるにはどうすればいいのか、私は考えた。もう時間がない。明日にはもう間に合わない。そう思った私は、彼女に言ってしまった。




「時雨君、私と・・・付き合ってはくれないか。もう、時間が無いんだ」


「えっ?」




その時、並木の葉が大きく音を立てた。その音はまるで私の鳥肌が立つ様子を悟ったかのような音で、私の頭は真っ白になっていた。


「あぁいや、なんでもない。行こう。明日、美味い店を取ってあるから、楽しみにしておいてくれ。ではな」


「あ、あの、教授!」


混乱した私は、彼女を置いて足早に帰ってしまった。時計の針はもう滅茶苦茶になっていた。


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