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蝉日記  作者: 十匙謎人
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自分らしさ

 研究室のドアを開けると背もたれを前にして座っている時雨君がいた。パソコンで動画を見ながらイヤホンで何かを聞いていたため、何を見ているのだろうかと後ろから覗いてみた。そこには個人があげている手芸作成の様子を写した動画があった。細かい作業をしているため、時雨君の後ろから見るのはつらいものがあった。もう少し近くで見ようと時雨君の隣へ移ると、彼女の体は大きく跳ね上がった。


「うわぁ!」


跳ねた衝撃で椅子が倒れ、私の上に落ちる。


「もう教授!びっくりさせないでくださいよ!」


「それはこちらのセリフだ。何もそんな大声で驚く必要はないだろう」


その声を聞きつけたのか冱露木が入ってきた。


「おいおい何の騒ぎだよ、外まで聞こえてたぞ?」


「あぁ、いや、なんでもない」


「何かあるようにしか見えないんだけど、大丈夫か?はぁ~、それにしてもここに来るのなんか久しぶりな気がするわー。あ、これほら。この間海行ってきたときのお土産」


「わぁありがとうございます!そう言えば、結局どこの海に行ってたんですか?前に岩崎教授と行ってたところですか?」


「ううん違う違う、たまにはちょっと足を延ばそうかと思ってさ、福井の方まで行ってきた。いやぁ良かったぜ~円花さんの水着姿!」


そう言って冱露木は私に羽二重餅を、時雨君に小鯛の笹付けを持ってきた。やはり皆は私が甘いもの好きで時雨君は旨いもの好きだと思っているのだろう。時雨君は旨いもの好きというよりむしろ美味しいもの好きなので、よくこういう土産をもらう際に


「甘いものも食べたいなぁ」


と一人こぼすことがある。


「じゃあ媛遥、お礼としてみたらし団子もらうぞー。時雨っちもほら」


「理事長も」


「いやぁ申し訳ないですねぇ媛遥君、いただきます」


そこにはしれっとソファに腰を掛けている麻鬼理事長の姿があった。


「まぁいい、ところで冱露木、理事長に土産はないのか?」


「あぁそれなら昨日もう渡したよ。ね、りじちょー」


「そうですよぉ、冱露木君からとびっきりいいものをもらいましたともぉ」


「ほう、なにをやったのだ?」


「これですこれ!」


理事長の手には地方の土産屋でよく見かける刀のキーホルダーがぶら下がっていた。さも満足げに「どうだ」と言いたげな顔をする二人だが、だからこそここまで仲がいいのかと思うと、呆れを通り越して笑えてくる。


「理事長もいつかどっか行ったときにはお土産持ってきてくれよな!」


「え、あ…ははは!」


やはり人間にとって直接利になることは出来ないのか、雨井の顔は引きつっていた。


「そうそう、ホントは昨日渡そうと思ってたんだけどよ、忙しそうだったし渡せなかったんだ」


「あぁ、あのときか」


そういうと時雨君は少し「申し訳ない」といった表情を浮かべていた。やはり、昨日のことを引きずっているのだろうかと気がかりになる。時計は九時十分過ぎを指していた。そろそろ教室への移動があるので、各自自身の持ち場へと戻った。時雨君の表情はどこか曇っており、私はもう一度目線を合わせて「行こう」とだけ言った。少し目を閉じて、彼女は「はい!」といつもの笑顔になってくれた。


 昼になるとまたいつものメンバーに加え、この間服を買いに行った女子大生が研究室で共にランチをすることになった。彼女は現在就職活動中だが、願わくばこの大学で働きたいらしい。


「杉下さんってここの卒業生でいらっしゃるんですよね。学生の頃の岩崎教授ってどんな感じだったんですか?」


「どんなって…割と今と変わらないかな。強いて変わったとすれば…うーん、前はちょっとどんなことを考えてるのか分からなかったんだけど、今はなんとなくこう…人に近くなったかなと思う」


「あ!分かる!俺も最近の媛遥優しいって思うもん!」


「うっそだぁ!この人に限って優しいなんてないでしょうに!」


とっさに出てしまった言葉に口をふさぐ雨井を見て、皆が笑っていた。「人に近くなった」という言葉は、人間になろう、人間として生きようとしてきた私にとっては嬉しい褒め言葉だった。


 それにしても、時雨君が敬語以外の言葉を普通に使っているところを見たことは、意外にも少なかった。家族に電話越しに話す言葉や、テレビを見てひとりごとを話す以外は基本敬語だった彼女が、友達口調、世にいうタメ口を使っているのは新鮮であった。今まで周りに敬語を使う相手が多かったせいか、時折女子大生に対しても敬語が混ざるが、先輩として話せていることが嬉しいのか彼女の口は止まらなかった。自分が研究してきたこと、助手のこと、海外での経験や、大学生活のこと、それを話す二人を見て、冱露木と雨井と私は微笑みながらコーヒーを飲んでいた。


「おや、そろそろお昼が終わっちゃいますよ。皆さん、準備出来てますか」


「あ、もうそんな時間なんですね。教授、行きましょうか」


「あぁ。そうだ、君、大学で働きたいと思うなら、冱露木の元で一年ほど働いてみたらどうだ」


「え、いや、でもそんな急には無理じゃ・・・」


「ないよな、理事長、冱露木」


「まぁ、私は論文に目を通して提出書類に判を押すだけですから」


「俺も別にかまわねぇよ?試験の問題どんなの作ろっかな~」


「ということだ。頑張れよ」


「ということだ。頑張ってね!」


「はい!有難うございます!あ、あの!杉下さん!」


「なーに?」


「もし助手になったときに、その、いろいろ教えてほしいので・・・あの・・・」


そういうと時雨君は女子大生のポケットに手を入れごそごそ探し、携帯電話を取り出すと自分の連絡先を登録してやっていた。


「はい、別に助手の話じゃなくてもいろんなこと話してね。よかったら今度食べにいこ!おいしいお店いっぱい知ってるから!」


「はい!」


そういうと女の子は深々とお辞儀をして、冱露木の後をついて行った。我々もその後に講義があったので準備をし、研究室を出た。いつもは前を行く時雨君だったが、今日は久しぶりに隣を歩き、ニコニコしていた。小さな声で


「友達できちゃった」


と何度も繰り返す様子に、私は再び微笑んでしまう。


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