時間がない
帰り道。何も言えず私と時雨君は歩いていた。何を言えばいいのか、どんな話をしていいのかわからなかった。分かれ道に近づいた時、後ろに聞こえていた足音が止まり、振り向くと彼女は下を向いていた。
「ごめんなさい」
彼女の口からも、破片がこぼれていた。きっと私のこの焦りが、彼女の心を傷つけてしまったのだ。しかし、ここでいつも通り暗くなってしまっては、彼女の心は傷ついたままだ。私はできるだけいつもの私に近づけた。
「明日も、飯を食うか」
「・・・」
「今日の飯は、美味くなかったか?」
「私、あの・・・」
「私のことは心配するな・・・という方が無理か。しかし、君の言葉に少し救われたのも事実だ。だからそこまで気を落とさないでくれ」
「でも、私・・・」
彼女に目線を合わせ、もう一度問いかけた。
「時雨君。君と食事をするのは楽しい。ついつい時間を忘れてしまうほどだ。また明日、いや、明後日にするか。いい店を取っておくよ。だからそんな暗い顔をするな」
「・・・はい、ありがとうございます」
「はは、君は食事の話をすると機嫌が直るな。覚えておこう」
時雨君は少し微笑み、私は歩き出した。そうだ、時間がない前に、私はこの子が好きなのだ。悲しませてどうする。そう言い聞かせたが、かえってその言葉は私の時計のヒビを広げていた。
「さぁ、ではまた明日。明日は遅れるなよ」
辛うじて出た冗談に、彼女は笑顔を見せてくれる。
「はい、では、また明日!」
深々とお辞儀をし、彼女は自宅へと向かっていった。その姿が消えるまで見送り、私も帰路に着いた。不思議なものだ。人間になると、こんなにも心が痛むものなのかと、驚かされた。蝉の頃に感じた孤独とは違う、別の何かが痛めつけていた。胸を押さえるほどではないが、体は自然と前屈みになる。公園にも行かずに、私はまっすぐ自宅へ帰った。結局この日もほとんど何も出来ていない。明日明後日を逃すと、彼女とはもう結ばれなくなってしまう。自分に対する苛立ちが先行し、秒針の音が頭の中で鳴り響く。明後日の食事で行動をせねばならない。その前に明日は何をすべきなのか。私はどう動き、何を話し、どこへ行けばいいのだ。針の音はどんどん大きくなり、それに負けないよう私の声も大きくなってゆく。
口から漏らしてしまいそうなほど、時計はガタガタと震えていた。雨井と話すことなく、漱石を部屋に入れず、私は一人自室で考えていた。後頭部をこする手が速くなる。いくら考えてもマイナスな感情しか出てこず、手は頭全体をこすり始めた。彼女と過ごす時間は楽しいはずなのだが、一人思い出すとイライラが募りだす。それは彼女に対するものではなく、行動しない自分への卑下の塊だった。
私に残された時間はあと2日。もっと正しく言えば2日間中の1日半ほどだ。そこからさらに減り、本当に正しいのは、あと十二時間。
私には時間がない。
私には時間がない。




