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蝉日記  作者: 十匙謎人
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3つの願い

 男が正真正銘の悪魔であることが分かった以上、私は慎重に言葉を発せなければならなかった。残り二つの願い、またこの男を試そうものなら無駄に終わってしまう。しかし、まさか本当に人間になるとは想像もしていなかった私は、何を願えばいいのかわからなかった。


「さあ、残り二つ。何でもいいですよ。『スイカが食べたい』、『メロンが食べたい』。『金平糖が食べたい』、『焼肉が食べたい』。何でも好きなのを言ってくださいね」


どうして男の提示する具体例がすべて食欲なのかはあえて触れなかった。それよりもまず、自分が人間になったことすらまだ受け入れることができていなかった。そんな中でも、私は考えた。考えに考えて、一つの質問をした。


「私は、私のこの姿は、明日の朝までか?」


「いいえ、あなたは人間になったのです。私の匙加減で、あなたは今18歳です。日本人男性の平均寿命はおよそ80歳なので、あなたはまだあと大体62年寿命が残っています。」


「62年……、それは、長いのか」


「えぇ、おそらく。いや、どうでしょう。私はあなたではないので、時の流れをどう感じているのかはわかりませんが、人間からすれば長いのではないでしょうか」


「そうか……」


私は、蝉としての束縛から解かれ、人間としての自由を得たが、人間ではなかった私にとって、62年という時間がどこか恐ろしく思えた。そんな恐ろしい時間を、私は人間として生きていけるであろうか、そればかりが頭の中を駆け巡った。


「さぁ、二つ目の願い、聞かせていただけませんか? なんでもいいですよ?」


この男が正真正銘の悪魔と分かった今、変な願いをすればどんな目に合うかわからない。下手をすれば本当に殺されるかもしれない。死ぬときはせめて安らかに死にたかった。私は、よくじっくり考えて、言った。


「私を、人間として生きる上で困らないようにしてくれ」


「おや、賢明な願いですね。関心、関心。いいでしょう」


そういうと悪魔はパチンッと指をはじいた。次の瞬間私の身には薄手の服が着せられ、悪魔の手には少し大きめの紙切れが何枚もあった。


「はい、これ。まずこれは、あなたの土地の権利書です。この先の元公園だった原っぱに、あなたの家を建てておきました。そしてこれが、あなたの戸籍です。これからあなたは『岩崎媛遥いわさきひめはる』として、生きてください。

 

 さて、人間として生きていくうえで必要なのはやっぱりお金です。お金を得るには? 仕事を見つけないといけない。いい仕事と巡り合うには? いい学歴を持ってなくてはいけない。

 

 一応あなたはとある高校に所属していることになっており、別に高校に行かなくとも卒業はできます。高校の次には大学があります。それはあなた自身の力で入学し、卒業しましょう。これ、私のお勧めの大学の願書です」


そう言って男が渡してきた願書には、「亜心大学」という文字が書かれていた。


「『あしんだいがく』?」


「えぇ、あ、日本語は一応読めるようサービスしてありますので。そこの大学の創設者である麻鬼まき教授は優れた方でして、そこの大学へ入学さえすれば、天才への道間違いなしです。就職率も日本トップを誇りますからね!学費に関しても、その辺のコンビニで週3で4日ほどバイトしていれば大丈夫なくらい安いですし。

 

 ただ、入学試験はかなりハードですよ。筆記試験はともかく、面接試験もありますからね。少しでも気を抜いたらアウトです」


「なるほど、わかった」


「あ、勉強に関してですが、あなたの家には少し広めの書斎が設けられています。一応ありとあらゆる知識を得られるよう本を用意しましたが、最近はネットもありますからね。欲しい本の種類があれば言ってください」


「人間として生きていくわけだから、人間の文化・歴史を重点的に学びたい」


「わかりました。そろえておきましょう」


そういうと男は一息ついて、私に言った。


「さーって、では最後の、3つ目の願いを聞かせてください」


 私は、1つ目の時よりも、2つ目の時よりも冷静になって考えた。今の自分の必要な願い・・・。女か?いやいや、まず私は人間の女を知らない。食糧?いやいや、家も書斎もあるし、そうでなくともしばらくは自分で調べてこの世界の仕組みを学べば、いずれ食料を得る方法など見つかるだろう・・・。では私が願うべきものとはなんだ?


「なんでもいいですよ。あなたの願いを言ってみてください」


私はしばらく考えた。考えに考え、悪魔に言った。




「待て」




「・・・はい?」


悪魔はそれまでのニヒルな顔から、悪魔の「あ」の字もないきょとんとした顔をしていた。私はその顔に向かって、もう一度言った。


「3つ目の願いは、待て」


「……媛遥さん、あなたとんでもなくもったいない願いをしましたね。いいでしょう、では3つ目の願い……待つ!」


「だから待てと言っているだろう」


「それは願いでしょう?」




「……いや、命令だ」



「……へ?」


先ほどのきょとんとした顔から、悪魔の顔はただのアホ面になっていた。


「どうやら私は、二つ目で相当便利な願いをし、お前はそれを叶えてくれるそうだ」


「一体何を……」


「私の二つ目の願いはこうだ。『人間として生きる上で困らないようにしてくれ』」


「えぇ、確かに。ですからこうやって服も住居も用意したではありませんか」


「……悪魔よ、今私は生きている」


「……ですね」


「これがどういう意味か分からんか?」


悪魔にはどうやら蝉の言葉が難しかったらしく、何度も首をかしげていた。悪魔の癖に本当に分かっていないのだろうか、頭の中身を覗けばいいだけだろうに、情けなく思いながら、ゆっくりと悪魔に説明してやった。


「『生きる上で』ということは、私が死ぬまでに何か困ったと思うようなことがあれば、お前は私を助ける必要があるのだ。そして、今私は急に3つ目の願いをせかされても『困る』のだ。だから、待て」


「えぇぇ、いやいやそんな。さすがにそれは……」


「ほう、悪魔ともあろうものが、願いを取り下げるというのか。ふん、下等生物の望みが待てぬようなやつめ、悪魔の風上にも置けないな。お前、悪魔としてのプライドはないのか!?」


「ありますよ!」


「私の願いを待つか!」


「えぇ待ってやりますとも!」


「言ったな!悪魔に二言はないな!」


「えぇ!」


悪魔は容易に私の誘導に乗ってきた。ここまで来ると、本当に悪魔なのかどうか再度疑いたくなるが、私自身がその証拠だということを思い出した。


「よし。では私が3つ目の願いを思いつくまで、困りごとを解決してもらうとしよう。では、その時まで、待機だ!」


「あぁいいでしょうよ!……あれ?」


「ではな」


「あぁちょっとちょっと!待ってください!」


早速自宅へ行こうとする私の肩に手をかけ、慌てた悪魔が目を丸くする。


「なんだ。悪魔に二言はないのだろう?」


「うっ、分かりましたよ……。私も一度願いを叶えるといった身だ。

 契約は破れない。はぁ、なんでこんな願い叶えてしまったんだろう……。じゃあ、何か困ったことがあったら……この呪文を言ってください」


悪魔はしばらく考えた後、恐らく創作であろう呪文を口にした。


「闇に迷いしゴスペルの亡者よ、己が信念・恥じらいを捨て、余に忠誠を誓うがいい。白夜の夜明け、断罪の時が来た。死者の魂を犠牲にし、わが名を申し上げろ!」


「長い」


「そんな即答で言わないで下さいよ。折角即興の割にはいい呪文だと思ったのに」


「長すぎて覚えられん文章を呪文とは言わん。短くしろ。そうだな……では、それぞれの文章を省略して……

 

 『迷子のお呼び出しを申し上げろ!』

 

 でいいな」


「よくないです」


「いいな」


「いやです」


「困ったな・・・」


「わかりましたよ」


今思えば、これほど疑ってしまう悪魔など存在しうるだろうか?悪魔は頭を掻きながら、納得せざるを得ない現実から逃げようとしていた。


「よし、ではこれからこのセリフを言えば必ず出てくるんだな」


「……はい」


「では結構、また会おう」


名刺を改めてみると、そこには『雨井卍』と書かれていた。


「あまい……まんじ」


「うぅ」


「あ、あとひとつ」


「なんですか」


「『申し上げろ!』って、多分なんか使い方間違えているぞ」


「……すみませんでした」


そう言うと悪魔は肩を震わせ、闇夜に消えていった。その姿に若干の反省をしつつ、極力気にしないことにした。



 初めて踏み出した一歩は、酷く違和感があった。今まで足は、何かにしがみつくための物であり、このように踏みしめるためのものではなかった。足に伝わる大地の感覚に、必死に出ようとしていた世界が、この足の下にあったのかと思うと感慨深いものがあった。羽はないが、一歩で移動できる距離が長い。歩くついでに腕も動かしてみる。腕を動かすことに特に違和感はなかったが、指には動揺したことを覚えている。


「これは……私のどこの部位だったのだろうか」


人間の体で不思議に思った部分は、あとは目を閉じる瞬間に見える大量のまつ毛ぐらいだろうか。これについては後々困ることになる。顕微鏡が覗けなかったのだ。さて、紙に書いてある地図はとてもアバウトだったが、前に飛んでいたころに見たことのある風景だったので、その記憶を頼りに私は自分の家がある場所に向かって歩いた。私の今居る場所は、大きな建物の裏にある森の中だ。そこからその家までは、割と遠いということぐらいしかわからなかった。30分ほど歩くと、そこには私の家と思しき建物が一件、木々の間にぽつんと立っていた。


「ほぉ、人間の住居とは案外大きなものだな」


表札には「岩崎」の文字があった。間違いない、ここで私は、これから人間として生きていくのだ。そう思うと、それまであった不安が、徐々に期待へと変化していった。



岩崎媛遥としての人生が、始まった日だ。




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