狂騒
男は歩いていた。ただ歩いていた。ふらふらと歩いていた。
目は虚ろで、何処を見ているのか定かでは無い。
街の中央を貫く大通りを、ただふらふらと歩いていた。
右手に拳銃を持ち、左手に包丁を握り、よたよたと、ふらふらと、焦点の合わない目で虚空を見つめ、歩いていた。
包丁は赤黒く染まり、銃口からは煙が棚引く。ポロシャツは赤と白のまだら模様がこびり付いている。
咎める者は誰も居ない。それどころか、声を掛ける者もひそひそと噂話をする者も居ない。
街は静寂に包まれている。誰も居ない訳では無い。ただ、彼以外に動く人間が居ないだけだ。
噎せ返る様な血の匂い、そこら中に転がる物体。もはや物言わぬ無数のそれは、彼に取っては既にそこに在るだけの肉と化している。
何が起きたのか、男にも分からなかった。街中がいきなり喧噪に包まれ、やがて狂騒を演じ始めた。
男はただ巻き込まれただけだ。訳も分からず、手近に有った包丁を手にした。
そうしなければ、と思ったのだ。ただそう思っただけだった。
まるで本能に身を委ねる様に、半自動的に体を動かし、息をする様に包丁を持ち出した。
外に出た時には既に何人かの死体がうち捨てられていた。
そして彼は、そこに参加した。
太陽が容赦無く照り付ける中、男は唯只管に歩き続け、やがて街の端までやってきた。
街に乗り入れる高速道路がこの先に続いている。
「……はっ…ははっ…」
男の喉が震える。
「はっ、ははっ、ははははっ、あははははははははははは」
全身を震わせ、狂った様に笑い出した。
「はははははははははははははははははははははははは」
壊れた機械の様に笑い続ける。
「あははははははははははははははははは」
唯々笑い続ける。
数分後、笑い声が止み、直後、硬い破裂音が響いた。
さっきまで笑っていた男は、頭から脳漿を飛び散らせて風景と同化した―――。
暫くして、この街は地図から消えた。