第一章 初日―下心
敬礼をし続けている衛兵たちに見送られ、2人は城門を通り抜けた。
そこでアッサムはノームに礼を述べた。
「助けられてしまったな、感謝する」
「このくらいどうってことないですよ」
ノームは相変わらずにこにこしたままである。
「それよりもです……テークレンツの正式な使者だってこと、どうして言ってくれなかったんですかね」
言葉は責めているようだが見るからにうきうきしている様子で、先ほどまでとは異なるにまにまとした笑いが、ノームの隠しきれない下心を顕わにしている。
「説明が面倒でな……」
これは半分事実である。
特に、アッサムに直接命令を下したのは国王ではなく、国王代理を務めている何でも屋であるなどと、言える訳もなければ説明できる気もしない。
「本来俺はこういう仕事を任されるような人間ではないからな。今回は命令で仕方なく従っているが……」
「ほほぅ」
ノームは興味津々と言った様子で、フードの下のアッサムの顔を覗き込む。
アッサムはあまりいい気はしなかったが、ここまで打ち解けていて顔を隠すのも変である。
するがままにさせておいた。
「たしかに、よく見るとここに傷がありますね、軍人だったんでしょうか」
ノームはそう言って人差し指で自身の右の頬を上から下へスッとなぞった。
アッサムは横目にその動作を見ながら大きく息を吐いた。
「……まあそんな所だ」
「あまり話したくないことでしたかね。これは失礼」
そこで一度会話が途絶えてしまった。
2人はそのまま大通りを進む。
人通りはそれなりに多いが、馬車が通らないせいか人混みはそれ程でも無い。
通りは街の中心部に向かって長く緩やかな上りになっていて、その頂上から光が差し込んできている。
ここはまだ町の外れで店もあまりなく、白壁に反射した光が少し眩しいくらいである。
この坂を上り切れば、あの丘の上から見た港や市場が見えるだろう。
アッサムはそんなことを考えながら石畳を踏みしめていく。
上るにつれ、少しずつ両脇の店が増え、活気が出て来る。
見たこともないような赤やオレンジの鮮やかな色合いの衣服、どれもこれも青色のものばかりの帽子、何に使うのか分からない動物を象った焼き物、綺麗な焦げ目のついた焼き魚、小さなテーブルに並べられた質素なカップ。
そのどれもがテークレンツやヴァイゼのものとは異なっていて、ついつい目移りしてしまう。
そうやって歩いていると、突然さっと風が吹き抜けて、それに乗ってより大きな喧噪が聞こえてきた。 同時につんと漂う潮の香り。
アッサムは一瞬目を瞑り、その音と匂いに意識を傾ける。
これが異国か、と、今更になって急に感慨深くなったのだ。
「もうすぐ広場に出ますね」
ノームが久々に口を開く。それを聞いてアッサムも前を見る。
たしかに、もうすぐ頂上だ。
「広場からは港も見下ろせます。市もやっていますし、一緒にお昼でもいかがです?」
その下心丸出しの顔でなければ、喜んで応じるのだが、とアッサムは心の中で呟やきつつ、先ほどの恩もあることだしと、同意した。
「おすすめの料理があります。お皿に焼き魚と米を盛っただけの簡単な屋台料理ですが、味付けが絶品で、これがとんでもなく美味しいのです」
「それは楽しみだな」
アッサムは実際その珍しい料理が楽しみであった。
テークレンツは内陸国で、大きな川も王都からは遠いため、魚を食べる機会は多くない。
また米というものも、あるとは聞いていたが食したことはなかった。
その時、一際喧騒が大きくなった。
いつの間にか坂を上り切り、広場に出ていたのだった。
雑多だな、というのが、広場を見渡したアッサムが持った第一印象であった。
ここでも家々は白壁で、それが四角い広場の周りをぐるりと囲んで、内側を明るくしている。
その内側では色とりどりの屋台が立ち並び、店員達が忙しなく声を挙げては商売に勤しんでいる。
魚、肉、野菜、果物。米に豆類、パンやチーズも売っている。
食料品以外にも、食器に小道具、貝殻を使ったアクセサリーや木製のおもちゃなどが雑然と並んでいる。
買い物客も大勢いて、歩き回ったり交渉したり、中にはパンを頬張っている者もいる。
向こうの方でやけに盛り上がっているのは、酒盛りだろうか。
「こっちですよ」
ノームに連れられて、人混みを掻き分けて進んでいく。
少し進むと、出店が集まって、香ばしい匂いの立ち込める場所に出てきた。
そこにとりわけ多くの人が並ぶ屋台があった。
「ここです」
そう言ってノームが列の後方に並ぶ。
アッサムもそれに続いて並ぶが、そこでふと思いついて口を開いた。
「そうだ、先ほどの恩もある、代金は俺が出そう」
「いえいえ、あんなのは大したことじゃありませんから。むしろ私におごらせてくださいよ。私的に使えるお金は、あまり持っていないんでしょう?」
「……」
やはりテークレンツからの正式な使者と分かってから、露骨に恩を売ろうとしている、とアッサムは確信した。
とは言えここまで下心丸出しでは、あまりやり手とも思えず、逆に警戒する必要もなさそうだとも思えた。
アッサムには、彼が相手を油断させるためにわざと下心を隠せていないフリをしている、などとは考え付かないのであった。