第一章 初日―てーくるん?
ノームがハーフェンへ来たのは珊瑚の仕入れが目的らしい。
珊瑚はヴェステントに浮かぶ小さな島々の周辺で採れるのだが、一帯を支配する更に西の大国――その概要は大陸内の国にはほとんど知られていない――がその権益を握っており、そこから輸入する以外には得る手段がない。
そして大陸内で唯一その国と国交を持っているのが、ハーフェンなのである。
したがって、密猟を除けば、大陸内ではハーフェンでしか珊瑚が手に入らない。
海路を通じてヴァルトでも手に入るが、かなりの仲介料が上乗せされるために、陸路でハーフェンに向かう方が利益は大きいのだと言う。
「それにしても身一つで仕入れか」
城門の検問所に並びながら、アッサムはノームを見やる。
確かに大きな袋を持ってはいるが、しかしそれに珊瑚を入れて持ち歩くのはいかにも不用心であろう。
では腰巾着ではどうかというと、そちらは逆にあまりにも小さすぎるように思える。
「ハーフェンで買ったものを船で運んで、ヴァルトからは馬車を使ってヴァイゼに戻るのです」
ノームは相変わらずにこにことしている。
「来るのは陸路なのにか」
「そりゃあ、来るときは大きな荷物はありませんからね」
「その袋は?」
アッサムはノームが担いでいるそれを指さす。
「こんなものは大きな荷物の内には入りませんよ」
そう言ってノームは袋を縦に揺らして見せる。
「そうか」
言われてみると、ここまでの道中ですれ違った人や、追い越した人の持っていた荷物もこんなものだったかもしれない。大して注意を払っていなかったが。
「アッサムさんもテークレンツから来たと言う割には随分と身軽ですね。こちらにお住まいでも?」
「いや、そういう訳ではない」
正式な使者であるため、ハーフェン滞在中の生活は向こうが世話してくれるだろうという話である。
言わないが。
「ほー、それはそれは。旅の荷物を減らせれば、それだけ多く商品を運べるわけで、何か秘訣があるのなら教えてもらいたいものですよ」
ノームは手もみをしている。
「お前のその袋は商売道具だろう。だとするともう十分に身軽に見えるぞ」
「おや、気づかれましたか」
ノームは嬉しそうに笑いながら右手で頭をかいている。
そのせいで頭巾がずれ、元々飛び出した左目が更に強調されている。
それが妙に愛嬌があるのであった。
「聡い方とは、是非とも懇意にさせて頂きたいものです」
「金は持ってないぞ」
「ありゃ、それは困りました」
そうやって笑い合っていると、後ろの人に小突かれた。
どうやら順番が回って来たらしい。
前に進んで衛兵の前に立ち止まる。
短めの槍を持っただけの軽い装備。
中背で、筋肉はついているもののバランスが悪く、大して強そうでもない。
そんなことを考える辺り、まだまだ外交官には成りきれそうにないな、とアッサムは内心で苦笑する。
「通行証」
無愛想な衛兵に促されて、ノームはそそくさと何やら懐から取り出して提示する。
「商業ギルド所属か。通ってよし」
えらくあっさりと通してもらえるものだな、とアッサムはぼんやりと感想を抱いた。
「お前の番だぞ」
急かされてアッサムは書状を提示する。
テークレンツ国王のサインと国璽の入った正式な文書である。
ヴァイゼでは衛兵にこれを見せた途端、それまで横柄だった態度ががらりと変わったのが中々愉快であった。
今回はどうなるかと見ていると、衛兵の眉間に徐々に皺が寄っていく。
何だ、おかしいぞと思い始めた頃に漸く衛兵が口を開いた。
「テークレンツ? 聞いたことのない国だな」
「は……?」
思考が止まった。
「お前ら、テークレンツとかいう国、知ってるか?」
衛兵が後ろで壁にもたれ掛かって談笑していた2人の同僚に話しかける。
「知らねぇな」
「なんだぁそのお上品な名前、どっかの貴族の“お”集まりか? 」
そう言ってケタケタと笑っている。
いやいやそれはないだろう、とアッサムは思ったが、しかし言ってどうにかなるとも思えない。
若干の混乱を来しながらも、とにかくここを通してもらわなければ、と衛兵に詰め寄って書状のその場所を指さして正当性を主張する。
「ここにサインと国璽がある、正式な書類だ。通してもらいたいのだが」
「ん~、だが、テークレンツねぇ……」
衛兵は困ったように顎に手を当てて首を傾げる。
「おぃおぃ、はやくしねぇか」
先ほど小突いて急かしてきた後ろの男――背が高く、なかなかに威圧感がある――が、イライラした調子で声を掛けて来る。
「そうだなぁ、後ろもつかえてる、ちょっとそこで待っててくれ」
そう言って衛兵が同僚たちの所を指さした。
「だが……」
「はやくしろって!」
かなりの怒気を含んだ声が飛んできた。
「はいはい、今終わった」
衛兵はアッサムの背中をバンと叩いて無理やり壁際に押しやってしまった。
アッサムは、曲がりなりにも他国の使者にこの仕打ちはどうなのだろうか、と思いながらも他にしようもないので言われた通りにその衛兵たちの下に赴く。
一人は背が高くひょろりとしていて、もう一人はかなり小さくて、モグラのようである。
すると背の高い方がアッサムに、鼻にかかったような声で話しかけてきた。
「どうせでっちあげるならもっとそれっぽい名前にしろよ、そうだな……バットランドとかどうだ?」
小さい方がそれに対して、キーキーと騒がしい声で返す。
「おめぇそりゃなおさら嘘っぽいだろ」
2人はそんな風にアッサムの全身黒装束を揶揄して、ゲラゲラと笑っている。
端からテークレンツが実在する国だとは思っていないらしい。
さすがにこうなることは予想していなかったため、アッサムもどうしたものかと思案する。
強行突破は簡単だが、そんなことをすれば後々困ったことになるのは目に見えている。
とは言え彼らを説得して入るのも無理そうだ。
「お前らでは話にならん。上官を呼んでもらえないか」
これが一番手っ取り早い手だろう、とアッサムは判断した。
「上官ねぇ……」
背の高い方の衛兵が神妙な顔をして、もう一方を見て尋ねた。
「昨日何時まで飲んでたよ?」
「5時だな」
「そりゃだめだ、今起こしたらひでぇ目にあう」
そう言って真顔で首を振る。相方も目を瞑ってうんうんと頷いている。
「だが……」
納得できるはずもない。アッサムは何か言おうとするが背の高い方の衛兵がそれを遮った。
「まぁその内起きて来るだろうから、それまで待つこったな。どうせ帰ってもらうことになるだろうが」
アッサムは、こいつらの顔は覚えておこう、そして王宮に着いたら報告してやろうと密かに決心した。
「それよりおめぇ、空飛べそうだよな、こうもりみたいに」
「ばさっと?」
「そう、ばさばさっと」
「うはっ、そりゃいいぜ」
何が面白いのか、手の動きで羽根を真似ながら、またもゲラゲラと笑っている。
怒る気力も湧かない。
どうしたものかと途方に暮れていると、丁度いい具合に助けがやってきた。
「アッサムさん何かあったんですか?」
ノームがわざわざ戻って来てくれたようだ。
アッサムは事情を説明しようと口を開くが、その前に例の背の高い方がまたもや喋り出す。
「こいつが、えっと、テークルツ? テークルミ? テー……忘れちまったぜ」
「テークルンだよ」
「なんだぁそのくるくる回ってそうな名前、そんなだったか?」
「頭悪そうだよな」
「俺らより?」
「あぁ俺らより」
「ちげぇねぇ」
ゲラゲラゲラゲラ……
アッサムはもはや言葉もない。
ノームはそれを聞いてその飛び出した目をくるくると回していたが、すぐに真顔に戻り、落ち着いた調子で衛兵達に話しかけた。
「……あぁ何となく事情は分かりました。衛兵さん方、テークレンツは実在する国ですよ」
ノームのその言葉に衛兵たちはぎょっとした様子で反応する。
「え、まじっすか」
「まじで?」
おい、何でそうなる。
「私が保証しますよ」
ノームのその言葉を聞いて衛兵たちは顔を見合わせ、暫し見つめ合ったかと思うと大きく頷き、アッサムの方を向き直って深々とお辞儀をした。
「「大変失礼しやした! どうぞおっ通り下さい!」」
何かがおかしい。
そう思うものの、何から突っ込めば良いのか分からないアッサムであった。