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何でも屋アールグレイの休日  作者: 冬影
何でも屋アールグレイの休日
3/22

3 何でも屋アールグレイの真実

注意:長いです(約2万字)。


 葉の月、第一週の木曜日の朝早く。

 アッサムは前日に受け取った手紙に書かれていた、北の検問所付近の待ち合わせ場所へ向かっていた。

 手紙には、その待ち合わせ場所と日時の他に、交渉の結果、ターゲットとの会談が今日になったこと、そして条件付きとは言え、一対一の会談が了承されたことが書かれていた。

 アッサムとしては、これ以上ない成果であり、自然と笑みが零れてしまう。

 もちろん、これほどの事をあっさりと達成してしまうアールグレイを不気味に感じてはいた。

 しかしこれまでの観察からアッサムは、アールグレイの武芸は自分程では無い、と感じていたため、そこまでの脅威とは見なしていなかった。

 仮に噂の通り近衛騎士に匹敵するのであれば苦戦する可能性もあったが、おそらくは護衛に斡旋した本当の近衛騎士の活躍が、アールグレイ本人の活躍として伝えられていたに過ぎないのだろう。

 アールグレイが、近衛騎士を斡旋してしまえる立場にあるらしい、というのは不安要素ではあるが、ターゲットとは一対一であるし、またアールグレイを仕留めるだけならば、依頼や報酬の受け渡しを装って2人きりになることは容易い。

 そういう事を考えて、アッサムは早くも、来たるべき戦闘と殺戮に向けて緊張感を昂らせていた。

 もっとも他人からすれば、その姿はいつも通りの全身黒装束に深いフードで隠れており、彼のそのような魂胆など窺い知ることは出来なかっただろう。


 「お早うございます。時間通りですね」


 アッサムが待ち合わせ場所につくと、アールグレイが声を掛けてきた。

 最初に見た時と同じ格好だったが、今回はそれに羽根飾り付きの深紅のとんがり帽子を深く被っている。

 アールグレイは右手で帽子の鍔をくいと上げて顔を見せただけであったが、そのまま帽子を取って挨拶をすればさぞ様になったことだろう。

 それでなくとも、その優雅な立ち姿に、アッサムは思わず見入ってしまっていたのだった。


 「どうかされましたか?」


 アッサムが何も言わないのに業を煮やしたか、首を傾げてアールグレイが問いかける。


 「い、いや。何でもない」


 アールグレイが、女たちは失神し、男たちも見惚れてしまうほどの美形だ、という噂について、アッサムは顔の印象からただの誇張だったと判断していたのだが、ことここに至って、たしかに顔は平凡であっても、その立ち居振る舞いから溢れ出る品位は間違いなく人を魅了させるものである、ということに気が付いた。

 日曜日に依頼を受けているときには、そのような印象は受けなかったのだが、意図的に隠していたのかもしれない。

 なるほど、あの噂の出所はここだったのか、と納得して、一人で勝手に頷いていた。


 「……参りましょうか」

 「あ、ああ」


 アールグレイのその雰囲気に対してアッサムは、やりにくさを感じると同時に、幾許かの違和感があったのだが、その正体について考える時間は無かった。

 アールグレイは懐から何やら取り出そうとしている。


 「おそらく察しておられると思いますが、この近くに王族街へ入る抜け道がございます。本来ならば王族や一部の貴族達の他は知ることの出来ない場所です。ですからアッサムさんには、道中目隠しをして頂かなくてはなりません。よろしいでしょうか」

 「そうだろうなとは思っていた。問題無い」

 「では、これをお付け下さい」


 アールグレイが手渡したのはやや厚めの布であった。

 アッサムは目隠しを付けるために、フードを外した。


 「ほぉ……黒髪ですか」


 アールグレイが嘆息を漏らす。

 フードを外して表れたのは、短く刈りそろえられた黒髪、鋭い眼光、引っ掻き傷だらけの左の耳、深い傷跡が縦に走っている右の頬、きつく閉じられた色の薄い唇。

 全てが、この男の凄まじい経験と、それを経て来た者に特有の逞しさを顕わしていた。

 アッサムはしかし何も答えず、淡々と目隠しをして、フードを被り直した。


 「これでいいか?」

 「はい。それでは案内しますので、ついてきて下さい」


 そう言ってアールグレイはアッサムの背中に手を回し、寄り添うようにして進み始めた。

 視界を奪われたアッサムは近付いてきたアールグレイに何か言おうとして、しかし何も思いつかずに口を噤んだ。

 この距離なら、一瞬で仕留められる。

 アッサムはそう考えていたが、それは同時に、アールグレイにとっても、簡単にアッサムを仕留められる事を意味していた。

 アッサムはアールグレイが無警戒なのか、それとも無警戒を装っていながら実はしっかりと計算されているのか、判断が付かなかった。


 道中、アッサムは方角と歩数を数えていたが、そこは警戒されているのか、アールグレイが何度も方角を変え、時には逆戻りもしていたため、途中で投げ出さざるを得なかった。

 おおよその方角は掴めているが、それはただ王族街の内側へ、というだけであり、壁が存在する以上、抜け道に辿り着けなければ何の意味も無い。

 する事の無くなったアッサムは、出発してからずっと沈黙を続けているアールグレイに話しかけることにした。


 「いつまで続くんだ?」

 「……もう少しですよ、そろそろ壁を越えます」


 丁度その時、周囲の温度が下がった。おそらくどこかの通路に入ったのだろう。


 「随分回り道していたな」

 「元々、簡単には辿り着けない場所にあるのです」

 「ほう。まあたしかに、王族街に繋がる抜け道が簡単に見つかっては困ったことになるな。何故お前がそれを知っているのかが、気になるが」


 アッサムはアールグレイから情報を引き出そうとする。


 「先ほども申しました通り、この道の存在は、王族や高位の貴族達なら知っています。ですから、私が知っていることは別に特別なことではありません。それに、知っているからといって使える訳では無いのです」

 「警備の者でも置いているのか?」

 「そうすると、警備の者に知られてしまいます。それなりに知られているからと言って、徒に広めて良いと言う訳ではありません」

 「ふむ。しかし警備無しで、どうやって侵入を防いでいるんだ?」

 「簡単です。内側から操作しない限り、道が通じないのです」

 「なるほど、内側に協力者が必要ということか」

 「そうなりますね」

 「つまり、お前には王族の協力者がいると言うことか?」

 「そう言えなくもありません」

 「曖昧な答えだな。それとも、お前自身が王族の一員なのか?」


 アッサムのその問いかけに、アールグレイの雰囲気が僅かに変化した。

 辛うじて感知できるかという程度の、微かな感情の揺らぎ。

 これは、怒りだろうか、悲しみだろうか、さすがにそこまではアッサムには分からなかった。


 「……私は、王族ではありませんよ」


 更に追及しようとしたアッサムであったが、人の気配を感じてとっさに口を噤んだ。


 「衛兵ですね……隠れてやり過ごします」


 アールグレイが小声で囁き、アッサムを引っ張る。

 いつの間にか王族街の中に入っていたらしく、空気も通路の冷たいものから外の暖かいものに変わっている。

 無事にやり過ごした後、口を開きかけたアッサムをアールグレイが制した。


 「ここからは人が多いので、宮殿に入るまでは喋らないようにしましょう」


 してやられた、とアッサムは顔を顰めた。

 もう少しで何かを引き出せそうだと考えていたのだ。

 しかし見つかれば危険な状況であることは確かであり、仕方なく頷いた。


 案内はなおも30分ばかり続いた。

 時折屋内に入っているのをアッサムは感じたが、物音もほとんどせず、いつの間にか外に出ていたりして、どこを歩いているのか皆目見当もつかなかった。

 アッサムは周囲の気配を探る事をやめ、思考に専念し始めた。


 アールグレイは一体何者であるのか、事が終わった後、彼を消すべきなのかどうか。

 王族か、王族に親しい立場にある者だと考えるのが妥当だが、それにしては、自由に動き過ぎている。

 逆にそういう立場に無い者なのだとしたら、ここまでの事が出来てしまう理由が分からない。

 そしてまた、アッサムの依頼に快く応じる態度からは、敵対しようという意図は全く見えず、味方に出来るのではとさえ思われた。

 得体は知れないが、味方に出来れば心強いことだろう。

 だが敵であるならば、これほど危険な相手もいないだろう。

 であるならば、警戒されていない内に消してしまうのが一番であるのだが……そうするには彼の情報が少ないことがリスクになる。

 そもそも彼は何者なのか、と、これまで何日も考えて結論の出なかったこの問いに、今ここで答えを与えることなどできるはずも無く、アッサムの思考は同じところを巡り続けていた。


 そうこうしている内にアールグレイが立ち止まり、アッサムもまた足を止めた。

 そして一際重厚な扉の開く音がしたかと思うと、そっと背中を押され、その先へと歩を進めた。


 「さぁ、着きましたよ。もう目隠しを外していただいて結構です」


 そう言われてアッサムはフードを、次いで目隠しを外す。

 やれやれ、ようやくか、と緊張が解けたのもあって、大きく息を吸おうとしたが、眼前に広がる光景を前に固まってしまった。

 広々とした部屋には豪華な調度品がずらりと並び、そのどれもが美しい光沢を放っていて、一つ一つがとてつもなく高価なものであることが、そういうものを見慣れていないアッサムですら分かった。

 さらに奥の方には豪華な天蓋付きベッドが見え、それはここが寝室であることを、それもその広さと豪奢さから、間違いなく標的の寝室であることを示していた。

 アッサムが驚愕に襲われたのはそのせいだ。


 「まさかここは……王の寝室か?」

 「はい」


 アッサムは混乱の渦に叩き込まれた。

 たしかに依頼は王との会談であったが、どこか専用の部屋が用意されるのだろうと考えたいたのだ。

 それをまさか王の寝室、言うなれば、王の命を握れる場所へ連れて来られるなど……

 たしかに理想的な状況だが、理想的に過ぎて想定外の事でもあった。


 「確かに俺は、王との会談を望んだ……しかし、まさか寝室だとは……」

 「お気に召されませんでしたか? ですがこれは、あなたの一対一で会談したい、という要望に可能な限り応えた結果です。場所の指定もされていませんでした」

 「だが……だがどうやって?」


 アッサムは目の前の現実をどう理解すれば良いのか、途方に暮れていた。

 一介の何でも屋が、ただの依頼人を王の寝室まで案内してしまうなど、あらゆる点から考えておかしいのである。

 場所を知っていること、これはもういい。アールグレイだからと納得できなくもない。

 しかし場所を知っているからと言って、ここまで簡単に来られる訳がないのだ。

 王の寝室の前に警備の者が居ないはずが無い。

 しかも今入って来た扉は廊下に面した正規の扉であって、どこか抜け道を通って部屋に忍び込んだとか、そういうものでは無いこともはっきりしている。

 思えば最後の扉をくぐる前は長い間廊下を歩いていたが、その間に一度も宮殿の衛兵に気付かれないなんてことがあり得るのだろうか。


 「ただ歩いてきたのですよ」


 アッサムが問うたのはそんなことではないが、アールグレイも分かっていて敢えて的を外して返答しているのだろう。

 アッサムがまだよく事態を飲み込めていない内に、アールグレイは続けてこう告げた。


 「依頼通り、あなたはここで王と会談できます。私はこれからしばらく、向かいの部屋におります。会談が終わったら、いらして下さい」


 つまり、アッサムと王をこの部屋に2人きりにすると言うのである。


 「な……に……?」

 「それでは、私も少々忙しいので、また後ほど」


 アッサムが何か言い返す間もなく、アールグレイは扉を開けて出て行った。

 アッサムは口をポカンと開いて呆然とそれを見送る。

 その間抜け面を晒したまま現状について必死に思考を巡らすが、何らかの結論に至る前に、その相手は現われた。


 「打ち上げられた魚のようじゃな、情けない。余との会談を望んだと言うから、どれ程の人物が来たのかと期待していたのじゃが……」


 ため息混じりにアッサムをそう評しながら、奥からやって来たのは国王その人であった。

 ゆったりとした絹のネグリジェに、同じく絹のズボン、その上に簡素ながらも美しい光沢を放つ深紅のガウンを羽織っている。

 非常に立派な体格をしており、寝巻き姿でありながらもしっかりと王の威厳を示していた。

 顔に刻まれた無数の皺は王の苦労を忍ばせたが、同時に、何か興味のある物を見つけた時の子どものようなきらきらした瞳と、妙に綻んでいる表情が、どこか素朴な人の良さを感じさせた。

 そして右手には、ほんの数口分程度だろうか、シャンパンらしき琥珀色の液体が入った、細身のグラスを持っていた。


 あまりにも急な展開に思考の追いつかないアッサムは、近付いてきた王の顔を呆然と見上げて突っ立っていた。


 「なんじゃ、何とか申せ。余に用があってきたのじゃろう?」


 王の催促を受け、アッサムは我に返る。

 ここで当初の予定通り、王を殺害することは簡単だろう。

 だがこの状況は何であろうか。

 あまりにも出来過ぎていて、罠なのではないかという疑念が晴れない。

 もしかしたらこの王は偽物なのではないか?

 それにしては威厳があり過ぎるが。


 それに、アールグレイはしばらく向かいの部屋にいると言う。

 いつでもここに来られるということでもあり、またしばらくはここに来ないということでもある。

 ならば急ぐこともないだろう、王から情報を引き出してからでも悪くない。

 特にアールグレイの正体について、何か喋らせることが出来れば、きっと役に立つだろう。

 それにしてもどうするか、刃物で脅しても良いが……

 そもそも何故アールグレイは武器を取り上げなかったのか、素手でも問題無く殺せるが、それにしても不用心過ぎる……

 いやそんなことよりも、王に対してどう振る舞うかだ。

 そもそもの任務は王の説得、もしくは殺害という事だった。

 説得については、そもそも話す機会すらないだろうと、全く期待していない口ぶりだったため、殺害だけを考えていたが、このような状況なら寧ろ普通に話をしてみても良いかもしれない。

 王が領主様を放っておいてさえくれれば、敢えて反抗しようなどとは考えていないのだから。

 アッサムは覚悟を決めた。

 きっと表情を引き締め、膝をついて頭を垂れ、王に対して礼を取る。

 礼儀などほとんど弁えていないが、いつか見た誰かの行為の見様見真似である。


 「この度は、謁見の許可を……頂き、有り難く……存じます。先ほどは大変な無礼を働いてしまいました、どうか……申し訳ありません」


 ほとんど壊れた敬語ではあったが、対して王は鷹揚に頷いて答えた。


 「良い。して、お主は何者じゃ」

 「はっ! 私めは北東領主カンヤム様に仕える、アッサム……と申します」

 「ふむ……カンヤムに仕える、か……」


 アッサムがちらりと顔を上げて王の様子を伺うと、王は顎に手を当て、遠い目をしながら、何やら考えている風であった。

 数秒の間が空いた。それから王はアッサムに視線を戻す。


 「まあだいたい察しはついておる。このままでは話しにくかろう、こっちへくるのじゃ」


 王はそう言って手招きをし、数メートル先にある一対のソファの所へ歩いて行った。

 アッサムは言われるがままついて行った。


 「まあ座りなされ」

 「だ……ですが……」


 一般人の、しかもどちらかと言うと汚い仕事をしている自分に、この国の王が先に座ることを促がしている。

 その状況は理解し難いが理解している。

 しかしそんなことをして良いものかどうか、と、アッサムは躊躇してしまう。


 「気にするな、これは正式な謁見ではないのじゃからな。まあ、お主が気にするというのなら、余が先に座ろう。お主もここへやって来た割には小心者じゃのう」


 そう王は楽しそうに笑って、どっかりと座り込んだ。


 「ほれ、座ってやったぞ、お主も座るが良い」

 「失礼……致します」


 さすがに断ることも出来ず、アッサムは素直に従った。

 それにしても、先ほどまで王を殺害するとかしないとか考えていた癖に、こんな下らないことでどぎまぎしてしまうとは、我ながら情けない、とアッサムは内心で自嘲してしまう。


 「まあお主がこういう事に慣れていないことは分かっておる。そう畏まらなくてもいいのじゃぞ。どうせここには余とお主の2人しかおらぬ。お主が何か無礼を働いたところで、それを知るのはお前をここに連れて来たあ奴くらいじゃろう」


 アッサムは、アールグレイについて喋った瞬間に、王の顔がとても優しげなものになったことに気付いた。

 やはり、アールグレイは王とも個人的な関係があったのだと確信する。

 この調子なら、アールグレイについての情報も得られそうだと計算する。

 だが先ずは任務からだ。


 「それでは……今回、陛下へ謁見を願い……出しましたのは」

 「いつも通りの口調でいいぞ、その方が余も楽じゃ」

 「そ、そうか……それでは、あ、ああ。陛下におきましては……じゃない、陛下は現在、カンヤム様の領政について調べて……おられる。それを、即刻止めてもらいたい……のです」


 アッサムは額に変な汗が噴き出るのを感じていた。

 挨拶程度ならば何度も見ていて多少覚えているが、礼儀作法は基本的にからっきしである。

 だったらいつも通りに喋ればいいのだが、さすがに王をお前呼ばわりする勇気も無く、陛下、と言っていると、その言葉に釣られて妙に口調を意識してしまい、酷くしどろもどろになってしまっていた。


 「お主、なかなか面白いぞ」


 王はカッカと楽しそうに笑っている。

 そして現われた時からずっと持っていたグラスをぐいっと煽って空にすると、2人の間にある机にカンッと良い音を立てて置いた。


 「ほれ、余もこうして無作法をした。少しは緊張が解けたかのう?」


 反応に困る、というのがアッサムの正直な感想だ。

 だが王がこちらを慮ってくれている事は分かった。

 それにしても、こんなに人の良さそうな王が、策謀渦巻く政治の世界をどうやって束ねているのかと、心配になるのだった。


 「それで、用件じゃったな……カンヤムが怪しげな動きをしていることは知っておる。そしてこの前の領政調査が、奴の反抗心に火を点けたということもじゃ」


 王は腕を組み、ソファに深くもたれかかっている。


 「それを止めて頂く……やめてもらうことはできるか?」


 アッサムのいつも通りの言葉遣いに、王は満足そうに頷いて、そうじゃな、と一息入れてから答えた。


 「カンヤムは頭の切れる男じゃが、どうも自分勝手な所があっての。父の頃はもっと程度の小さな不正じゃったから見逃されておったが、余の代になってからちとやり過ぎじゃ」

 「やり過ぎ、というのは?」


 アッサムは任務のためにある程度の事情は聞かされていたものの、それ程詳しい訳では無い。

 そもそも、領主様は不正などしておらず、領政調査は領主様から富を奪い取るための、国の陰謀だと考えていたくらいだ。

 だが先ほどから王を観察していて、嘘を吐いているようには、あるいは、何かを企んでいるようには見えなかった。


 「ここ数年、カンヤムは羽振りが良いじゃろう? その理由はなんじゃと思う?」

 「交易が活発になって、税収が増えたことだ」

 「ふむ、確かにそうじゃ。じゃがな、北東領から国へ納める税額はほとんど増えておらぬ」

 「……つまり?」

 「税収を横領しておるということじゃ」


 政治の事は良く分からないが、それにしても国に納めるはずの税を横領していたとしたら大問題だ。

 だがアッサムは領主様を信じていた。

 あの方が理由も無くそんなことをするはずがない。

 あの方はこんな自分を救ってくれた大恩人なのだから。


 「まあ国としては、最初は追徴金だけで事を治めても良いと思っておった。長らく国に貢献してきた大貴族でもあるしの。じゃが奴は、密輸によって武器弾薬を蓄え、私兵を増強し、あまつさえ余に対し刺客を送り込んできたのじゃ。最早明確な敵対行為を取っている、と言って良いじゃろうな」


 アッサムは、王が領主様の動向をそこまで把握して居た事に驚いた。

 確かに領主様は戦闘になるかもしれないと準備をしていたが、かなり慎重に動いていたのだ。

 しかし、ここまで知られていたのなら、アッサムのことも知られているのではないのか?


 「前任者を知っているということは、俺の任務も知っているな?」

 「もちろんじゃ」


 だとしたら、今ここで話していることは、王の仕掛けた罠の一環ではないのか?

 それに、説得はもう無理そうだ。

 こうなったら当初の予定通りやってしまおう、まだまだ聞き出したいことは山ほどあったが、仕方ない。

 そう考えてアッサムは腰を浮かし、携えてきた短剣に手をかけようとする。


 「ま、待て、待つんじゃ」


 王が慌てて制止する。

 その姿を見てアッサムは、この王ならひょっとして、と考えて、脅してみることにした。


 「ふん、領主様に間違いなどない。今すぐ調査を止めると言うのなら、命までは取らない。どうする?」

 「……少し、落ち着いてくれんか?」


 王は憔悴した様子で懇願する。


 「これ以上、何か話すことがあるのか?」


 対してアッサムは机の上に足を掛け、更に王に詰め寄る。


 「じ、実はじゃな……それを決めるのは、余では無いのじゃ」

 「そんなこと……え? は? 何を言っている?」


 アッサムは訝しげに王を見詰める。

 この国の最高決定権は王にある。

 王がいくら頼りない人物であったとしても、その王が何か命じれば、その命令通りに国は動く。

 無論、やり過ぎれば貴族達の反発を招き、内乱に繋がる。

 だが領政調査などは領地を持つ貴族にとっては百害あって一利無し、仮に他の貴族を蹴落とす良い機会だと考えるにしても、自身に降りかかるリスクを鑑みれば、その中断に反対する者など居るはずもない。


 「はあ……言われた通り最初から全部ばらしてしまうべきじゃったかの……やはり、外交は余には無理なようじゃ」


 王は何やら落ち込んでいる。

 言われた通り?

 ばらす?

 何のことだとアッサムは視線で王に問いかける。


 「今回の一件の顛末を話そう……お主にとっても悪い話ではないと保証する。とりあえず、座ってくれんか?」


 王にそう言われ、アッサムは渋々短剣から手を離し、再び席についた。


 「何から話そうかの……そうじゃな、先ず、カンヤムとは既に話がついておる」

 「……ふぁ?」


 アッサムは情けない声を出した。


 「どういうことだ? 俺は確かに領主様から任務を言い渡されて……」

 「それについても追々説明する。うまく説明できるかは分からぬが……ともかく、その話をつけたのはアールグレイ、あ奴じゃ」


 アールグレイの名前が出た時、アッサムは血が沸き立つ思いがした。

 それは怒りとも興奮とも違う。諦め……とも違う。

 しかし何か、あぁそうだよな、と変に納得してしまう所があった。


 「アールグレイ……あいつは、何者なんだ?」


 思っていた展開では無いが、アッサムはアールグレイの正体に近付いてきている事を感じていた。

 領主様とアールグレイの間で既に話はついている、と言われたが、それで任務を諦め切ったわけではない。

 王が嘘を吐いている可能性もあるし、話をつけたのがアールグレイだ、というのも警戒する理由になる。

 アールグレイが領主様にとって敵なのか味方なのか、そもそもアールグレイの目的が何なのか、とにかく情報を得なければ何も判断出来ないのだ。


 「あ奴は、何でも屋じゃ。じゃが今は、余の依頼で国王代理を務めておる」


 アッサムはそんな馬鹿なと叫びそうになる。

 奴が国王代理だと? まるで突然足元の地面が無くなってしまったかのような感覚だ。

 しかし考えてみれば辻褄は合う。

 王との会談を交渉したこと、ここまで何の問題も無くアッサムを案内したこと、そして今、向かいの部屋に居るということ。


 「……つまり、今あいつは……」

 「向かいの執務室じゃな。今頃宰相と悪だくみでもしておるのじゃろう」

 「宰相……」


 宰相は先王の時代から、王の右腕として国政を取り仕切っていた男だ。

 領主様にとっても厄介な存在であり、そのため、今回の件で王殺害の罪を擦り付けることで失脚させる予定だった。

 その宰相まで絡んできているとなると……と、アッサムは頭を抱える。


 「アールグレイが国王代理となっていたのは、何時からだ?」

 「4年前に、西の隣国が迫ってきた事があったじゃろう。お主もどこかで聞いておらぬか、あ奴が一国の軍隊を追い返したことがあると」

 「まさか……」

 「あの時は随分と追い詰められておってのう……」


 国王は顎をさすりながら懐かしそうに目を細める。


 「父が亡くなって、余が王位を継いだが、余は父ほど賢く無い。人を見る目と、王らしい振る舞いだけは父に叩き込まれたが、それ以外は全くものにならんかった。父の遺言通りに宰相を初め、信頼できる者達を据え置いて国政を回しておったが、余が無能じゃという噂は隣国にまで広がっておっての……これを機にと、軍を動かしたのじゃ」


 アッサムも4年前の事は少し覚えていた。

 西の国境付近で緊張が高まっているからと、領主様の所に兵の派遣の要請が来ていたはずだ。


 「敵も本気で戦争する気は無いようじゃった。小規模な小競り合い程度じゃったな……それで停戦を申し出てきたのじゃが、交渉役が居らんかった」


 交渉役が居ない? そんな国があるだろうか。


 「宰相はちと性格的に難があってのう……それに、余が直接出向く訳にも行かぬ。他に交渉役が務まりそうな者達は既に諸外国に派遣してしまっておった。その内の誰かが帰ってくるまで待っていても良かったのかもしれんが、貴族の中に不穏な動きをする輩が居ってのう……あまり長引くと危険だったのじゃ」

 「……それで、アールグレイに依頼したと?」

 「まあそういうことじゃ」

 「だがおかしくないか、一介の何でも屋に、国を代表させたというのか?」

 「見事なものじゃったぞ? かの国は最初かなり厳しい要求をしてきおったのじゃが、いつの間にやらただの通商協定になっておった。どんな弁舌を駆使すればああなるのか余には皆目見当もつかん。宰相ですら目を回しておったわい」

 「……結果の話ではない。その前の段階の話だ。ただの何でも屋に国家間の交渉を任せられるはずがない」


 アッサムはいらつきを覚えていた。

 確かに王はアッサムの質問に答え、アールグレイについて説明しているのだが、アッサムが知りたい肝心の所はまるで明らかになっていない。

 結果としてただ王の思い出話を聞かされていただけだ。

 重要なのは、アールグレイが何者なのか、そして、今回の件でどうするつもりなのか、そこなのだ。


 「それはじゃな……ううぬ、余から言ってしまって良いものかどうか。あ奴はこの話を嫌がるからのう」


 そろそろ我慢の限界である。アッサムは再び短剣に手をかける。


 「待て待て待て! は、話すから! 余に刃物を向けても何も変わらぬぞ!」


 王がこんな臆病者で良いのだろうか、と思いつつもアッサムは柄から手を離す。

 考えてみれば今国を動かしているのはこの職務放棄している中年男では無くアールグレイなのだから、ここで国王を殺害しても何の意味も無い。

 何だ? という事は最初からアールグレイに全部話してしまうべきだったのか?

 まったく、飛んだ遠回りをしたものだとため息を吐く。


 「……良いだろう。ただ正直、もうお前から意味のある話が聞ける気がしないがな」

 「初めにいつも通りで良いとは言ったがお前呼ばわりされるとさすがにちくりと来るもんじゃな」


 短剣に


 「わ、分かっとる!」


 アッサムはやれやれ、と首を振る。


 「はあ……どうして余がこんなことを……あ、わ、今話す! アールグレイはじゃな……まあ言ってみれば……余の弟じゃ」


 時間が止まったかのように、2人の間を沈黙が支配した。

 王の額から汗が一滴、空のグラスに落ち、キーンと微かな音が響く。


 「……は?」


 漸く息を吹き返したアッサムは記憶を辿る。

 先王の息子は現王一人だけだったはずだ。


 「まあ、隠し子というやつじゃ。父はあ奴の存在を文字通りひた隠しにしておったからのう。その代わり、凄まじい英才教育を施したと聞いておる」

 「それなら奴は、やはり王族の一員ということか?」

 「そうでは無い」


 相変わらず、話が進むのが遅い。

 アッサムの形相は憤怒の色に染まっていく。


 「先王は何のためにそうしたんだ?」

 「英才教育は父の方針じゃった。まだ赤ん坊だったあ奴を見て、こいつは間違いなく世界を変えるほどの存在になる。と言ったそうじゃ」

 「ふんっ、大袈裟だな」

 「そうじゃろうか……国政に係わり始めてからの仕事ぶりは凄まじいの一言じゃぞ。先ずは4年前の交渉、次に地方自治制度の改革による王の権限の拡大、そして麻薬栽培に係わっていた南西領主の取り潰しとその後処理、それを手始めとした腐敗貴族の排除、王都での学校の設立、更には周辺各国との通商協定。主だった所でこんなものじゃろうか、宰相の協力あってのものじゃが、父ですらこの短期間でこれほどの事は成し得なかったじゃろうな」

 「……確かに凄まじいな。だがそれなら何故奴は何でも屋などやっている? 何故先王はお前を王にして、奴を放り出した?」


 王はそこで一度大きく息をしてから、しんみりとした口調で言った。


 「あ奴の母の最期の願いのためだそうじゃ。自由に生きさせてやってくれ、とのな」

 「自由に……」


 アッサムはその響きに引っかかりを覚える。


 「そうじゃ、あ奴の母は奴隷じゃった」


 その言葉を聞いて、アッサムの怒りは霧散し、同時に懐かしい痛みを感じた。

 かつて幼かったころ、もう30年も前に、無理やり押し付けられた焼き印の跡。

 何度も鞭で殴られ、死んでいった心。

 希望と言えば、ただいつか自由になれたらと、それだけだった頃の記憶。


 「王族に留めておいても不自由なく暮らせたと思うが、何か思う所があったのじゃろう。あ奴の教育にも携わった宰相は何か知っておるようじゃが、余は知らされておらん」


 仮に王族に拾われていたら、何を望み得ただろうか、とアッサムは思いを馳せる。

 領主様に拾われた時、アッサムは救われた。

 少しでも領主様のお役に立てればと、領主様の手兵となる事を望んだ。

 訓練は厳しく、鞭で打たれる事もあったが、食事はしっかりと食べられたし、辛ければ全てを投げ出す自由もあった。

 一緒に訓練していた者達の中には、途中で投げ出してどこかへ行ってしまった者も多かったが、王都の屋敷の管理を任されているウヴァのように、最後まで耐え抜き、領主様の手駒となった者も居る。

 まあウヴァには一緒に訓練したというよりも年齢差的に面倒を見てもらっていた、という印象の方が強いが。

 そんなウヴァに対しても今ではアッサムの方が序列は上だ。

 アッサムはそれだけの働きをしてきたのだ。

 働いて、相応しい報酬を得る。

 それがどんなに有り難いことであるか、奴隷という、働いても決して報われる事の無い立場を経験したアッサムはひしひしと感じていた。

 それこそが自由ということなのだろう。

 仮にその仕事が、両手を血に染めるようなものなのだったとしても……


 「それで、じゃな……」


 王はちらちらとアッサムの右手と短剣を気にしながら、恐る恐るといった感じで続ける。


 「今回の件の落とし所じゃが……」


 そこで突然ギーッと音がして扉が開き、隙間からひょいと男の顔が出てきた。

 ひょうたんのような、と言いたくなるような面長の顔に、キョロキョロと落ち着かない目、やや長めの青い髪と、その上にちょこんと置かれたベレー帽。

 そのベレー帽についた羽根飾りがひらひらと左右に揺れていて、つい視線が釣られてしまう。


 「おやおや、まだお取り込み中でしたか。賢き陛下はどこまで話せましたかな?」


 どうも人を食ったような態度で、癪に障る喋り方をする。

 王に対しても失礼だろう。

 何だこいつは、とアッサムは怪訝な顔をして、王に視線で問いかける。


 「奴が宰相のニルギリじゃ。どうじゃ、交渉役には向かんじゃろう?」


 王はアッサムにそう囁き、残念そうにため息混じりに首を振る。


 「内政をさせる分には頼れるのじゃがな」

 「聞こえてますからねー」


 ニルギリは右手をひらひらさせている。

 王のため息は何回目だろう。


 「して、何用じゃ」

 「アールグレイ君がお呼びですよ。あ、アッサム君をね、陛下じゃないですよ。」


 こいつは一々人を馬鹿にしないと気が済まないタイプなのだろうか、と呆気に取られるアッサムであった。


 「……余はお役御免かの」

 「おや? 陛下も来られますよね」

 「……」


 どういうことだ、とアッサムはつい口を開く。


 「アールグレイが呼んでいるのは俺だと、先ほど言っていたが」

 「呼んでないだけで来るなとは言ってないですからねー」


 ああだめだ、こいつは相手にするだけ無駄だ、とアッサムは早くもニルギリとの会話を断念した。

 領主様が苦手にしているのも当然だな、と納得する。


 「まああ奴に任せた方が、余が説明するより早いじゃろう、アッサムよ、参ろうか」

 「お前は呼ばれていないんだろう」

 「い、いや、来るなとは言われておらん……」


 アッサムは何となく王を虐めておいた。

 いいのだろうか、いや、もう考える必要などない、と、何やら悟りの境地に達している気分だった。


 「アッサムさんもなかなか言いますねー、良いですよ、そういうの。……あの、無視しないでください」

 「この一瞬でニルギリへの対処法を掴むとは、意外な才覚じゃ」

 「さっさと行くぞ」


 相手などしていられない。

 アッサムはつかつかと歩いて行き、ニルギリを押しのけて廊下へ出ると、向かいにある扉を勢いよく押し開いて突入し、大声で呼びかけた。


 「アールグレイ、説明しろ!」


 先ほどの王の寝室より一回り小さな部屋の中央、宮殿内の調度品の中でも一際美しい大きめの執務机があった。

 アールグレイはその手前の椅子に優雅に足を組んで座っており、紅茶でも飲んでいたのか、右手にカップを持っていた。

 アッサムの呼びかけに対し、アールグレイはゆっくりと、それでいて間断無く流れるように、カップを皿の上に戻し、にこやかな微笑みを向けながら立ち上がった。


 「依頼の達成具合は如何でしたか」

 「ふざけるのも大概にしろ!」


 アッサムは部屋に鼻息荒くアールグレイに歩み寄り、襟を掴んでやろうかと手を伸ばしかけたが、何とか思いとどまって足を止めた。


 「陛下にはもう少し説明して頂きたかったのですが……」


 アールグレイは遅れて入って来た王に向かって悲しそうな顔をする。


 「余に期待などするな……」

 「陛下の数少ない美点の一つは、身の程を弁えていることですからねー」


 王の目には涙が浮かんでいるように見えなくもない。

 一方のニルギリは飄々としたものだ。


 「まあ仕方ありません。アッサムさんは、どこまでお聞きになられましたか」

 「お前が黒幕であることまでは聞いた。お前の目的がまだだがな」

 「そうですか、でしたら話が早いですね。アッサムさん、私の配下になりませんか?」


 アッサムは咄嗟に腰の短剣に手を伸ばすが、その手はアールグレイに掴まれていた。

 いつの間に、と驚愕に包まれていると、後ろからやって来たニルギリに短剣を奪われてしまった。


 「本当はこうする必要が無いくらい、陛下からお話を聞いて頂くつもりだったのですが……荒っぽい真似をしてしまいましたことを、どうかお許し下さい」


 元々先に手を出しかけたのはアッサムの方だ、そのことで怒るのは筋違いというものだ。

 まさか止められてしまうとは思わなかったが、それはそれだ、今は冷静にならなければならない。

 アッサムは一度目を瞑り、息を整える。


 「……それで、一体どういうことだ?」

 「カンヤムさんとの話し合いの結果、あなたの身柄は私が預かることが最良であろう、という結論になりました。なおカンヤムさんは、今回の騒動が終結し次第、北の隣国に向かわれます」

 「何なんだ、一体……俺には何が何だか……」

 「そもそもの始まりから述べましょうか」


 アールグレイはもう一度ちらりと王の方を悲しそうに眺めてから、アッサムに語り始めた。


 最初はカンヤムの影響力や貢献を鑑み、秘密裏の追徴金だけで事を治めるつもりであったこと。

 だがカンヤムが抵抗する素振りを見せたためそうもいかなくなったこと。

 最初の刺客が送られ、討伐もしくは暗殺をも視野に入れ始めたこと。

 そして最初の刺客の失敗を受け、カンヤムの配下の者がアールグレイに依頼をしに来たこと。


 「その配下の者と言うのは……」

 「あなたもご存じの、ウヴァさんです」

 「あいつ……最初から裏切っていたのか」

 「依頼内容は、彼女自身の身の安全、カンヤムさんの命の保障、そして次に送り込まれるであろうアッサムさんの身の安全でした」

 「俺の、身の安全?」

 「えぇ、そうです。お2人は共に、カンヤムさんの下で幼少時を過ごされたということですね」

 「一応は、そうだな。ウヴァねえさ……あいつのほうが、だいぶ年上だった上に、他にも大勢の奴らが居たから、2人で共にって言われても違和感があるが」

 「ウヴァさんは随分と気に掛けてらっしゃいましたよ。曰く、弟のようなものだと」

 「ふんっ、勝手な事をしやがって……」

 「そうですか。ですが彼女のお陰でだいぶ助かりました。それに結局、彼女がもたらした情報が、カンヤムさんの命を救う事にもなったのです」

 「どういうことだ?」


 ウヴァがもたらした情報と言うのは、カンヤムの不正に得た資金の行き先である。

 不正は関税ばかりではなく、他にも様々な所から資金を得ていたという。

 そして、その一部はもちろん贅沢のためにも使っていたのだが、基本的には私兵の維持費、そして奴隷の購入と教育費に充てられていた。


 「奴隷の購入と教育は、彼自身の私兵を組織するためのものでした。それ自体は利己的な動機に基づくものですが、強制性はありませんでしたし、結果的には奴隷に落ちた方々を教育し、仕事を斡旋することで、救済しているという面がありました。領政としても、若く優秀な労働力が増えることで得るものがあったのでしょう。王都にある学校に近いものと言えるかもしれません。こちらはまだ間口が狭いですが……」

 「つまり、領主様は善行を行っていたから、見逃そうとしたということか?」

 「善行とまで言っていいのかどうかは分かりませんが、カンヤムさんへの評価を改めるきっかけにはなりました。そこで再度諜報部を使って調査をしました。私兵は、どうやら北の隣国に対抗するための勢力を自前で用意したかった、というのが理由のようですね。そこで今回の件に関して、カンヤムさんとの取引が成立するだろうと判断し、ウヴァさんの仲介で秘密裏に接触しました。それがおよそ2週間前の事です」


 大体事情が見えてきたが、アッサムには途中で気になる言葉があった。


 「待て、諜報部とは何だ?」

 「王直属の、あなたみたいな人たちの集まりですよー」


 何故かニルギリが説明し始めた。


 「王の表の盾が近衛騎士だとしたら、王の裏の盾って感じですねえ。単純な武芸では近衛騎士に劣りますけど、隠密、調査、潜入といった仕事ではおそらく大陸一じゃないかと思いますよ。流石に外国に派遣できるほどの人数はいないので、本当に大陸一かどうかは分かりませんけどー」

 「ニルギリさんのおっしゃった通りです。彼らは本当に有能です。国王代理の仕事を引き受けた事は後悔していますが、諜報部を自由に使えるようになった事だけは本当に助かりましたね」

 「と言うことは、俺の最初の依頼も諜報部を使ったのか?」

 「はい」


 それは私的利用というものでは無いのだろうか、とアッサムは疑問を持つ。


 「まあ元々あの方はこちらとしてもマークしていましたので……今回の件にも係わっていますからね。最後には、牢屋に繋がれていることでしょう」

 「そ、そうか……」

 「ちなみに、大通りであなたに道を教えた方も、諜報部の者です」

 「……どうにも胡散臭いとは思っていたが……その調子だと、あの宿屋にも何か係わっていたのか」

 「宿屋のほうには、あなたのために部屋を残しておくように依頼していた程度ですね。諜報部との繋がりはありません」

 「……完全に掌の上で玩ばれていた訳か」

 「申し訳ありません。ですが、必要な事だったのです」

 「必要……?」


 アッサムはもう疲れ切っていた。今すぐ宿屋に返ってベッドに倒れ込みたい気分だった。


 「はい。それについて説明するためには、カンヤムさんとの取引の内容を聞いてもらわなくてはいけません」


 そうか、まだその事を聞いていなかった、とアッサムはそこで可笑しな点に気付いた。


 「領主様と話が付いているのなら、俺を泳がせておく理由が無くないか?」

 「実はカンヤムさんとは話が成立したのですが、その時には既にカンヤムさんの周りには大勢の反王勢力が集まっており、もはや一人で止めることが出来ない状態でした」

 「……それで?」

 「話し合いの結果、カンヤムさんは最後までその集団の先導をし、こちらの手勢と合わせて、反王勢力を一挙に制圧する作戦になりました」

 「分からなくも無いが……それが俺とどう係わっている?」

 「私は今回の一件で、国内の反王勢力を一掃するつもりです。そして、反王勢力は王都にも根を張っており、今回の一件の動向を探っている者もいます。特にアッサムさん、あなたの働きはカンヤムさん陣営にとって最重要項となっています。こんなにも不確定な要素に頼る作戦はどうかとは思いますが……ともかくそういう訳で、反王勢力の方々には、王の暗殺が上手くいっている、そして上手くいったと思わせなければならなかったのです」

 「なるほど、そういう事か……」


 アッサムの中で、漸く全ての状況が合致した。

 そしてまんまと利用されてしまっていたことに落胆しつつ、領主様の命が助かることを聞いて、安堵してもいた。


 「領主様は北の国に向かわれるという事だが」

 「ええ、表向きは大反逆者ですから、処刑した事にして秘密裏に国外に逃れて頂きます。一応、領政での不正行為、そしてその他の違法行為に対して身分はく奪の刑は妥当です」

 「その他の違法行為? まだ何かあるのか……」


 まあ領主様の事だから何か必要があってしたことなのだろう、とアッサムは考えた。

 ならばこの結果も覚悟の上だろう。

 自分はただどこまでも領主様について行くだけ、と決めていた。


 「ゴホン、実はじゃな……」

 「陛下は黙っていてください」

 「あ、あぁ……」


 王が咳払いをして何か言いかけたが、アールグレイはばっさりと切り捨てた。


 「アッサムさん、こちらの書類をご覧下さい」


 そう言ってアールグレイは、執務机の引き出しの一つを開け、中から数枚の書類を取り出した。


 「あなたにとっては受け入れがたい内容かもしれませんが……」


 その言葉に不穏なものを感じつつ、アッサムは書類を受け取り、内容に目を通した。

 大きな紙が一枚、二枚、三枚。

 それぞれ数行の文章と数字が書かれ、下の方にサインがある。

 たったそれだけの、簡素な書類。

 しかし一行読むごとに、視界が滲んでいき、徐々に嗚咽が混じり、最後には涙が溢れた。

 この気持ちは何と言えば良いのだろう。

 悔しさなのか、怒りなのか、哀しみなのか……

 アッサムは両手できつく紙を握りしめたまま、崩れるように蹲り、年甲斐も無く大声で泣き続けた。


 その異様な光景に、さすがの王も押し黙り、ニルギリは腕を組んで目を瞑り、アールグレイはただそのまま立ち尽くし、アッサムが再び顔を上げるのを待ち続けていた。






 葉の月も終わり頃になり、学校に通う子ども達は宿題に追われてなかなか外に出て来なくなった。

 例の一件が片付いて以降、数年振りに国王代理の仕事を休み、本業という名の休暇を満喫していたアールグレイは、遊び相手がいなくなったのが寂しいのか、自宅のテラスでミルクティーを飲みながら、遠くの夕日を儚げに眺めている。


 あの後は色々と大変だった。

 アッサムはそんなアールグレイの様子を見ながら思い出す。

 先ずアッサムはウヴァと合流して王都を脱出し、王都付近に軍を進めてきていたカンヤムへの報告を行った。

 カンヤム陣営は、国王暗殺、犯人は宰相、との布告を掲げ、義軍を自称し王都に向かって進軍を開始。

 王都内でも呼応するように武装蜂起するものが居たが、近衛騎士及び諜報部の人員により即座に鎮圧される。

 そしてカンヤム軍が王都の城壁前に辿り着き、開門を要求した所で、国王及び宰相が城壁に現れ、カンヤム陣営の陰謀を糾弾。

 用意されていた近衛騎士を前面に出しつつ戦闘になり、カンヤム陣営は壊滅。

 大半は投獄、もしくは身分はく奪の後国外追放となった。

 アッサムとウヴァは戦場からカンヤムを連れ出し王都内へ潜入。

 そこでアールグレイ達に引き渡し、役割を終えた。


 カンヤムの私兵だった者たちはカンヤムに付いて行くか、国に仕えるか、一般人になるか、はたまたアールグレイの配下になるか、選ぶことが出来た。

 大抵の者はカンヤムについて行ったが、ウヴァやアッサムのようにアールグレイの配下になる者も何人かいた。

 あの気持ちの悪い小さな男もその一人だと聞いた。

 まだ会ってはいないし、会いたくもないのだが。

 領主の居なくなった北東領は領政調査を行っていた行政官が一時的に治めている、という名目だが、戦略上の要所でもあるし、その内王の直轄領として管理するつもりだとアールグレイに聞かされていた。

 一体どこまで仕事を増やすつもりなのか、と要らぬ心配をしてしまう。

 だがそれにしても、直接の配下ができたことで暇が増え、アールグレイはかなり気分が良さそうであった。


 「アッサム、そろそろカンヤムが恋しいか?」


 配下に対するアールグレイの態度はいつもこうだ。普段の猫被りは一体何なのだろう。


 「アールグレイ様、それはあんまりです。アッサムはまだまだ捨てられたばかりの子犬のように傷心していますから」


 アールグレイの後ろに控えているウヴァが嗜める。

 アールグレイに雇われてから、メイドが本職になってしまったようだ。

 アールグレイに付き従い、家事や身の回りの世話をしている。

 アッサムに対する態度は基本的に変わらない。

 身分の上下が無くなって敬語を使わなくなった分、昔に戻ったとも言えるか。

 そして痩せた。どうでもいいことだが。


 「何度も繰り返すが、カンヤムに対する感謝の気持ちは変わりない」

 「その割には、呼び捨てにするようになったじゃないか」

 「……今の俺とカンヤムは、対等だ」

 「ふ~ん」


 アールグレイは何やら楽しそうだ。


 「その辺りは、やはりウヴァと同じような気持ちということか」

 「さぁ、私にはこの抜け作の気持ちなど分かりかねますので」


 訂正だ、ウヴァのアッサムに対する態度は昔より酷い。


 「だが未だに疑問に思うことがある、あれを君に教えたことは、君にとって良かったことなのかどうか」

 「……ウヴァの依頼だったのだろう」

 「まあそうなんだけど」


 カンヤムがアッサムを奴隷から救った、というのは、あくまでアッサムから見たストーリに過ぎなかった。

 カンヤムの私兵の中でも特別優秀だったウヴァとアッサム。

 この2人だけは、奴隷になった所から既に、カンヤムの意図が係わっていたのだった。


 元々、カンヤムが奴隷を集めて教育していたのは、感謝の念を起こさせ、それを洗脳に繋げて、思い通りに動く私兵を蓄えるためだった。

 だが過酷な訓練に耐えられる者や、戦闘や知性において輝きを見せる者はなかなか見出せなかった。

 業を煮やしたカンヤムは、異国から優秀な血筋の子どもを拉致し、一時的に奴隷に落とし、後から引き取るということを考えた。

 ウヴァの家がどこだったのかは聞かされていないが、アッサムはどうやら北東の国の、高名な暗殺者や武闘家を輩出した家系の子どもだったらしい。

 確かにアッサムと同じような黒髪は、北東の国に多いのだ。


 意図通りに育ったアッサムはカンヤムの手足として働いた。

 命令の下、奪ってきた命も数多い。

 一方でとにかく頭の良かったウヴァは、早々と屋敷の護衛の任務を願い出て北東領から距離を置き、密かに自らの、そしてアッサムの経歴を探っていたらしい。


 アッサムは、ただただ利用されてきたのだ、と知った時にはこれまでの自分の人生を否定されたようで、涙を堪えることが出来なかった。

 だが今では多少、割り切れている。

 確かにカンヤムによって家族と引き離され、人生を破壊されたのだが、一方でカンヤムの下で育てられ、信頼され、そして最終的には自由を与えられたというのもまた事実なのだ。

 王都でアールグレイに引き渡したとき、カンヤムは涙ながらに謝罪した。

 2人の人生を狂わせたことを、どこかで後悔していたらしい。

 そして最後には、お前たちは自由である、と宣言した。

 それでもうアッサムにとっては清算されていたのだった。


 「アールグレイ様、今は休暇中です。どうか末端の配下の事などお気になさらず、ゆっくりお寛ぎ下さい」

 「ははっ、ばれてたか」

 「それはもう」


 何だかんだ言って、アールグレイはかなりの配下思いだ。

 普段の子どもと楽しく遊んでいる様子とどこか重なる事を思うと、単に見下しているだけなのかもしれないが。


 「実はカンヤムから引き受けた依頼があってね……」


 おや、これは初耳だ。

 とアッサムは注意を向ける。

 見るとウヴァも何事かと驚いた顔をしていた。


 「2人のことをよろしくってさ、出来たらくっ付けるようにって。だからこれも仕事の一環なんだよ」

 「……」

 「……」


 子ども達と遊んでいることですら、何でも屋の仕事だと言い張るアールグレイだ。

 この調子では、本当の休日はいつまで経っても来ないだろう、というのが、2人の珍しく一致した見解であった。




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