2 何でも屋アールグレイの仕事ぶり
視点が変わります。
最近やってきたお客さんの様子が怪しい、と僕は思う。
僕の家は宿屋をやってる。
経営は書類上両親が共同でしてるけど、実際には母ちゃんが切り盛りしてる。
父ちゃんはただ母ちゃんに言われたことをやるだけかな。
母ちゃんが買い出しにでかけてたり、料理してたり、寝てたりする時に、受付とかお客さんへの対応くらいはちゃんとやってる。
でも接客業のはずなのに言葉が汚くて、たまにお客さんから苦情が来てたりする。
まあ中には親しみやすくて良いって言ってくれる人もいるけどね。
あと料理も掃除もできなくて、失敗も多くて、しょっちゅう母ちゃんに、役立たず、ってどやされてる。
そのたびに何か涙ながらに母ちゃんに謝ってる。
前に一度、頼むから追い出さないでくれ、って土下座してるのを見たこともある。
息子としてはあんまり誇れないな。
ちょっと情けない。
ちなみに僕も時々家のことを手伝ってる。
料理はほんの少ししかやらないけど、掃除は結構得意だし好きだ。後は買い出しとかね。
昔はほとんど毎日やってたんだけど、何年か前に王都に学校ができて、そこに行くようになってから頻度が減っちゃった。
僕は家を手伝うって言ったんだけど、文字とか計算とかちゃんと習いなさいって母ちゃんに言われて嫌々行き始めたんだ。
学校は、最初はなんかちょっと構えてたかな。
知らない人ばかりだし、貴族の子も来てるとか言われてたし。
でも気が付いたら歳の近い友達が何人かできてて、今は凄く楽しい。
その学校だけど、今週からちょうど夏休みになってて、これから1ヵ月くらいは家に居られる。
宿題とか、遊ぶ約束とかもあるけど、まずは家の手伝いをしっかりやろうって思ってる。
父ちゃんみたいな情けない大人になりたくないからね。
で、二週間くらい前だったかな、僕と母ちゃんが次の日に備えて寝てしまって、父ちゃんが店番をしてる時に、そのお客さんがやって来たらしい。
その人、僕がこの前見かけたときは、全身真っ黒な服で、顔もフードで隠してて、すっごく怪しいと思ったんだけど、父ちゃんに聞いたら来た日もその恰好だったらしくて、余計に怪しい。
しかもその人、一日中部屋の中にいたかと思えば、突然2,3日姿を消してることもあったりして、どういう生活してるのか全然分からない。
まあうちに泊まりに来る人は大体アールグレイさんへの依頼があって来てるわけだし、その中には変な人も一杯いるから、飛び抜けて怪しいってわけでは無いんだけどね。
でもね、なんかその人、自分がいないときは誰も部屋に入れるなって言ったらしいんだよね。
さすがにここまでくるとちょっとおかしい。
何週間も泊まるんだったら、掃除とか入るのが普通なのに、それもその人がいる時じゃないとだめらしい。
しかも、一週間経ったころかな、一応その人がいる時に、父ちゃんが1回掃除したんだけど、びっくりするくらい生活感が無かったらしい。
その時の荷物は来た時と同じで、その人が肩にかけてる段袋だけ。
でも父ちゃんが夕食を運んで行ったときにチラッと見たら、机の上にたくさんの紙が散らばってたらしいから、何かしてるのは間違い無いんだ。
そんなこんなで、僕はちょっと今冒険をするつもりだ。
その人は昨日の朝早くに出て行って、そのまま戻って来なかった。
きっとまた数日帰ってこないんだと思う。
で、休暇中の僕は家の手伝いとして客室の掃除をして回っていて、たった今他の部屋を全部終わらせて、その人の部屋の前に立ってる所なんだ。
冒険って言うのは、部屋に入って掃除すること。
もちろん、怪しいのを調べるためじゃなくて、ただの掃除だよ?
あと父ちゃんはその人に、誰も入れるな、って言われてるらしいけど、僕は言われてないから、僕はそのことを知らないよね、うん。
それに最後に掃除したのは一週間くらい前だし、そろそろ掃除しないと部屋が汚れて家としても困るんだ。
あ、ちなみにその人、最初は二週間って言ってたけどもう一週間延長してて、今日はもう三週目だ。
長期の滞在客は嬉しいけど、こういう怪しい人は嬉しくないね。
さて、父ちゃんは受付でうたた寝してるし、母ちゃんはちょっと遠くまで買い出しに出かけてるから、僕を止められる人はいない。
作戦開始といこうじゃないか。
僕は音を立てないようにそっと鍵を開けて、ゆっくりと扉を開けて、僅かな隙間から部屋に入り込む。
開けすぎるとギギッて音がするからね。
入ったらやっぱりゆっくりと慎重に、両手を使って扉を閉める。
よし、上手くいったぞ。でもあれ、よく考えたら多少音がしたとしても誰も気にしないような……
ま、ま、いいんだ。こういうのは雰囲気だからね!
それに何だかお話しで出てくるスパイみたいで楽しいかも。
最近友達の間でスパイもの? っていうお話が流行ってて、大体のお話では、スパイはターゲットを追跡して、気付かれないように家の中を調べて、それで悪事を見抜いて、色々大変な目には会うんだけど、最後はターゲットの人とか組織とかと戦って勝つんだ。凄く格好良い。
そんな訳で、実は僕も結構憧れてるんだ。
僕もこれでスパイデビューかな?
扉が閉まったのを確かめてから、まずは部屋全体をさっと見渡した。サッとね。
見えたのは閉められたカーテン、少し煤けたランプ、そして何故か綺麗に伸ばされたベッドのシーツ。
おかしいよね、一昨日までここで寝てたはずなのに……
洗濯なしでこんなに綺麗に伸ばせる技術があるんだったら、絶対に教えてもらわなくちゃ!
っと、違う違う、そんなことよりも調べものだ。
え、掃除? まずは机の上を整理しないとね!
机の上を見るとポツンと無愛想に紙束が置いてあった。
左側に縦に2箇所穴が開けられていて、糸を通しているけど、まだ結ばれていないから、きっと何か書きかけのものだ。
これはいいものを見つけたぞ。
僕は早速その机に近寄って、紙束をのぞき込む。
一番上は表紙になってるのかな、大きな文字でこう書いてある。
「アールグレイについての調査及び報告 覚え書き」
こ、これは! 僕にドカンと衝撃が走る。
単なる依頼人さんかと思ったら、アールグレイさんのことを調べてる人だったのか!
これ、アールグレイさんに伝えるべき? あぁ、鼓動が止まらない。
ちなみに、アールグレイさんには小さい頃、今よりもっと小さい頃ね、何度か近所の友達と一緒に遊んでもらったことがある。
その頃から僕はアールグレイさんのことが大好きだ。
とっても優しいお兄ちゃんって感じだった。
でも、いつからか日曜日にしか会えなくなって、自然と会う機会も無くなっちゃった。
今はもう1年以上会ってないと思う。
だからと言って、ストーカーって言うのかな、アールグレイさんに近付く悪い虫を無視はできないよね。
でもちょっと落ち着こう。
とりあえずは内容次第だよね、うん。
という訳で僕は掃除道具をほっぽりだして、椅子に座って、表紙を捲ってその紙束を読み始めた。
「アールグレイについての調査及び報告 覚え書き」
・以下は、本任務の達成に資する情報と、報告書のための経過の覚え書きである。
・本任務の達成に、アールグレイなる人物の協力を取り付けるため、調査を行う。
・調査内容:噂や街中で言われていたことが、事実であるかどうかの確認。
外見:同一人物であることの確認
依頼を引き受ける日時:本当に日曜日だけなのか
依頼を引き受ける条件:順番、報酬
依頼の達成具合:本当に全て達成しているのか、随時追跡して確認
・報告内容:アールグレイの動向及び、アールグレイ本人との交渉の内容
・文の月、3週目の金曜日
予定より早めに王都に到着。
アールグレイなる人物(以下、Aと表記する)の住処に訪れるも、本人の在宅は確認できず。
近場の宿屋にて宿泊、窓からAの家も見える絶好の場所。監視を開始する。
・3週目の日曜日
噂通り、土曜日には全く姿を見せなかった。
仮眠を取り、空の白み始めた日曜日の朝4時頃から張り込みを開始。6時頃には表に人が集まり始め、7時頃には何人もの人が列をなして並んでいた。
7時半頃、どこから現れたのかよく分からなかったが、裏口から家へ入って行く人物を発見。後姿しか見えなかったが、頭部は金髪。優雅な緑のマントを羽織り、質の良さそうな赤茶色のズボンと薄茶色の長いブーツを履いている。服装についての情報や噂は無かったが、状況的にA本人と思われる。
8時丁度、表玄関の扉が開き、Aが現れる。現れるまでに中で何をしていたかは不明。つい先ほどまでカーテンが閉められており、窓から中を確認することは出来なかった。
外見:
マントは外しており、上は深紅のダブレット。他は先ほどと同じ。碧眼であり、噂に合致する。なお噂では更にとんでもない美形とのことだったが、見たところ顔は普通である。やや鼻が低いだろうか。髪もややボサボサで、むしろパッとしないと言ってもいいだろう。ここは噂で美化されていたのだと考えられる。また体格はやや細身で噂に合致するが、身長は平均程度でしかない。全体的な印象から20代前半くらいに見えるが、街中で聞いた話からすると、もう少し歳を重ねているはずである。
最初の依頼人(以下C1と表記)が玄関先でAに依頼内容を告げていた。
内容は、仕事道具の破損の修理。具体的にどんな道具なのかは聞き取れなかった。修理屋や職人のほうは先約があって、待っていては仕事の期日に間に合わないらしい。AとC1は一度家に入った。カーテンが開けられていたので、一階の窓から中の様子を伺うことができた。机を挟んでソファに腰かけ、話し込んでいる。話しながら、Aは手元の紙に何かを書き込んでいる。あれが依頼の本来の形態と思われる。2人は10分程で出てきた。Aは並んでいる他の人たちに声を掛けた。
「皆様の依頼内容を教えてください。今日中に対応できるもののみ引き受けます」
依頼:
家屋の修理の手伝い(C2)、飼い猫の捜索、人捜し。家屋の修理の手伝いは相談の末、最終的に引き受けたようだ。飼い猫については、居そうな場所を何か所か挙げ、依頼自体は断っていた。人捜しは追って連絡するらしく、中に入って報酬の相談を行っていた。
他の興味深い依頼:
かなり身なりの良い、行商人らしき者(C3)による護衛の依頼。依頼自体は以前になされていたようで、護衛の実行について確認しに来ていた模様。これについても中に入って話していたが、出てきたときに日時と場所を確認していた。水曜日の朝6時、西の大門。おそらく今週だろう。当日は追跡を試みることとする。
特筆すべき点として、内容は分からなかったが、依頼を拒絶された者(C4)が居た。口論していたが、それによると、Aは犯罪行為には手を貸さない、ということらしい。C4が激昂してAに殴りかかっていたが、一瞬で投げ飛ばされていた。別の依頼人が街の衛兵を呼びに行き、取り押さえられていたC4は連行された。
Aが犯罪行為に関しては依頼を受けないということであれば、こちらの依頼の仕方についても注意する必要があるだろう。どの程度までが許容されるのか、一度何か適当な依頼をして試してみる必要がある。
依頼の達成状況について:
最初の依頼は、一度C1と共に修理屋へ出向いて何かを話していた。暫くすると出てきて、C1の自宅へ向かった。C1の自宅はただの家屋に見えたが、何かの工房なのかもしれない。作業自体は中で行っていたようで、確認できず。3時間程して出てきて、C1がAに感謝を述べていた。
AはC1の依頼達成後、即座に移動を開始。C2の自宅らしき場所に到着。C2の依頼を達成。屋根に上って、素人には困難であろう作業を行っていた。およそ30分程度だっただろうか。作業終了後、その場で報酬を受け取っていたが、袋で渡していたため金額は分からず。
以下特筆すべきものが無いために省略する。昼食は別の依頼人の家でとっていた。夕方6時頃、その日引き受けた依頼を終わらせ、帰宅。家の前に3人ほど依頼人らしき者がおり、話をしていたが、見つからないように距離を取っていたため内容は聞き取れず。依頼人らしき者たちはそのまま帰っていた。
A帰宅後、翌日まで張り込みを行う。Aが外出するとしたらどこへ行くのかを見極める。
A宅の明かりは夜8時頃に消えた。以降張り込みを続けるも外へ出てくる気配は無い。就寝した模様。
・3週目の月曜日
朝7時頃、A宅裏口よりAが現れる。昨日と変わって地味な格好。帽子を深く被り、顔を隠しているようだった。追跡を試みる。
結論から言うと、Aの追跡は困難であった。商業街の人込みに紛れた所は何とかついていけたが、東の市場で紛れた際には見失ってしまった。どこへ向かったかは不明。A宅に戻り監視するも夜まで姿は見えず。おそらく噂通り日曜日以外は居ないのであろう。張り込みは中断とする。
・3週目の水曜日
C3の依頼による護衛任務の監視を行う。Aの実力を見極めるため、周辺の盗賊のいくつかに情報を流しておいた。
朝5時頃より、西の大門にて監視。5時50分頃、C3が馬車に乗って到着。関所の手前で待機していた。
5時55分頃、C3の所へ剣を携えた立派な体格の青年が2人やって来て言葉を交わす。どちらも軽装で、普通の護衛に見えるが、鞘と柄に施された装飾から、近衛騎士と思われた。もし本当に近衛騎士だとしたら、驚くべきことだ。Aは現われず、そのまま3人で関所を通り、出発。Aが居ないが、Aが斡旋したと思われる護衛の実力を確認するため、追跡した。
街道をそのまま西へ進み続ける。初日は何も起こらず、3人は宿場町に宿泊。この先の街道を活動範囲とする盗賊には情報を流していたため、明日は戦闘が確認できるはずである。夜間の監視は断念。
・3週目の木曜日
街道にて小規模な戦闘を確認。盗賊は20人近くいたが、護衛の2人に全く歯が立たず、すぐに撤退した。2人の護衛は本当に近衛騎士だったようだ。
噂ではAは近衛騎士並みの剣の腕前があるとされていたが、本当かもしれない。だが、王族の護衛を主任務とする近衛騎士を2人も、一般人らしき行商人の護衛に斡旋出来る理由が分からない。
推論:Aは近衛騎士の一員で、非番の同僚に依頼した。
反論:近衛騎士は、規定で副業を禁止されているはずである。
近衛騎士に命令を下せるのは団長、副団長の他には王族だけだ。団長、副団長の人相は割れており、Aとは別人である。ということは、Aは王族関係者なのだろうか。あまり考えられないが、依頼の前に、確認しておきたい。
C3一行は更に街道を進んでいたが、護衛の実力は確認出来たため、追跡を中断し王都へ帰還する。
・4週目の土曜日
暗い内に王都へ帰還。
貴族街でAについての情報を集めたが、王族関係者であるという情報は無かった。ただ、4年前の戦争において、敵国との和平交渉にAが一枚噛んでいたという話をする者がいた。そうすると、やはり王族関係者か、少なくとも国政に深く係わっている大貴族の関係者であることが考えられる。
・4週目の日曜日
依頼を試すため、朝6時より並ぶ。8時丁度、Aが現われた。前回と同じ服装。3番目であったため、順番が回って来るまでに20分程待った。
話した印象:
顔は既に書いた通り噂程では無いが、表情は柔らかい。声は高すぎもせず低すぎもせず、ゆっくり、はっきりと話す。
依頼の内容:
今回、Aの手腕と協力者を突き止めるために、人捜しを依頼した。対象は、某組織のF。人物名と簡単な特徴を述べて、依頼した。以下思い出しながら、会話を書き起こす。
「Fという人物を捜している。かつて同郷だった者で、王都にいるという噂を聞いてやってきたのだが、居場所が分からないのだ」
「畏まりました。確認したいのですが、Fさんの居場所を突き止め、それをあなたにお伝えする形でよろしいでしょうか」
「それは、つまり?」
「つまり、Fさんの所へ案内する、もしくは、Fさんとお会い出来るようにセッティングする、というところまで、依頼に含めるのかどうか、という確認です」
「ほう、そんなことも出来るのか」
「Fさんの都合次第ではありますが、その交渉も依頼として引き受けることができます」
「その場合、お前はFと接触することになるのか?」
「そうなります。単純に居場所を突き止めるだけならば、接触の必要はありません。ただ、人物によっては、そういった調査自体を嫌がる方もおられます。勘の良い方や、特殊な立場にある方ならば、自身の事が調べられた、と気付く事もあるのです。そのような場合には、直接本人と接触しておいた方が、後腐れが無いというメリットがあります」
「ふむ……だが居場所が分かればこちらから出向く。そこまでは必要ない」
「畏まりました。それではもう一点、これは可能であればですが、あなたはそのFさんと接触して、何をなさるおつもりでしょう、お聞かせ願えませんか?」
「ん? いやなに、旧交を温めるだけさ。しかし、そんなことをわざわざ尋ねてくるとは、目的によっては引き受けない場合もあるということか?」
「そうですね。私の方針として、犯罪行為、および犯罪行為をほう助するような依頼は引き受けないようにしております。ですから、その確認を取りたかったのです。もちろん、犯罪行為自体の依頼はともかく、人捜しなどの間接的な依頼の場合には、その先に起こることを予め知ることが難しいですし、どうするつもりなのか、ということについても、嘘を吐かれれば私には判別出来ません。ですから、少なくとも話の上で、法に反しない範囲の手段と目的を持つ依頼ならば、ほぼ例外なく引き受けることになります。こちらの時間の都合でお断りすることはありますが」
「なるほどな。しかし、何でも屋と言いながら法は尊守するか。なかなか苦労しそうだな」
「ははは、そうでもありませんよ。法を理由に無理な依頼を断ることもできますから」
「なるほど、能力的に出来ないことを、法を理由に断れるから、評判が落ちないという訳か」
「そういうことになりますね」
「そうか……ちなみに、法に反しない範囲ということだが……具体的に、どういうところまでなら引き受けられる?」
「……あなたとお話しを続けるのに吝かでは無いのですが、他のお客様もおられます。このまま長話をして、他の方を待たせる訳にはいきません。もし他に依頼を考えている用件があるのでしたら、本件が終わったのちに、もう一度いらしていただく形になります」
「……わかった」
「では、今回の件についてもう少し詰めましょう。Fさんの捜索と言うことですが、王都は広いです。やや珍しい名前とは言え、同姓同名の別人が見つかる可能性もあります。名前の他に、その人物を特定できるような情報をお持ちでしょうか」
「そうだな。名前から分かる通り男で、年齢は……40代半ばのはずだ。長く会っていないから外見がどうなっているかは分からないが、若い頃の背は低かった」
「ありがとうございます。おそらくそのくらいあればかなり絞ることができるでしょう。調査結果の報告は、次の日曜日でよろしいでしょうか」
「早くすることも出来るのか?」
「はい、可能です。明日、などという訳にはいきませんが、おそらく木曜日には結果が出ているでしょう。ただその場合、報告は書面、報酬は前払いとなります。該当人物が見つからなかった場合、返金は可能ですが、結局は日曜日に私の所へ取りに来て頂くことになります」
「ちなみに、報酬はいくら払えばいい?」
「本来ならば、調査に掛かった時間及び費用から算出することになります。前払いの場合、やや高めに支払って頂くことになりますが、仮にそれ以上掛かったとしても、請求することはありません。その代わり、安く済んだ場合の返金もありません」
「なるほどな。前払いで早く知らせてもらうことは出来るが、そうすると基本的には高くつくということか」
「はい」
「所詮は数日の違いか。それなら来週また来ることにする」
「分かりました。では報酬はその時に。なお目安として、最低料金が銅貨2枚、これまでで一番高かったものでおよそ銀貨3枚でした」
「ほう、思ったよりも安いな」
「そうでしょうか。庶民にとってはそれなりの価格です」
「庶民も依頼に来るのか? 並んでいたのは身なりの良い人間ばかりだと思ったが」
「比較的裕福な方が多いのは事実です。ですが……いえ、そろそろ切り上げましょうか」
「あぁそうだったな。質問ばかりで済まない」
「いえいえ、人と話すのは好きなのですがね、なにぶん時間が限られていますので……。では結果の報告と報酬の支払いは次週ということで。朝一番でないと私が外出している可能性がありますので、8時にはいらして下さい」
「わかった」
「それでは、この書類にサインをお願いします」
「あぁ……」
その後、握手をして別れた。会話中、Aは紙に依頼内容を書き込んでおり、その紙にサインを書いた。 A曰く、契約書というよりは、備忘録のようなものらしい。
他の依頼客の様子も見ていたが、先週と似たようなもので、特に言及すべき点は無かった。
なお護衛の件については話を切り出せなかった。次回の依頼の際に可能であれば確認することとする。
・4週目の月曜日、火、水、木、5週目の金、土曜日
追跡を試みたが、前回と同じく東の市場で見失う。
貴族街やF周辺を探るも、Aの気配は見当たらず、成果無し。
ここまで完全に気配無く調査が出来ているのであれば、Aの捜査能力は驚嘆に値する。
・5週目の日曜日(文の月の末日)
前回と同じように並び、15分程待たされた後、通され、報告を受ける。
結果:完璧であった。Fの活動内容まで把握していた。それゆえ、信頼に足ると判断し、本任務に係わる依頼を行った。以下、会話を書き起こす。
「40代男性のFさんという方は一人だけ見つかりました。ただ……少々後ろ暗い仕事をされています。この方で間違い無いでしょうか」
「後ろ暗いと言うが、具体的には何だ?」
「Fさんは……裏町を管理するある組織の幹部です。その組織は表向き物流や金貸しをしていますが、裏では麻薬・武器の密輸、危険な傭兵の斡旋といった非合法な活動を行っています。借金の取り立てで債務者を奴隷として外部に売り捌いている例も過去に確認されています。正直、あまり関わり合いにならない方が良いと思われます」
「そうか……居場所は判ったか?」
「基本的には、東の貴族街の外側、やや北寄りにある組織のアジト、またはその近くにある自宅に居るようです。今現在もそこにおります。ただし頻繁に外出しており、行って掴まえられるかどうかはわかりません。加えて、勝手に近付くと組織の者に問答無用で消される可能性もあります。もしFさんにお会いしたいのなら、ご自身で出向くよりも、先ずは誰か別の人物を介して交渉する方が良いでしょう。あまり気が進まないのですが、私に交渉を依頼することも可能です」
「その言い方だと、お前自身はFに近付けるのか?」
「伝手がある、と言えばいいでしょうか。交渉自体は可能です。あなたとお会いする事を了承して頂けるかは分かりませんが」
「……素晴らしい。やはり噂に違わぬ仕事ぶりだな」
「やはり、本来の依頼は別にありましたか」
「最初から勘付いていたようだったが……よくわかったな」
「それなりに経験を積んでいるものですから」
「なら早速本題だ、前に法に反しない限りは何でも引き受けられると言ったな?」
「ええ。ですがお待ち下さい。別件の依頼に入る前に、今回の件の報酬をお支払い下さい」
「あ、あぁ。そうだったな。いくらだ?」
「少々危険な相手でしたので、銀貨2枚となります」
「……受け取れ」
「ありがとうございます。確かに受け取りました。それでは、別件のほうですね。確かに、法に反しない範囲でならば、ほぼ全ての依頼を引き受けることができます」
「では、そうだな……例えばだが……Kに会わせてくれ、というのは可能か?」
(長い沈黙)
「……どのような目的をお持ちでしょうか」
「できるのか?」
「できなくはない、とお答えしておきます」
「さすがだな。目的か……そうだな、頼み事、と言えば良いだろうか」
「なるほど、頼み事ですか……しかしそれなら正規の手続きを取ることをお勧めします」
「その場合、その場に多くの者が居合わせることになるだろう? 頼み事の内容を他人に知られたく無い場合、それでは困るだろう」
「……そういうことですか。先ほどは例えば、と仰っていましたが、これが本来の依頼ということでしょうか」
「そうだ」
「これまでの話からして、頼み事の内容自体は違法なものでは無いのでしょうね」
「ああ」
「……わかりました。相手が相手ですから、多額の報酬を請求することになります。そうですね、会えるかどうかの交渉自体で金貨2枚、交渉成立で金貨8枚の合計金貨10枚。そのくらいは頂くことになります」
「問題無い」
「この大金を躊躇なく出せますか……余程切羽詰まっているのでしょうね。分かりました、こちらも早急に交渉し、あなたに報告することに致しましょう」
「助かる。ところで噂で聞いたのだが……お前に依頼した護衛に、近衛騎士がやって来たのだとか。お前が斡旋したのか?」
「依頼以外の事はあまりお話しする時間が無いのですが……そうですね、これもそういう伝手がある、ということでどうでしょうか」
「つまり、話したくない、もしくは、話せないということか?」
「こちらからできるアドバイスとしては、一度護衛を依頼して頂き、そこでやって来た方々に聞いてみるのが良いでしょう、ということですね。申し訳ありませんが、後がつかえておりますので、依頼の件に戻ります。交渉結果の報告ですが……」
以下は省略する。早ければ水曜日にも書簡を届けるとのことで、宿泊している宿屋を告げた。
身分を探るために護衛の件を持ち出したが、はぐらかされてしまった。場合によっては、本任務の達成に差し支えるかもしれない。要警戒。
・葉の月の第一週の月曜日
追跡を試みるも、またしても失敗。貴族街にて情報を集める方針に変更。
読み終わった僕は興奮に包まれていた。
なんか凄い。
さっき部屋に入るときに自分のやってることをスパイみたいって思ったけど、この人は本物のスパイみたいだ!
怪しいって思ってたけど、スパイだったらそれも当然だよね。
けどアールグレイさんの事を調べてる。
アールグレイさんが悪いことをしてるなんてことは絶対にないけど、きっとスパイさんも途中で気付いたんだと思う。2回も依頼してるしね。
あとスパイさんに是非ともお礼を言いたいのが、アールグレイさんとの会話を書いてくれたこと。
何だかアールグレイさんの声を聴いてるみたいでとっても落ち着くんだ。あーもう一回あそこ読もうかな。
そうだそうしよう。
そうしてニマニマしながら読み直していたら、突然ガチャッと扉の開く音がして、僕は飛び上がらんばかりに驚いた。
本当に、一瞬心臓が止まったと思う。
「……何をしている?」
あのスパイさんがそこに居る!
あぁでもスパイさんはこんなにもアールグレイさんの事を調べてて、しかも大事な依頼をするくらいに信頼してるんだ。
だからきっと大丈夫!
「あなたもアールグレイさんのファンだったんですね!」
僕は笑顔を堪えきれず、椅子から勢いよく立ち上がって、その人に抱き着こうと近寄って行った。
「は、え? 何を言っている!?」
何でこんなに狼狽えているんだろう。
何も恥ずかしがることはないのに、変だなぁ。
あ、きっとスパイだからいろいろと隠さないといけないんだ。
ふむふむ。
スパイについて新しい知識を手に入れたよ! 今度友達に自慢しよう。
っと、抱き着こうとしたら避けられちゃった。
「な、何なんだ! どうして飛びかかって来た。そもそもお前は誰だ!?」
うーんなんか怒られてる?
「えっと、僕はこの家の子どもで。今お手伝いで部屋の掃除をしてました」
「掃除だと? 俺がいない時は誰も入れるなと言っていたはずだ」
「そ、そうだったんですか? すみません、何も聞いていなくて……」
ここは知らないフリが一番だ。
「なに? そんな馬鹿な……。く、お前、机の上にあったものを読んでないだろうな?」
フードでよく見えないけどきっととっても怖い顔をしてるんだろうな。
でもここは踏ん張り所だ。
アールグレイさんを尊敬する同志として、ここは何としてもスパイさんと仲良くならないと!
「はい! 読みました! とっても良かったです!」
「なんだと? くそっ、こんなガキだが……口封じを……」
あ、怖いこと言ってる。
「大丈夫です。絶対誰にも言いません!」
「信用できん」
ぐっ、だけどここで畳み掛けるんだ。
「だって、あなたはスパイさんなんでしょう? 僕、スパイっていうのにすっごく憧れてて、だから今、あなたのことにもすっごい憧れてます。それに、アールグレイさんの事についてこんなに詳しく書いてて、僕もアールグレイさんの事が大好きなので、とっても嬉しいんです! だから絶対、誰にも言いません!」
「はぁ? 何なんだよもう……」
何だかスパイさんが意気消沈してるように見える。あ、ため息ついた。
「はぁ……もういい、二度と勝手に入るなよ」
「はい、ごめんなさい」
ここはしょんぼりとした感じで素直に謝っておこう。
素直、それが賢い子どもってもんだ、って友達が言ってた。
「それと、くれぐれもこのことは誰にも言うな」
「了解であります! 師匠!」
スパイさんだからね!
「師匠……? なん……いや、分かったなら、さっさと行け」
「はい!」
ほっぽり出していた掃除道具を手に取って退散だ。
あ、結局掃除してないな。
まあ今度スパイさんが居る時にやらしてもらおう。
そしてスパイの弟子にしてもらうんだ。
「はぁ……どうしてこうなるかなぁ……」
部屋から出て扉を閉める時に、ちらっと中を覗き込むと、スパイさんが椅子に腰かけて頭を抱えてた。
うーん、スパイさんは父ちゃんよりは格好良いけど、今のはちょっと頼りないかも?
それでもやっぱり、弟子にしてもらおう!
そしたらアールグレイさんにも会えそうだしね。
ふふふ、一石二鳥だ。
最近やって来た怪しいお客さんは、アールグレイさんを追っかけるスパイさんでした。