1 何でも屋アールグレイの噂
初投稿です。
楽しんで頂ければ幸いです。
王都には凄腕の何でも屋がいるらしい。
数年前から囁かれ始めたこの噂は、人から人へ、町から町へ、様々な逸話とともに伝えられ、今や国中に広がっていた。
その何でも屋はアールグレイと呼ばれている。
なんでも金髪碧眼、スラリとした長身で、女たちは失神し男たちですら見惚れてしまう程の美形らしい。
さらに近衛騎士に匹敵する剣技と馬車をも持ち上げる怪力を持ち合わせ、それでいながら破れた衣服の修繕や時計の修理といった繊細な仕事もこなすという。
時には眩いばかりの笑顔で泣いている子供を慰め、時には凶悪な殺人者でさえも震え上がる冷酷な表情で悪人を吊し上げ、時には村の宴会に呼ばれてはその場を盛り上げてくれるのだとか。
庶民の間でのみならず、貴族たちの間ですら、彼は一人で一国の軍隊を追い返しただとか、空を飛んでいただとか、眉唾ものの逸話がまことしやかに語られていた。
さてそんな彼の仕事ぶりについて、巷ではこんなことが言われている。
曰く、アールグレイは日曜日にしか依頼を受けない。
曰く、アールグレイは身分にかかわらず先着順で依頼を受ける。
曰く、アールグレイはどんな依頼でも引き受け、やり遂げる。
噂は噂だ。
しかしそんな凄腕の何でも屋がいて、しかもちゃんと順番待ちさえすれば依頼を受けてもらえるというのなら、何か困難な課題にぶつかった時に縋りたくもなろうものである。
そういう訳で、今日もまた一人の人物が彼の下にやって来るのである。
その男は金曜日の夕方に王都に現れた。
傾きかけた陽の中、黒い装束に身を包んだ姿はその長い影の中に吸い込まれていくかのようだ。
やや小柄で細身な体格だが、痩せぎすというよりは、よく引き締まっていると言うべきだろう。
膝下まである薄汚れたズボン、しっかりと編み込まれた長靴下と徒歩旅行用の深靴を履き、頭はすっぽりとフードで覆っている。
暗い灰色のマントを羽織っているため上半身はよく見えないが、左の腰のあたりにはちらちらと短剣らしきものが見えた。
南の大門を通り抜けてきた彼は肩からぶら下げた小さな段袋を揺らしながら、大勢の人が行き交う大通りを道なりに、町の中心部に向かって歩いて行く。
一見するとただの旅人だが、しかし歩く姿には全く隙が無く、只者で無い雰囲気を纏っている。
おそらくはしっかりと鍛錬を積み、かつ何度も修羅場を潜り抜けてきた者なのだろう。
微かに見える口元は僅かに歪められ、得も言われぬ不気味さを醸し出している。
不意に――そうそれは本当に不意にであって、おそらくは通りにいた誰もが気が付かなかったであろう――彼は大通りからそれて路地に入り込み、そのまま路地裏を複雑に回りながら東部貴族街に向かって進み始めた。
王都の中心部は限られた人間しか入れないようになっている。
その中心には宮殿があり、北部に王族達の住まう王族街、西部に大聖堂および教会関係者や聖職者の住居のある教会区、南部および東部に貴族街がある。
貴族街は王都に住む貴族及び各地に領地を持つ領主たちの屋敷がある場所であり、中心部の他の場所と同じように、庶民の住む外側とは壁によって隔てられている。
正規にたどり着くには大通りから、つまり検問所を通ってでなければならないが、コソコソと路地裏から向かう者がいるとすれば、それは畢竟、貴族か領主に雇われた、汚れ仕事を請け負う人間である。
貴族街の外側の壁にはそういう者のための抜け道がいくつか存在しているのだ。
だから路地裏に住まう浮浪者やゴロツキ共は彼を見ても、決して手を出そうとはしなかった。
それがここで生きていくための常識なのである。
黒ずくめの彼はその路地裏を我が物顔で通り抜けると、壁によって行き止まりになっている路地の、その片隅にある家屋の扉を軽く叩いた。
そうすると中から低い男の声が聞こえた。
「雪の雨」
「槍の矛」
合言葉だろうか、短く言葉を交わすと扉が開いた。
中にいた男は外の男よりもさらに小柄で、背が酷く曲がっており、まるでおとぎ話に出てくる小人のようであった。
全身を真っ黒なローブで包み、一掴みしか髪の無い頭をフードで隠している。
身長に比して異様に大きな顔は、その飛び出した目、ひん曲がった鼻と、大きく裂けた醜悪な口元のせいで、見る者に不快感を与えずにはいないだろう。
「待ってやしたぜ、まあ入りな」
その小さな男はそう言って彼を招き入れる。
彼は無言で頷いて入っていく。
薄暗い家屋の中にはほとんど物がなく、家具らしい家具と言えば角に置いてある不自然に大きな箪笥くらいのものである。
と、小さな男はそそくさとその箪笥に寄り、扉を開けた。
するとその奥はただの壁になっており、そこにもう一つの扉があるのだった。
小さな男はローブのポケットから鍵を取り出すとその鍵穴に差し込み、ガチャガチャと音を立てて開錠し始めた。
「ったく、こんのオンボロがっ」
そんな呟きが聞こえたかどうか、彼は無言で佇んで待つ。
ガチャリ、と音がしてようやく扉が開いた。
中は更に暗くなっており、下へ、つまりは地下へと階段が続いているようだった。
小さな男は開けた扉を右手に持ち、左手で彼にその先に進むように促がした。
彼は小さな男に向けてまたも無言で頷くとその暗闇へと沈んで行った。
その扉はトンネルを通じて、大きな屋敷の裏庭の小屋へと繋がっているのだった。
地下を通って、貴族街の内側へと入り込んだのだ。
小屋から彼が現れるとすぐに一人の使用人が屋敷から出てきた。
やや背が高く、年齢は30代後半だろうか。
女性らしくややふっくらとした体格をしており、緩やかなエプロンドレスを着込み、短めの暗い茶髪を後頭部で簡素なカチューシャで纏めている。
やや濃い目の眉の下で両目は険しく細められており、鼻は幾分低く、口はきっと結ばれている。
使用人らしからぬ厳しい表情と、屋敷の裏口から現れて裏庭を駆ける動作の俊敏さは、彼女がこの屋敷の護衛をも兼ねる手練れであることをはっきりと悟らせた。
「神の雷」
「許さざる」
またもや合言葉のような短い言葉を交わすと、彼女は小さく頷いて一度屋敷に戻り、すぐにまた出てきて彼に小包を渡した。
「ご苦労」
彼はそう言って小包を受け取って段袋の中に入れると、踵を返し、もう用は無いとばかりにそそくさと元来た道を戻って行こうとする。
「お待ち下さい」
彼女が思わずといった風に彼に声を掛ける。
彼は小屋の手前で立ち止まり、振り返る。
「どうした?」
「今回のお仕事の内容は伺っております。その内容からして、ここ貴族街で動かれると思ったのですが」
彼女の言葉に彼は僅かに顔を顰めた。
「確かにそれが自然な考えだろう。だがここで動いてもうまくはいくまい。現に前任者は一度それで失敗しているのではなかったか」
「たしかにここで動いても簡単には行かないでしょう。ですが外に行ってどうしようというのです? ただ遠ざかるだけではありませんか」
彼は一瞬逡巡した様だったが、彼女の顔を見つめてこう言った。
「……アールグレイという名を、知っているか?」
その名を聞いて、彼女は両目を見開き、驚きを露わにした。
「まさか、あの何でも屋とかいう得体の知れない者に頼るというのですか」
「王都へ来る道すがら様々な噂を聞いた。それらの噂によると、奴はどんな依頼でも引き受けるらしい。報酬次第だろうとは思うがな。そして、受けた依頼は一つたりとも失敗したことが無いという。ならば利用してみるのも悪くないだろう。使えるものは何でも使えばいい」
彼はスラスラと自信有り気に述べる。
「ですが……」
彼女は困惑したような表情で言いかけるが、彼はそれを遮って続ける。
「たしかにこの件は秘密裏に行う必要がある。だがもし奴に依頼したことで不都合があるようなら、仕事が終わった後に奴もろとも消せば良いだけだ。奴が消されたことで怪しく思う者もいるかもしれないが……依頼が達成されていれば、それどころではなくなるだろうからな」
そう言い終えると彼は嫌らしい笑みを浮かべた。
しかしそれに対して、先ほどの驚愕や困惑は何だったのか、彼女は落ち着いて問いかけた。
「そうおっしゃいますが……要は前任者の失敗を見て怖くなったのでしょう?」
「え、い、いや、そういう訳では……」
彼女の冷たい言葉に、男は不自然なほどに落ち着きを失い、答えはどもりがちになった。
「まあいいでしょう、私としましては……正直に言って、この件の結末にはあまり関心が持てないのですよ」
立場が入れ替わったかのように驚愕の表情を浮かべる彼を、見下すように見つめながら彼女は続ける。
「この件はいかに領主様のご命令と言えどとてもまっとうなものとは思えません。まあ、事情は存じておりますので仕方ない所なのだろうとは思います。私がこのように思いながらも反対や邪魔をしない理由でもあります。しかしながらこのような事で貴方という存在を失うのは勿体無いとも思うのですよ。貴方の性格はどうあれ、いえ性格もそう悪くは無いのですが……とにかく、腕は確かですからね。それもあって……あるいは、この件の進展次第で貴方は領主様の下から離れてしまうのではないかと思っています」
「……ずいぶんとペラペラと喋るものだな」
彼が何とか茶々を入れようとするが彼女は相手にしない。
「私は勿論領主様に大恩がありますし、それ故に忠誠を誓っております。しかし命まで捨てるつもりはありません。その事は領主様もご承知のはずです。ですからいざとなった時には自分の身の安全を優先します。それは、貴方も同じだと考えています。さて、何が言いたいか分かりますか?」
彼は視線を逸らして口を噤んでいる。
「もしも貴方が裏切ることになりましたら、どうか私の安全のほうもお願いしますね」
んなアホな、とでも思ったのか、彼は若干体をのけ反らせ間抜けにも口をパクパクとさせている。
そして何とか言葉を捻り出そうとし、
「な、なぜ……」
「お願いしますね」
今度の彼女は満面の笑みだった。
それ自体が一種の拷問である。
「わ、わかった……」
彼はやっとの事で答える。
そしてハッと気が付いたかのように付け加える。
「だ、だが、裏切るつもりはない。今回ばかりは昔のよしみで見逃してやるが、お前もそれ以上ふざけたことを言うとその身を危うくするぞ」
対して彼女は面白そうに、
「ふふふ……まあせいぜい頑張ってみてご覧なさい」
と余裕の笑みで返すのだった。
彼はやれやれといった風に首を振り、今度は力無く肩の落とした背を向けて、元来たトンネルへ向かっていく。
しかしその直前で立ち止まり、思い出したように彼女に問うた。
「そう言えば、アールグレイの居所は分かるか?」
「……西の商業街辺りとは聞いていますがそれ以上は存じません」
「そうか」
そう言うと今度こそ彼の姿は闇の中に消えた。
それを見届けた彼女は、
「……まあ、アールグレイ様に任せておけば、何も心配は要りませんわね」
と嬉しそうに呟いていたのだが、彼は知る由もない。
壁の外側の扉は閉められていたが、内側からは鍵なしで開けられる。
彼は無言で扉を内側から開けて家屋の中に出ると、驚いて駆け寄ってくる小さな男を片手で制止し、そのまま外へ出て行った。
小さな男は途方に暮れたようにキョロキョロと男の向かった先と屋敷の方角とに交互に顔を向けていたが、暫くすると表の扉を閉め、彼が開けっ放しにしていた中の扉を通り屋敷の方へ向かっていった。
さて我らが黒ずくめの男は再び大通りに出てきていた。
先ずはアールグレイとやらの居所を探らねばならないということだろう。
丁度いいタイミングで中央部と繋がる検問所から役人風の男が出てきていた。
彼は早速その男を捕まえて問いかける。
「人を探しているのだが、アールグレイという人物の居所を知っているか?」
「あぁ、あんたもアールグレイさんに依頼しようってやってきた口かな。アールグレイさんの家なら、西の商業街の近くだよ。西の市場に行ってそこでまた誰かに聞いてみるといいよ。ただまあ今日は金曜だから、会えないとは思うけどな」
「助かる。それにしても、随分と詳しいのだな」
「そりゃあ有名人だからな。俺も一度依頼をしようかと思って行ってみたことがあるんだが、あんまりたくさん並んでいたから諦めたんだよ。ま、夜の明けきらないうちから並んでればまず大丈夫らしいし、あんたも明後日はちょっくら早起きしてみればいいんじゃないか」
「ご丁寧にどうも。重ね重ね、礼を言う」
「いいってことよ」
役人風の男は爽やかな笑顔で手を振りながら立ち去って行った。
黒ずくめの彼は幾秒か訝しげにその後姿を見ていたが、やがて言われたとおりに西の商業街に向かって進み始めた。
彼がアールグレイの住処とされる小さな家の前に辿り着いた時には既に日は落ちかけていた。
その家は何の装飾も無い2階立ての木造家屋であったが、窓に使われているガラスは質の良いもので、全体も綺麗に整えられ洗練された造りが伺われた。
噂では一年ほど前に建て替えられたばかりらしい。
その地味な外観とは裏腹に非常に金がかかっていそうであった。
家の前に立ち、内部に明かりが点いていないのを確認すると彼は市場で聞き知った宿屋へと向かう。
同じ通りの向かい側から2軒ほど北に向かったところにある、2階立てのやや大きめの建物がそれだ。
この宿屋にはアールグレイへの依頼でやってきた人物が滞在することが多いようで、評判も総じて良い。
光が漏れている開けっ放しの扉を通って中に入ると、カウンターの向こう側に座っている髭面の中年の男――宿屋の主人だろう――が声をかけてきた。
「いらっしゃい、泊まりだね」
「あぁ、しばらく泊まることになるが大丈夫か?」
「大丈夫さ。2階の端の部屋が空いてる。何泊だい?」
「少なくとも2週間は滞在するつもりだ」
「そうかい、そりゃありがたい。代金は前払いでいいか?」
「あぁ」
「食事は?」
「朝と夜だ」
「そんなら、えっと……銅貨84枚分だな」
「わかった」
そう言って彼は段袋から先ほど手渡された小包を取り出し、その中から銀貨を9枚取り出してテーブルの上に置いた。
「釣りはいらん」
「へへ、太っ腹なことで、まいどあり。しっかしその小包、いくら入ってるのかわかんねぇけど、用心しろよ」
主人は銀貨を9枚取り出しても全く軽くなったようには見えない小包を指さしながらそう言った。
「あぁ、問題ない。部屋への案内を頼めるか?」
「あいよ、ただちょっと待ってくれな。お前さんで丁度部屋が埋まったから、玄関の鍵を閉めて来る」
そう言って主人はジャラジャラと鳴る鍵束を持ってカウンターから出てきた。
座っている間は気が付かなかったが、主人もまた背が低い。
その上、出っ張った腹は僅かに服からはみ出していて、何とも哀愁を誘う姿をしていた。
主人は客からその腹部を隠すように身を屈めながら歩き、玄関まで辿り着くと、扉を閉めてしっかり鍵を掛けた。
「夜中の出入りは裏口からだ。じゃ、ついてきな」
主人は腹の事など言わせないとばかりに早口にそう声を掛けると、右手にある階段を昇っていく。
彼は何も言わずにその後ろについて行った。
部屋への道すがら二人は言葉を交わす。
「食事は部屋で?」
「あぁ」
「朝は7時、夜は5時が基本だ。変更はあるか?」
「夜は遅くできるか?」
「8時までなら大丈夫だ。それ以降は冷めたのを食ってもらうしかねぇな」
「構わん。帰りが遅くなった時はそのまま置いておいてくれ」
「そうかい、わかったよ。今夜はもう遅ぇから、出せねえがいいか?」
「問題無い、済ませてきた。あとそうだな、朝は6時にしてくれ」
「6時だな、あいよ」
そのようなやり取りをしている間に部屋に着いたらしい。
主人は先ほどの鍵束を取り出して扉を開けると、一歩引いて彼に道を譲った。
「お客さん用の鍵は部屋ん中にある。他に何か要望があれば今のうちに言っておいてくれ」
「そうだな……。俺が外出中、誰も部屋の中に入れないよう頼めるか」
「掃除も無しということか?」
「俺がいる時なら構わん」
「わかったよ。他には?」
「特に無い」
「そうかい。そんならまあ、良い夢を」
そう言って主人はその場を立ち去る。
彼はその後姿を一瞥すると興味を失ったかのように視線を逸らし、部屋の中へ入って行った。
パタン、と扉の閉まる音を最後に、廊下は静寂に包まれる。
そんな中コツコツと足音を響かせて歩いていた主人は突然ハッとして何やらブツブツ言い始める。
「部屋に入れねぇのに食事を置いとけって、できねぇな。まさか扉の前に置いとく訳にもいかねえし……かと言って今更聞くのも格好わりぃし……明日でいいか。あぁ、またかあちゃんにどやされる……」
そうして不揃いな顎鬚をさすりながら階下へ消えていくのであった。
可愛いメイドさんか紳士な老執事が出ると期待した人はいますか? 残念!