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「ほえ?」
罠かと、きっと避けると思っていたのか文香は望んでいた強い一撃を与えるも、首を傾けていた。
「ほら? もう終わり?」
首をかしげ攻撃を止める文香に対し、額から血を流しながらもサラは挑発する。その姿にむっとなりその後も数発、その次はゆっくり力を溜めた一撃を文香は撃ちこんだ。今度は避けるかな? そう思いながらこん棒を振り下ろすもサラは一切避けず、それでいて倒れない。頭部に一撃をくらい少しよろめくも、毅然とした様子で態勢を何事もなかったように立て直し、挑発をやめない。
「ほら、叩きたんだろ? どんどん来な」
「なんで、なんで倒れないのよ!」
棍棒のトゲも確かに当てている。なのになんで、なんで倒れないの。文香は猛攻を続けているのに、相手から一切反撃がないのに焦っていた。最初は攻撃を防いがれていたため、フラストレーションが溜まり、心の中に憎しみが、恨みがどんどんと注がれていった。けれどどうだろうか。
両手で握った一撃をやっとヒットさせたと思えば、全く効いていない様子のサラが、目の前に立っている。やせ我慢かと思い何十発も叩き込むが、少し上半身をよろめかせるだけで、平然としている。
文香は考える。自分の渾身の一撃はあの憎い女、殺したいほどに恨めしい女、サラにとって手痛い一撃となるはず。コレを数発当てればいくらサラでも先ほどの行為を悔い改めて謝罪し、命乞いをすると思っていた。しかし現実は真逆。サラは謝らないどころか、もう終わりか、もっと来い。と挑発しているではないか。文香の心の瓶に今度は圧倒的な恐怖が注がれ始めた。
「倒れなさい、この、この!」
頭が駄目なら胴体、足。けれど何発撃ち込んでも何度よろめきかけるも、サラはその場に倒れずバカ娘と、文香を獲物を掴む鷲の如く睨みつけ続けた。一瞬咲はその視線に怯え、手を止めてしまう。
「ほら……どうした?」
流血のせいかほんの少し言葉尻が弱くなるも猛禽類のように睨む鋭さは健在で、挑発えをやめない。
「どうして……どうしてよ!」
根負けしたのは文香の方だった。
「どうして私の、私の天使の翼切っちゃったのよ! ママ!」
棍棒を振りまわしながら先ほどの無邪気な口調ではない。文香の口調は母の横暴に、その理由を明かさないサラへ怒りを込めても、目から涙を流している。サラは答えない。文香は涙ながらに訴え、こん棒を振り続けていた手を緩め、こん棒を床に落とした。
「ママ! ママ! 酷いよママ!」
棍棒を捨てサラの鎧に守られている胸部を今度は両手で叩きながら訴えた。サラは流石に先ほどまでの攻撃が蓄積し効いたのか、額の血が目に入ったのか、片目を閉じ片膝をついた。
「……満足したかい?」
その鋭かった目付きも文香の泣き顔を見て安堵した様子でたるませている。膝をついて優しく見つめるサラの姿を見た文香は改めて自分のした行為に気付き、取り返しのつかないことをしてしまったと後悔した。攻撃が止み気を緩めたのか、サラは数度の咳と共に鮮血を吐いた。母の吐血姿を見て泣きながら謝る文香の涙を掬うと、サラは文香を抱きしめた。
「かっこいい翼じゃないか、もう痛くは無いかい?」
文香の細い腰に回した腕を背中へと伸ばすサラと、「翼はもう無いの、それよりママが」とサラの様態を心配する文香だが、背中に違和感を覚える。
「ママ、離して、離してよ! それにこんな羽はえたって」
必死に離れようとするも、力強く両手で抱きしめ離さない。その力は強く、血を流し血を吐いていたとは思えない。
「その翼も、立派な……立派な天使の翼なんだよ」
何のことかわからなかった文香だが、その言葉の意味がやっとわかった。そう、背中の痛みは母であるサラを殺そうとした時から引いていた。そして背中にエンジンでも着けたように熱かったことも。だがあの時は無かったはずだと、文香は自身の背中から伸びる烏羽色の翼を目で追った。
そしてその翼が本物かどうか確かめるようにゆっくり触れ、その柔らかさを味わう。母の手も文香の背中が無事か、翼に問題ないか確かめるように優しく触れられていた。どうして翼が生えたのか理由を聞こうとサラを見ると、サラは額から血を流しながらも「娘を捨てるはずないだろ、バカ娘」と文香の後頭部に手をまわし、微笑んだ。文香もはっと正気に戻り、泥で濁ったような瞳が清流のように綺麗な青い瞳に、光を取り戻した。
「ママ? それ、どういうこと?」
問いかけに、サラは苦しそうに答えた。
「堕天使も天使、けふっ、文香、あんたは、私の、大事な娘、立派な天使さ」
「でも、堕天したらもう……悪魔になるんじゃないの?」
そう、学校では堕天した天使はスグに追放され、二度と天界へ戻ることは許されない。純白の翼が折れた、失った瞬間、天使は地中深く進むための黒き翼しか持てない。もしくは一章地べたにへばりつく虫のように翼のない生活を送らなければならない。文香はそう聞かされていた。
「安心、しな。そう簡単に、完全に……がは」
再度サラは大きく血を吐くと、その血は抱きしめられている文香の金の髪に飛び散った。
「ママ、ママ」
先ほど激しく殴ったことを文香は激しく深い後悔し、謝罪を繰り返している。
「文香は、堕天したのに、酷いことをしたママを心配してるじゃない」
サラは後頭部に回していた手を文香の頬に沿え撫でながら、文香の清らかに輝いている青い瞳を見た。そして意識、自己を取り戻したことを確認し、天使の堕天について本当の説明をする。
天使が大きな後悔、失態、感情の変化がせ起きた時に自分自身の欲望、つまり私利私欲に自分の心が飲まれた時、初めて天使は堕天使となり、悪魔となることを文香に教えている。けれど文香はそれなら自分は堕天していなければおかしいと、サラに告げた。文香亜は母であるサラの行為に激しく激怒し憤怒に犯され、挑発に簡単に乗って攻撃を仕掛けた。
「でも、今はもうしないだろ?」
サラは気にしていないと言い、現在の文香の精神状態を聞いている。文香も「もうあンな事はしない、したくない」と自身の胸の内を明かした。その決意を聞きサラは嬉しそうに頷き、文香を褒めるように嬉しそうに抱きしめた。
「翼、見てみな……」
文香はサラに言われ、翼に意識を移し、自分たちを包み込むように動かした。そして信じられないと驚き声を上げ自身の翼を見た。。
「白い……翼?」
背中の六翼のうち左側の翼が自慢だった白鳥のように美しい純白に変わっているではないか。だが反対はいまだ不吉の象徴である烏。けれど間違いなく左手側には柔らかく美しいフォルム、汚れの無い真っ白な羽根が美しい翼、天使の証である翼があるのだ。
「どうし……て?」
「話は後、迎えに行きな」
本来堕天使になると言うのにはデメリットもある。けれどサラはその内容を文香には黙っている。それよりやるべきことをしろと苦しそうに声を出した。
「迎え?」
「あの男……林檎君」
「でも、どうやって」
天使が魔界に行く方法など、堕天する以外文香は聞いたことが無い。悪魔が人間を誑かしに地上に現れた時に退治することはあっても、天使が直接魔界に殴りこむことは無いため、天界では一部の上級天使を除いて、行き方を知る者はいない。一度は堕天使かけた文香だが、今の状態が堕天使なのか天使なのかわからず悩んでしまう。
「その、黒い羽なら……行けるだろ?」
サラは迷う文香のカラスのような翼を撫で「堕天使は悪魔と天使の中間、悪魔でしか行けない場所も、今の文香ならわかる」そう告げた。今の状態は非常にアンバランス、天使にも悪魔にも傾いている状態だと説明し、だからこそ天使でもあり悪魔でもある今の状態だからこそ理性を保って助けに行けると、文香を後押しした。
「行き方……」
目を閉じ、魔界に行くすべを模索した。するとなぜか、文香の脳裏に風呂場が浮かんできた。
「ほら、サッサと行き……」
それだけを告げ、疲れたとサラは目を閉じてしまった。抱きしめていた手も力無くだらりと垂らし、文香が抱きしめていないと今にも倒れてしまいそうだ。
「ママ、ママ……」
声をかけるも、微笑んだままで返事は無い。
「ここで泣いたら、ダメだよね」
心臓の鼓動を聞き生きていることを確信し、泣くのはダーリンを連れ戻してから。サラの前でとり返したことを笑顔で、そして泣きながら報告しよう。それだけを考え、鎧姿から人間の姿へ変身した母を抱き、自身の部屋へ運び寝かせた。
「行ってきます、ママ」
黒色の復讐の業火は消え、文香の心の中には林檎を救いたい、あの悪魔を倒したいと正義の炎が燃え上がった。すると鎧が悪魔達を燃え盛る炎で焼き尽くすかのようなクリムゾンレッドへと変貌した。そして手に持った愛着のある、母の血が付いている棘付きこん棒も文香の熱いハートを受け取るように、朱を帯びていく。
風呂場についた文香は魔界への生き方はわからなかったが手をかざし、もう一度あの場所へ戻りたいと強く念じる。
「お願い……私を連れてって」
視線の先には禍々しいゲートが現れる。その奥からあの忌々しい悪魔の気配がプンプンしてくる文香は、もう負けないと決意しゲートへ飛び込んだ。あの女の好きにさせない。もう一度あの時に戻るのだと、文香の目にも闘志の炎が宿った。
「待っててねダーリン……。今度こそ一緒に帰ろうね、咲ちゃんも」




