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「咲の過去も聞いた。辛い過去だとは思う。それに相手は実母。嫌っていてもいざ傷つけることになれば、躊躇したり迷いも出るだろう。それが普通だ」
咲は黙って、少しほころんだ表情で話を聞いている。
「でもだからって、逃げたら解決しないんだと思う」
「でも、ダーリンだってさっきは怖がってたよ。うん」
「そうだ、俺は怖い。けど俺はそれ以上に、ここから出たいんだ」
――それは文香のため? 咲は問いかけたくなるも、その言葉をぐっと我慢し飲み込んだ。そんな様子の咲を見て、林檎は話の腰を折らないでくれてありがとうと礼を言い、話を続けた。
「咲も気になっている通り、俺は文香さんに会いたい。けどそれと同時に、咲も大事なんだ」
咲は自分の事を大事と言ってくれた林檎に、嬉しそうに理由を問う。林檎は「咲とは死神として、悪魔としてではなく一人の相手として、もう一度会いたい」と答えた。咲はその答えの真意が分からず、詳しい説明を求めた。
「母がとか、悪魔だからとか、死神とかじゃなく、文香の家にいた時のように純粋で、一人の人間? って言ったらいいのかな、とにかく一人の女性として、咲を見たい」と先ほどの答えを補足した。咲は「一人の女性」の部分に反応し、嬉しそうにしている。
「そんな時に、メフィストが咲を監視したり、俺をペットにする、ゾンビにするとか言われちゃ、咲をまともに見ることなんてできない。だからこそ俺は行かなきゃダメなんだ」
林檎はこの戦いで死んでも、アイツらに一泡吹かせて仇をとってやると意気込んだ。咲を本当の意味で一人の相手として見るために、自分のせいで致命傷で生死不明な文香のために、自分の未来のために、勝てる見込みの無い戦いに挑もうと扉へ向かう。
扉の前に改めて立つと、その隣には咲がいた。咲は「ダーリンだけじゃ死んじゃうだろうけど、二人なら『愛の力』で未来は掴めるよ、掴もうよ。うん!」と黒光りする刃を見せる。林檎も「そうだな、掴むか」と咲の言葉に乗り、二人で先ほどの恐怖を払い、扉をくぐった。武器も変わっていない、体力も先ほど扉の前で竦んでいた時と何も変わっていないのに、二人の顔から恐怖は消え去って精悍な顔つきになった。
扉をくぐると中は薄暗く、先が見えにくい。しかし太い道やその脇の枝状にいくつもある小道だけが明るく未来への道筋を指し示しているように明るくなっている。林檎達は周囲からの襲撃に気を付けながら、一歩一歩前に進む。
薄暗い中では意思無きゾンビの様なうめき声が他方から聞こえてくる。しばらく歩いていると、道路の中心に真っ赤なハイヒールが林檎の視界に入った。そのハイヒールも林檎たちに気が付いたように、林檎達の方へつま先を向けた。すると暗かった周囲がそのハイヒールの周りだけ明るくなり、徐々に明るくなった場所からメフィストフェレスが現れた。
「はぐれたら永遠にここから出られませんことよ。ここにいる亡者たちの様に、未来永劫彷徨い、呻き続けるのみ。気を付けなさい」
と二人に助言し先頭だって出口へと案内する。出られないのか……。恐ろしい場所だなと林檎は少し不安になるも、咲は林檎の手を掴み「もしそうなっても、その時は私と一緒。それも素敵、うん」と微妙にフォローにならないフォローをする。
そんないつも通り、自分の知っている咲を見て林檎は安心した様子を浮かべた。道を見失わないように、先とはぐれないように二人で手を繋ぎあってメフィストの後を追った。メフィストは二人に何も反応を見せずに淡々と案内を続けた。すると真っ暗な闇の中に、トンネルから抜け出したように一筋の光が零れた場所が見えた。
「さあ、着きましたわ」
扉から洩れる光。メフィストはその扉を開け林檎の名を呼んだ。
「ココは貴方が初めて魔界に来た場所にして、貴方の死に場所でもある、処刑場ですわ」
扉を開けた先には、だだっ広い空間、よく見れば血に染まった真っ赤な壁、まだ新しい血の跡が残っている石造りの床が見えた。そして林檎たちが扉から抜けメフィストの言う処刑場に入った瞬間、先ほどまであった扉が消えた。そしてその代わりのようにかがり火が壁一面に灯りだす。
「ここは……」
林檎と咲が周囲を見渡し、まっすぐ前を向くと目の前には胸にはゴリアテが立っている。主人であるメフィストの姿を見ると、嬉しそうに雄たけびを上げている。
「あらあら、もうやめたの? やさしいわねー、ゴリアテ」
ご褒美にとメフィストは槍を投擲する。三叉槍はゴリアテの心臓部に突き刺さった。メフィストはゴリアテに待機の命令を出し、咲の傍に近寄った。けれど咲はそんなこと気にも留めず、改めて惨状を目の当たりにして倒れている黄色の巨躯に駆け寄った。
「ご、ごりあ……おばさん!」
「あら、よく気づいたわね」
駆け寄ろうとする咲の腰を抱え抑えるメフィストは、離してと暴れる咲をしっかり胸に抱きかかえ、逃げないように抱きしめるメフィスト。咲は顔だけでもと、目線を変える。心臓付近に槍が刺さりながらもケロッとしているゴリアテ。そしてその横には……頭から血を流し、体中が血まみれで青痣だらけなべリアルがいた。
「おい、大丈夫か!」
林檎は咲が心配そうに見ているべリアルに駆け寄った。しかし近づいてみると、以前に見たベリアルとは少し違い、遠目から見てもは横幅はあるが、べリアルは林檎より小さい。
「あ、あんたたち……」
林檎が倒れているべリアルの肩を揺すると、ピクリと小さな反応を見せる。意識があるかと問い続ける林檎と、メフィストに捕まっている咲は心配そうに名を叫び続けている。べリアルは二人の声を聞き、苦しそうに目を開け反応した。
「気をつけ……な」
ベリアルはもう虫の息だ。どうにかして助けないと……だが運ぼうにも重すぎて運べない林檎は武器、何でもいいから武器と自分の体をまさぐり、武器を探した。そうだコレがあったと、咲の父ファウストから渡されたスリングショットを林檎はホルスターからとりだした。
「あら、そんな玩具でなにを?」
メフィストは馬鹿にしたようにクスクスと林檎を見ている。ふん、これでゴリアテを……あっ。林檎は気が付いた。
「……弾が無い」
あのクソ親父、普通の弾も渡せよ。一応あるにはあるのだが、林檎は弾がないと焦る。ズボンのポケットにはビー玉サイズの銃弾を取り出すが、使い方が分からない。ただ放てばよいのか、それとも特殊な何かが必要なのか、林檎には見当が付かなかった。なにせこの弾は通常のモノではない。林檎は使い時を考え、正しい使い方があるはずだと弾を使うのを待った。ファウストの性癖が込められた弾、咲の鎖鎌のように、必ず俺の役に立つ。と林檎は信じた。
「おばさん、おばさん!」
「くふふ、あはははは!」
弾が無く茫然としている林檎、べリアルの名を叫びメフィストの腕から逃れよう暴れている咲を見て、メフィストは愚かな姿と嘲笑する。
「ゴリアテ、まずはこの娘を誑かす毒林檎からやりな。一撃で決めるんだよ」
処刑場と言っていた通り、林檎をこの場で殺すよう指示を出す。あわてて弾の代用を探し床や周りを見る林檎を名指しで指名するメフィスト。ゴリアテもうめき声で返事をし、ゆっくりと引きずっている金棒と石畳が擦れる不協和音を響かせ、床を鳴らしながらこちらに向かってきた。くそ、何かないのか……? 周りにあるのはつぶて程度……撃たないよりましかとスリングショットの玉受けと共につぶてを掴み、力いっぱい弾きゴリアテにぶつけた。当たりまえだが蚊に刺された程度の威力しかなく、化物は林檎めがけお雄叫びを上げ、地響きを立てながら向かってくる。林檎は慌てて距離をとって離れた。
「当たり前だけど効かないか」
せめて咲が戦えれば……あれ?
「お前、メフィスト! 咲が以前使っていた鎌、鎌をどこやった!」
「ああ、あれなら今頃亡者の扉の中ですわ」
愛着があった鎌をいとも容易く捨てられた咲の顔が絶望の色に染まっていく。いくら鎖鎌を父から授かったとはいえ、使い慣れた武器が林檎に向かっているゴリアテは歩きながら金棒を持ちあげ、振り降ろす構えへと入っている。
ゴリアテの威嚇するような轟音、近づくとわかる、一歩一歩足を進めるたびに、地面が揺れ、林檎の体を揺らす。
「さあ、殺しなさい」
ファウストの野郎、どうせなら通常の弾ももらえばよかった……メフィストが現れたと同時にいなくなったファウストのことを恨めしく林檎は思った。もうこうなったら仕方がないと、渡されたビー玉サイズのガラスのような弾を弾受けと共に力強く引っ張った。
その姿を見て弾があることに、さっさと使えば良いのに、人間は非効率だと咲に話しかけている。林檎は最大限にスリングショットから弾を力強く、魂を込めて弾いた。
それはゴリアテめがけ一曲線に飛び、ゴリアテの眉間に直撃した。
そして弾はゴリアテの額が衝撃を吸収したため垂直に落下し、カラカラと石畳の上に音を立て落ちた。
――ど、どうだ?
林檎はゴリアテの状態を確認した。けれどゴリアテは何の様子も変わらず、金棒を振り上げたまま立ち止まっている。林檎は死んだのか生きているのか確認しようと、不用心にもゴリアテの傍に近寄ってみた。
「これ、当たったよな」
落ちている弾を拾いゴリアテを見た林檎の目を、ゴリアテもぎょろりと視線を下に移し見つめ返した。危険を察知した林檎は慌てて横っ跳びをし、ゴリアテの傍から離れる。その判断のおかげで、林檎は少し前に自分がいた場所に振り下ろされた金棒から避けられほっとする。
「不味いな……打つ手がないぞ」
メフィストは無様、間抜け、阿呆と好き放題言って大笑いをしている。それもそうだろう、切り札として使った弾が石つぶて程度の威力しかなかったのだから。林檎は自分が情けなく思えて仕方がなかった。咲とは違い武術のスキルがあるわけでもなく、今回の武器だってファウストが見繕ったもの。自分一人では何もできない。あまつさえ、渡された道具すら満足に使えない。
咲が林檎を呼ぶが、メフィストは咲の口を手で塞ぐ。林檎はゴリアテがダメなら責めて咲をと、メフィストめがけ突っ込んでいった。けれどメフィストは闘牛士のごとくひらりと林檎を躱し、猛牛のように咲を返せと突進する林檎の足を払った。バランスを崩した林檎を、吸殻を消すように踏みつける。
「相手は私じゃなくあの子だよ」と
視線の先にはゴリアテがおり、ゆっくりと金棒を振り上げながら林檎を叩き潰そうと歩いてくる。口を手で塞がれながらも咲は林檎に逃げてと悲痛なうめき声を上げている。
「さあ、娘を誑かす害あるものよ。悪魔の果実は一つ残らず駆除すべし! ほら咲。もうすぐ貴方の夫が毒りんごを砕いてくれるわ」
「んーー! んんんー!!」
「ほら脳漿、目ん玉、が散る姿が美しいものばかりよ。しっかり見届けなさい」
泣いている咲の涙を舌で頬からゆっくり掬い舐め、そして無理やり指で咲の目を開け、林檎の最後を看取らせようとするメフィストに、必死にその手から脱出しようと咲はもがいている。鎖鎌を出そうにも、この状態では逆に奪われかねないため出せずにいた。あれをとられれば本当に打つ手がなくなるから。けれど林檎が、ダーリンがと咲は必死に思案する。
ゴリアテの怒号が響き渡る。その瞬間、ゴリアテは倒れ起き上がろうとする林檎の前で立ち止まると体を更に反らし、両手で握った金棒を天高く掲げている。
「ん、やめてー、んぐ!!」
咲はメフィストの口を塞ぐ手に対し、顔を左右に振ることでどうにか振りほどいた。そして叫んだ。しかし咲と林檎の距離はメフィストが危ないからと離れるため、どんどん開くのみ。林檎も体を石畳に打っただけでなく、背中を踏まれた痛みが響き、起き上がるのが辛そうだ。
「さあ、フィナーレよ」
嬉しそうに咲の口を再度手で塞ぎながら動きを封じ、閉幕を宣言するメフィスト。
「いいえ、コレは開幕よ!」
しかしそれを邪魔するかのように、遮るようにゴリアテの側頭部を鈍器で殴りつける音が響いた。頭を殴られたことで脳しんとうを起こしたのか、ゴリアテの体はぐらついている。林檎は窮地に一生を得たのだ。そして「離れて」とどこか懐かしい声を聞き、慌ててゴリアテから離れる。その救世主の正体を確かめるべくゴリアテの方を見ると、ゴリアテの背後から「もう一発!」と野球やテニスのスイングの様に、ゴリアテの後頭部をフルスイングで打ち込んだ女性が目に入った。
二発頭部への衝撃をくらったゴリアテは今度こそバランスを崩し、苦しそうな声を上げて倒れこんだ。
「お前……はは、無事だったのか」
フルフェイスの兜をかぶり羽ばたいている救世主の姿を見て、林檎は先ほどまでの緊張した表情はほぐれ、体が震えるほど喜びがこみ上げ、目から涙があふれてきた。
「ごめんね、無事だった?」
クリムゾンレッドの鎧を身に纏い、背中には美しい白鳥の様な純白の三翼、そして線対称に反対側には不気味な烏羽色の三翼の翼を羽ばたかせながら宙に浮いている女性。女性はゆっくり地面に着地した後、バイザー付きの兜を脱いだ。兜を脱ぐと長い金髪をなびかせ、優しく微笑む、人を癒すような笑顔……林檎が会いたがっていた、魔界に来てから一分たりとも忘れたことがなかった、大切な人、女性が兜を脇に抱え立っていた。
「文香!」
林檎は会いたかったと、目の前の女性の名を叫んだ。
「ブイ! 助けに来たよ!」
ブイサインをし、お馴染の棍棒を肩に担いでいる文香。その姿に林檎は喜び、咲は驚き、メフィストまでもがあんぐりと驚いていた。
「全く……次から次へと……今度こそ、羽を全部毟らないといけない様ね」
しかしメフィストはいち早く指を鳴らし、ゴリアテに指示を出す。その際に手の力を抜いてしまったメフィストの腕から咲はするりと抜け出し、林檎の方へ駆け寄った。
「こら何時まで寝てんだい。さっさと始末しな……はぁ、咲は本当に、本当に反抗期名のねえ、ママショックで死んじゃいそう。まあ死ぬ前にアイツらは皆殺しにしてやるけどねえ!」
その姿は女優のように演説をしていた姿ではなく、ヒステリックである。突然の文香の登場、処刑の邪魔をされたことでいらだちを隠せない様子である。ゴリアテに近寄り、倒れたゴリアテの頭部を強く蹴りつけることで喝を飛ばしている。
「文香、どうして……」
驚きで声が震えている林檎の質問に対し、文香は笑顔でやっと会えたと、無事でよかったと林檎に抱きついた。林檎も文香と息が止まるほど強く、愛おしく抱き返している。
「ごめんね、待たせちゃって。こっちも色々あってね……」
鎧越しなため本来冷たさを感じるはずの抱擁、文香の体温だが今の林檎にはやっと会えた、無事だったことを喜ぶせいか、文香に包み込まれように、体中に温もりを感じた。
「色々? それにその翼……」
林檎は捥がれた翼が新しく、正確には左右対称に左手側には白い翼、右手側には黒い翼が三枚ずつ生えている文香の背中を指さした。
「ううん、気にしないで。もう済んだから……いろいろ」
「いろいろ?」
問いかける林檎の方を向いた文香は、その真っ白で綺麗な歯並びの歯を見せ、きらりと微笑んでいる。その笑顔はこの空間に一時の安らぎと、清涼感を与えてくれる。
「ホント、色々ね」
そう呟くと文香は何か懐かしむようにまた林檎の胸に顔を埋め、温もりを感じながら瞳を閉じた。
「文香……ダーリン」
咲も二人に駆け寄ろうとしたが、思わず足を止めてしまった。なぜなら咲の目には二人のやりとりが恋人、いや、それ以上に互いを心配した、気にかけた様子が映っており、自身の憧れた恋人同士のやり取りのようだったからである。




