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03

 一方そのころ林檎は――

「はあ、はあ……」

――どれくらい走っただろう。降り注ぐ雪が体温を奪っていく。しかし体は熱く、呼吸は荒い。林檎は必死で走っていた。朝の雪が少し解けている場所もあれば、降雪により新雪が積もっている部分もある。走りにくい。そう林檎は思った。足をとられる。一言で言うなら道が悪かった。そのため体育会系ではない林檎のスタミナはドンドン奪われていく。見れば林檎の体は火照り湯気が上がっている。

「ちくしょう、寒い……けど、逃げないと」

 捕まれば文字通り地獄行きだ。かじかむ手に息を吹きかけ、自身を鼓舞する。――だいたい俺が何したって言うんだ。漫画にあこがれただけじゃないか。心の中で愚痴をこぼしていた林檎はこの理不尽極まりない逃走行為に耐え切れず、、ふと言葉を漏らした。

「最悪な、展開だよ……うわっ」

 とうとう林檎は足を凍った路面にとられ、尻餅をついてしまう。一度倒れてしまうと、なかなか起き上がれない自身の体を恨みながらも林檎の脳裏に諦めがよぎってしまった。どうせ逃げられない。そう思うと、そのまま雪が残る路面に倒れこんでしまった。見上げた空は光がなく、灰色の雲に覆わた曇天。降り注ぐ雪は冷たく、それでいてやむことはない。それはまるで林檎と咲の結婚を祝福する紙吹雪のようだ。逃げることを諦めた花婿を青白く化粧する粉雪。

「こんな展開にした奴いたら、絶対恨んでやる。……ホント最悪な展開だよ」

溶けた雪か涙か、林檎の目から一筋の雫がつーっと零れ落ちた。

「天界は良いところだよ?」

「え?」

 誰にでもない、ただ一人愚痴を吐いていた林檎に声をかけてきた人物がいた。

「それにこんな場所で寝てると風邪ひくよ」

「あ、貴女は……」

 その聞き覚えのあるふんわりとした声を聴き、腕に力をいれて勢いをつけ体を起こす林檎。声の主は立ち上がった林檎の体についた雪を優しく払っている。

「あ、すみません……すぐ立ち去るんで」

 目の前のセーターに半纏を纏う金髪の女性に頭を下げ、ふらふらと歩きだそうとした林檎だったが、この寒空の中倒れて体温を地面に奪われていたせいか、ぐらりとバランスを崩し前のめりに倒れそうになった。

ふにゅん

 林檎を迎えたのは堅いコンクリートや冷たい雪ではなく、シフォンケーキのような優しい柔らかさ、温かい温もりだった。

「キャッ」

 頭から倒れこんできた林檎を受け止めた女性もバランスを崩し倒れそうになる。はぶつかったせいで、雲のようにふわふわなセーターを着た目の前の女性が転倒しそうになった。

「朝の二の舞はごめんだ」

 林檎はデジャブを感じハッとすると、両足に力を込めて彼女の腰に手をまわし彼女が転ばないよう自分の方へ引っ張る。必然的に抱きあう形となってしまう。この時林檎は今朝とは違う温もりを感じた。彼女の体温が、彼女のシフォンケーキのような柔らかく豊満な胸のせいか感触が、林檎にほんのひと時の安らぎを与えてくれた。そして彼女の方も林檎が抱き寄せたおかげで転倒せずにすんだ。

「あ、ありがと」

 ただ急に抱きしめられたことで頬を染め、彼女は恥ずかしそうに林檎に礼を言った。

「あ、すみません」

林檎は無意識に彼女を抱きしめていたことに気付き、、慌てて手を離そうとした。しかし彼女の方が林檎に手をまわしてきた。そのため林檎は困惑するも、林檎の体温が冷たいから温めているの。と、彼女は抱きしめるのをやめない。

「すこし良い? 林檎君」

「な、なんですか文香さん」

 林檎の名前を呼び、抱きしめ返しながら背中に手をまわしている女性は、見知った女性で名前は文香。世良せら 文香ふみか

「こんなに体を冷たくして、どうしたの?」

彼女は林檎に体を預け、背中にまわした腕の力を強めた。

「あの、不味いです。とても」

 押し付けられた胸や吐息に反応してしまう林檎。

「ゴメンね……なんだか実家が恋しくなっちゃって」

「実家?」

 文香は最近こちらに引越してきた人で、林檎の近所に一人暮らしをしている。朝によく遭遇するせいか、買い物中の文香と買い食いをしようとスーパーでよく出会っては特売の卵やティッシュを買うために一緒に買い物を行っていた林檎を弟、稀に妹のように扱う文香。美人でボンキュ、ボンといったようなスタイルの美人。ハーフなのか、金髪でウェーブのかかった髪がセクシーさを、おっとりとした二重瞼のタレ目が優しさや癒しを醸し出している。

「とっても暖かくて、いい所だよ」

 しかしながら抱き着くことと実家の何が関係あるのだろうか。そう思いながらも文香の温かさから離れられないでいた。ただ『実家』という響きに体がびくりと反応し、恐怖を感じた林檎は文香から離れようとした。

 急に怯えだした林檎に疑問を感じた文香は、離れようとする林檎の手を掴んだ。

「急いでるのかな?」

 ええ、非常に。林檎はコクコクと首を縦に何度も振り即答する。

「誰かに……追われてるとか?」

 文香の追及は止まらない。

「ええ!?」

図星な林檎は驚きながらも文香に迷惑をかけまいと急いで離れようとした。けれど文香は林檎の手を強く引き、今度は自分の両腕を林檎の右腕に絡ませる。

「……私の家に来て。きっと、力になるから」

 いったん腕から離れた文香だが、今度はその力強く林檎を見つめ、白魚のように綺麗で柔らかな両手でかじかんで真っ赤な林檎の手のひらを包み込むように握っている。

「ありがとうございます」

 確かに力になってくれるのはありがたい。その好意は素直にありがたい。そう林檎は思った。しかしこんな時に限って……やつは来ると直感する。

「浮気?」

 ほら見ろ……この低く恨めしそうな声。振り返れば、黒い着物に白のダウンジャケットを着こんだ死んだ目の少女が林檎たちを見つめている。咲が来た。心の中でため息をついた林檎は、文香に危ないから離れてくださいと告げる。林檎だって咲は怖い。だがしかし、無関係な文香を危険な目に遭わせたくないのだ。

「浮気か? 浮気だよね、浮気だろ! うん!」

「どうしてここがわかった……てかなんで俺のダウン着てんだ」

 怒鳴る林檎に対し照れた様子で頬に手を添え俯く咲。

「妻だから」

「妻?」

 状況が読み取れていない文香は林檎に咲のことを「林檎君の彼女さん?」と問いかける。

「これはいけないなあ、さ、帰るよ。うん」

 つかつかと林檎に駆けよってくる咲。その姿、汗一つかいていない。咲は文香と仲睦まじそうな様子を見て、鎌を強く握りしめ直す。林檎の背中からじわりじわりと嫌な汗が吹き出てくる。足も震え、声も出ない。何とも情けない状況だ。

「林檎君、もしかして、あの人?」

林檎に抱きついていた文香さんは、林檎の耳元でそう囁いたので、林檎は震える体を制しながら、なんとかこくんと頷いた。

「そう……あの人が……もしかして、彼女さん? それにしては様子が変だけど」

 彼女という問いかけに必死で首を横に振り否定する林檎と、否定する林檎の姿を見た咲は「彼女ではなく嫁」だと訂正する。

「違う、彼女じゃない、嫁でもない。それより文香さん、アイツ危ないやつだから逃げて」

「ふーん、そんなこと言うんだぁダーリン……私の前からも逃げるし、お仕置きだよね。うん! 棺桶の刑かな」

 咲曰く、棺桶の刑とは自分の体より少し窮屈な棺桶に林檎を入れ数日放置することで、孤独感や閉塞感を増幅させる。そうして林檎の心を蝕み、自分に依存させる手段だという。

「わかった? わかったならならさっさとお家に帰ろうよ、うん」

 刃鎌を握りケラケラ笑う嫁と自称する少女、咲。

 その姿を見て金縛りにあったように動かず、脂汗を出す林檎。

「ダーリン、鬼ごっこは楽しめた?」

 文香を守るように立っている林檎だが、その足は石化したように動かない。――逃げて、文香さん。そう叫びたい林檎だったが、口をパクパクとするだけで声に出せない。

文香は林檎の横に歩み寄り林檎の様子を一見する。そして林檎の頭を撫で微笑んだ。

「わかった、あとはお姉さんに任せて」

と呟くと、林檎と咲の間に割って入った。すると撫でられた林檎の金縛りが解け、その場に座り込んでしまう。

「なんだこの無駄の塊の様な女は? 汚いな。うん」

 その目は文香の大きな胸や尻に向けられており、咲は続けて「そんな邪魔なもん、削ぎおとしてやろうか」と文香に言い放つ。その姿はあからさまに敵意をむき出しにしている。

「こっちは肩こるから大変なんだうよね。そっちはスリムでいいな~。今流行りの『エコ』ってやつ?」

 普段悪態をつかない文香は咲の口撃に笑顔で言い返している。

「肩こりは年なだけだよ。うん」

「幼児体型の子には、大人の疲れはわからないよね~」

相変わらず笑顔で言い返す文香だが、額に青筋が、怒りマークが浮かび出ている。それは咲も同様である。女同士の戦いに竦んでしまう林檎。

「ふん、どうやら喧嘩を売っているみたいだな」

「あはは、それはどうかな?」

 互いに牽制しあう二人。そして二人は高らかに笑いだした。ただし二人の目は笑っていない。

「林檎君をどうするつもり?」

「どうするもなにも、私の『婚約者』である林檎を取り返して何が悪いのかな? 悪いわけないよね、泥棒ねこさん」

 喧嘩腰で咲は文香にそう告げ、「林檎を渡せ」と手を差し出している。

「林檎君の婚約者じゃなくて、林檎君の『ストーカー』の間違いじゃないかな?」

 文香さんの一言で、リンゴの眉がピクリと動いた。

「あ、その顔は図星のようだね」

 ふふんっ、と鼻をならす文香。

「『泥棒猫』に言われるとはな。驚きだ、うん」

 咲も負けじと言い返している。

「咲ちゃんだっけ? 人に迷惑かけてちゃ、天国で幸せになれないよ?」

 前傾になり胸を寄せるポーズでまるで宗教勧誘をする宣教師なことを言い出した。

「ほら、神も言っています」

 今度は胸を張り天を見上げ、高らかに語りだす。それと同時に文香の真上だけ先ほどまでの曇天が消えて無くなり、太陽の光がスポットライトのように注がれる。まるで舞台のワンシーンのようで、、とても美しい。太陽の光を浴びキラキラと光る金髪、柔らかい笑み。

林檎は太陽の光を浴び輝く文香の姿が咲と真逆に映り、まるで天使そのものだ。そう思った。

「なーなー林檎、この女頭いかれてんじゃね?」

――いかれているのはお前だ。とは言えない林檎である。

「天国など、そんな退屈でつまらん場所、お断りだ。うん、お断りだ」

 馬鹿にするようにそう言うと、咲は座り込んだ林檎を見る。。

「私と林檎は二人で地獄へ行くの。邪魔をするなら……殺すよ」

「貴女……『人間』じゃないね?」

「そう言うお前も、『人間』ではないな? うん」

二人の顔から笑みが消え、身構えるように距離をとった。咲は両手を胸の前でクロスにし、両手に鎌を出現させる。二振りの鎌を強く握りしめ、そのままひらりとターンし黒いローブを纏った死神の姿に変身する。

「その醜い脂肪、切り刻んでやる。覚悟してね、うん」

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ。――覚悟しな」

対する文香はと言えば、いつのまにか何故か棍棒を肩に担いでいる。

「その棍棒……『天界印』か」

 文香さんの手には、おそらく木でできた短めの棍棒。特徴的なのは、棍棒の先端の表面には多数の突起、本体は木なのに突起部は金属製のようで、先の尖った三角錐のトゲが無数にある。

「馬鹿につける薬だよ」

 こん棒で咲を指さし、ぶったたくと宣言する。

「人間を誑かす悪魔は私、簡単には殺さないから」

 文香さんはそう言い、棍棒を両手で握って咲と対峙した。

「泥棒猫には負けん」

 咲はそう言い、助走をつけると文香さんへ向かって行った。

「来なさい! 地上は私が守ります!」

 文香はなにやら呪文を唱えると周囲の景色が一変した。民家は消え、雪も消える。あるのは真っ白な景色が広がるなにもない空間。

「ココならだれも見ていません!」

「いいねーここ。あんたの薄汚れた汚い血で、ここも真っ赤に染めてやるよ! アハハハハ!!」

「下品な笑い……それにその二つの鎌」

「おっと、詮索は無用。どうせあんたはここで死ぬ!」

咲は二つの鎌を使い、文香の首目がけクワガタのように鎌で左右から襲いかかる。

「おっと、避けられちゃった。うん」

 文香はバックステップで攻撃を避けるといったん距離を置き、八相の構えをとる。そして気合を込め、咲めがけ突進した。乾坤一擲。力強く振りかぶった振り文香は咲に兜割りを仕掛けるべく、力強くこん棒を振り下ろす。振り下ろされたこん棒は頭部ではなく、地面にめり込み石畳の床に大きなヒビが入った。

「ひゃー、いきなり頭部狙いとか鬼かよ、この女」

「残念、避けられたら薬にならないよ?」

「……上等だ。うん、上等だ」

 紙一重で避けた咲はその威力に驚きつつも、闘争心は消えていない。今度は私の番だと、鎌を構え切り裂こうと試みる。

「ダーリン返せって」

「貴女みたいな悪女に林檎君は渡せないかな~……死ね!!」

「お前がな!! ダーリンを返せ!!」


 咲と文香、女の戦いの火ぶたを切るゴングが今――鳴り響く。


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