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「林檎、林檎」
咲は疲れ寝ている林檎を起こす。
「う、う……」
「林檎!」
良かった。目が覚めたのね。と嬉しそうな表情を浮かべ、林檎の顔を覗きこんだ。
「あれ、俺寝てたのか」
「林檎、林檎、大変なの、うん。大変!」
「……?」
目が覚めた林檎は少し空腹が満たされたような気がする。と思いながら、咲の慌てふためく表情、、落ち着きの無さを見て体を起こし、咲に落ち着くように深呼吸をさせる。幸福感や乾きが和らいだせいか、咲に対して多少優しくなっている林檎は、尋常じゃないほど焦っている咲の話を聞くことにした。先ほどの行為を林檎は覚えていなかった。
「詳しく話せ」
林檎は深呼吸しても焦る様相を見せ続ける咲の手を包み込むように両手で握り、再度呼吸を整えさせる。咲は一旦大きく深呼吸をした後に、早口で説明を始めた。
「ベリアルおばさんが、私たちを守るために戦ってるの! うん!」
「……なんだって?」
「とりあえず、こっち。今ママに連れられて、ゴリアテと戦ってるのよ!」
ゴリアテって、巨人のか……林檎は自分では対処しきれないのではないかと思いつつも、布団から降りた。
「こっち」
咲は林檎の手を引っ張り、駆け足でどこかへ向かっていった。
「ベリアルおばさん……」
ぽつりと呟いた咲の言葉は、ゴリアテとメフィストを相手にするベリアルの身の危険を予感していた。
「ココ!」
勢い良くドアを開けると、そこは林檎が初めて魔界に来た場所だ。腐った魚の匂い、腐敗臭のきつい匂い。目の前には、金棒を持った一つ目の巨人、ゴリアテ。対峙しているのは巨人よりは小さいものの林檎の倍程度の大きさな黄色い悪魔、べリアルが三つ叉に分かれた槍を構えている。
「ベリアルおばさん!」
無事だったのを喜び咲はベリアル、黄色い悪魔の名前を呼んだ。
「あれが、ベリアルおばさん?」
聞いていたのとはずいぶんイメージが違う。目つきは鋭く、腕には力こぶが大きく隆起し、身につけられた鉄の前掛けはゴリアテの金棒を屁ともしない。何よりでかい。
「おばさん、普段はもっと小さいの。私より少し大きい、160センチくらい」
しかし、目の前にいる悪魔はその倍はあるぞ。と林檎は改めて戦う二人の悪魔を見た。
「おばさん、普段は力をセーブしてたみたい。たぶんだけど」
なんだそれ、秘められた力を開放した悪魔は、巨大化、フルパワーを発揮するのか? と漫画のワンシーンを林檎は想像する。
「あんたたち、来るんじゃない!」
林檎たちに気付いたベリアルは、視線をゴリアテから変えずに二人に逃げろと忠告した。
「だ、だって……私心配で」
林檎の手を握りながら咲はベリアルに来た理由を話す。
「いいから、さっさとそいつ連れてどっか逃げな!」
器用に三叉槍で迫りくる金棒の猛攻をいなし続けるベリアル。
「あら、逃がしませんことよ」
忠告を聞き咲を連れ逃げようとする林檎の目の前に突如、メフィストが現れた。その爪はやはり鋭く右手の爪で林檎の頬をゆっくりなぞり、林檎の頬に紙で指を切った時の様に切れ、鮮やかな血を流させる。
「ママ……私」
咲はやはり母が怖いのか、目を合わせない。
「良い機会ね。見てなさい、咲」
「貴女の身勝手な行為が、どれだけに周りに影響を与えるかをね。まずはその男、心臓が良いわね」
そう告げると、メフィストは右手を後ろに引き正拳突きをするかのように、林檎の腹にボディーブローを仕掛けてきた。林檎は反応できず地獄に来てから何度目かの死を確信した。けれど、そのボディーブローは空を切るだけだった。
「あら?」
メフィストも不思議だと、自身の右手を見つめている。
林檎の目線はメフィストではなく、真っ黒な天井を見ていた。
「私、もう、逃げない。今度こそ、守るの」
咲は林檎を横から押し倒し回避させたようだ。その反動で林檎は天井を向き、咲はその上に倒れている。慌てて咲を抱き、林檎は咲と一緒に立ち上がる。
「あらあら、コレはお仕置きね。お尻叩きだけじゃ、ママ済まさないわよ」
「ママ、私、もう子供じゃない」
咲は起き上がると今まで目をそむけていたメフィスト、母の目を見つめ宣言した。
「私はママのマリオネットじゃない!」
その姿は、声も足も震え、お世辞にもかっこいいとは言えなかったが、立派な姿だった。
「……ふうん」
メフィストはそんな咲の姿に一瞬呆気にとられたものの、「覚悟は出来てるの?」とだけ告げた。
「私、もう決めたの! 林檎、ダーリンと結婚したい!」
ね、ダーリン。と咲は林檎の顔を見上げるが、林檎は「それもこれも、ここから生き延びたらの話だろ」と言い返す。
「そう、なら、私に勝てたら、認めてあげる」
「え? きゃあ!」
咲は一瞬、あっさりと認める母に戸惑いを感じたがその後、ハッとした様子で間髪いれずに放たれた突きを横に避けた。
「あらあら、外れちゃった」
まるでゲームでもしているかのように、メフィストは「咲のどこを狙おうかなー」と考えている。
「咲、武器もないのにどうするんだ?」
「それは……」
「それは?」
「ベリアルはゴリアテの相手で精いっぱいの様だし……咲?」
林檎の手を掴んだ咲はメフィストに背中を見せ、入ってきたドアに引き返した。
「逃げる!」
咲は力強く決断すると黒いローブに姿を変え、逃走する。
「こっち!」
「うわっ」
林檎の腕を思い切り引っ張り、その場から逃走する咲。そんな咲の姿を見たメフィストは「鬼ごっこね、懐かしいわ」とだけ言うと、カウントを始めた。
「100数えたら、追いかけるわよ」
1、2、とゆっくり数えるメフィスト。そんな姿を見たベリアルは、絶対に許さない。咲を自由にさせようと決意し、辺りを震わせるほどの咆哮を響かせる。そんなべリアルを見て、「茶番」だと、ゴリアテにさっさと始末しろと、指を鳴らす。
――自身が楽しければそれで良い。それを信条に魔界に飽きたメフィストフェレスは同様に現世に飽きた現旦那であるファウストに召喚され出会った。そしてファウストの知らなかった悦楽、快楽、至福の一時を魔術で味あわせ、その後満足したファウストを契約通りに地獄へ引きずり込んだ。後は自分好みの拷問、何度殺しても生き返るように改造した。ファウストも知的好奇心からか「己の体がこんなにも丈夫になるとは。それに魔界は発見、驚きの宝庫だ」と喜んでいる。けれど旦那の改造に飽きたメフィストは新たな標的を探した。その道中にメフィストはファウストと子供を作った。それが自分の娘、咲である。娘として愛する一方、誰にも渡さない自分だけの玩具として、メフィストは咲を持っていたい独占欲を抱いたのである。
「咲ちゃん、待っててね」
ベリアルは自分に激を飛ばし持っていた槍でゴリアテの体、心臓部に突き刺した。
「良し!」
手ごたえはある。それに、その三叉槍の先端は全てゴリアテの体を突きぬいた。いかなる悪魔と言えど、心臓を突かれれば隙が生じるはず……べリアルはそう思った。
「ぐぎおぉ」
意味不明な言葉を発し、ゴリアテは自身の胸に刺さった槍を右手で握り、なんともないといった様相で左手に持った金棒でベリアルの体を横に薙いだのだ。
「うぐぁ!」
隙が出来たのはベリアルの方だった。心臓を刺した事で気が緩み、金棒の衝撃ではね飛ばされたべリアル。
「どうして……心臓を確かに」
「七十、あらあら、言ってませんでしたか?」
信じられないと吐血しながら言うベリアルに、メフィストは数字を数えながら話しかけてきた。
「七五ゴリアテちゃんは私の考えた最高傑作、物である彼に、心臓なんてありませんわ。私の命令に従うだけの、愚鈍な人形ですもの。八十」
「悪趣味め……」
地面から起き上がろうと、片腕をつき立とうとするベリアル。けれど、そのベリアルに追い打ちをかけるように、ゴリアテはベリアルの体をサッカーボールの様に宙に蹴りあげた。
「あらあら、口ほどにもないですね。九十」
蹴り飛ばされ、壁に激突するベリアルをつまらなそうに見るメフィスト。
「百。さ、私もそろそろ追いかけるとしましょうか」
鼻歌交じりに歩み始めるメフィストを止めようとするも、ベリアルの前にはゴリアテが仁王立ちしていた。
「貴女の相手はその木偶の坊ちゃんですわよ」
ご機嫌にそう告げると開きっぱなしメフィストは、咲達を探しにその場を去ろうとする。――なんちゅうもんを作ってくれたのだ。ベリアルはこの化け物を作った悪魔としての才能に敬意を表した。けれど咲たちのため、べリアルは負けられない。反撃せねばと立ち上がろうと腕に力を籠め、地面を押して立ち上がった。フラフラなべリアルを見たメフィストは何か思い出したように、べリアルの傍へ戻ってきた。
べリアルは近づいてきたメフィストを見て好奇と判断し、捕まえようと腕を伸ばす。けれどメフィストは「満身創痍なあなたなど、怖くはない」と軽く払いのけてしまう。そしてゴリアテに指示を出す。
「娘を奪おうと、誑かそうとしたその婆に、裁きの鉄槌を与えること。与え終えたらその場に待機していなさい。良いわね? ゴリアテ」
ゴリアテの胸から三叉槍を抜き取りメフィストはカツカツとファッションショーのモデルのように石畳をピンヒールで響かせながら、姿を消した。
「まちな……」
言い終わる前に、べリアルの体に金棒が降り落ちる。
「くそ、た――」
言い終わる前に、咲たちの身を案じながらもべリアルの意識はゴリアテの再三の猛打により途絶えてしまった。
「ダーリン大丈夫⁉」
「お、おう……」
息が切れる、動悸が酷い。ほぼ三日間飲まず食わず状態から急に走った林檎は情けないと言われるだろうが咲に手を引かれている。林檎の体は地獄での生活から乳酸が蓄積されており、食事をとっていなかったことから体はもう限界に近かった。それでも何とか林檎は這う這うの体で、足がもつれかけながらも必死に走り、けろりとした様子の咲に何とか返事をする。
「な、なあ……どこに行くんだ?」
「ママの部屋!」
「ママの部屋!?」
おいおい、正気かよ……なにも敵の本拠地に乗りこまなくても。林檎はもっと別の部屋が良いのではないかと提案した。しかし咲は走りながら首を横に振り、その案はダメだと決める。
「ママの部屋に、私の鎌があるはず。仮になくても、きっと何か良い物があるはず」
「……その根拠は?」
「娘の勘! うん!」
言い切りおった、ある意味清々しい。林檎も自身がこの地に不慣れである以上、ここまで来たら覚悟を決め敵の本陣に切り込もうと覚悟を決める。
「ココを右に曲がって、あった」
咲は丁字路になっている道を右に曲がり、足を止めた。目の前には林檎達よりはるかに大きい、まるで大聖堂の入り口の様に大きく堅牢な鉄でできた扉があった。ドアノブは無く、その代わりに左右の扉には人間の顔、片方は年老いた男、もう片方は若い女の生首がかけられてある。
「うげっ……」
両者の目は潰されており、うめき声が共鳴している。
「悪趣味な……」
「ここが、ママの部屋」
ノックをし「開けて」とドアに語りかける咲。すると、しばらくして「誰だい」と男の声が生首から聞こえてくる。
「うげ、喋った」
「パパ? 私、今急いでるの、開けて欲しいの。うん」
手短に用件を話す咲。するとその扉は錆びた金属音、地面にこすれる音を発しながら、ゆっくり開いていく。
「パパ、ありがと」
咲は扉の奥で二人を出迎えた男、ファウストに礼を述べた。あ、この人……
「やあ林檎君。また会ったね。己はファウストだ」
手を差し出し握手を求めるファウスト。なるほど、あの生首はドアホン代わりか。悪趣味だなと思いながら、出され手を握り返す。
「林檎です。この前はありがとうございました」
林檎は息を乱しながら、改めて先日自身に隠れてジャーキーを渡そうとした男、ファウストに礼を述べる。すると息を切らしている林檎に「飲むといい」とカップに酢と水を混ぜ、そこにタップリ蜂蜜を注いだドリンクを差し出した。林檎は罠かと一瞬疑うも、咲が「罠じゃないと思う。ね、パパ」と問いかけ、「もちろんだとも。己は元人間、人間には優しい、それが娘の思い人ならなおさらだ」と誇らしげに胸を張る。そんな姿を見て林檎はありがたく受け取り、ゆっくりと飲み干す。糖分が水分が、すぐさま体に活力を与えてくれるようだと、林檎は感動している。
「いやいや、先日は干し肉を結局没収されてしまったからね。あの時は失礼した」
オールバックの白髪頭を撫でファウストはフランクにそう告げると、咲になにを探しているかを問う。
「鎌、私のデスサイズは何処? ナイフでも良い、何でもいいから」
「うーむ、武器のことは分からんなぁ……あ、本ならあるぞ本」
長いひげをいじりながら、ファウストは娘に嬉しそうに……子供が読めない本を本棚から取り出した。
「パパの役立たず!」
酷い罵倒である。けれどファウストは怒る様子を見せない。むしろ「己のコレクションでもだめか。ならこれはどうだ?」と新たな同系色の本を見せつける。そして咲に「マジ目にやって」と怒鳴られしゅんとなる。林檎はこれがあの有名なファウストなのかと目を疑わせた。そして自分も何か武器が必要だと、咲と一緒に部屋を物色する。けれど見つかるのはファウストが読む小難しそうな本か、物凄く下世話、下品な本ばかりである。
「むむむ、その目は己を憐れんでいる目だな。しかし甘いぞ、少年」
人差し指を振り、本棚を横にスライドさせた。それを見て咲と林檎は手を止める。そんな二人の視線を浴びファウストは「とっておきのモノだ」と床にある隠し扉を開け降りると、一つの箱を取り出した。
期待を込めた目で父を見る咲。ファウストは娘の期待に満ちた視線を嬉しそうに感じながら、箱を開けた。
「スリングショット~」
手に持っているのはY字の形をしたシンプルなパチンコだ。もう一度言おおう。ただのパチンコ、格好良く言えばスリングショットだ。
「ダーリン、何でもいいから漁るのよ」
「了解」
時間を無駄にしたとばかりに、二人は物色作業に戻った。タンス、ベッドの下、鏡台の裏。やはり出てくるのはファウストのエロ本ばかりだ。
「いやん」
恥ずかしそうに頬を染める父の姿にイラついたのか、咲は鎌でファウストの首を刎ねようとしていた。
「この、クソ親父……死ね、うん、すぐ死ね! うん!」
「咲、それ、それ!」
それまで持っていた小さな鎌ではなく、死神の象徴ともいえる咲の背丈ほどもあるデスサイズ。咲はいつの間にか大鎌を構えている。そしてそれを指差す林檎。その視線に咲も気づき、いつの間にか持っていた大鎌を数度見直して目を皿にする。そして林檎も同様に咲とあんぐりと口を開けて見つめあっている。ファウストだけが一人コレが狙いだったと頷いている。




