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顔を真っ赤にしてベリアルに自身の決意を告げる。ベリアルもそれを聞き嬉しそうに咲の背を触れて後押しする。その表情は咲の気持ちはきっと林檎にも伝わるよ。と言った風に咲を優しく励ましている。咲はべリアルの優しい手を、温もりを感じ、べリアルが母親だったらよかったのに。と思った。
「ほら、しっかりやんなよ。好きなんだろ?」
ベリアルは再度咲の気持ちを確認した。
「う、うん」
咲はこくりと頷くも、いざするとなると緊張していた。心臓の鼓動は鎮まる事を知らず、激しくなる一方。貝柱を含む口からは心臓が飛び出してしまいそうに、緊張は留まることを知らない。咲は一旦ベッドに林檎を寝かせ、鼻で大きく息を吸う。べリアルも咲の補助をするように、寝かせた林檎の背中に手をまわし喉に詰まらないようにと上体を優しく起こした。咲は林檎の胸に両手を優しく触れると、ゆっくり体を前傾させる。顔を近づければ林檎の小さな吐息が聞こえ、栄養失調のせいか青白く血色の悪くなった唇が自身の真っ赤な唇に近づいていく。林檎の唇は少し乾燥した様子で、咲は心配そうに胸に当てていた手を唇に移動させ、指で軽く触れた。咲は夢にまで見た林檎との口づけを前に、以前ならすぐにでも奪っていたであろう林檎の唇を前に、抵抗する様子を見せない林檎を見て動きを止めてしまった。
「ごめんね」
咲は一言謝ると、目をつぶっている林檎の少し青くなった唇に、自身の小さく真っ赤な唇を重ねた。
「んっ」
柔らかい、けどやっぱり少し乾燥している。コレが林檎の唇……。林檎とのキスに幸せを感じながらも、林檎の命を助けるため、林檎の閉じられた門所のような口を舌で開こうとする。口の中で柔らかくした貝柱を食べさせるために、唇を押し当てつつも貝柱を出し、それを林檎の唇に当てる。やっとのことで咲は口から出した噛んで柔らかくなった貝柱を林檎の口へ押し込んだ。
「んっ」
目をつぶっていたはずの林檎が小さく口に入った貝柱に反応し、声を発した。目を覚ましたと思い、咲は体を少し跳ねたが、食べさせた貝柱を飲み込ませるために唇を重ね、右手を林檎の背中にまわし、林檎の体に自身の体を押し当てる。
「ひんご、ひんご」
唇を重ねながら林檎の名前を呼ぶ咲。ベリアルはそんな咲を見て、林檎が咲に押され倒されしまわないように林檎を支えている。
「若いわねえ」
咲ちゃん、やっぱりあの人の娘ね。と思いながら、林檎が貝柱を一つ飲み込んだことを確認したべリアルは林檎の背から手を離した。そしてベッド脇に置かれていた水差しの水をコップに注ぎ、それを咲に渡す。
咲は箍が外れたように、やっと林檎が食事をとってくれたと喜び、二つ目、三つ目と貝柱を口に含み林檎と唇を重ね続けている。
「ほら、ある程度飲んだら、今度は水さ。少しずつ、少しずつだからね。がっついちゃだめだよ」
咲は頷きコップを受け取り一口含むと、また林檎と唇を重ね合わせる。そのまま、自身の口から水を林檎の口内に送る。少し林檎の口からこぼれベッドに滴り落ちたが、気にせず林檎を抱きしめ水を飲ませる。林檎の喉は水を飲むために小さく喉仏を揺らしながら、少しずつ水を飲んでいる。それを咲は数回繰り返し、コップ一杯の水を林檎に飲ませ終えると、またベッドに寝かせた。
「お疲れさん」
咲のほっぺたに水の入ったコップを当てるベリアル。咲の顔はやりきったと言ったような充足感に満ちた表情をしており、べリアルに頭を下げ「ありがと」と礼を言い、その水を一気に飲み干した。
「……なに?」
咲は自分の顔をまじまじと、ニヤニヤと何か言いたげに見ているベリアルが気になった。
「いやねえ、情熱的、まさに ラブ! って感じだったからねえ」
ベリアルに言われ、先ほどの情事を思い出す咲。次第に顔はタコが茹で上がるように真っ赤になり、頭からは湯気が出ている。
「おやおや、これじゃあどっちが林檎かわからないねえ」
真っ赤になった咲を見ながら笑うベリアルに、咲は恥ずかしくなって俯くしかなかった。
「あ、あれは」
慌てて弁明しようにも、ベリアルは「わかってる、わかってる」と頷き、取り合ってくれない。
「もう一回するかい?」
「え?」
ベリアルの提案に、思わず咲が乗りそうになる。
「ほらその顔、まんざらでもない。むしろもう一回チューしたそうな顔だよ。咲ちゃんは意外とスケベだったのね」
「もう! するのは林檎、ダーリンだけだから!」
おばさんには敵わない。けど、今日会いに来てくれたおかげで、林檎の命は助かったともいえる。だから咲は素直にお礼を言った。そして無意識に、この地獄に帰ってきて初めて林檎をダーリンと呼んだ。
「おばさん、今日はありがと」
「なんだい? そんな畏まっちゃって」
「ううん、今日は本当に来てくれて嬉しかった」
咲の素直な言葉に、ベリアルは気恥かしいのかパーマのかかった髪に手を入れポリポリ掻いている。
「ま、お礼はいいからさ。こっちも、その兄ちゃんに死なれたら困るんでね」
「困る?」
なにが困るのだろうかと、咲は考えていた。
「ま、いいからいいから」
ベリアルはガハハと笑いポンポンと咲の肩を叩いた後、咲を林檎の寝ているベッドに寝かせた。少し手狭なため、密着するように横になる二人。林檎は多少意識を取り戻したものの、べリアルが「弱ってるんだから無理すんな」と毛布をかけてきたせいで、久々の食事をとれたおかげか、じっと毛布から動かずにいた。べリアルはそれを見て「よし」と頷き、笑っている。
「お、おばさん?」
いきなりのことで咲も戸惑いが隠せない。いくら人命救助とはいえ、いくらしたかったからとはいえ、咲は林檎に何度もキスをしたのだ。正確には口移しだが、万が一これで林檎が吐いたり、ショックを受ければ今度こそ……今度こそ嫌われる。咲は今になって様々な後悔をした。そして布団の中で咲はキスしたいという欲求を抑えるために、隣で寝ている林檎の手をぎゅっと握りしめている。ベリアルは後悔した様子の咲に「彼なら大丈夫」と優しく言った。
「あんたらが結ばれるの、おばさんけっこう期待してるんだからね」
林檎の首に付いた首輪を左右から持つと、両腕に山の様な力こぶを隆起させ、力ずくで取り外した。正確には壊した、だが。そしてそれを適当に捨てるべリアル。
「おばさん、それ……」
「いいかい、咲ちゃん。女が男を掴むのに、無理やりなんて無粋な真似はダメさね。ここさ、ここ」
ベリアルは自身の胸を指差し、「女は度胸と愛嬌さ」と笑っている。
「じゃあね、おばさんはもう帰るよ」
「貝柱は机の上に置いておく。キスしたいと気に使いな」と言い、背中を見せ帰ろうとするベリアル。咲も小声でまたねと別れの言葉を告げた。
「今度ゆっくり人間界に行った時に、お土産よろしくね」
笑いながら手を振るベリアル。そんな姿を見て、やっぱりこの悪魔は他の悪魔とは違う。「優しい悪魔だ」と咲は布団の中で小さく笑い、林檎の横顔をニコニコと見ている。少し血色が戻ったような唇を見て、「もう一度キスしようかな」と貝柱に手を伸ばすが……その笑いはすぐに消えることになる。
「あら、もうお帰りですか?」
「ああ、もう用事は済んだんでね」
ベリアルが開けたドアの先に、母メフィストの声が聞こえてきたからだ。
「咲、起きてるんでしょ?」
ちゃん付けではない。コレは怒っている証拠だ。
「いやいや、咲ちゃんは疲れて寝てるのよ。ほっといてあげな」
布団を被り、表情を隠した咲は林檎の体に抱きつき恐怖心を紛らわそうとしている。そんな咲のことを守ろうとしたのかベリアルは笑いながら、メフィストと肩を組み、部屋から離れるように促している。
「コレは我が家の問題です。いかに咲が貴女になつこうとも、我が家の問題に口を出さないで貰えます?」
毅然とした態度で答えるメフィスト。けれどそんなメフィストを見てベリアルは先ほどまでの笑い、茶化しながらの口調ではなく真剣、すこし脅しを込めただみ声でメフィストに反論した。
「親馬鹿、娘を溺愛するのもほどほどにしな。アンタがやってんのはね、ただの我儘。我を通そうとしているだけさ」
はっきりと母に告げるベリアル。こんなに怒りを込めた声を、咲は聞いたことが無かった。思わず布団から顔をちらりと覗かせ、二人のやり取りに目をやった。
「アンタがやってんのはね、普通なら小学校程度の娘にやることさ」
「あら、貴女になにが分かるんですか? 私の大事な咲は、箱に入れて、大事に、大事にそれはもう母の愛で、最後まで私が守ってあげるのが、母親の愛、母親と言うものでしょう?」
メフィストも負けじと反論するも、あきれたような口調でベリアルも反論する。
「母親、愛、母親の愛って言うけどね、全く……娘の意見は無視かい」
「娘も元は私の体。いわば私の分身。ならば、私の幸せはあの娘の幸せ。そうではなくて?」
「呆れてものも言えないよ」
詭弁だとべリアルは肩をすくめるベリアル
「あら、それならどうぞお帰りになって。出口はあちらですわ」
出口を指差すメフィスト。けれど、ベリアルは咲の部屋の扉の前で足を止めたままだ。
「あんたも娘の部屋からさっさと離れな」
「あらどうして? 娘と愉しいお喋りをするだけですわ」
「その楽しいってのに、娘の【彼氏】は含まれてんのかい?」
くすくす笑うメフィストに対し、ベリアルは相変わらず真剣な目つき、少し怒った様子でメフィストを睨んでいる。
「あら、娘の彼氏ならそこにいますわ」
指を指した先へ振り向くベリアル。視線の先にはあぐらをかいて座っているゴリアテがいるだけだ。
「あんなぼろ縫い合わせた玩具が咲ちゃんの彼氏だっていうのかい? 笑っちゃうね」
ガハハと腹を抱えて体を後ろに反らし豪快に笑うベリアル。しかしメフィストはお構いなしに話を続けた。
「あら『邪魔な虫』を退治できる、便利な男ですわ」
「……なら、試してみるかい?」
ベリアルはいつの間にか右手に大きなフォークの様な三叉槍を携えている。そして胸には前掛けのような鎧を装着している。
ベリアルの言葉にメフィストは「イエス」と返事をし、場所を移すと伝える。べリアルも「そりゃあ助かるね」と笑い、了承する。
「待って!」
ベリアルのことが心配になり、咲は布団から体を起こした。
「あら、やっぱり起きていたのね。それに玩具は寝る時は床か廊下って言ってるでしょ?」
冷たく蔑むように見る母の視線、声に思わず体が竦んでしまう。しかしベリアルがその姿を見て、ますます怒りを露わにしていく。
「あんた、噂には聞いてたけど、いっつもこうやって脅してたのかい?」
「人聞きの悪い。うわさ話には尾びれが付くもの。これはあくまで家族のコミュニケーションですわ」
笑うメフィスト。ベリアルは咲の方を見て「心配するんじゃない。ママに少しお灸を据えてやるだけさ」と告げ、槍を肩に担ぎながらメフィストの後を追い、姿を消した。
「ど、どうしよう……」
おろおろとする咲。助太刀しようにも武器を没収されており、戦力にはならない。武器を取り上げられた無力な咲は呆然とべリアルを見送るしかできないのだ。




