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「え?」
父であるファウストの問いかけに咲は俯き黙っているが、顔を赤らめたことからファウストが肯定したと判断する。そんな娘と父を見て、「馬鹿を言い。この子にはゴリアテがいるでしょ」と怒ったように肉を齧る。そんなメフィストを見て「すまんすまん。己はつい気になってしまってな」と笑うファウスト。
元人間であるファウストは林檎と同じ人間だったせいか、母であるメフィストと違って林檎のことを心配している節が多々あった。隠れて干し肉や新鮮な飲み物を食べさせたりしているのを前に咲は見たことがある。そしてその度に母に見つかり、それは没収され、父も切り刻まれているのだが。
「まったく、パパも咲ちゃんもペットを甘やかしすぎです」
骨付き肉にかじりながら、メフィストは咲たちに節度を持ちなさいと二人を叱り、肉を頬張る。ファウストもまた笑いながらごまかし、豪快に肉を頬張った。咲はただ目の前の食事に集中することでメフィストに返事をしなかった。
――あの食べ方……嫌だな。
咲はメフィストを見て思う。母は食事の時だけ、上品な様子ではなく悪魔であることを咲に自覚させる。両手で肉を掴み鋭く尖った犬歯で、肉にかぶりついている。口元にはレアに焼かれた肉の血が滴り落ちている。咲はその姿を見ながら母の本性を改めて認識した。自分のような半端な悪魔とは違う。所詮私は、母のような悪魔にはなれない。一生母に頭が上がらない。逆らえないと恐怖を感じながら、行儀良くナイフとフォークで丁寧に骨付き肉を食べている。ファウストはファウストで、妻であるメフィストの真似をし、尚両手で下品に、嬉しそうに食べ進めている。
「お肉……林檎にも」
ステーキをナイフで賽の目状に切りながら、咲は無意識に呟いていた。幸いメフィストの耳にはその呟きは入らなかった様子で、召使に持ってこさせた二本目の骨付き肉を一本目同様齧り付く。。
「ごちそうさま……」
咲は料理を食べかけのままフォークとナイフをテーブルに置き、席を立った。
「あら、もう食べないの? 美味しくなかった? コック代えようか?」
メフィストはナプキンで口元に付いた肉汁を拭きながら、ちらりと視線だけ咲の方へ向く。咲はただステーキを見つめ「林檎と遊びたい」と二人に告げ、半分以上残ったステーキの乗った皿を召使いに下げるように願い出た。召使は咲の顔を見るとただ黙ってうやうやしく頷き、皿を片づける準備をする。
「ごちそうさまでした」
最近何も食べていない林檎に食べさせようと、「後で夜食をお願い」と召使にこっそりお願いし、部屋へ戻った。
メフィストは「明日からシェフはゴブリンからミイラ男にしましょう」とファウストとシェフについて話しあっている。ファウストはそれを聞き苦笑し、「己はゴブリンの料理が結構気に入っている。だが君が思うなら、間違いはないさ」と答えた。メフィストはそれを聞き嬉しそうに喜び、食事を終えるとシェフを首にするために厨房へ向かった。するとしばらくして、厨房から悲鳴に似た声と、手を真っ赤に濡らしたメフィストが帰ってきた。
「ありがと」
部屋へ戻る途中にいたゴリアテからチェーンを受け取り、礼を言う。相変わらずロボットのように母であるメフィスト以外に話しかけられても無口なゴリアテを見て、ため息をつく。だがそんな事はどうでも良いと、鎖の先にいるうつろな目をした林檎を部屋へ連れて戻った。
「大丈夫?」
部屋へ入るなり倒れこむ林檎を見て、慌てて頭を撫でるも返事は無い。とりあえずベッドに運び、林檎に毛布をかける。息はあるが、辛そうだ。やはり栄養失調だろうか……。
「待ってて……これ」
咲は自分の机の引き出しから、円柱型の缶を取り出すと蓋を開けた。中からベリアルから『人間界で手に入れたお土産』として貰ったビスケットを一枚手にとり、林檎の口元へ運んだ。
「これ、食べて」
ほぼ何も口にしていない林檎に、水分量の少ないコレを食べるのは少し難しいかもしれない。けれど魔界の食べ物よりはずっと人間界の食べ物の方が良いはず。それに口が乾いても水差しなら部屋にある。だから安心して。と林檎に差し出すが林檎の唇にあてても林檎は唇を一文字にしたままだ。咲は無理やり「食べなきゃ元気にならないでしょ!」と強く林檎に言い聞かせ、ビスケットを口に押し込める。けれどそれを咀嚼する前に林檎は口に虫が入ったように、すぐさまそれを吐き捨ててしまう。
「はあ……」
――地獄の施しなんか受けるか。
林檎が咲の部屋に連れられてから言った言葉。その言葉が咲の脳裏に過った。ここに連れられてから、林檎を嫌っている母の酷い仕打ち、同様にメフィストを毛嫌いなる林檎は、相手の施しは受けないと意固地に最低限の水分以外は一切口にしなかった。けど意固地になってしまっては本当に林檎が死んでしまう。そうなれば母であるメフィストの思う壺でである。
前に咲が相談した際には、林檎をそのまま好きにさせろ。万一死んでも、「ゾンビにして今度は私が一生、玩具として遊んであげしょう」と底意地悪く笑っていた。咲はそれだけはなんとしても避けたかった。だから必死に林檎の口元に食べ物を運ぶが、林檎はその度それを吐きだし、口にしない。
「どうしよう……」
――いっそ悪魔なら悪魔らしく無理やり、暴力的に食べさせる。食べないのならお仕置きをすれば良い。と脳内で悪魔が囁く。咲もその手段は考えた。だがやりすぎては林檎が自決しかねない。そうなってしまえば確かにゾンビとして、一生傍にいてくれる。ある種の幸せを感じることはできる。
だが、そうなってしまえば自分の夫は林檎ではなく本当にゴリアテに、あの醜悪な一つ目になってしまう。優しい林檎ではない。「それだけは嫌だ」咲は思い直し、食べてもらえる方法を思案する。そんな時部屋の扉を叩く音がした。自室側のドアノブは前は林檎が怖がるからと人型から茶縞の猫の頭部型に変えられており、その猫頭がニャーニャーと来客が来たと鳴いている。
「誰?」
林檎をベッドに寝かせている所を母に見られては林檎が今度こそ殺されてしまう。咲はそう確信し林檎を布団から引きずり、心の中で謝罪しながら床に落とした。
「はーい」
何事もなかった様子でドアを開けると、そこに立っていたのはメフィストではなかった。咲を見る度に明るい口調で、特徴的なだみ声で笑う悪魔。青いパンチパーマの髪をかきながら、咲に手提げを渡してきた。
「咲ちゃん、元気だったかい?」
恰幅があり垂れた胸以上に腹が出た体格、特徴的な黄色い肌。それはまさに、咲が魔界の中で一番信頼している悪魔そのものだった。
「ベリアルおばさん!」
咲は思わず抱きついてしまった。そんな咲の様子を見たベリアルは抱き返し、頭を撫でている。
「あらあら、どうしたんだい? おばちゃんに話してみな」と自身の太い胴回りに腕をまわし抱き着く咲に問いかける。
「ううん、ちょっと抱きつきたくなって。今日はどうして?」
咲の問いかけに対し、ベリアルは笑いながら答えた。
「咲ちゃんが帰ってきたって聞いてね。ママさんに聞いたら部屋だって言うからさ」
「そうなんだ……」
今部屋には林檎がいる。見つかったら……だけど、べリアルならと咲は彼女を、以前べリアルが咲に「私は元天使なんだよ、見えないだろ」と笑っていたこと。それならば、」自称元天使のべリアルならば、今まで優しかったべリアルなら自身の味方になってくれるはずと、咲は認識した。
「大丈夫、咲ちゃんの味方だよ、私は」
咲が相談をする前にべリアルの方から心を見透かしたように咲の頭に手を置いた。咲はべリアルの言葉を聞き少し悩んだ後に、部屋へ招いた。
「どうぞ」
「お邪魔するね。お土産もあるよ。おや、そこで倒れてんのが噂の彼氏で人間かい?」
「うん」
まだ本当の彼氏ではないけど、いずれなって欲しい。そんな願望も含めて肯定する咲。すると床に倒れている林檎をべリアルは抱きかかえベッドに戻す。
「それにしても、えらく元気がないねえ」
「ご飯、食べないから……」
咲の言葉にベリアルは食こそが人生の楽しみなのにと驚いた様子を見せ、林檎の顔を再度覗きこんだ。
「おばさん?」
真剣な様子で倒れている林檎を見ては首筋に太い指を当てたり、額に触れるベリアルを見た咲は何をしているのか問いかける。すると考え込んだ様子でいったん間を置き、べリアルは自身の見解を述べた。
「こりゃだいぶ衰弱してるね。ストレスもあるんだろうけど……」
「ストレス……」
思い当たることがありすぎて、咲は俯いてしまった。ベリアルも察したのか林檎が最近物を食べた日、その時に食べた物を咲に聞いた。
「えっと、三日前にお水をちょっとだけ」
「あとは?」
「それだけ」
咲がそう告げると、ベリアルは驚いた表情を見せ、林檎のおでこに再度手を当てた。
「熱は無いみたいね。さっきの話が本当なら、単にストレスと栄養不足」
「でも、林檎何も食べないの……私たちの食べ物、絶対食べないって聞かないの」
泣きそうに答える咲を見て、ベリアルは落ちていたビスケットを林檎の口に運んだ。けれど、林檎は寝ながら、うつろな目を見せながらも口をへの字にし、それを拒んだ。
「本当ねえ」
ベリアルはそのビスケットを齧り「こんなにも美味しいのに」と林檎を見ている。
「おばさん、私どうすれば」
「そうだねえ……あ、これならどうだい?」
ベリアルは持っていた手提げから箱を取り出し、咲に手渡した。
「さっき手に入れたんだけど、これなら食べるんじゃないかい?」
開けてみなと咲に目配せし、咲は真っ白な紙で包まれた小さな長方形の箱を開けてみた。咲は少し驚いた顔でベリアルを見ている。
「どうだい? それなら魔界の食べ物じゃないから、その男の子も食べるんじゃないのかい?」
「確かに……、魔界の食べ物ではないけど」
中に入っていたのはホタテの貝柱。小さく乾燥した貝柱が、その小さな箱にびっしり詰まっていた。咲はどこで手に入れたかをベリアルに聞くと、べリアルは人間界にいる咲の様子を見に行こうとし、咲たちの住む日本へ赴いた。しかし場所を間違え海沿いの街についたべリアルは、咲と会うのを諦めお土産巡りをしていたのである。その際に帰り道で魚屋で美味しそうだったからまとめ買いした。「それだけ」とべリアルは告げ、貝柱を酒の肴にするつもりだった。と笑っている。
「でも、このままじゃ、林檎……硬くて食べられないよ?」
貝柱を一つつまんで口に運ぶ。香りは文香の家で飲んだ味噌汁に入っている出汁の様な、魚介系の匂いより少しきつい。一口サイズで食べやすそうに見えるが、干物のせいかとても硬く、よく噛まないと喉に詰まってしまいそうだ。
「良く噛んでみな」
ベリアルは咲に指示を出し、咲もベリアルに言われゆっくり咀嚼している。
「どうだい?」
確かに美味しい。最初はしょっぱいような気がしたが、噛めば噛むほど口の中に甘みや干されたことで凝縮された旨みが口いっぱいに広がってくる。口の中では咀嚼により唾液が分泌され、それが硬かった貝柱を柔らかくさせる。
「んっ、美味しかった。御馳走様でした」
ベリアルに礼を告げる咲は、コップに水を注ぎ一口飲む。ベリアルはベリアルで「気にしないでよ」と大きな笑い声を発している。
「でも、これも林檎には」
咲の言葉を遮り、べリアルは妙案があると咲の言葉を遮った。
「なら、食べさせてやんな」
「ええっ!?」
正気かと驚く咲にベリアルは本気さと即答する。そして驚き何かを言おうとする咲の口に、貝柱を一つ放り込んだ
「んっ!」
「飲み込むんじゃないよ。で、よく噛んで」
咲はベリアルに言われ、いきなり投げ込まれた貝柱を飲み込まないように堪えた。そして咲も言われるがままに、貝柱を噛み続けている。
「どうだい、柔らかくなったかい?」
口から貝柱を出さないように頷く咲。するとベリアルは寝ている林檎の上体を起こし、咲を呼んだ。咲もベリアルに呼ばれ、トコトコと傍に寄った。
「ほら、食べさせてやんな」
林檎の頭を掴み、咲に向けるベリアル。
「え、ええ!?」
「ほら、食べないんなら、無理やりやりな悪魔らしくね」
何度も驚く咲に対し、それが悪魔だろ? と言わんばかりに笑いながらベリアルは急かしてくる。しかしベリアルがやらせようとしているのは、人間界や先ほどリンゴを食べさせてもらったようなアーンではなく、マウス トゥー マウスの口移しだ。
咲は顔を真っ赤にし、その場に硬直した。そんな咲の様子を見たベリアルは仕方ないと言い、ベリアル自身の口に貝柱を含んだ。
「お、おばひゃん?」
口に物が入っているためか、それとも驚いたせいか、咲は声を裏返している。
「このままだとこの兄ちゃん、死んじまうからね。咲ちゃんがやらないんなら、私がやるよ」
ベリアルはそう言って貝柱を口に含み、林檎の顔を自身の方へ向けた。林檎が盗られる。そう思い咲は慌ててベリアルの肩を掴んだ。そして決意に満ちた、それとも合法的に堂々とキスができる喜びか、べリアルの肩を握る手が徐々に徐々に強くなる。
「頼んだよ」
べリアルは素直に交代だと役目を譲る。そして咲も林檎の背中に手を添え、虚ろに、今にも眠ってしまいそうな眠り姫、林檎を見て決心した。
「わ、私が食べさせる。チューするから、うん」




