17
――林檎は覚悟を決めた。
ワクワクしながら林檎が頼んだコーヒーカップをウェイトレスは文香に渡す。けれど文香はそれを、受け取らなかった。
「でもごめんなさい。遠慮するわ」
その言葉に、「いいんですかい?」と下種のように問い直し、「やっちゃいましょうぜ」と文香を煽るウェイトレス。
「だって林檎、私のダーリンにそんな酷いこと、出来ないもの」
ね、林檎。と文香は聖母のように林檎に微笑んだ。その姿に「マジっすか、おねーさん」と驚くウェイトレスと林檎、そして咲。咲に至っては「さっきまで怒ってたのに、文香変。偽物? 怒りっぽいし、かと思ったら急に落ち着くし……うん」と疑いの目を向ける。
「やあねえ、ダーリンのお嫁さんになるんだから、これくらい当然でしょ、当然」
嫁と言うワードに興奮したウェイトレスがヒュウッと口笛を鳴らす。仕事しろ。
「じゃ、戻ろうか」
文香はバッグを持ち立ち上がると、二人もほらほらと喫茶店から出るよう促す。林檎が立ちあがり、伝票を持ってレジへ向かう。結局皆一口もつけていないが、マスターもお代はいらない。と言うも、そうはいかないと林檎は財布からお金を払った。
「またきてねー」
ぶんぶんと大きく手を振るウェイトレスに咲も小さく手を振り返し、下りエスカレーターに向かう。最後までうるさい店員、正直喫茶店には向いていないのではないかと思う林檎。林檎達が店を出ると、そろそろ昼時なためか、結界が解かれたように閑散としていた喫茶店に足を運ぶ客が増えて、あっという間に満席になり賑わっている。
「俺たちも飯にするか?」
レストランかそれとも……と考える林檎の隣に立ち、恋人のように腕を絡ませ頭を林檎の方に寄せる文香は先ほどの物産展に戻ろうと提案する。先ほどゆっくり見て回れなかったため、林檎もその提案に賛成した。
「咲はどうだ?」
「私もそれでいい……けど」
けど?
「二人ともくっつきすぎ。うん」
私もくっつく。と反対側の腕に咲が絡みつく。これではエスカレーターで降りられない。と言う林檎であるが、それならエレベーターで降りようと言われしかたなくエレベーターへ向かう。
結局乗り降りする際、待っている間、二人は林檎にべったりで離れず、周囲からは白い目、嫉妬、好奇の目で見られ流石に恥ずかしくなる林檎であった。二人に引っ張られるように物産展に戻った林檎達は、様々な店舗を見て回り、各々好きなモノ、食べたいものを買っている。
林檎達は先ほどの騒動を忘れたように、物産展のお菓子や惣菜に目を輝かせる。そして先ほどと同様、自販機で文香の好きな茶を買い、空いているテーブル席に座った三人。座ると同時に団子のパックを開封する咲に文香は「ちゃんと手を拭きなさい。後いただきますは?」といつも通りの姿に戻っている。
「ダーリンもね」
諌める側どころかどちらかといえば咲同様、御当地銘菓や惣菜を早く食べようとパックに手を付ける林檎をじとりと見つめる文香。本当にいつも通り、元に戻ったな。と安心し「いただきます」と二人で言う。文香もそれを聞き、じゃあ食べようか。とワクワクした様子でパックを開ける。そんな文香を見た二人は……
「いただきますは?」
咲と林檎の言葉に文香は一瞬舌を出し、忘れてた。と笑っている。三人で改めて食事のあいさつを済ませると、林檎は文香に何が食べたいか聞いている。すると文香は「まずはお団子かな、あ、ダーリンのパックにあるお団子美味しそう」
串に刺さったオーソドックスな団子を指さす文香。
「なら食ってみろよ」
パックには後二串あるから。と林檎は横に座っている文香に、黄金色に輝くタレがトロリとかかっているみたらし団子を差し出した。
「なによ、そん……」
「食わないのか?」
「私欲しい」
食べないのなら。と、餌を待つ雛鳥のように口を開け団子を要求する咲。
「食べないなんて言ってないでしょ!」
そういうと文香は醤油だれが髪につかないように、耳に髪をかけ、目をつぶり林檎に食べさせてもらう。
「あ、美味しい」
三つ刺さってあるうちの一つを食べ、口元を手で隠し嬉しそうに味わう文香。
「材料は砂糖とお醤油とかシンプルなのに、どうしてこんなに美味しいのかしら……むむむ」
料理好きの血が騒ぐのか、味見を覚えたことで料理上手になり、料理に目覚めたのか、味を再現するべく悩みながら団子を見つめ、一口一口食べさせてもらう文香。
「おい、口元にタレついてんぞ」
唇の端に醤油だれが少しついていると、林檎は教える。
「とって」
可愛らしく小鳥のように唇をつきだす文香に困惑しつつも、先ほどの罪悪感や甘えられることにどことなく嬉しさを覚える林檎は口紅が落ちないように、慎重に持っていたティッシュで文香の口元のタレをとる。文香はとれたことを確認するように舌で唇を少し舐めると、林檎も食べなよ。と団子を勧める。
「文香?」
「……も」
も? 唇に触れるが何もないと思った林檎は、どこ? と自分の唇を見つめている文香に聞いた。咲も林檎の真正面にいるため、林檎の唇のどこにタレが付着しているか探している。だが見つからない。と小首を横に傾げた。そんな二人に文香は「ここだよ、ここ」と林檎の頬を両手で掴む。怪しく、妖艶に迫る文香は女装をしている林檎にも、男の性を盛り立てるように刺激する。
「ダーリン」
文香は林檎の名前を呼び、ゆっくりと顔を近づけ林檎の唇についたタレを舐めとった。しかし実際に林檎にはタレは付着されておらず、先ほどの文香の言葉は狂言である。文香は舐めとったふりをし、今度は林檎の唇を奪った。
「んん!?」
思わず驚きの声が漏れる。それを見た周囲の客からも驚きの声が漏れる。
「文香?」
咲も咲でもう一個食べようとプラスチックから出した大福をテーブルの上に落とし、文香の行動に驚きを隠せず肩を震わせる。周りも周りで、二人の口づけを見てざわめきを起こしている。「羨ましい」「死ねよ」「仲が良いわねえ」「若いっていいなあ」「目の保養だわ」多種多様な感想を呟いている。
「ふ、ふひは?」
名前を呼び視線を下に向け、文香を見るとゆでダコの様に真っ赤な顔をし、目も何処か泳いでいる。
「あ、あのね、これはね」
文香はぎこちなく、余韻も十分に林檎と唇を離すとぎこちなく、先ほどの妖艶な迫り方とは真逆の足取り、口調で「ちょっとお化粧直してくる」と言った後、トイレへ短距離走のスプリンターの如く走っていってしまった。
「……なんだったんだ」
「文香、へんなの――林檎、私ともしよ。それがいい。うん」
咲もテーブルに落とした大福の表面の粉を落とし、気にせず口に運びながらそんなことを呟いていた。
「悪いんだけどさ咲、文香の様子見に行ってくれない? 食べ終わってからでいいからさ」
大福を食べている咲にそう願うと、咲はその大福を味わう動作も無く、一気飲みした。
「どうして?」
「いや、あんな様子じゃ心配だしな。文香は美人だし、悪い男に捕まったらまずいだろ? 後で近くのベンチにでも向かうから、な?」
主に自分のせいで文香は情緒不安定になっているから。と、咲に両手を頼む林檎。
「私は? ダーリンは文香ばっかりで、私のことはどうでもいいんでしょ? うん」
不貞腐れた様子でそっぽを向く咲に、歯の浮いたセリフを呟く林檎。我ながらいつのまにか女たらしの最低やろーになったな。と思い頭をかく。
「咲も勿論可愛いよ」
けれど今はこれしか方法がなく、おだて頭を撫で、どうにか咲の了承を得る。咲も頭を撫でられて気分を良くしたのか、褒められた子供のように笑顔で素直に頼みを承知してくれた。笑うと不気味な眼がわからにくいため本当に美少女だ。やはり咲は美少女なのだ、と再確認した林檎。
「後で私にもちゅー……してね。うん」
「え?」
「それでチャラ。うん、願いは決まった」
それだけ言うと持っていた大福のパックを林檎に渡し、小さく手を振りながら文香の向かったであろうトイレへ小走りで向かう。
「……はあ」
一人になった林檎は改めて、周囲の好奇な視線が痛いと実感する。そそくさと物産展会場から離れ、同階唯一のトイレ付近のベンチに腰かけ、ため息をついてうなだれた。幸い、ここまでは誰も野次馬として追ってこないためホッとした。一人ぼうっと座っていると、ベンチ前の自販機に目が留まり、時間をつぶすため、落ち着こうと茶を購入し再度腰かけ、冷たく水滴が表面についたペットボトルのラベルを見つめていた。
……キス、されたんだよな。
林檎は柄にもなく自分のルージュのついた唇を触りながら、文香とは二度目のキス、先ほどの柔らかな感触を思い出していた。柔らかかったなぁ……。迫られた時に何度か押し当てられた文香の胸も咲たちが気に入っていた大福とどちらが柔らかいか考える。
「あら、なにが柔らかかったのです?」
「え?」
つい口に出していたか。と下を向いていた顔を上げ、声の主を見上げる。下を向いていると目の前にはかかとの高いハイヒールが見え、真っ黒なコートドレスを身に纏い、、顔を見上げると真っ黒なプロフィールハットを被り、文香のように少しウェーブのかかった真っ赤な髪が印象的だ。表情は黒いレースで覆われていてよく見えない女性。けれど口元は少し見え、真っ赤に染まった少し厚め唇が大人の色気、魅力を醸し出す。
「先ほどはずいぶんとお楽しみでしたようで、さながら両手に花と言ったところでしょうね」
「はい?」
こちらの気も知らないで。と思いつつも初対面の、特に女性のため強くは出られない林檎。
「あら、さきほど場所も弁えず獣同然で女性と退廃的な、淫らな情事、舌を絡め、お互いを貪っていたように見えましたが……」
初めて会う女性は汚物に触れるかのように林檎にずけずけと、言いたい放題だ。
「絡めてなんかいません。それに失礼ですけど、貴女は誰ですか?」
「あら、私のことは気になさらないで下さいまし。私はただの野次馬、その辺の案山子とでもお思いください」
「尚更部外者じゃないですか」
ほっといてくださいと無視をしようとするが、女性の発言におもわず無視を決め込めない。
「それより貴方はどちらが大事ですの? 黒い薔薇と白い薔薇」
「どっち?」
この女、なにが言いたいんだ? 薔薇? 林檎は話の意図を探ろうとすると、女性はペラペラと言葉を続けた。
「いえ、どちらかが貴方の彼女ならば、もう片方は愛人か何かかと思いまして」
くすくすと口元を押さえ笑う女性。口調は丁寧だが、馬鹿にしたように笑ったり、見下されているような感覚だ。……なんとなくむかつく。林檎は適当な答えを出した。
「どっちでもいいでしょ」
「どっちでもいい……と? 貴女には、彼女達はどちらでもいいと言うのですか?」
「ええ、貴女には関係が無いでしょ。勝手に人の私生活に踏み込まないでください」
「……ふふ、面白いことをおっしゃるのですね、何時の時代も人間は。なら捨てられた方の女は、『ゴミ、捨てても問題ない』と言うことでよろしくて?」
人間? それにゴミって……大切な人たちをごみ扱いされたことで林檎は立ち上がり、立ち上がってみると自分より背の高い女性に驚きつつも臆せず女性に激怒する。
「おっと失礼、日本人の男性はサムライの心をお持ちだと聞いていましたが、そうでしたわ。側室がいらっしゃったとか。随分俗っぽく獣臭いこと」
おお臭い臭い。と鼻を抑え、匂いを消そうと手を振る女性。口調、立ち振る舞いから演技臭いな。と林檎はイライラしながら女性を睨む。
「貴女一体……」
口調もそうだが、何なんだ、この女は。
「私としては、貴方は公衆の面前で姦淫にふける淫らな女性よりも、着物を着た大和撫子な女性を、日本男児にはお勧めしますよ。それに日本人は、あのような容姿の少女を好むとか」
「それはどうして? 咲のことを言っているのなら、あいつだってけっこう危ない奴ですよ? と言うより、間違いなく危ない」
「……」
女性は黙り、林檎の言葉を聞いている。確かに今は大人しいが、咲との出会いは最悪。咲の昔話を聞き、憐れんだことは確かである。その道中には咲を許す気持ちも確かに林檎の心に生まれた。しかし、死神は死神。悪魔は悪魔。安心はできない。と考える。
一瞬間をおいた後、女性は理由を尋ねてきた。
「あらそうかしら? どうして? 牛なんかよりよっぽど可愛らしくてよ」
「ま、名も名乗らないアンタに言う理由なんて無いので、言いませんけどね。後文香のことを牛って次に言ったら、女性といえども許しませんよ」
「私と出会ったことはご内密に……」
女性は人差し指を自分の厚くルージュが塗られた唇の前に持って行くと、「ではまたお会いできる日まで」と頭を下げ、去っていった。頭を下げた際に帽子を押さえていた右手には、見覚えのある禍々しい色の指輪が目についた。するとそのあとすぐ、トイレの方から聞きなれた声が耳に入った。
「おお、咲か。それに文香も」
「どこにいたの?」
メイクを整えた文香と、その文香の手をしっかり握っている咲が林檎に声をかけた。
「どこって……ここにいたぞ」
「いつから?」
林檎の曖昧な答えに、もっと詳しくと文香はしつこく質問を繰り返した。
「いつからって……咲が文香を追いかけてくれた後だよ。な、咲」
そう言うと口を開いたのは咲ではなく、文香だった。
「え、でも……」
「いいたいことあるならはっきり言えって」
文香は先ほどのこともあり、もじもじとしている。それを見かねてか咲が代わりに答えた。
「私たちがトイレから出てここを通った時、林檎はいなかった。うん」
咲が淡々とした口調でそう言うと、後ろにいた文香も黙って首を縦に振った。
「だから私たち、あの休憩所まで一旦向かったんだけど……お店の人が『あの女装? 中世的な人ならさっきトイレの方に向かったわよ』って教えてくれたの」
「待て、どういうことだ?」
「俺は確かにここに座っていた。数分前にここに着き、飲み物を買ったんだぜ?」
ここに来てからのあらましを説明した。二人を心配し、トイレ近くに後から向かいベンチに腰掛けていたことを。どうして彼女達は自分を認識しなかったんだ? 林檎は疑問に思い、その後の話を続けるが、
「そうだ、俺は目立つ姿のおん――」
女と話していた。と言おうとした林檎は、口を噤んだ。
おんな。と言いかけた林檎に猫のように鋭く反応する二人。だが……咲は文香に「女、見た?」と問いかけ、文香は「見ていない」と首を振った。すると咲は一瞬その特徴を聞き、なにか思いあたる節があるように考えこむ。けれどすぐにいつもの拍子で「ダーリン、約束守った。ちゅー」と背を伸ばし報酬を請求する。
その様子を見て文香は「ダーリン! 何約束したの!!」と問い詰める。しかしそもそもあの女は誰なんだ? どうして二人は俺に気が付かなかったのかと、頭を抱えて悩む林檎。
「ダーリン、本当はどこにいたの? 誰とあってたの?」
「ちゅーは? 約束、うん」
「いやなに、気にしないでくれ。会えなかったのは偶然だろ。あとキスはしません」
林檎は二人に心配をかけまいと笑い、ブーイングをする咲と「浮気はダメ!」と怒る文香の頭を撫でる。
「物産展、まだ楽しむだろ?」
二人に心配をかけまいと明るくふるまうも、二人の目は心配そうだった。
「ダーリン……」
「林檎……」
なぜそこまで自分たちに話してくれないのか。心配するなと笑う林檎だが、その事が逆に二人の心配に拍車をかけてしまった。
「まさかね……」
咲はそんな林檎を見て、途中黙り込んだときの様子が、自分が林檎に掛ける金縛りに似ている。と思うものの、そんなはずはない。と小さく二人に気付かれない小さな声で、自分を納得させる。




