12
魚のように俊敏にぎょろりと動いた黒い眼が、林檎を捉える。
「え?」
事態に気付いた林檎は慌ててライトで目くらましをしようとスマホを取り出すも、手が滑って持っていたスマホを落としてしまった。ライトは無情にも廊下の天井を明るくするのみ。そのため咲の顔はその際にちらりとしかう見えない。ただ分かるのは……頬まで届くかのように口角が極端に上がっていたことと、俺を見る目は、死んだ魚の目をしていたことだ。アハハとお返しに乾いた愛想笑いを続けてみるも、その死んだ瞳は嬉しそうに自分を見つめていることだ。
林檎は自分の浅はかさに辟易した。すると襖の向こうでじっと見つめている咲は、ゆっくりと口を開き、林檎の名を呼ぶ。
――待ってたよ。ダーリン。
その言葉を聞き背中に寒気が走る林檎。しかし、一度つついてしまったモノから逃れるのは中々に骨が折れる。事実、古今東西こんな諺がある。
藪をつついて蛇を出す。
意訳:大人しくしている蛇に余計なことをすると、その蛇に噛まれ面倒なことが起きる。
意訳二:林檎の今の状況を指す。
林檎は中学生ぐらいの少女に捕まった。成人男性、もしくは血気盛んな高校生ならば容易に少女から逃げられると思いな人も多いだろう。しかし高校二年生にもなって林檎は少女から逃げられなかった。林檎の脳内にはアラートが鳴り響く。その場から逃げろと。林檎もその本能を信じ、踵を返そうとするが時すでに遅し。
少女に背を見せた林檎は背後から足払いをされ姿勢を崩す。すると少女は手慣れた手つきでCQCよろしく、片手で林檎の口を封じると、ずるずると自身の寝ていた布団へ引きずり込んだ。その力は強く、細い体のどこにそんな力があるのか。ロープエスケープを阻止するプロレスラー、いや、獲物を巣に持ち帰る熊のごとく林檎を容易に布団へ引っ張る少女、咲。
油断してた……クソ、まさか天使のホームで襲いかかってくるなんて。猫かぶってたな。文香、すまん……。
心の中で謝罪を繰り返す林檎。なぜ声に出して救助を求めないのか。理由は簡単。口を咲に塞がれているからだ。
「んーー!(助けて―)」
「あ、ちょ、静かにして。今電話中なんだから」
林檎を捕まえた咲はいつもの着物姿ではなく、真っ黒で所々に骸骨がプリントされているパジャマを着ている。中学生の頃の林檎だったらそのパジャマを格好いいと褒めていただろう。
咲は林檎を布団へ引きずり込むと、林檎の胴体に馬乗りの要領でのしかかった。林檎の口は咲の左手で塞がれている。うめき声をあげる林檎を一瞬見やった後、咲は電話を続ける。口は咲の左手で抑えられているため大声が出せない。林檎は逃げようにも、体は初めて会った時のように、金縛りにあって言うことを聞かなかい。テレパシーも試みるも、反応はなかった。
「林檎、林檎ってば……もう。林檎の唾液、手についちゃった」
林檎がどうにか咲から逃げようとしているのを気付いた咲は、林檎に「電話」と言い、持っていた電話機を林檎の耳に当ててきた。喋れるようにと左手を林檎の口から離した咲は、唾液の付いた手の平をまじまじと眺め、棒付きキャンディーを舐めるようにちろりと舌を這わす。
やっとのこと喋れるようになった林檎は、大きく呼吸を乱しており、何度も何度も深呼吸をしている。すると電話越しから、陽気なイントネーションのだみ声が聞こえてきた。
『おっ、その悲鳴。あんたが林檎君かい?』
電話越しの相手は自分の事を知ったような物言いで、林檎の様子を理解しているようだった。
『おや? 違うのかい?』
「あ、ごめんね、おばちゃん。私ってば林檎の口ふさぎっぱなしだった。うん」
咲はそう言うと、呼吸を整えている林檎に代わり状況を説明する。その途中にも咲は林檎の唾液がついた手の平を舐めては硬骨な表情を浮かべている。
『おーい、おーい』
だみ声の主は咲の名を呼び、咲は林檎が呼吸を整えたことを確認すると再度電話を林檎に渡す。林檎も受話器の先が誰かはわからないが、話さないと解放されないと判断し、相手に問いかけた。
「だれですか、あなたは。咲の親ですか?」
電話越しに聞こえる声は、やはりだみ声だ。どことなく中年のおばさんの様な少ししゃがれた声だ。
『あはは、ちがうよお、私はねえベリアルっていうの』
その口調や声から、電話越しなのに手振りをしながら話す様子を想像する林檎。しかしベリアルか……名前だけならゲームで良く聞いている。確か、けっこう偉い地位にいる悪魔と聞いているが……、と林檎は相手のことを考えた。
「人間界でも名の知られている、ベリアルさんが、どうして電話を?」
『いやねー、畏まらなくったっていいのよー。おばちゃんもそのほうが話しやすいし』
へりくだる林檎に対し、堅い口調は止めてと言うようなフランクに話す悪魔。近所のおばさんと話しているようで気が緩みそうになる林檎だが、油断するな。悪魔は悪魔だ。と警戒を解かずに気を張り詰める。
『そっちって、今雪見餅ってアイスあるだろ? あれ、今度のお土産でお願いしようと思っててねえ』
「雪見餅? アイスの?」
ダイフクの中にアイスクリームが餡子のように注入されているアイスを想像すると、べリアルはそうそうそれ。とガハハと笑いながら肯定する。
『そうそう。冬季限定って言うじゃないの。だから、お願いしようかなあって』
悪魔が雪見餅をねえ……。確か魔界にはコキュートスとかって氷の世界があるんじゃなかったっけ? そこにアイスは無いのか? てか悪魔が人間界の食べ物に興味持つなよ。と思うが口には出さない。出せない林檎。
『あとね、林檎君に折り入って頼みたいことがあったんだけど』
「俺に?」
雪見餅の次は何だと問いかける。
『地元銘菓、何かおススメあったら、それも一緒にお願いねー。あ、咲ちゃんに変わってもらえる? あと、咲ちゃんのことだけどさ、あの娘以外と心が弱いから』
「ちょ、ベリアルさん?」
一方的に用件を告げたフランクな悪魔ベリアルは、咲の話へと話を移した。咲の心って何だと聞こうとすると、自分の名前が出されているのに気が付いた咲は慌てて電話を林檎から取り上げ、べリアルに別れを告げる。
「もう、用件は済んだでしょ」
『あら、残念ねえ。じゃ、また電話してね、咲ちゃんお土産よろしくね』
そんなことをされてもベリアルは怒る様子もなく、バイバイと電話を切った。
「私のこと、なんて言ってた?」
咲は林檎にのしかかったままそう聞いてくる。林檎が目をそらすと冷たい両手で林檎の頬を持ち、「こっち見て」と林檎の顔を強制的に自身の顔と対面させる。
「何をって……心が弱いくらいしか聞いてないぞ?」
「それだけ?」
「ああ。それだけ」
「……よかった」
咲はそう言うとほっとした様子で胸をなでおろし、林檎の上から降りた。
「あの人、悪魔、なにもんだ?」
ゆっくりと体を起こし胡坐をかく林檎。
「ベリアルさんはね魔界の、地獄の噂好きのおばちゃん」
「噂好き?」
やはりおばちゃんなのか。林檎はツッコミをいれると、咲は嬉しそうに頷きべリアルについて林檎に語った。
「うん。色々知っているんだよ」
咲はそう言うと、べリアルと自分の関係について話し始める。人間界に来る前にとても良くしてくれた悪魔がいたこと。その悪魔は咲が気にいっている、数少ない頼りにしている悪魔だと言うこと。
名前はベリアル。黄色い肌に青いパンチパーマをかけた、少し恰幅の良いおばさんの様な姿をした悪魔。ベリアルは咲たちが暮らす世界である魔界で「宴会部長」というポストに座っており、どこから持ってきたかは分からない美味しいものを、自分の噂話の肴、おしゃべりに付き合ってくれた礼にと、よく咲に食べさせていたそうだ。
塩辛い、油で揚げた芋のお菓子。凄く甘く、人間を堕落させ、口中に虫歯が沢山出来そうなほどに美味しいクッキーを、ベリアルはどこからか用意し、学校帰りや会うたびに咲に与えていたようだ。
そのため躾、自身で管理しないと気が済まない咲の母親:メフィストフェレスとは相性が悪い時も垣間見せていたそうだが、咲は「もし二人が大げんかするのなら、私はべリアルおばさんの味方だ」と笑う。しかし戦いよりおしゃべりを好むべリアルが母であるメフィストに戦いを仕掛けることは無い。と付け加える咲。
べリアルとの思い出を語る咲は身振り手振り、抑揚豊かに喋り続ける。本当にべリアルに懐いているんだなと林檎はその話にうんうんと頷き、聞き役に徹している。お喋りが好きで、色々な噂を知っているべリアルから人間界の話を聞き、仕事に嫌気をさしていた咲は興味を惹かれた。そして林檎と出会えたと恥ずかしそうに林檎に教えている。
「そんな悪魔がいるのか、それに、宴会部長って……」
「魔界にだって娯楽はあるんだよ? 楽しいかは分からないけど」
咲はそう言うと、林檎に「寝ながら話そう」と提案し、林檎を布団に引きずり込んで自身も林檎の隣に入って毛布をかける。
「おい、近いって」
先ほどのこともあり、咲の様子を警戒しながら話を聞く林檎。
「大丈夫、電話も終わったし、もう何もしないから。その証拠に、手足動くでしょ?」
言われてから気付いた。確かに、先ほどの金縛りはもう無い。足も、手も動く。おそらくテレパシーも問題なく使えるのだろう。自分の身が自由になると少し安心したのか、林檎は気になることを聞いてみたくなった。
「話を戻していいかな?」
咲は林檎と向き合うように横になると、林檎に会話を続ける許可を求めてきた。
「話を聞くだけだからな……」
仰向けになりながら林檎は咲にオーケーと返事をする。
「うん!」
咲は嬉しそうに頷くと、また魔界のことをしゃべりだした。
魔界は地獄とは少し違うこと、地獄は人間界で言う職場の様なもの、街の様なものであり、魔界の一部だと言う。
「で、娯楽って何だ?」
「一番ポピュラーなのは、熱湯風呂かな?」
なんだその3人組のベテラン芸人が好んでやりそうなネタは。ツッコミを入れると、あはは、似たようなものだと笑う咲。魔界にもあんなトリオがいるのか。
「続けても?」
「どうぞどうぞ」
「えっと、血の池地獄の血を一つの大釜に入れて、ぐつぐつと沸騰させるの」
初っ端から予想以上に恐ろしそうな話になってきた。と林檎は少し後悔し頭を抑えた。
「それで沸騰した大釜に、生前悪事を働いた人をドンドン入れるんだ。大釜だからたくさん入るの。入りきらないときは押し込むけど。それで入浴させる順序なんだけど、凄い悪行を犯した者から大釜に入れて、順に刑の軽いものを入れて行くの。うん。それで最後まで意識を保っていた人を当てるゲームだよ」
「……それって、すぐ出ても良いのか?」
「うーん、出れるなら出ても良いけど、オッズの高い罪人や、オッズは低いけ大罪を犯した罪人とか賭けられやすい罪人がすぐ出ようとすると、周りの鬼さんたちが金棒でがつん! とやっちゃうから無理かな?」
あまりの残酷さに、声も出ない。
「それをコキュートスで厳選した氷を使ったかき氷とか、冷たいブラッドジュースとかを飲みながら見るんだ。結構盛り上がるよ。日本でいう……テッパンネタ? ってやつに似てると思う」
「もり、あがるのか……」
「生前悪いことをしてた罪人が、命乞いすら無視していた大量殺人犯が『ゆるしてくれー』『痛いのは嫌だ―』とか叫んでいるのを見ると、ざまあみろって感じだよね」
こいつが悪魔、死神だと改めて認識できるエピソードをありがとう。林檎は心の中でそう思いつつ、少し魔界に興味が出てきたので話を聞きだすことにした。話しやすいよう一度咲の頭を撫で、「続きは?」と聞きだす。
「ベリアルのおばさん、そこでよく幹事とか食べ物を用意しているんだよ。前回はスイカを一玉丸々凍らせたのを一人一本ずつと配ってたよ。私は皮をむいてほしかったけど、ベリアルのおばさんってば『人間界で流行ってるスイカ棒だー』って笑いながら皮ごとバリバリかじってたなー うん」
また撫でられたことで嬉しくなったのか、上機嫌に思い出話を語る咲。人間界のスイカ棒なるアイスとは似てるが全く違うことに苦笑しながら、話を聞き続ける。そうだ、学校の話を聞いてみよう。林檎は咲に質問をぶつけてみた。
「なあ、地獄の学校って、どんなんだ?」
「学校……」
咲は【学校】というワードを聞くと少し悲しい顔をしていたが、林檎は明かりがローソク型のライトのみで薄暗かっだったせいか、気付かなかった。
「なあ、良かったら話してくれないか?」
「聞きたい? 笑わない? 誰にも言わない?」
秘密を友人に話す小学生のように、勿体ぶる。
「笑うもんか。それに誰にも言わない。二人だけの秘密だ」
「二人だけの――じゃあ……話すね」
二人だけというワードに反応した咲は、布団の中で手をもじもじさせながら、ゆっくりと語る。




