11
「好きになった人が好き!」
「……それって答えになってないよ。やっぱり林檎は大きい方が」
不満げに咲はそう告げ、また自分の胸を触っている。
「大きさじゃない、好きになった相手をすべて受け入れるんだよ。俺はさ」
「好きになった相手を?」
「そう、好きになった相手を」
「すべて受け入れるの?」
「もちろん、好きならな」
咲は林檎が言ったことを確認するように、復唱していた。
「んふふ、やっぱり林檎はかっこいいなあ」
咲はいつの間にか上機嫌になっていた。鼻歌を歌いながら、テーブルのマグカップを両手でもちコクコクと飲み始めた。そして自分を責めなかった、殴らなかった文香に謝罪する。
「ありがと、文香さん。それとごめんなさい」
「気にしないで。にしてもずいぶんと素直でご機嫌ね」
怪しいと眉を顰める文香に、優しく理由を話す咲。
「うん。林檎、林檎が優しいから。うん」
「ダーリンが? 当たり前でしょ」
私の婚約者だもの。と胸を張り甘酒を飲み干す文香。
「好きになった相手をすべて受け入れる」
「?」
咲の言葉に、文香は首を傾けた。
「ふふ、一緒」
咲はその言葉をこれ以上説明せず、満足そう甘酒を飲み干した。そしてとてとてと林檎の傍に近寄り座ると、甘酒を求めてきた。
「林檎の暖かくてどろどろで、真っ白の、ちょうだい」
誰かに聞かれたら誤解されそうな物言いで、人差し指を咥え子供っぽくおねだりする咲はマグカップを渡してきた。
「その言い方はやめてくれ」
ちょっと待ってろと頭を撫で、林檎は雪平鍋と鍋敷きを持ってくるとテーブルの中央に雪平鍋を置くと、受け取ったマグカップにお玉で甘酒をとくとくと注いでやる。
「ほらよ」
「ありがと」
礼を言うと、湯気が立っているマグカップに息を吹きかけながら元いた座布団へ戻っていった咲。
「……何言ったの?」
「あ?」
「咲ちゃんによ」
ふぐのようにほっぺを膨らましながら隣に座り問いかけてくる文香。心なしか、なにやら怒っているようだ。
「別に、胸のこと聞かれたから答えただけだって」
お前も聞いたろ? と問い返す林檎。
「なんて言ったの?」
「えっと……」
俺は先ほどの咲との会話を文香に教えてやった。文香はそれを聞いた後、頭を押さえため息をついていた。
「はぁ、その言い方はダメでしょ……ダーリン」
嘘、どこが? 林檎はどこがダメかわからない様子で、文香は誤解を与えると耳打ちをする。
「まったく……ま、悪魔にも優しいっていうのは、ある意味あなたの良いところなのかな? ね、ダーリン」
文香は1人そう告げると、マグカップを渡してきた。
「ん、多め」
どうやらお代わりをご要望のようで、林檎はマグカップに甘酒を並々注いでやった。
「へいへい」
「ありがと、ダーリン。んー良い香り。甘い匂いだね」
甘酒を渡すとマグカップに注がれた甘酒の匂いを楽しんでいる文香。礼を告げ、嬉しそうに飲む文香達。結局、肌に良いと言っからか甘酒は好評だったようで、6杯分以上、1リットル近く作ったはずが、あっという間に飲み干されてしまった。
「もう、飲めない……」
「私もー」
ぽこりと膨らんだ下腹をさすりながら、居間にある炬燵を中心に寝転がる二人、がぶ飲んでいたからな。その前にも茶を飲んでいたし、水腹で余計きついんだろうな。そんなことを考えながら林檎はこたつテーブルの上を布巾で拭き、片付けを開始する。
二人が使っていたカップを回収し流し台へ持って行く。途中文香や咲が片づけは私たちがと言っていたが、料理は片づけまでが仕事と林檎は言って申し出を断った。
手早にスポンジに水をつけお湯でカップや鍋を洗う。量が量なので食洗器を使うほどではなく、手で洗ってもすぐ終わってしまう。手が冷たいと思いながら居間の炬燵に戻ると、二人はまだ飲み過ぎて動けないと言い寝ころんでいる。仲良く寝転んでいる姿を見てやはり似ている。と思った林檎は、長閑なムードだし気になったことを聞いてみた。
「なあ、咲の部屋ってどうするの?」
「咲ちゃんのー?」
「私のー?」
だらしなく寝転がりながら返答する二人。お前ら姉妹か。とツッコんでも、二人して「んー」としか返ってこない。
「だって、部屋あるか?」
現状間取りが一階は大きな10畳以上ある居間と繋がっているキッチンはシステムキッチンや食器棚、ダイニングテーブル、冷蔵庫など生活に必要なものが置いてある。広いので居間で寝るのは可能だろうが、咲は落ち着かないだろう。
「空いてる部屋、無いの?」
空いている部屋、一階にはトイレと洗面所と風呂、あとは和室が3つある。その和室も一つはこの家の家主である文香が、もう一つは林檎が使用させてもらっているため、使用不可能だ。二階も文香曰く諸事情で無理らしい。なので二階は文香しか利用状況を把握していなかった。居候である身分の林檎もこれについては自身から追求しようとは思っていない。
「あと一つは?」
あと一つの部屋は……
「あ、そうだな。その部屋なら」
そうだ、あと一つ空いている部屋があったな。
けれど文香に聞いてみると、文香は一瞬の間の後に「その部屋はダメなの、ごめんね」と謝った。
「そうなのか……」
「私、廊下でも」
いや、悪魔とはいえ、咲はこの家に来てからなにも危害を加えていない。そんな非道な扱いをして果たして良いのだろうか? いや、林檎は思い直す。文香に言われていたのだ。咲は猫を被っている。事実自分をいまだに狙っている。……けれど、このままでは咲が可哀相なのだ。我ながら感情論だけで動くと情けなく思ってしまう林檎。
「なら、俺とか?」
だから林檎は消去法で案を提案してみた。
「俺も咲も、厄介になる身だし……まあ、不安はあるけど。あ、勿論布団は離せよ。最大限に」
「林檎」
咲は嬉しそうにその提案を聞き、両手を後ろに隠しもじもじしている。どうしたと林檎が問いかけると、「寝るときは裸? 私は……」と語りだしたことで、文香の方からNGが出た。
「ダメに決まってるでしょ!」
文香は勢いよく体を起こし、棄却する。林檎も咲の反応を見て浅はかだったと頭を下げる。
「ちぇ」
咲も咲で露骨にがっかりしている。
「あの部屋は掃除をしていないから駄目なだけ! そ、れ、に! 咲ちゃんの目的であるダーリンが同衾なんてさせるわけないでしょ! ダーリンもなに考えてるの!」
節度を持つようにと二人を叱る文香。母のように叱る文香に思わず二人は正座をしてしまった。
「あう……」
咲は残念そうな顔をしている。
「でも、現状そうするしか」
「あの部屋は咲ちゃんに使ってもらいます」
「文香さん!」
それを聞き、嬉しそうに文香の名を呼ぶ咲。
「じゃあ俺は」
今まで通りの部屋か。と頷いた林檎。
「私の部屋です!」
林檎を自身の方へ引っ張り答える文香。……え? 驚いたのは林檎である。
「ブーブー!」
ブーイングをする咲。
「そこ、うるさい!」
「『婚約者』だもの。一緒に寝るのは問題ないでしょ? あ・な・た」
笑顔を崩さない文香。けれどその目は有無を言わさぬと言った力強い瞳であった。
「咲ちゃんも良いわね? 勿論、布団はダーリンが使っていたものを使ってもらうことになるけど」
「林檎の?」
文香の一言にピクリと反応する咲。
「ええ、新しく出すのもあれだし、ダーリンが昨日まで使っていた布団よ。嫌なら取り替えるけど」
「嫌じゃない!」
もし咲が犬だったら今頃尻尾を大きく振っているだろう。そんな喜びようで、ただ残念なのは瞳がいつも死んでいることだ。これさえなければ年相応の美少女なのにと残念がると、尻を文香につ寝られる林檎。
「よろしい。じゃあ部屋に案内するわね」
文香は咲の返事を聞き、咲の頭を撫でた。
「林檎のふと―ん。ふっかふっかのおふとーん」
咲は嬉しそうに林檎の布団、毛布と呟いていた。
「俺の布団は?」
「ちゃんと用意するわよ。心配しないで」
にやりと策があると笑う文香と、布団にダイブする咲。しかし夕食時には咲は何やら落ち着いた様子で食事を終え、風呂は文香が監視の名目で一緒に入っていた。そして問題の夜がやってきた。
――夜。それは寝る時間だ。どんな生物も、寝る必要がある。特に人間。林檎も風呂を終え、歯も磨いた。後は寝るだけ……けれど――。
「確かに、布団は用意されているけどさ……」
横にはスースーと小さな寝息をたて寝ている女性がいた。
「なんで一つの布団?」
それは、林檎がここへ来た時に寝ていた布団だった。柔らかな羽毛布団に、干したての様な仕上がりの布団は幅広なワイドサイズになっている。
「これじゃあ寝れるもんも寝れねえよ」
隣で寝といる女性。寝巻は胸が苦しいのか、ボタンを上まで留めず、二つ開けて寝ている。そしてちらちら見えるの大きな彼女の谷間。思わず生唾を飲んでしまうが、慌てて理性を取り戻そうと素数を数える林檎。
すると文香は寝苦しいのか、仰向けに寝相を変える。そして寝ながらボタンを器用に一つ外す。そしてまた横向きに寝相を変え林檎の方を向いている。起きているのではないか? と林檎は思うも、起きている様子はない。
暗いからよく見えにくいが、呼吸で少し胸が揺れ、そのたびに肌蹴たパジャマに目が行く林檎。もう少しでグラビアの写真集でも見られない桜色が見えそうで、林檎は布団に入れずにいた。どうも寝る時は下着をつけない主義とかで、林檎に対しても婚約者でしょ? 我慢して両手を合わせウインクする文香に負けた林檎。アイドルとしても通用する容姿を持ち、魅力的な甘い香りを放ち眠る無防備な文香を見て、林檎は考える。……起きてないなら触ってもばれないのでは? と手を伸ばしかける林檎だが、自身の邪な考えを振り払うように頭を振り乱す。だめだ、だめだ、だめだ。
「……水でも飲んでくるか」
興奮冷めやらぬ林檎。刺激が強すぎる。水を飲んで落ち着こうと部屋を出ようとする。しかし電気をつけて起こすとまずいので、スマホのライトを頼りに真っ暗な廊下に出て台所へ向かう。
――文香はそんな林檎の背中を黙って、気付かれないよう呼吸をひそめ、見つめていた。
「ダーリン、よく耐えたね」
女顔だからあまり性欲はないと思っていたが、やっぱり男の子と思う文香。それと同時に無防備な自分の姿を見たら、普通の男なら間違いなく触る、もしくはのしかかる。林檎ものしかからずとも触ると踏んでいたが、行動を起こさなかった。
「でも林檎君の動き可愛かったなぁと思い出す」
触ろうとして頭を振ったり素数を数えたりと、林檎の様子を思い出す文香はそのことを評価した文香は水を飲んで帰ってきた林檎にご褒美として抱き枕の刑だ―。と布団にもぐりくすくす笑いだした。
「早くおいで、ダーリン」
可愛いお嫁さんが、布団を温めてあなたの帰りを待ってるよと、文香は林檎の帰りを待った。
……林檎は台所へ行く途中、和室の前で立ち止まった。
「ここで寝てたのになあ……」
ふすま越しにあるのは林檎が昨日まで寝ていた部屋。そして今は咲が寝ている部屋だ。
ふすま越しだが「林檎ぉ、林檎ぉ」と悶えた声が聞こえるので、足音をたてないようにそこを通過する。居間の自分はまるで、ステルスゲームの主人公だ。とちょっとテンションの上がる林檎は、無事和室前を通過でき安心しほっとする。
「ふう、何とかたどり着いたな」
蛇口をひねり、食器棚から拝借したコップに水を一杯注ぎ一気に飲みほす。
「はあ、アレは刺激が強すぎるだろ……」
金髪美女の生肌。それも、男子ならだれでも憧れる爆乳だ。無論、林檎も例外ではないため、刺激が強すぎる。
「けど、寝るしかないよなあ……」
文香さんは俺を守るために、あそこまでしてくれてるんだ。感謝しないと。と林檎は自分に言い聞かせ、同時に理性よ頑張れ。と激を飛ばす。
もう一杯水を飲むと林檎はコップを軽く洗い、食洗機にたてかけ、またゆっくりと音をたてず部屋へ戻ろうとした。帰り道、また咲の部屋からくぐもった声が聞こえてきた。気になり足を止め耳を傾けてしまう林檎。
「うん。え、まだ食べてないよ? うん、お土産、わかった。」
「誰と話をしているんだ?」
林檎は興味本位でふすまを少し開け、中の様子を覗いてみた。
「電話?」
咲は誰かと話をしているようだった。こちらの様子は見えておらず、廊下と和室を区別する襖に足を向けるように布団にもぐっている。部屋の明かりは枕もとにあるローソク型のローライトのみである。従って咲の様子は声でしかわからない。
「土産ってことは……友達か?」
「うん、うん。あはは、良い人だよ。」
楽しそうな咲の声は聞こえる者の、相手の名前を咲は出さないため、かえってそれが咲の会話への興味を惹かせた。
「え、うん。え? 私の後ろにいるよ」
後ろ?
俺は後ろを振り向いたが、誰もいない。何だったんだ……と思い、また少しだけ隙間の開いたふすまを覗いた。すると……誰もいない。襖の向こうでは確かに咲が誰かと電話をしていたはずだ。あれは見間違いだったのだろうか。首をかしげ再度部屋を覗き見ようとする林檎だが、その目に映ったものは……布団や火を模したオレンジ色のライトではなかった。なんだろう、林檎は気になり体を少し乗り出し、部屋を見る。距離感が近いようだ。暗くてわかりにくいな。すると視線の先の黒い物体がぎょろりと動いた。ああ、わかった、わかった。林檎は一人納得する。これは――瞳だ、眼だ。林檎は確信する。目と鼻の距離でわからなかったが、これはそう、間違いない。
そうか、俺が見ていた正体は目だったんだ。
――目だ。
――大きな眼だ。この黒い瞳、夜の闇に負けず劣らないこの瞳。
――見つめていたモノの正体は、咲の黒い眼だ。
――俺は咲と、見つめあっていた。
林檎は理解したと同時に、深い後悔に襲われた。




