俺が妹にできること、勇者が魔王にできること
『本日、魔王が誕生いたしました。勇者の方は、ただちに魔王を討伐すること』
一斉送信で送られてきたメールは、そんな文面だった。
俺は、ベッドに寝転がったまま、その最新機器を眺める。
近年の異世界との交信により、あちらの技術がこちらにも取り入れられるようになった。向こうと異なり、魔法の存在するこの世界で、科学技術が同居するというのは奇妙な光景だ、と、先日知り合った向こうの世界から来た旅人が笑っていたのをふと思い出した。
「働きたくない…」
俺は昔、勇者としての資質を認められ、6歳から16歳になるまでの10年間、勇者となるための英才教育を受けた。勇者としての資質が認められる人間が現れるのは普通数十年に一度であるため、その教育を終える頃にはその時代の勇者となるのである。
まあ、簡単に言えば、今の勇者は俺ってことだ。
もちろん、同時代に複数の勇者が存在はしているのだが、20歳という俺と比べて、他の勇者は高齢か幼年かだろう。今魔王が現れたとなれば、一番にそれを倒すという期待がかけられるのが俺ってことだ。
…しかし、困ったな。
既にお察しの方も多いかとは思うが、16歳で教育を終えて以降、俺は何もしてこなかった。ようはニートなのである。
教育終了時こそ魔王を倒す冒険に出る夢をみたものの、もともと引きこもり気質な俺は、魔王のいない平和な今の時代における自分の存在意義を見出せなくて、そのまま引きこもりまっしぐらになってしまった。一体俺のどこに勇者の気質があるというのだろうか。
そもそも、魔王なんて滅多に現れるもんじゃないし、ここ300年ほど復活していなかったんだ。平和ボケだってするはずだ。俺が悪いわけじゃない。
このままこうして引きこもっていようか…
「ゆうしゃさまー!」
…無理か。
「なんだ、トール」
俺の部屋の窓から、茶色い毛の塊がふわっと入ってきた。
「なんだじゃないですよぉ! メール見ましたよね!?」
スーツの上着だけを着て、四足で歩くその姿は、人間だったら通報されているレベルだろう。だが、生憎トールは人間ではない。政府から派遣された、俺付きの使い魔なのである。よって、見た目はただの茶色い犬だ。
「あー、見た見た」
「なんですかその投げやりな態度! 仮にも勇者ともあろう人が! 魔王の登場ってことは、いよいよハル様ご自身のお役目を果たされる時がきたんですよ!!」
興奮して鼻息の荒いしゃべる犬を尻目に、俺はのっそりと立ち上がった。
「そんなん俺以外の勇者にやらせればいいだろー。俺はもっと大切な用事があるの」
「たっ、大切な用事って何ですかぁ! この引きこもりニート!」
「はいはい、言っとけ言っとけ」
「だいたい、世界を救うより大切な用事なんてあるんですかぁ!?」
俺は部屋着の上に適当に上着をはおり、自分の部屋のドアを開けた。
「俺にはあるんだよ。大切な用事がな」
部屋の外に出た俺の後を、トールがてこてこついてくる。
「ていうかさ、魔王の目星はついてんの? どこにいるかとかさ」
「うっ…、そ、それは…」
階段を下りながら、俺は笑った。
「見つかってないんじゃん。そんなんでどうやって魔王討伐しろと」
「で、でも、負の魔力が観測されたんですよぉ! この世界のどこかに魔王が現れたってことですよぉ!」
そんなことは分かっている。英才教育中に、何度同じ話を聞いたことか。
「その情報だけじゃ、どうしようもないだろ」
トールと話しながら、俺はリビングのドアを開けた。
「だいいち、魔王を倒せって簡単に言うけどさぁ…、お、ルリ!」
開けたドアのその先には、淡いピンク色のワンピースを着た少女が立っていた。
「あ、お兄ちゃん」
「我が妹よおおおおお!! 今日も可愛いのうハスハス」
「きゃっ」
突如変態と化した俺は、可愛くて愛しい我が最愛の妹に抱き付こうとして、
「おごふぅっ」
茶色い塊から攻撃をくらった。
「いったー…何すんだよ駄犬!」
俺はほっぺをさすりながら悪態をついた。トールは、俺の顔面に横から飛びついて来たのだ。その前足で俺のほっぺを見事殴ってくれた。
「何すんだじゃないです! 何してんですかこの変態! ルリさんも気を付けてくださいよ!」
「あ、うん、ありがと、トールさん」
「それとハル様! 私は駄犬じゃないですからね! 忠犬ですからね!!」
わんわん吼えるうるさい犬は放っておいて、俺は改めてルリに眼を向けた。
色白の肌、長い黒髪、整った顔立ち、ちょうどよく膨らんだ胸、すらりとのびた脚。
「ルリはやっぱり可愛いなあ」
感慨深げにそういうと、ルリは照れたように笑った。
「そう?」
「うん。20歳の誕生日、おめでとう、ルリ」
実は、分かっていたんだ。
「ありがとう、お兄ちゃん! お兄ちゃんも、おめでとう!」
ルリの笑顔は、俺が世界で一番守りたい大切なもの。
「ありがとう。ルリ、何かほしいものとかあるか? お兄ちゃんにできることなら、なんでもするぞ」
守るためなら何だってする。
「本当!? なんでもいいの!?」
「ああ」
ルリは、最高の笑顔を見せた。
「じゃあ、私のために死んで、お兄ちゃん!」
腹に鈍痛が走った。
「うっ…」
「ハル様!?」
すかさず、トールが駆け寄ってくる。
「ルリ…さん…? なんで…」
ルリは俺から数歩離れた。その手には、赤く染まった短剣が握られている。
「“なんで”? 勇者の使い魔なのに、トールさん、分からないの? 勇者になるために英才教育を受けてきたお兄ちゃんなら、当然分かってるよね?」
ルリは、バカにしたように言った。
俺は右手で腹を押さえながら、茶色い塊にもう片方の手を伸ばした。
「トール…」
「ハ、ハル様」
伸ばした手はトールの身体に届かず、空をかいた。
犬の表情の変化など、俺には分からない。だが、その濡れたような瞳が揺れているのを感じた。
「剣を…」
「し、しかし、勇者の剣はまだ装備できる状態では、」
「木刀でもなんでもいい! 早く!」
「は、はい!」
俺の言葉に圧されて、トールはリビングを飛び出す。
右手を腹から離してその平を見ると、赤く染まっていた。
「はは…」
乾いた笑いが唇から洩れる。
そう、これは分かっていたこと。
たぶん、6歳の頃から。
「お兄ちゃん…」
長い黒髪を揺らし、彼女は俺の血に濡れた短剣を構え直した。
「ルリ、」
「ハル様! 木刀です!」
飛び込んできたトールが、俺に木刀を投げる。
この状態でうまく受け取れるとでも思っているのか。
「っ」
俺は、左手で器用にその木の棒をつかまえた。そう、俺は仮にも勇者なんだから。こんなのお手の物だ。
俺は左手で、その刀を構える。何を隠そう俺は左利きなのだ。
「トール」
俺はテーブルの上に乗って、一定の距離を保って俺とルリの様子を伺っている忠犬に声をかけた。
「ハル様、」
「魔王が生まれる要因って、何だか知ってるか?」
「え、」
拍子抜けしたような声をあげる。
「魔王が生まれる要因、ですか?」
「ああ」
トールが考えている間に、俺は小さく詠唱する。ルリは短剣を構えたまま、何も手を出しては来ない。
「ヒール」
呟きと同時に、腹を抑えていた右手が光る。
「治癒術、使えるんだ?」
ルリが何食わぬ顔で訊いてきた。
「ああ。簡単なのなら。なんせ、勇者だからな」
腹の痛みがひいた。あの英才教育も、バカにはならないということだろう。
「ハル様、えっと、」
トールが困ったように声を出す。
「知らないか」
俺は、ふうっと息を吐いた。
「魔王ってのは、勇者への強い劣等感から生まれるんだよ」
ルリが顔をこわばらせた。
「……」
俺が眼を向けると、トールは首を傾げた。全く、この使い魔は物わかりが悪いらしい。
「この世界には常に勇者がいる。魔王は数百年に一度しか生まれない。なぜなら、魔王が生まれる原因が勇者にあるからだ。『なぜこの人が勇者で、自分はただの人なんだろう』という思いから来る劣等感が、もの凄く強くなり、そして20歳の誕生日を迎えたとき、その人は魔王として覚醒する」
俺は英才教育で習った言葉をそのまま復唱するかのように、そこに何の感情も込めずに淡々と言葉を発した。
「勇者に対する強い劣等感なんてものは、勇者の身近にいる人でなければなかなか抱くことはない。だから、魔王には、圧倒的に勇者の近親者…とりわけ、兄弟が多いんだ」
やっと、トールも気付いたようだ。俺とルリの顔を交互に見回しながら、「で、では、」と言葉を詰まらせた。
その先の言葉を察知して、俺は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「そう。今回の魔王はルリなんだよ」
普通、勇者の資質なんてものは2、3歳で認められる。だが、俺が勇者の資質を認められたのは6歳の時だった。うちの親はまさか俺が勇者だとは思わなかったため、とくに必要性を感じなかったのか、定期健診を受けなかったのだという。まあ、もともと実家がど田舎にあり、街まで出るのが大変だったというのも理由の一つだろう。それに加え、普通に俺の資質の発現も遅かった。5歳のときに健診は受けているはずなのに、そこでは認められていないのだから。
魔王に勇者の近親者が多いことは、調べればすぐに分かることではあるが、まだそこまで一般的に普及した事実というわけではない。しかし、普通、勇者の資質が子どもに認められた時点で、政府は親にそのことを伝える。それを聞いた多くの親は、自分が出来る限り勇者のサポートをすること、魔王には絶対にならないこと、そしてもう子どもはつくらないことを決意する。勇者の兄弟はもっとも魔王となりやすいからである。自分の子どもたちが勇者と魔王として争いあう姿などどの親も見たくはないのだ。
なぜ勇者の兄弟がもっとも魔王となりやすいのか。それは、兄弟というのが、ほぼ同じ環境で育てられるからである。勇者の素質の有無という圧倒的な違いは、兄弟にとって「同じように育ったはずなのに、なんであいつだけ勇者なんだ」という思いを抱かせやすい。歴代の魔王にも、勇者の兄・姉(勇者より先に生まれてしまっている)や双子の片方など、兄弟とならざるを得なかった者が圧倒的に多い。
そう。ルリは俺の双子の妹。もっとも魔王となりやすい人間なんだ。
「ルリ」
俺は短剣を握ったままの最愛の妹に声をかけた。
「どうしてお前、魔王になったんだ? こんなニート野郎の、どこに劣等感を抱くっているんだよ?」
ルリは才色兼備だ。可愛いし、頭もいいし、運動神経だって悪くない。魔王がルリじゃなかったら、俺はルリを真っ先に旅の仲間に選んでいただろう。いや、そうでもないか? 大切な妹だからこそ、家に残っていてほしくもある。
「そんなの、お兄ちゃんには絶対に分からないよ」
ルリは寂しそうに言った。
俺は、ルリが大切だから、ルリに魔王になってほしくなくてクズ野郎になった。ルリの方が圧倒的に俺より勝っているはずなんだ。なのに、なんで劣等感を抱いてしまったのか。
ルリはその答えを明かそうとはしなかった。
そして、震えるその肩を見つめて、俺は微笑んだ。
「無理には聞かないさ。ただ、一つ言わせてくれ。俺は、ルリが大好きだよ」
悩んだんだ。俺だって。でも、腹は決めた。父さん、母さん、親不孝でごめんな。
「わ、私は、お兄ちゃんのこと…」
ルリの声は震えていた。彼女の眼には光る物が見える。俺は優しく笑いながら、木刀を落とした。
せっかく持ってきてもらったが、よく考えたら必要なかったな。敵と対峙するときに何か武器を欲するのは、勇者としての習性なのかもしれないな。
「ハ、ハル様!?」
トールが驚いて声をあげる。こんなときまで煩い犬だ。
「いいんだよ、トール。さあ、ルリ、」
俺は腕を広げた。
「俺を殺せ」
ルリは驚いたように眼を見開き、そして、
「大嫌いだよ…」
短剣ごと俺の胸に飛び込んできた。俺は、その耳元で小さく呟く。
言い終わっただろうか。分からない。胸から短剣を生やして、俺の身体は崩れ落ちた。
何がいけなかったんだろうな。
俺は、薄れゆく意識の中でそんなことを考えた。
向こうの世界だと、勇者や魔王なんてものは存在しないらしい。しかも、この世界と通じる前に向こうでたくさん作られていた物語の中では、多くの場合魔王がいるから勇者が生まれている。この世界とは順序が逆だ。
きっと、世界がいけなかったんだろう。勇者がいるから魔王が生まれるという、この世界の仕組みが。
せかいがわるいんだ………
私は血だまりに一人立つ。
私の記念すべき最初の殺害者は、私のお兄ちゃん。私を倒さないといけなかった勇者のお兄ちゃん。
近くには茶色い塊。こっちも血だまり。お兄ちゃんを殺してすぐ、泣きわめくトールを私は殺した。
「はは…」
唇から渇いた笑いが漏れる。頬に湿り気を感じて手を添えたら、手が涙を認識する前に頬に血が付いた。
私はお兄ちゃんが大嫌いで、大好きだった。そんなお兄ちゃんの最期に残した言葉。
『立派な魔王になれよ』
魔王はいつもすぐに勇者に倒されてしまう。だけど今回はそうはいかない。私が世界を支配するの。お兄ちゃんとの、最後の約束を守るの。
立派な魔王にならなくちゃ。
終
こんにちは、はじめましてしゅわしゅわです。
私の拙い文章をここまで読んでくださり、ありがとうございます。
初投稿するにあたって、王道ファンタジーをテーマに短編を書きたいなと思い、ファンタジーといえば勇者と魔王だろう!という安直な考えからこうなりました。全然王道にならなくて作者もびっくりしています。
今後は長編でファンタジーを主に書いていきたいと思っています。
文章はへたっくそですが、精進してまいりますので、どうぞよろしくお願いします。