悪役令嬢、旅に出る~王子の懺悔~
王国歴963年、実りの月。
作物は豊かに実り、収穫まであと僅か。
今年は豊作であると地方を治める領主達の長閑な会話が口のあちらこちらで交わされたその日、―――レッチェアーノ王国から夜が無くなった。
沈まぬ太陽と干上がる大地、王国に多大なる災害をもたらした神罰は、のちの世に「罪びと達の白き夜」と呼ばれ畏れられる事となった。
白き夜を引き起こした罪びと達は書物や歴史から、その名を消され、公の場では口に出す事すら許されなかったとされている。
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ジュリオ・レッチェアーノは恵まれた子供だった。
幼いころから聡明で、容姿に優れているとの賛辞を受け、なに不自由ない生活を送ってきた。
彼が廊下を過ぎれば皆がこうべを垂れ、夜会に赴けば自分よりはるかに年上の大人たちがご機嫌をうかがいに来る。
それが当然であり、疑問に感じたことすらなかった。
彼がガブリーニ公爵令嬢ルクレツィアと出会ったのは彼女の社交界デビューのパーティだった。
彼女が生まれた時から婚約についてはほぼ決まっていたが、なかなか顔合わせすることがかなわず、王家主催のパーティになかば呼びつける様に招待することが決まったのだった。
ルクレツィアについては己の婚約者候補筆頭とあって、独自に情報を集めていたが、どれも芳しくない情報ばかりだった。
調べにやったものが持ち帰った情報のほとんどが、かの公爵令嬢は見目麗しいがとんでもなく我儘で手の付けられない令嬢だというもの。
かの令嬢は夜会はまだ早いにしても、貴族の義務たる茶会などの社交場にも滅多に顔をださないらしい。
そのような者に未来の王妃が務まるのか甚だ疑問であったが、ガブリーニ公爵の手前丁重に扱わざるを得ない。
我儘な令嬢をもてなすことを考えただけで、気が重くなるがこれも役目と割り切って夜会に向かったのだ。
いい意味でも悪い意味でもルクレツィアは彼の予想を裏切ることとなるのだが。
夜会に現れた令嬢はうわさに聞いた我儘な令嬢でもなく、社交の場を避けて通る気弱な令嬢でもなかった。
複雑に編みこんで結い上げた銀髪は月の光を弾いて煌めき、しっとりと濡れた紫水晶の瞳は年齢に似合わぬ色香を放つ。
体に沿うように流れる滑らかな絹のドレスは、深い青色で、12と言う年の割には落ち着いた色合いだが、彼女にはよく似合う。
髪を飾る真っ赤な椿と同じくらい鮮やかな赤い唇から紡がれる挨拶の口上に皆が見とれていた。
それぞれの父に婚約者として紹介を受けた後、二人は場に相応しい挨拶を互いに交わしたが、気候や庭園の話など終始無難な話に終わったことを覚えている。
ドレスや髪など普段は決して行わないような芝居がかった動作で褒め称える言葉を口にしても、ルクレツィアは気のない返事しかよこさない。
王太子である自分がここまでしてやっているのに、困ったように微笑まれては、まるで場をわきまえない道化のようではないか。
これまでの人々と違って、自分の機嫌を取ろうともしないルクレツィアをどう扱ってよいか分からず、イラついたのはジュリオにとって記憶から消してしまいたい出来事の一つとなった。
そんな苦い出来事の後では当然彼女と顔を合わせたいと思うはずもなく、婚約者同伴で出席しなければならないパーティ以外は別の者を伴う事とした。
正直、彼にとっては自分が王位につくことが重要なのであって、その隣につく者は王妃としての資質を備え、自分が気持ちよく過ごせるように配慮してくれるものならば誰でもよかったのである。
そんな彼が気まぐれに向かった学園で出会ったのが、カリニ―男爵令嬢アマーリエだった。
彼女は慎ましく、可憐で、苦境にあっても笑顔の絶えない素晴らしい女性である。
学園に足を運ぶ貴族の中では低い爵位故に嫌がらせを受けることもあったようだが、彼女はいつだって自身の事よりも何よりもジュリオを第一に考えてくれた。
小動物のようにきらきらした瞳を向けて、いつ何時も彼の言葉に耳を傾け、彼の志や思想を無邪気に褒め称えてくれた。
例えジュリオが王太子でなくとも、自力で国を興してその地位につけるのだと彼女は疑いもなく信じているようだった。
彼の幼馴染たちも健気で愛らしいアマーリエに惹かれていくのを感じとり、何としてでも彼女を手中に収めようと、気づけば彼女の願いは幼馴染たちと競うようにして叶えるようになっていた。
だからこそ、彼女が自分の婚約者であるガブリーニ公爵令嬢から執拗な嫌がらせを受けていたという情報を得て、今までこらえていた感情が一気に燃え上がった。
カブリーニ公爵令嬢は王太子妃として身分も後ろ盾も問題ない人物だったので、彼女を正妃とし、マリーを側妃するつもりだったが、そんなことをすれば後宮でジュリオがいない間にどのような扱いを受けるかわからない。
故に、もし、ガブリーニ公爵令嬢による嫌がらせが事実であるならば、ジュリオは貴族を束ねる王族としての責務を果たすつもりであった。
しかしながら、マリーに事の詳細について尋ねるも彼女は瞳を伏せて語らず、実家に迷惑をかけたくないのだと涙を流した。
結局マリーの口からルクレツィアの名前が出ることはなかったが、ルクレツィアを黒幕として追う彼らを止めることもなかった。
ルクレツィアは表には余り姿を見せず、人をやってそれとなく調べさせても彼女が陰で何を行っているのかしっぽをつかむことはできなかった。
忌々しいほど巧妙な手口によってついぞ確証を得る事は出来なかったが、誰も彼女の行方を知らないなど不審な空白の期間が多すぎる。
決定的な証拠こそ準備できなかったが、マリーの友人の令嬢や他の目撃証言より、マリーが階段から落ちるのを見たが、上には誰もいなかった、などと誰も犯人を見ていないのが決め手となった。
有事の際を除いて、基本的に学園での魔術の使用は演習場など特定の場所以外では禁じられており、結界により制限されている。
だが、ジュリオは極秘情報により、ルクレツィアだけはその制限に引っかからぬよう国王命令が出されていると知っていた。
学園で転移魔法を使えるのはルクレツィアただ一人、なれば姿見えぬ犯人は彼女の可能性が高いと彼らの疑念を煽るには十分だったのだ。
そして運命のあの日、彼らは貴族に非ざる卑劣な行為に及んだ少女を断罪するあの場で、神の裁きを受けることとなった。
晴れ渡る晴天に闇の帳が落ち、月が涙を流したあの時、彼らの貴族としての命は絶たれた。
ガブリーニ公爵に泣きついてうやむやにさせまいと公衆の面前で彼女を糾弾したのが、翻って彼らの身に突き刺さる。
昼間に落ちた闇と月の涙については、不可思議な出来事としてまだ何とか揉み消すことも可能であっただろうが、日の落ちぬ空については言い逃れることはできなかった。
最初は訪れない日暮れを不思議に思いつつも、王国上層部や研究者などがこの現象に沸き立っていたが、やがて国全体に混乱が広まる。
石の壁を越えて本来届かぬはずの日の光が室内を光で満たし、王国から影と闇が消えた。
隣国の国境では夜でも一度門をくぐれば太陽が燦々と輝いているのである。
人々は瞼を閉じても日の光を感じ、まともに眠りにつくこともできず、大地は干上がり、作物は収穫を待たずして枯れてしまった。
国王が儀式を行い、夜と月の女神に問いかけても返事はない。
冒険者ギルドに原因究明を依頼するも、王国に2人しかいないSランク冒険者はすでに旅立った後であった。
うち一人はガブリーニ公爵家の令嬢で王太子の婚約者であったはず、と国王はギルドに二人の旅達の仔細を調査させたところ驚くべき結果が得られた。
この恐るべき災害が王国の次期国王である自分の息子が引き起こした事態だとは、賢王と名高い国王でも視界が白むほどの衝撃を受け、しばらく受け答えに不自由したほどである。
国王は自身の兄であるガブリーニ公爵と息子である王太子、関与していた有力貴族の息子数人と事件の中心であるカリニ―男爵令嬢を呼び出すことにした。
父王からの呼び出しを受けてジュリオは力なく床に倒れこんだ。
足長の赤い絨毯が視界を満たし、もう幾日まともに眠っていないのだろうと考えた。
思考は混濁し、言いようのない疲労感と無力感が体を支配する。
あんなに愛しかったマリーの顔も思い出せなくなりつつあった。
従者に支えられながら、何とか玉座の間までたどり着くと、そこには疲労などみじんを感じさせない覇気に溢れた父王とその兄が己を睥睨していた。
玉座より遠く離れた石畳の上、罪人のように床に額をつけたものが5人、涙で床を濡らしている。
「息子よ、なぜ今この場に呼ばれたか。―――わかるな」
それはくしくも自分がガブリーニ公爵令嬢に向けた言葉と酷似していた。
糾弾し、断罪する者の言葉。
ああ、自分は捨てられるのだ。
父の言葉からそう悟ったとき、ジュリオは生まれて初めて涙を流した。
最後の気力を振り絞ってせめて自分の愛した少女だけは、と情状酌量を申し出ようとしたとき、ぽつりと小さな呟きが玉座の間に響く。
「……どうして。どうして私がこんな目に……! 」
何よりもジュリオの身を案じてくれていた少女は、最後のときに自分の身を嘆いていた。
ジュリオがそこにいる事すら気づいていない様子に、彼の心に残っていた最後の気力が砕け散った瞬間であった。
ぽたた、と石を水滴が打つ音がして、皆がのろのろとそちらに視線を向ければ、鉄の公爵として感情をあらわにすることのないガブリーニ公爵が憤怒の表情で握った拳から血を流していた。
「兄上……? 」
玉座に座った国王が思わず腰を浮かすほどの事態であったが、ガブリーニ公爵は玉座の間を血で汚したことを詫びると無言で退出した。
国王の許可なく退出するのは不敬であり、礼節に厳しいガブリーニ公爵には有り得ない態度である。
常ならぬ状況に誰もが驚き、息を飲む。
しかしながら、その誰もかける言葉も持たず、彼を引き留めることができるものはその場に存在しなかった。
国外への追放と言った大きな決断で、一度王族が下した命令は撤回されることはない。
ジュリオは自分が、いや、自分たちがガブリーニ公爵から娘を奪ったのだということに今更ながらに気づいた。
神の怒りを買い、筆頭貴族である王兄を敵に回し、父王の地位を揺らがせる。
自分の過ちが取り返しのつかない事態を引き起こしたのだと、気付いた時には時すでに遅し。
この身一つでは到底購うことができないような罪を国と父に背負わせることとなってしまった。
それから彼は、彼の愛した令嬢と同じ爵位をもらい、窓のない塔で己の罪を毎日告白しながら96年と言う長い生を過ごすこととなる。
彼の残した手記は成人の時を迎えた王族が己を戒めるための書物として代々受け継がれ、彼の名前は消されても罪は王国滅亡のときまで残る事となった。
前の短編とちょっとルーシーパパの雰囲気違うので補足
ルーシーパパは娘が学園でいじめをしていたなんて、ありえない珍情報をもらって笑い飛ばしていたら、王族によって取り返しのつかない事態にされてしまい激怒しています。
謝罪を聞くつもりのなかったけど、自分を憐れむ言葉を口にする男爵令嬢に我慢の限界を超えてしまった感じです。