僕の初恋
僕はあの子が大好きだ。どこが好きって、全部好きだ。あの子の全ては僕の全てで、世界の全てだ。それはどんなに時が経とうとも決して変わることのない、まさに不変の真理なのだ……と……思う。
僕があの子に出会ったのは高校の入学式だった。あの子は、僕の隣の席にちょこんと可愛らしく腰掛けていて、ひどく退屈な校長の話をくりくりとした大きな瞳を輝かせながら聞いていた。僕は、クソの役にも立たない校長の話なんかはなから聞くつもりなんてなくて、髪を撫でつけたりなんかしながら、ずっと隣に座っているあの子をちらちら盗み見ていた。俗に言う一目惚れという奴だったのだ。
入学式の次の日に行われた自己紹介で、僕は、あの子に二人の妹がいて、チーズケーキが好きで、数学が苦手で、そして絵を描くのが好きなので美術部に入ろうと思っていることを知った。
だから、僕は絵を描くのなんて欠片も興味はなかったけれど、美術部に入った。不純な動機だなんて思う人もいるのかもしれないけど、自分では、あの頃の僕程純粋なものはないと思っている。
あの子は鉛筆画を得意としていて、写実的に物を描くことに長けていた。
何度か、僕をモデルに描いてもらったことがあるのだけれど、あの子はまるで写真に撮ったかのように(陳腐な言い方だけれども、こうとしか言いようがない)僕を紙上に描き出した。
僕もあの子を真似て絵を描いてみたのだけれど、これがどうにも上手くいかない。僕の引いた線は不自然に歪んで、モデルとは似ても似つかない形を描き出した。どうやっても、何度やっても上手くいかなくて、しまいには鉛筆をへし折ってしまった。どうも僕には絵画の才能はないようだった。
僕は絵を全く描かなくなったけれど、美術部に通うことはやめなかった。理由は言うまでもなく、あの子がいたからだ。
美術部の癖にちっとも絵を描かない僕に対して、先輩も先生も口出しをしなかった。当時は、やる気のねー部活だな、なんて思っていたけれど、今考えてみると単に見放されていただけなのかもしれない。
そんな不良部員の僕はあの時も絵を描くつもりなんて更々なくて、ただあの子が絵を描く所をぼんやり眺めていた。
あの子は石膏像のデッサンに夢中になっていて、つい、消しゴムを手で机から払い落してしまった。当然あの子は床に落ちた消しゴムを拾おうとする訳なのだけれど、その時、屈んだ彼女の顔から何かが零れ落ちた。
それは床に落ちるとそのままころころ転がって机の足にぶつかって、止まった。
拾い上げてみると、それは涙で濡れていて手によく吸い付いた。指先でつまんで回転させてみると、真っ黒な瞳と目が合った。濡れているくせにちっとも光を映さなくて、ぽっかり空いた穴のようだった。
あの子が近寄ってきて手をお椀のようにして差し出したので、そっとその上にそれを載せてやった。すると、あの子は受け取ったそれを恭しく眼窩にはめ込んで、その時ちゅぷりと水音が立ち、何だかえっちいなとか馬鹿なことを考えたのを覚えている。
夏が近づくと、あの子は体中から腐臭を発し始めた。蠅がたかっていて、どうやら卵を産み付けられたらしく、頬のあたりには蛆が湧き始めていた。
そんなんだから、あの子のただでさえ少なかった友達はとうとうゼロ(いや、僕を含めるならイチか)になり、クラスでも部活でもあの子は孤立しがちになった。
当時の僕の親友も、それまではあの子と普通に話していた癖に「臭くて授業に集中出来ない」だの、「転校してくんねーかなあのブス」等と陰口を叩くようになったから、帰り道で二人きりになった所で、顔面に右ストレートを見舞って、鼻の骨をへし折ってやった。それきりあいつとは口を利いていない。
でも、今考えると少しやり過ぎだったかもしれない。あの子が耐え難いくらいに臭かったのは事実だったから。
それでも、僕はあの子のことが大好きだった。体中の全ての穴から愛が溢れ出て止まらなくなるくらいに好きだったのだ。だからこそ、僕はあのままそれを垂れ流すわけには行かなかったのだ。僕は、それを煮詰めて、冷やして、固めて、時速160kmであの子のど真ん中に投げ込まなければならなかったのだ。
僕はあの子を映画に誘った。あの子は一瞬驚いたような素振りを見せてから、ニコリと笑って快諾してくれた。
そして、当日、土曜日の放課後。あの子は美術室にちょっとした用事があるらしかったので、僕は昇降口であの子が来るのを待っていた。
ところが1時間経ってもあの子が来る気配はない。すっぽかされたのかな、なんて内心ビクビクしながら美術室へと向かった。
美術室の引き戸を開いた僕の目に飛び込んできたのは、床に倒れ伏してピクリとも動かないあの子の姿だった。
何十匹もの蠅があの子の周りをブンブンと飛び交い、あの子のうなじに、捲れ上がったスカートから伸びる足に、夥しい数の蛆がにゅるにゅると蠢いているのを見た。
近づいて揺さぶってみた。あの子は何の反応も示さなかったが、代わりにあの子にたかっていた何匹もの蠅が飛んだ。
その内の一匹が机に止まった。捕まえようと手を伸ばしたが、素早く飛んで逃げられた。そんなことを何度も何度も繰り返してようやく一匹捕まえられた。
捻り潰して殺した。
その後も躍起になって蠅を捕まえようとしたが全く捕まえられなかったので、あの子の体に湧いた蛆を一匹一匹つまみ上げては捻り潰した。でも、途中でキリがないことに気付いて、やめた。
僕は教室からゴミ袋を持ってくると、あの子に体育座りのような体勢をとらせて、その中に詰めた。そして、口をギュッと固く結んでから、胸に抱くようにして持ち上げて、ゴミ置き場まで運んだ。
その後、自転車のペダルを滅茶苦茶に漕いで家まで帰った。赤信号も無視したし、婆さんを轢きそうにもなった。
家に着いたら、玄関のドアを壊すほどの勢いで開け、靴を乱暴に脱ぎ、自分の部屋に入ってから、鞄を壁に向かって思い切り放り投げ、ベッドに飛び込んで、枕に顔を埋めて泣いた。