第六章 専属初日
翌日。
私は窓から差し込む朝日に導かれるようにして目を覚ました。
今日から専属としての仕事が始まるとあって、ゆうべは緊張してなかなか寝付けなかった。
「・・・・・・ん?」
軽く伸びをしてふと横を見て・・・そのまま硬直する。
「・・・・・・・・・・!!」
なんとそこにはハイドがいた。
私が起きても全く気付く様子はなく、物凄く平和そうな顔をしてうつ伏せの体勢で眠っている。
・・・って、ちょっと待って!なんで隣で寝てるの!?
前夜。
夕食を終え、お風呂に入らせて貰った私はふわふわのナイトドレスをハイドからプレゼントされ、その可愛さに気恥ずかしい思いをしたまま寝る事になった。
夕方ベッドを使わせて貰ったから、寝るのは応接室のソファーでいいと言ったのだが、あっさり却下された。
『アイリをソファーなんかで寝させたって知られたらラデューに殺される!』
というよく分からない理由で、ほぼ無理やりベッドに押し込まれてしまったのだ。
そしてハイドはおやすみ、と言って予備の毛布を持って応接室に行ってしまった、のに。
なぜ、ここで、無防備な顔して寝てるのか!
頭が完全に起動しておらず、硬直したままハイドをまじまじと見つめる。
うつぶせで寝ているので、さらさらの髪が数本束になって顔にかかっている。
同じ色の長い睫毛と相まって、何ともいえない雰囲気を醸し出していた。
(・・・天使が寝てるみたい)
不意にそう思い、自分のメルヘンな思考に顔が赤くなる。
いやいや、それよりも起こさないと!
「ハイド・・・ハイド、起きて」
遠慮がちに声をかける。・・・反応なし。
「ハイドってば・・・」
今度は少し声のトーンを大きくして、ゆさゆさと揺すってみる。
「・・・・・・ん・・・」
少し眉間に皺が寄り、抵抗するように布団を被り直そうとするハイドを止める。
「ハイド、朝だよ。起きて」
「・・・アイリ・・・?」
ようやくハイドがうっすら目を開けた。深紅の瞳がぼんやりと揺らいでいる。
その強烈に色気漂う表情に心臓が跳ね上がる。
ダメだ・・・朝からこれじゃそのうち破裂する!
「おはよ・・・」
「お、おはよ。・・・じゃなくて!」
うっかり流されそうになるのを踏みとどまって、
「どうしてここで寝てるの?ハイド、ゆうべ毛布持って応接室に行ったじゃない!」
問い詰めると、ふにゃっと緩んだ笑顔でこっちを見た。
「んー・・・確かにあっちで寝てたんだけどねぇ。せっかく同じ部屋にいるのに別々に寝るのも寂しいなーって思ってー・・・」
まだ寝ぼけてるのか、喋り方までふにゃふにゃだ。
「寂しいなーって、じゃない!同じベッドで寝るなんて・・・!」
その先が恥ずかしくて言えず、赤面したまま黙り込む。
そんな私をじっと見つめるハイドは、とても直視出来ないぐらい色っぽい。
「と、とにかく早く起きて・・・!今日から私、仕事なんだから」
言ってハイドとは反対側からベッドを抜け出そうとして・・・
「きゃぁっ!?」
片腕をぐい、と引っ張られて後ろ向きに倒れこんでしまった。
倒れこんだ先は・・・ハイドの腕の中。
「・・・・・・っ!!」
咄嗟にじたばたと暴れるが、全く離れる気配がない。
だめだ、ドキドキしすぎて心臓が口から出そう!
「ハイド、離して!恥ずかしい・・・!」
「んー・・・もうちょっとー・・・」
「もうちょっと、じゃないってば!寝ぼけてないで起きてー!」
「・・・お願い、アイリ。もう少し、このままでいさせて」
不意にハイドがいつもの口調に戻った。
だけど、どこか固い口調に思えて、思わず顔を振り仰ぐ。
ハイドはしっかり目覚めているように見えた。
だけど深紅の瞳はさっきの眠そうな感じとは違い、このまま泣き出してしまうんじゃないかと思うほど、揺れていた。
「すぐ、起きるから・・・」
表情も心なしか、苦しそうだ。
「・・・ハイド?どうしたの・・・」
「・・・・・・」
私の質問には答えず、ただ少し、私を抱きしめる力が強くなる。
・・・どうしたんだろう。どうしてこんな、辛そうな顔をするんだろう・・・
いくら考えても私の頭に納得出来る答えは用意されていない。
だったら、せめて。
ハイドの苦しみが少しでも紛れるなら・・・
数分後、ハイドが謝りながら身体を離すまで、私は黙ってされるがままになっていた。
「ハイド、これで合ってる?」
私は浴室で制服を着替え、応接室でハイドに確認して貰う。
あれから何事もなかったように二人で朝食を取り、軽くシャワーを浴びてから制服を受け取り、何とか着て姿見で自分の全身を確認する。
専属の制服はエプロンドレスだった。
動きやすいようにシンプルな膝丈までのセーラー襟が付いたワイン色のワンピースに、侍女らしく真っ白なエプロンを付ける。
足元は黒のハイソックスに黒のローファーのようなもの。
全体的にシンプル・イズ・ベストを地でいく制服だが、やはりそこは王城。生地は半端なく肌触りが良かった。
さらさらと心地よく肌の上を滑り、ひっかかる部分などひとつもない。
それでいて適度に伸縮性もあり、全くストレスなく自由に手足を動かせる。
聞けばこの制服、一般と専属で生地も色も違うらしい。
一般の侍女は緑のワンピースで、生地も少し下のランクの物を使用するそうだ。
こんなとこにも身分ってあるのね・・・
まぁ、全ての侍女にこんな高価そうな生地使ってたらお金がいくらあっても足りなさそうだけど・・・
「うん、問題ないよ。凄く似合ってる」
そう言ってエプロンの裾を少し直してくれた。
「ありがと。ハイドも・・・似合ってるね」
ハイドもすっかり身支度を整えていた。
鎧一式は詰め所に着いてから着るそうで、今は鎧の邪魔にならないシャツとズボンだけという出で立ちだ。
本当は鎧なしでも軽い戦闘ぐらいはこなせるらしいが、部下に対する威厳もあって練習では装着している、とのこと。
「窮屈だから嫌いなんだよ、鎧って。兵卒のなまくら剣なんか障壁で弾けるし、多少の魔法だって弾くから」
「・・・凄いのね、魔法って」
そういう概念の全くない世界から来た私にはそれ以外に言葉が見つからなかった。
「アイリもこれぐらい出来るようになるさ。まず第一の仕事はその魔力をコントロール出来るようになること、だからね」
「・・・頑張ります」
「あれ、敬語?」
「ち、違うもん!」
「嘘嘘。・・・さてと、そろそろ行こうか」
「う、うん・・・」
今更ながら緊張してきた。
私は今日からアベルという人の下で魔法の訓練をする事になっている。
まだ会った事がないので、どんな人なのか全く分からない分、緊張感も増す。
「もしかして、緊張してる?」
「うん・・・だって、一度も会った事ないし」
ハイドは私の頭を優しく撫でてくれた。
「大丈夫。アベルは良い奴だよ。アイリを悪いようには絶対にしない。安心して」
「それは心配してないよ。だってハイドとラデューさんの紹介だもん」
「信用して貰えて嬉しいよ。・・・さて、忘れ物はない?そろそろ魔道室に案内するよ」
「あ、うん!お願いします」
そして私は専属としての第一歩を踏み出した。
「・・・・・・まずいわ」
部屋を出て、ハイドの案内で魔道室へ行く途中。
私は早くも難関にぶち当たっていた。
「アイリ?どうかした?」
「部屋からの道順が複雑すぎて・・・覚えられない」
そう。
ここは王様のおわす王城で、もちろん多くの人が働き、住み、生活している場所。
なのでその規模ももちろん人口と比例して大きくなるのは理解出来るのだが・・・
頭では理解していても、実際歩くと訳が分からないぐらい広い!
廊下は一見真っ直ぐだし階段も決まった場所にあるから分かりやすく感じるけれど、こう何度も階段を上り下りしたり廊下を曲がったりしていると、脳内地図が展開出来なくて混乱する。
そもそも王城の全体図が分からないので、今ここだから次はここ、という予測も出来ないので、ひたすらハイドについて行くしかないのである。
「ねぇハイド、この王城の地図ってないの?」
「んー・・・紙面の地図は基本的にないな。万が一敵に流れてしまうと困るからね」
「あ、そっか・・・」
「でも魔法で俺の記憶から立体的な王城を映し出す事は出来るよ。そうだな・・・じゃあ今夜、城内の説明をしてあげようか?」
「ほんと?助かる!このままだと魔道室から部屋まで絶対に辿り着けないもん」
「ああ、約束するよ。・・・っと、ここだよ」
ハイドは扉の前で立ち止まる。
今までいくつもの部屋の前を通り過ぎて着たけれど、どれも印象に残らないシンプルな扉だったのに対し、この部屋は真っ白な両開きの扉が付いていて、取っ手は金の装飾が施されている。
天井に付きそうなほど高い扉を前にして、嫌でも緊張が高まる。
思わず両手を胸の前でぎゅっと握ると、それを見たハイドが安心させるように囁く。
「大丈夫。怖くないよ。魔道士達はみんな良い人ばかりだから、きっと可愛がって貰えるよ。特にアイリは魔力が強いから、扱いも丁寧だと思うし」
「どういうこと?」
「彼らは魔力の高い人間を敬う傾向にあるからね。異端者でこの魔力、とくれば尊敬に値するかもしれない」
「あ・・・」
そう言えば、異端者って結局何なのか、説明されてない。
昨日は結局専属の話だけで終わっちゃったし、異端者の事は私もすっかり忘れていたけど、今ハイドに言われて思い出した。
「ハイド・・・今夜、王城の説明と一緒に異端者の説明もしてね」
「そう言えばまだだったな。分かった。それも約束するよ」
にっこり笑った後、ハイドは扉をノックした。
「開いております」
中から涼やかな女性の声がする。
「失礼する」
そう言ってハイドは扉をゆっくり開いた。