第五章 垣間見える何か
「・・・ん・・・」
かすかに身じろぎをし、うっすらと目を開ける。
(どこだっけ、ここ・・・)
ぼんやりした頭のまま、目だけで周囲を観察する。
(あぁ、そうか・・・ここはハイドの・・・)
「!?」
慌ててがばり、と飛び起きる。
眠りに落ちる前はまだ窓から夕日が差し込んでいたのに、今はとっぷりと日が暮れ、月の光が部屋をうっすら照らしている。
まずい・・・どれぐらい寝ちゃったんだろう!?それにハイドは!?
急いでベッドから降り、ワンピースの裾を少し直して髪を手櫛で整え、そっと、さっき勝手に応接室と認識した部屋へ続くドアを開けた。
恐る恐る顔だけを出して覗くと、部屋の奥にある机にハイドがいた。
私が覗いている事に気付いていないのか、何やら難しそうな顔で手元の書類に目を通している。
もう仕事は終わったのか、鎧は外しており、白いシャツと黒いズボンだけというラフな格好で、長い足を組んで椅子ではなく机の端に座っている。
・・・やっぱり、現実離れしてる美形だわ・・・
サラサラした蜂蜜色の髪が目元に何ともいえない影を落として、妙な色気が出ているような錯覚に陥る。
不意にハイドが顔を上げた。どきっと心臓が跳ね上がる。
「おはようアイリ・・・って、夜だけど。よく眠れた?」
ふんわり微笑みかけられて、赤くなった顔でぶんぶんと頷く。
「それは良かった。俺としては寝顔が見られなかったのが残念だけど」
そう言って書類を机に投げる。
「・・・まだお仕事中?」
「いや、もう終わったよ。これはまた別の書類」
「聖騎士って、大変なのね」
「立場が立場だから、色んな流れを把握していないといけないからね。・・・そうだアイリ、お腹空いてない?ここに来てから飲まず食わずだろ?」
「おなか・・・」
そう呟いた途端、くうぅっとお腹が鳴った。あまりの事に真っ赤になる。なんでこのタイミングで!
「顔にすぐ出るよね、アイリって」
くすくす笑って壁にぶら下がっている紐を軽く引っ張った。
「失礼いたします」
しばらくすると、ドアを ノックしてメイドさんが顔を出した。
「お呼びでしょうか、ハイドシーク様」
「二人分の食事を持ってきてくれ」
私と話している時とは打って変わって冷たい口調でハイドは言い放つ。
「・・・かしこまりました」
メイドさんは私にちらりと物問いたげな視線を投げたものの、何も言わずに部屋を出て行った。
「今の人・・・明らかに何か言いたそうだったね」
「いつの時代も女は噂好きだからね。口止めしておかないといけないな」
「はぁ・・・」
それはこちらの世界でもそうだ。いつだって噂話は女性の大好物らしい。
「ここの侍女達は基本的に貴族の娘が礼儀作法を身に付けるために上がって来るんだけど、中には結婚相手を見つける目的で上がってくる者もいる」
「結婚相手?」
「こちらの世界では16歳になると成人と見なされていて、貴族の女性ならば結婚相手をそろそろ見繕わないといけなくなる。男爵以上の爵位を持つ家ならば、尚更家の繁栄がかかっている事も多くない」
そういう話は昔世界史で学んだ事がある。中世ヨーロッパでは家の為に好きでもない相手と結婚しなければならなかったと。
「・・・大変なのね」
「俺からすると、顔だけ知ってる親から無理やり顔も知らない娘を押し付けられるのは非常に迷惑だけどね」
「・・・ハイドもそういう経験あるの?」
「まぁね。でも幸い俺は次男だから比較的自由。結婚してなくても特にうるさく言われないし、聖騎士だという事を前面に押し出して縁談を断ったりもしたなー」
「・・・ハイド、お兄さんいるの?」
「いるよ。3歳上で、今は父上から爵位を受け継いでリアーシュ家の当主」
「え、ハイドって貴族なの!?」
イケメンで聖騎士で、その上貴族とか、どれだけ贅沢なのか!
「そうだよ。リアーシュ家は公爵家。ちなみにラデューの家は伯爵家。あいつも次男だから気楽なもんだよ」
「・・・・・・」
眩暈がしそうだ。そんなとんでもない人たちに拾われて庇護されてるのか私は!
「兄貴にはとっくに奥さんも子供もいるしね。そうだ、今度会わせてあげるよ。可愛いよー、兄貴の子供」
「ほんと!?」
って、そりゃまぁハイドのお兄さんだったら間違いなく美形だろうし、その子供だったらもちろん美形だろうなー。
「ほんとほんと。まだ次男は生まれて半年も経ってないから、ほっぺたなんかふにふにでさ」
想像すると自然と顔がにやける。・・・じゃ、なくて!
「・・・ハイド、女の人苦手なの?」
「アイリは大好きだよ?」
「そーいう事聞いてるんじゃなくて」
即座に突っ込みを入れる。
「侍女さんに対する対応が・・・その、冷たく感じたから」
「・・・アイリは目ざといね。でも正解。女は・・・苦手より嫌いって言ったほうが正しいな」
「・・・どうして?」
昔こっぴどく振られた事でもあるのだろうか。
「色々あってね」
さらっと流されたけれど、その顔は初めて見るほど厳しくて、私はそれ以上聞くのをやめた。
誰でも聞かれたくない過去ぐらいあるもんね・・・
少し空気が重くなってしまったその時、コンコンとドアがノックされ、先ほどの侍女さんがカートと共に部屋に戻ってきた。
・・・助かった。
「失礼いたします。食事をお持ちいたしました」
「ご苦労。・・・あぁ、そこに置いておけ。あとはやる」
「・・・かしこまりました」
あ、またちらっとこっち見た。
「それから」
すかさずハイドが氷点下の声で侍女さんの足を止める。
「この女性の事は近々王宮から通達があるまでハイドシーク預かりとする。したがって他言無用とするように。・・・むろん、まだ誰にも言いふらしてはいまいな?」
ハイドの突き刺すような視線に、侍女さんの顔色がさっと青く変わるのを目の当たりにする。
・・・うーん、こりゃ数人に言ってるな。
「・・・まぁいい。とにかく今言った内容を厳守するように」
「か、かしこまりました。それでは失礼いたします」
慌てたように急いで部屋を出て行く侍女さんを冷たい視線のまま見送ったハイドは一転してにこやかに私のほうを振り向いて朗らかに言った。
「あー、俺も腹減ったなー。おいでアイリ、一緒に食べよう」
その表情の変化を目の当たりにした私は心に固く誓った。
ハイドは絶対に怒らせないようにしよう、と。