第二章 冗談のような真実
ホールのような部屋から一歩外に出た途端、太陽の眩しい光に迎えられる。
暗い部屋に結構な時間いた私は、あまりの眩しさに目をしぱしぱさせる。
「あぁ、目が慣れてないんだね。大丈夫?」
思わず立ち止まった私を見て、少し心配そうな声でハイドシークが聞いてくれた。
「だ、大丈夫・・・ちょっと目がくらんだだけです」
そう言いながら軽く目をこすり、一歩進んで顔を上げた私は目に飛び込んできた景色にもう一度立ち止まった。
「うわぁ・・・!」
そこは、見渡す限りの庭園だった。
色とりどりの花が規則正しく植えられ、植え込みも丁寧に剪定されている。
庭園の中央には大きな噴水があり、アーチを描くように水が躍っている。
「綺麗・・・!」
アスファルトだらけの都会に暮らしていて久しく見ていなかった、視界いっぱいの自然に思わず顔がほころぶ。
「この庭は腕のいい庭師が担当していてね。喜んでくれると僕も嬉しいよ」
「ここはハイドシークさんのお家なんですか?」
その言い方にそう質問すると、
「いや、まぁでもここに住んでるのは間違いないよ。あぁ、それと僕の事はハイドと呼んでくれて構わない。ハイドシークって長ったらしくて呼びにくいだろ?」
確かに色々な意味で呼びにくい。素直に頷いた。
「では・・・ハイドさん、で」
確認の為にそう呼ぶと、
「呼び捨てでも構わないんだけど・・・ま、いいか。アイリ、こっちだよ」
ハイドは私の手をそっと引き、石畳をゆっくり歩き出した。
しばらくきょろきょろと咲き誇る花たちを眺め、私はふと自分が出てきた建物を振り返った。
それは、庭の美しさのなかでとてつもなく浮いていた。
薄汚れたレンガ造りのその建物は、パッと見ても窓らしきものは外からでも確認出来ない。
ドーム状の屋根の先端には、何とも不思議な形をしたオブジェのようなものが据えられていた。
「アイリ?」
足を止めた私を不思議に思ったのか、ハイドが声をかける。
「あ・・・いえ。なんでもありません」
慌てて前を向き直し、ハイドにエスコートされるまま、庭を真っ直ぐに歩く。
程なく、庭がふっつりと途切れる。
足元に広がる石段を見下ろせば、庭を最初に見た時以上の衝撃を受けた。
「お・・・お城だったんですか・・・」
そう。
眼下に広がる景色は、漫画でよく見るような荘厳なお城の全景そのものだった。
どれだけ目をこらしても、高く聳え立つ城壁の、その果てがどこまでなのか全く見えない。
「そう、そして君がいたあの小屋は特殊な場所でね。こうやって高く離れた位置に隔離されている上に結界が張られているから、普通の人間は近寄れない」
「・・・結界?」
今までたいがい分からない言葉を聞いてきたが、ここでまたひとつ出てきた。
「そう。結界」
石段を下りながらハイドはそうとだけ答え、足元気をつけてね、と話題を逸らした。
きっと、これも場所を移した先で説明されるんだろうな。
しかしこの石段、でこぼこしてて下りにくいことこの上ない!
注意していないと、足を捻って下まで転がり落ちてしまいそうだ。
後少しで下りきれるその時、案の定石の突起に足を取られ、そのまま斜めに傾ぐ。
「きゃっ・・・!」
落ちる!
ぎゅっと目を閉じ、降りかかる痛みを覚悟していると、ふわり、と抱きとめられた。
「あ・・・」
「大丈夫?」
目を開けると、至近距離にハイドの心配そうな顔があった。
深紅の瞳を間近で見て、その色合いに思わず息を呑む。
「手を繋いでて良かった。綺麗な顔に怪我でもさせたら大変だ」
そう言って微笑むハイドに、上擦った声でお礼を言うのが精一杯だった。
・・・このままだと、心臓が口から飛び出るのもそう遠くない未来かも・・・
「お疲れ様。ここだよ」
もう城の入り口がどこだったかさっぱり思い出せない程たくさんの通路を曲がり、滅茶苦茶長い廊下を歩き、ようやく辿り着いたのは、あの小屋とは比べ物にならない程豪華な扉の前だった。
重厚な木の扉に、言いようのない圧迫感を覚え、じり、と後ずさる。
しかしハイドはその扉を、あろうことかノックもなしにがちゃりと開けた。
「ラデュー、いるか?」
慌ててハイドの後を追って部屋に入った私は、そこにある景色に目を見張る。
(世界史の教科書で見た、中世ヨーロッパの貴族みたいな部屋・・・)
部屋の装飾自体はそれほど多くはないが、家具やカーペットなど、置かれている全ては全く知識のない私でも一目で高級な素材で出来ている事が分かる。
でも、それ以上に私の目をひいたもの。
部屋の中央に置かれた机に、大人の頭よりも大きな水晶玉が鎮座している。
その水晶玉は、大きな窓から差し込む光をキラキラと反射させ、何とも言えない幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「ハイド、人の部屋に入る時はノックをしろと何度言えば分かる」
私が水晶を食い入るように見つめていると、部屋の奥から不機嫌そうな声が聞こえた。
「んな固い事言うなって。俺とラデューの仲じゃねーか」
答えるハイドの声には全く反省の色はない。
それに・・・ハイド、今自分の事『僕』じゃなくて『俺』って言った?
「親しき仲にも礼儀あり、という言葉を知らんのか、お前は」
呆れたようなため息を吐くその人物を、私は穴が開くほど凝視した。
(ま・・・また美形・・・)
漆黒の長い髪は無造作にリボンのようなもので結び、顔の片側に垂らしている。
ハイドに迷惑そうな顔を向けるその顔は端整極まりなく、ハイドと対をなすような青色の瞳は、太陽の光を受けて海の色よりも鮮やかで、深く見えた。
わ、私・・・とんでもないとこに来たような気がする・・・!
ふとその瞳がハイドを通過し、その後ろで小さくなっていた私に留まった。
言いようのない威圧感に、私は意図せずハイドの後ろに隠れ、うつむく。
「ハイド、その女性はどうした」
びく、と小さく肩を竦ませた私を見て、
「んなビビらせんなってラデュー。なぁアイリ?」
その変わらない笑顔に、少し力が抜ける。
しかし、次にハイドが発した言葉に、またもや私は固まる。
「可愛いだろ?聖櫃の間で拾ったんだ」
・・・拾った・・・それに聖櫃・・・?
「聖櫃の間、だと・・・?」
その単語をハイドから聞いた途端、ラデューと呼ばれた男性は眉間に皺を寄せる。
「その話、本当だろうな」
「信じてないなら星読みの眼でアイリを見てみろよ。そしたらすぐに本当だって分かるさ」
そう言われて、ラデューは小さくため息を吐くと、
「・・・アイリと言ったか。こちらを向きなさい」
お腹の底に響くような低い声で命じられる。
だけど私はなかなか彼の方を向けなかった。怖くて、床から目を逸らせない。
「・・・大丈夫だよ、アイリ」
しばしの沈黙を破ったのは、ハイドの優しい声だった。
「こいつは僕が一番信頼している友人だ。決して君を悪いようにはしないよ」
そして、頭に温かい何かがそっと置かれる。
それがハイドの手だと分かった途端、恐怖心が薄らいでいくのが分かった。
「さあ、アイリ」
「・・・はい」
ハイドが私の前から少し位置をずらしてくれ、私はラデューと向かい合った。
恐る恐る見上げたラデューの顔は無表情で、何を思っているのか分からない。
でも、その青い瞳を見ていると、怒っている訳ではなさそうだな、という事だけは何となく分かった。
「ではアイリ。しばらく私の目から視線を逸らさないように」
「・・・分かりました」
とはいえ、こんな美形をずっと見続けているのは心臓に悪いのですが・・・!
どぎまぎしながら、それでも言われた通りにまっすぐラデューさんの目を見つめた。
すると、不意に彼の手が頬に伸びる。
思わず意識と視線が手にいく。
「目を逸らすな」
厳しい口調で言われ、視線を元に戻す。
逸らさない、逸らさない・・・
じっと目を見ていると、頬に伸びた手がほんのり熱をもった気がした。
「星よ、名を示せ。真実の姿をここに」
ラデューがそう呟くと、彼の瞳の中に小さな炎が宿った・・・ように見えた。
「きゃあっ!!」
その瞬間、鋭い光と共に手の温度が一気に上がり、私は悲鳴を上げて顔を背けた。
皮膚がちりちりと痛む感覚に、私は呆然と頬を押さえてしゃがみ込む。
な・・・何、今の・・・
「アイリ!」
その光景を見ていたハイドは慌てて私に駆け寄る。
「大丈夫か!?火傷は・・・!?」
両手で顔を包まれ、傷の状態を確かめてくれる。
「良かった・・・どこにも怪我はないようだな」
ほっとしたように言う。
それよりも私はラデューさんの手のほうが心配だった。
「ラデューさん、大丈夫ですか!?」
「・・・俺は平気だ」
そういうラデューの手を見ると、確かにどこにも怪我はしていないようだった。
「ラデュー、今のはどういうことだ?アイリに怪我させるとこだったんだぞ!」
「・・・お前、俺の心配は一切なしか」
「当たり前だ!アイリの顔に傷が付いたらどうするんだよ!」
そう言ってハイドは私をぎゅうっと抱きしめる。
厚い胸板に抱きしめられ、かぁっと顔に血が上るのがハッキリ分かった。
は・・・恥ずかしいんですが・・・!!
「・・・星読みの術が暴走した」
私があたふたしていると、頭上から静かな声が落ちてきた。
「・・・なんだと?何故?」
「俺が聞きたい。こんな事は生まれて初めてだ」
「・・・星読みって失敗するんだな」
「失敗ではない。暴走だ」
そこで一旦会話を区切ると、ラデューは私の横に屈み込む。
「アイリ、怖がらせて済まなかった。平気か?」
心配そうに表情を曇らせ、私の頬にそっと触れた。
「あ・・・はい。大丈夫です」
「そうか、良かった」
そう言って少し微笑み、再び立ち上がる。
私とハイドもそれに倣い、立ち上がった。
「ラデュー、暴走ってどういう事だよ」
「お前が今見た通りだ。通常星読みが失敗した場合、何も起こらない。今のように光を発したり、熱をもったりするような事例は過去にも聞いた事がない」
そして私をゆっくり見下ろし、宣告するように呟いた。
「・・・アイリは、『異端者』なのかもしれない」
・・・異端者・・・?
決して良い響きではないその言葉に、足元がぐらついたような気がした。
でも、それと同時に妙な納得も覚える。
確かに私は誰がどう見てもこの世界の住人ではない。
だから異端者と呼ばれるのは当たり前、なのだが・・・
「・・・・・・」
ハッキリそう言われると、この世界にとって、私は邪魔者でしかないような気がして悲しくなる。
元の世界でも要らないと言われたのに、ここでもまた言われるなんて・・・
「異端者?アイリが?」
ハイドが驚いたように私を見る。
彼に抱きしめられたままの私は、うつむくしか出来なかった。
「なんだ、じゃあ簡単な事じゃないか!」
途端、声のトーンを上げたハイドがそう言い、
「アイリを俺の専属にすればそれで解決じゃん!」
弾かれたようにハイドを見上げる。
そこには眩しいぐらいに満面の笑みを浮かべたハイドの顔があった。
「・・・え?」
「そうだろラデュー?これで宰相からの文句もなくなるし!」
「・・・宰相様、と呼べ」
額に長い指をあて、眉間に皺を寄せながらラデューは言う。
「だがハイドの言う事はもっともだ。アイリにとっても悪い話ではあるまい」
「な・・・何の話ですか?」
「アイリはこれから僕の傍で働くってことさ」
「・・・は・・・え?」
状況がイマイチ飲み込めない。
働く?ハイドの傍で?
「ふむ・・・では色々と準備せねばなるまい」
そう言うとラデューは引き出しから何か書類にようなものを取り出すと、そのまま部屋を出て行った。
何が起きているのか分からなくて、助けを求めるようにハイドを見上げる。
すると今までで一番の笑みを浮かべ、
「これからずっと一緒だよ、アイリ」
・・・何やらとんでもない事になったのは間違いないようです・・・