第一の正義
ある日、ある時、ある場所で「正義の味方」が生まれた。
彼は、あるいは彼女は、不意に自分が「正義の味方」である事に気付いた。
でも何もしなかった。
正義を為すには、あまりにも非力だった。
正義を起こすには、あまりにも孤独だった。
正義の味方は生まれ、そしてその産声を上げることすら無く、消えていった。
そんな中で、自分の中に生まれた正義を、頑なに守り続け、生き残り続けた少女が居た。
彼女の名前を、塩島加恋と言う。
真っ当な学生であれば教室で授業を受けているであろう昼下がり、加恋は最寄駅の高架下の路地裏で、4人の男達と相対していた。
「……ん、ごめん。今何て言ったの?」
1人の少年がへらへらと笑う。見たところ柔和そうな笑顔の少年だったが、加恋にはそれが張り付けた偽物の笑顔だということがすぐに分かっていた。よく見る笑顔だったからだ。
「……中学生が、何でこんな時間にゲーセンの近くでたむろってんの?」
「何だてめえ」
右端に立っていた、やや背の高い少年が激高し加恋に近づこうとしたが、顔に笑みを張り付けたままの少年はそれをやんわりと手で制すると乾いた笑い声を上げた。
「その言葉普通に返すけど。お姉ちゃんだって、高校生でしょ?学校は?」
「創立記念日だから」
「……」
何とも言い難い空気が辺りを包み込む。
「じゃあ何でそんな恰好してんだよ」
「……あ?っていうか、これってナンパ?制服着てんのも、声掛けてもらうの待ってるとか?なーんだ、それならそうって言ってよ」
黙っていた残りの2人が、調子よく喋りだす。加恋は一瞥すると、無視をした。この2人は問題にはならない。加恋はそう判断した。
へらへらと軽薄な笑いを浮かべながら少年は加恋に近づくと、その小さな肩を掴む。
「……お姉ちゃんかなりイケてるよね。俺らこれからこいつんちで飲むんだけど」
にやけ顔の少年は振り返りながら後ろの少年を顎でしゃくる。
「お姉ちゃんもいっしょに来る?……つーかきなよ。これ決定だから」
へらへらとした軽薄な笑いを引っ込めると、少年は真顔になる。さっきまで漂っていた気だるげな雰囲気は鳴りを潜め、威圧感を露わにする。
「……あんたら、いつもこんな事してるの?」
加恋はがっしりと掴まれた肩に気がついてもいない風に問いかける。
「こんな事?」
「学校サボってゲーセン行って、ナンパして。……やっぱり、私の思った通り。あんたら、将来碌な人間にならない。絶対『悪人』になる」
加恋の肩を掴んでいた手に渾身の力が込められる。
「……ねえ、お姉ちゃん喧嘩売ってんの?」
加恋は突然全身の力を抜くと、バランスを大きく崩して後ろへ倒れ込む。華奢な加恋の体が傾いた途端とてつもなく重くなったように感じて、少年は思わず加恋の肩から手を離す。
加恋は倒れ込む勢いのまま、目の前の真顔になった少年の顎を思い切り蹴り上げた。突然の衝撃と痛みに、何が起きたかもわからずに顎を抑えてしゃがみこむ少年。
集団のリーダーに突然行われた暴力行為に、取り巻き達は一瞬我を忘れたが、次の瞬間には「手前!!」「おいコラ!!」と喚きながら加恋に突進してきた。
加恋はしゃがんだままで体を捻り、突進してきた少年の1人の膝目がけて肘を叩きこんだ。激痛に顔を歪めたのは痩せぎすの少年で、突然の痛みにもだえ苦しんでいる。
加恋は立ち上がると背の高い少年の傍まで間合いを詰めた。背の高い少年は慌てて加恋目がけて蹴りを入れてきたが、しっかりと両腕で受け止め、そのまま思い切り限界まで上げてやる。慌ててバランスを取ろうとしたところを足を払ってやると、受け身も取れずに強かに地面に叩きつけられた。
「おい!!クソ女!!なんのつもりだぁ!!」
顎に広がる激痛に顔を歪ませながら、少年は喚き散らす。他の少年たちも憎しみのこもった目で加恋を睨みつける。
「正当防衛」
「あぁ!?舐めた事いってんじゃねーぞ!!どこが正当防衛だよ!!お前が先に手出してきたんだろうが!?」
先程までの軽薄な笑いはどこにいったのか、笑顔を忘れた少年は顔を真っ赤に染め上げながら叫ぶ。
「……あんたは、将来詐欺師になる」
「……は?」
突然の加恋の発言に、少年は面喰って間抜けな声を出した。
「たくさんの女の人を騙す。たまに、男の人も騙す。人を騙して、大金を奪い取る。その事に何の疑問も感じていない。むしろ他人を騙すのは快感だ。気持ちいいって思うような、ろくでなしになる」
「……何言ってんだ?ほんとに。お前、頭大丈夫かよ?」
「あんたはきっと、そうなる。……背の高い君。君は泥棒になる。特に、お年寄りをよく狙うような最低な泥棒。定年まで真面目に働いてきた人達が必死に貯めたお金を、下卑た笑い声を上げながら巻き上げる下種」
「……んなわけねえだろ!?」
「……痩せてる君と、童顔の君。君たちは大した悪人にはならない。でも、ギャンブルと借金に塗れて周囲を不幸にする」
「な、何……」
「何言ってんだコイツ……」
突然の加恋の『予言』に、少年たちは一瞬で加恋を不気味に思い始めた。この女、いきなり暴力を振るってきたかと思えば、訳の分からないことを喚き散らして、頭がおかしい人間なんじゃないだろうか?
「……信じられない?でも、なるよ。あんた達は、そうなる。絶対に。間違いなく、なる」
少年たちは怯えた。ついさっき、自分達を襲った理不尽な暴力よりも、もっと理不尽な何かを、抗えない様な何かを感じたからだ。
「……私は『正義の味方』だから、悪は倒さなきゃいけない。でも、悪は成されたら終わり。すでに起きてしまった事は、もう取り返しがつかない。私は悪を許さない。その存在を許さない。それが存在することを許さない。それが生まれることを許さない。……今のあんた達ははっきりとした『悪』じゃないかもしれない。でもきっとなる。あんた達は『悪』になる。だから、今ここで、倒す」
加恋が、一歩近づく。じゃり。砂っぽいコンクリートを、ピカピカのローファーが踏みしめる。どこにでもいそうな、女の子だ。右耳にピアスを一つ空けている、少し髪の明るい、でも落ち着いた雰囲気の、普通の女子高生だ。普通の、女子高生に、見える。
だが少年たちは後退を始めていた。リーダー格の少年が指示したわけでもない。4人が4人とも、それぞれ独断で、少しずつ、足を後ろに、下げる。
逃げる為だ。一刻も早くこの場を離れる為だ。隙をついて、全速力で、逃げる。こんなに不気味で、理不尽な存在に、少年たちはこれまで遭遇したことが無かった。為した悪事の数なんて、数えていない。罪悪感なんて、感じたことも無い。反省をする気も、更々ない。けれど、目の前の女子高生は、自分達がまだ何もしていない悪事を、裁くという。
ぞっと少年たちの肌が粟立った。口から、うめき声が漏れる。
じゃりっ。加恋が更に一歩踏み出したのを合図に、
「う、うわああああ!?」
少年達は泡を食って逃げ出した。それぞれが仲間の姿も見えていない様な、自分の身を護るのに必死な姿だ。
「……逃げるんだ」
聞きたくなかった。聞こえたくなかった。それでもリーダー格の少年は自分の背中に向けて呟く加恋の言葉を、はっきりと聞いてしまった。
「あんた達は、将来きっと、絶対に間違いなく、私の前にまた現れる。その時は、絶対に倒すから」
少年達は、全速力で逃げながら思う。もう、二度と学校をサボって、あのゲーセンには行かないと。