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続・東方伊吹伝  作者: 大根
一章:家族会議で萃無双
4/6

萃無双~introduction~

新章はじまります。



 博麗霊夢は臆病である。

 例えば霊夢をそう評価する者がいたとすれば、いったいどれだけその言葉を信じる者がいるだろうか。

 結論から言うと、その様な者は誰一人としていない。

 それを聞いた者は、総じてそう評価した者を笑い、冗談だと笑い飛ばす。よしんば霊夢が臆病だと言うのなら、彼女以外のいったい誰が臆病では無いと言うのか。そう言い、ただの戯言だとものの数秒で忘れる質問だろう。

 何せ、霊夢には秀でた能力・天成のセンス・強力な妖怪に物怖じすることない屈強な精神力がある。歴代の巫女、先代の巫女たちと比べても、霊夢個人はその一線を画くほどだ。人妖問わずそう称される霊夢と言う存在は、臆病者とはかけ離れた人物だと評価されているのだ。


 何故ならば、それを確信づけるものを霊夢は持っている。

 それは何ものにも囚われない特性。空を飛ぶ程度の能力を持つ霊夢は、何ものにも束縛されることが無い。恐怖、畏れ、妬み、僻み、愛情、憎悪。人間が自然と持つ感情にすら囚われない性質だからこそ、空を飛ぶ程度の能力は遺憾なく発揮される。

 故に霊夢を臆病者だと信じる者はいない。反対に、勇気ある巫女とするほうが多いだろう。


 しかし、その霊夢自身が自分を臆病者だと言えばどうだろうか。


 時は霊夢がまだ10にも満たない頃まで遡る。


 ―――やまと、わたしはにんぎょうなの。にんぎょうでも巫女になれる?


 幼いころのある日、霊夢は自分のことをそう例えて大和に巫女としての素質を尋ねた。

 恐れることがない。妬むこともない。愛を知らないが故に、憎しみを生む心すら持っていない。

 故に人形。

 霊夢にとって、周囲の環境はどうでもよかった。だからこそ中立を公言する博麗の巫女としては最高の資質を持っていることが、当時の霊夢にもおぼろげながらに解っていた。

 しかし、それはまだ幼い子共が出すには早すぎた結論だった。

 

 ―――まったく……いったい何処まで似てるのやら。


 霊夢からそう問われた大和は、溜息を吐きながら手を上げ、穢れを知らない真っ白な頬へと振り切った。振り切られた掌は霊夢の頬を打ち、軽い音だけがその場に響く。

 そのとき、霊夢は産まれて初めて頬を打たれた。それも大和によって。

 何をされたのか、何故打たれたのか霊夢には分からない。ただひりひりと痛む頬に手をやって、打たれた自分ではなく、打った側なのに何故か泣きそうな顔をしている育ての親代わりを見つめる。


 ―――何で僕が打ったか、分かるかな?

 ……分からない。


 広い視野で物事を見渡し、一歩引いた立ち位置で客観的な判断を下す。

 大和の教え通りに自分をそう表現したのに、どうして自分は打たれたのだろう。そもそも、泣きそうにまでなって打つことに意味はあるのだろうか。

 大人顔負けに考え込む霊夢だが、答えは出て来なかった。


 ―――ほっぺは痛む?


 霊夢は頷いた。打たれた場所が腫れているのか、頬を触る掌に若干の熱が篭り始める。

 今になって大和に打たれたことが怖くなり、霊夢の目には溢れんばかりの涙が浮かんだ。それでも、泣けばもう一度打たれると思い懸命に耐えようとしている。

 大和はそんな霊夢と視線を合わせるように膝を落し、向かい合った。

 真剣な表情をした大和。知れず、霊夢は身体を固くする。


「それはね、霊夢が悪い子だから。悪い事をしたら叱るのが僕の役目だから。ほっぺを打たれて痛むのは、ちゃんと悪い事をしたって思う"心" があるから。霊夢はほっぺ、痛いかな?」

「……うん」

「じゃあ、お人形さんも痛いって言うかな?」

「……言わない」

「そうだね。だから霊夢は心を持たない人形なんかじゃない。ちゃんと心を持ってる、悪い事をしたと思える優しい子なんだよ」

「でも、わたし打たれた……」

「そう。だって僕にも心があるから。霊夢はさっき言っちゃ駄目なことを言ったんだ。だから僕は怒らなくちゃいけない。そう思える心が僕にも霊夢にもあるんだよ」

「こころ、わたしにもあるのかな……?」

「あるよ。今、霊夢は心があるか不安に思ったよね。不安に思うことも心の動き。心の動きの一部だ」

「……よく分からない」

「うーん、まだ解んないよね。……じゃあこうしよう。僕が霊夢をいっぱい愛して、いっぱい叱って、色々なことを体験させてあげる。だからもっともっと沢山のことを知ろう。沢山のことを知って、自分のことを自慢できる自分になろう。―――だから、もう自分を人形だって言っちゃいけないんだよ?」


 大和の言う事が何も理解できず、言葉にならない想いが霊夢の中に込み上げてきた。

 大和はゆっくりと霊夢を抱き止せ、その震える背中を優しく叩いた。その腕の中、霊夢は大声を上げながら涙を流した。

 ―――なん、で……?

 涙の理由は分からない。

 悲しくて、でも嬉しくて。打たれた頬が痛くて、でも温もりが溢れてくる。

 止まらない涙を止める為に、霊夢は声を上げて泣きながら抱き付いた。

 そんな自分をあやしてくれている人の温もりを感じると、いっそう涙が止まらなくなった。


 それからの霊夢は、自分のことを人形とは決して言わないようになった。

 様々な体験をさせてくれる大和の期待に応えるように、感じたことを感じたままに受け止め続けた。


 ―――私は霊夢、博麗霊夢。


 そして、霊夢は今の霊夢となった。

 妖怪を恐怖し、畏れもする。人を妬みもすれば、僻みもする。誰かの愛情を感じることもあれば、憎悪を感じることもある。その逆も。

 周囲の感情に敏感なのは、ともすれば臆病と捉えられても仕方が無い。それは他でもない霊夢自身が自覚している。臆病くらいがちょうどいいのだとも。だから臆病だと自覚している分だけ、強く在ろうと思っている。

 そして、強くあるために外から与えられる影響をコントロールする術を身に付けた。

 それが霊夢の能力であり、全てを受け入れ、なお自分を見失わない芯の強さ。自分を完全に制御できるからこそ、霊夢は自分を臆病だと言えるのだ。

 それを教えたのが、当時の父親代わりだった大和。

 今でも霊夢にとっての大和は父であり、兄であり、恩人である。

 愛おしいとさえ感じる。それが男と女なのか、親兄弟の親愛なのかは分からない。だが、そんなものを超えた絆が自分たちにはあると霊夢は確信している。

 零夢の意識によって本当の意味で大和を知り、春雪異変を終えてからは更にその想いが強くなった。

 今では強くなりすぎて、大和にどう接していいのか分からなくなってしまったが。


 そんな大和が、先日霊夢にこう言った。


 ―――僕って霊夢の何かな?


 大和は大和だと言い切ったが、その言い方が合っているのか自信が持てなかった。

 逆に霊夢自身がそう聞きたかった。私は貴方の何なのか、と。


 宴会中にそこまで考えて、霊夢は思考を止めた。

 酒の席で考えるまでのことでもない。ただでさえ不可解な宴会なのだからと、怪しい者がいないか周囲を観察し、ときどき大和の様子を見ながら宴会を終えた。


 そして宴会後に怪しい人間を外へ返した後、久しぶりに二人きりの時間を過ごすことが出来た。

 外来人を送る仕事の後の、ほんのちょっぴりの時間。しかし、自分でも思っていた以上にスムーズに進める事が出来た。きっと大和も褒めてくれるだろう。

 その意味も込めて振り返ってみると、霊夢が思っていた通りに褒められた。良くやったと頭を撫でられれば、まるで子供に感じた温もりを覚える。

 それが何時かに感じた優しさと重なって、ずっとこのままでいられたら良いのにとさえ思った。

 けれども、そんな愛情に飢えた子供のような考えをした自分にハッと気付き、恥ずかしさと照れを隠すように頭を撫でる手を乱暴に払った。


 ―――あ……


 頭に置かれた手が地面を向く。乱暴に手を払ってから後悔した。

 しかし大和は苦笑して、子供を安心させるような笑みを浮かべた。全部分かっているとでも言うように。


 ―――私を見つめる貴方は、私のことをどう思っているの?


 この鬱陶しいもやもやはいったい何なのだろうか。

 いっそ本人に聞いてみようかとも考えたが、酔いの心地よい眠さに負けて考えるのを止めた。今日は良い気分のまま寝て、明日になってからまた考えよう。

 立っていても襲ってくる眠気に耐えながら、後片付けをすると言った大和を放って母屋に入った。そのまま寝巻に着替え、布団を敷いて床に付く。

 今日は大和も神社に止まるのだろう。なら、明日は久しぶりに二人揃っての朝食になる。腕によりを掛けて作ろう。仕事も無理を言ってでも休ませる。久しぶりに、二人きりで一日を過ごしたい。大和本人にそう言える自信はなかったが、それも明日なんとかしよう。そこまで考えて、霊夢は久方ぶりにぐっすりと眠った。



 そして翌朝。気が急いたのか、霊夢は朝日が昇りきる前から目が覚めた。

 目出度い奴だと自分自身に苦笑しつつ、目覚めの井戸水を求めて母屋を出た。


 ―――そう言えば大和さん、片付けは終わったのかしら。


 顔を洗いながら少し後ろめたくなった。酔いが覚め、目が冴えたことで宴会後の片付けを全て任せたことに罪悪感が沸いてきた。

 だが、神社には二人で住んでいるのだ。互いに相手を気遣いながら生活するのは当たり前。今回は任せてしまったのなら、違う機会に埋め合わせをすればいいだけのこと。

 なら、今日直ぐにでもその苦労を労ってあげるのは不自然なことじゃないだろうか。そうだ、自然なことだ。恩返しをすることは別におかしなことではない。

 そう自分を納得させ、景気づけに朝日を拝もうと境内へ向かった。

 変な所で生真面目な彼だ、境内にはごみ一つ残っていないだろう。今頃は自室で大の字になっている同居人のことを思うと、クスリと頬が緩んだ。

 


 しかし、境内に着いた霊夢の目の前には信じられない光景が広がっていた。


「―――なに、これ」


 目に映ったのは、尋常ならざる光景だった。

 境内に敷き詰められた石はその大半が粉々に砕かれ、一帯がまるで戦場跡のような荒れ地に変貌している。周囲を生命の緑で彩っていた木々は、根元から圧し折られたようにその姿を晒している。大和の魔法の後なのか、一直線に太く抉れた地面。他にも鋭利な刃物で斬り付けたような痕など、生々しい闘いの後が残されていた。


「境内がこんなになるまで、何で気付かなかったの……」


 何故気付くことができなかったのだろう。これだけ激しい傷跡が残るのなら、酔い潰れていたとはいえ必ず気付く。にも拘らず、霊夢は気付くことが出来なかった。悟られないような能力の持ち主なのか、高度の結界でも張っていたのか。そもそも、わざわざ神社でやる意味があるのか。


「いったいどこの馬鹿が―――?」


 そこまで考えた霊夢の目に、一つの黒いボロ衣が目に入った。

 一番深く大きい穴に投げ捨てられているそれを、恐る恐る摘まみ上げて見る。


「これって、大和さんの……っ!?」


 摘み上げることで漸くこのボロ衣の持ち主が分かった。

 汚れて赤黒く変色したボロ衣、それは大和が何時も着ていたジャージの切れ端だった。

 赤黒く変色してしまっているのは大量の血が染み込んでいるから。更に、拾い上げたジャージの下にはまだ乾ききっていない大量の血痕もあった。素人目に見ても致死量を超えているであろう血液が地面にへばり付いている。


「――――!?」


 弾かれたように踵を返し、母屋へと走る。

 嫌な予感が身体中を駆け巡った。

 まさか…そんなはずは……。……いや、きっと大丈夫だ。何時ものようにお腹を出して寝ているに違いない。

 震えだす身体にそう言い聞かせて霊夢は走る。そうでもしないと、嫌な予感が本当に当たってしまいそうだったから。


「大和さん!」


 入る許可も得ずに大和に宛がわれた部屋の襖を勢いよく開けた。

 しかし、自室に大和の姿はなかった。あるのは畳の上に積み上げられた魔道書の類だけ。


「探査術式っ!」


 叫ぶ霊夢を中心に神社を覆い、更に遠くまで探査の術式が走った。

 大和の気や魔力を捉えようと、額に汗が出るまで術を発動し続ける。しかし、神社周辺には大和どころか妖怪や生き物の一つも捉えることが出来なかった。

 かたかたと震えが大きくなり、膝に力が入らなくなってくる。崩れ落ちそうになる身体を、霊夢は拳を強く握りしめて耐えた。


「……」


 探査術式に掛らないということは、躯がもうないと言う事を意味する。妖怪に骨一つ残さず食べられたのだ。人里で妖怪相手に生計を立てている者なら良くあることだと、霊夢は過去に大和から聞かされたことがあった。

 つまりは、そう言う事なんだろう。

 強く握りしめた拳から血が流れる。

 それでも、メキメキと鳴る音が病むことは無い。


 怒りは沸いて来ない。悲しみは、ある。

 だが、それ以上に霊夢は自分が許せなかった。

 自分はいったい何をしていた? 明日にすればいいと大和に任せ、呑気に寝ていたではないか。

 今までだってそうだった。自分で選んでいるようで、全てが大和任せ。隣で導いてくれた人が居なくなった途端にこの始末か。自分一人では何も出来ない人間なのか。


「大和さんはそんなの望んでない! 私に望んでいたのは……」


 焦りを無くすために態々声に出して自分に言い聞かせるも、その声一つとっても震えている。

 腰元からひんやりとした冷たい何かが、身体全体を凍らせていく。

 ―――落ち着いて。しっかりしないと、出来ることも出来なくなる。

 なら、そのまま冷やしてしまえば良い。

 冷えていく身体に身を任せ、そのまま熱くなった思考も冷ましていく。

 こんなとき、大和ならどう対応するか。大和に教えられたことは何だったのか。霊夢は目を瞑って振り返った。


 "怒りに呑みこまれるのなら、リミッターを全て外して思い切り飛べばいい。

 でも霊夢は僕より"静" の資質の方が強い。何たって能力がそうなんだから。なら怒りに呑み込まれてはいけないよ。心を制御する術はもう学んだはずなんだから"


 心のコントロール。全てを受け入れて、客観的に物事を見る。人妖平等に接することは巫女の基本だ。

 基本を思い返すと、頭の熱が急激に去っていく。


「……探査に引っ掛からなかったのなら、まだ生きてる可能性もあるわね。それに、大和さんを二代目と公言している紫が何もしてないはずがない」


 霊夢の思っている以上に、大和は厳重な監視と保護を受けている。

 表立っては背後に八雲、性には伊吹のビッグネーム。妖怪の山の天狗がどれだけ怒ろうと、手を出せない大きな理由がその二つ。化物ぞろいの紅魔館も一声掛けられれば動く上に、大和の影からは何時でもルーミアが出て来れるようになってもいる。

 これだけ囲まれているのなら、本当に危ない場面に陥れば必ず誰かが動く。しかし、今回は動いた気配がない。もしくは、既に動いたが自分が気付けていないだけかもしれない。いや、流石にそれはないだろう。だとしたら動く必要がない事態で…………

 頭を冷まして考えてみれば、霊夢は自分でも驚くほど多くの不可思議な点が浮かんできた。


「まずは犯人を探す。見掛けた奴全員ぶちのめして、吐いた奴が犯人ってことで」


 前を見据える霊夢の目に、先程までの動揺の色は無い。力強く輝いた目が、まっすぐ前を見据えている。


「大和さんがいなくても、私一人で出来るのを証明する」


 本当の意味で、霊夢が大和の下から飛び立とうと翼を広げた瞬間だった。




   ◇




「見つけましたよ、萃香様」

「あちゃぁ、やっぱあんたには見つかっちゃうか」

「当然でしょう。つい先日まで、どれだけ貴女を警戒していたと思っておいでですか」


 八雲邸を後にした藍は、すぐに博麗神社の鳥居の上に潜んでいる萃香を見つけ出した。

 既に霊夢は犯人探しのために神社を出て行っているため、この場には藍と萃香の二人しかいない。それをいいことに、萃香は霧状に霧散させていた身体を元に戻して一人酒盛りを始めていたところだった。


「大和殿を何処に?」

「さあね。それよりもさ、敬語。疲れるだろ? 旧知の仲なんだし、そう言うのは無しでいいんじゃないのかい?」

「旧知の仲、か。―――小鬼。それは挑発か? 詰まらん冗談で私を刺激しないで貰いたい」


 スゥ、と藍の眼が細まる。静かな、しかし直ぐにでも目の前の鬼の首を落さんとする鋭い殺気。

 並の者では失神してしまうそれでも、鬼の四天王とまで恐れられた萃香なら挨拶程度のものなのだろう。からからと笑い、むしろ心地よさそうに藍の視線を感じている。


「どうどう、そんなんじゃないさ。純粋にそう思ってるだけだ、気を悪くしたのなら謝る。……でもさ、やっぱり紫の下で燻ってる時より、今みたいな本性丸出しの方がわたしは好きだね」

「お前の好き嫌いは聞いていない。それよりも、大和殿をどこにやったのか吐いてもらわないと困る」

「あり? もしかして、あんたも実験に参加するつもりなのかい?」

「鬼の口から実験なんて単語を聞く日が来ると……は」


 あれ? 試すのは"実験" って言うって聞いたんだけどなー。

 萃香はそう言って瓢箪に入った酒を呷った。真面目な藍とは逆に不真面目な態度を取ることで更に強くなる殺気が気持ちがいいのか、眠たげに目を細めてむにゃむにゃとご機嫌面を浮かべてまでいる。


「気にならないかい? 大和がいなくなったとき、関わり合いのある連中がどうなるのか」

「……一理ある」

「本来ならわたしじゃなくて、あんたらがやるべきじゃないのかとわたしは思うけどね」

「確かに、危惧すべきことではある。大和殿は他人を傷つけることに抵抗はあっても、自分が傷つくことに全くと言って抵抗がないからな……」


 それは藍が、紫も危惧していることだった。

 相手を殺さないで倒すというのは必要以上の労力が課せられる。紫はいざという時のため、大和に例外を作る心構えだけはしておけと強く言ってある。相手を必ず殺せるだけの手を持っていろとも。

 しかし、大和はそれを良しとはしなかった。

 "例外は一つも作らない" "必殺の手もあるが、例え自分が死ぬことになっても、相手が死ぬ可能性がある限りは使うことは絶対ない" と言って聞かなかった。

 そう言い放った大和が、藍は心配でならなかった。

 他の意味合いもあるが、その厳しい条件を少しでも和らげることも含めたスペルカードルールが導入されてからまだ半年。互いに威力を絞り、相手に大怪我をさせない弾幕ごっこ、スペルカードルールは紅霧・春雪異変以降、広く認知されるようになった。

 しかし、威力を絞ることで人間と妖怪とがほぼ同列に見なされる事も増えてきている。そんな"人間優利" なスペルカードルールを軟弱だと斬り捨てる者も未だ多い。そのような者が異変を起こした時、相手をするのは霊夢であり、霊夢を守る大和でもある。

 狭いようで広い幻想郷には、大和が想像も着かないような化物のような存在がごろごろいることを藍は知っている。妖怪の山の天狗にしても、大和を相手にして勝てる者もまだ沢山いる。それに加え、いくらスペルカードルールがあるとはいえ、当たり所が悪ければ死ぬ時は死ぬことも重々承知している。

 そう簡単にやられる大和ではないと藍も知ってはいるが、それでも不安を拭うことが出来ずにいるのだ。


 そして、もし大和が居なくなることがあればどうなるか。鬼・宵闇・不死・紅魔・竹林に潜む者。藍が考えるだけでも怖気が走る未来が待っている。

 萃香は、その不測の事態のシミュレーションをしようとしているのかもしれない。藍はそう考えた。


「―――とでも思った?」

「は?」

「お前が考えてそうな難しいことは考えてないよ。わたしはただ――――誰が可愛い息子を狙っているか確かめたいだけだ!」


 くわっ! と目を見開いて叫ぶ萃香。

 萃香のいきなりの言い様に、藍は口を開けて突っ立った。

 本人は極めて本気で言っているのだろう。酒を置いて立ち上がり、顔の前には握りこぶしすら作っている。


「いや、最悪の場合をシミュレートするために……」

「そんな難しいことするわけないじゃん! ただこの機会に、息子に近づくふてぇやろう共を一網打尽にしたいだけさ!!」

「……つまり、"この雌狐どもめー、息子が欲しければわたしの屍を越えて行けー" と?」

「あんた馬鹿だね、やるわけないじゃん。屍を超えるのはわたしだよ」

「あぁ、そういうことか。…………帰る」

「おう! そうして貰えると助かるよ! いやぁ、流石にあんた相手だとわたしもどうなるか分かんないからねぇ」

「あぁもう……アホらしい」


 深刻そうな空気は何処へやら。がっくりと肩を落とす姿が妙に似合う藍だった。胸を張って堂々と言う萃香も。


「結局、大和殿は何処にいるんだ? それだけでも教えて貰わないと、私はこれから廻って来るだろう激務に耐えられそうにないんだが」

「うん? ああ、今頃は鬼ごっこでもしてるんじゃないかな? 地下、旧地獄で」

「っ、待て! 地上と地下には不干渉の決まりがあるんだぞ!? それを勝手に―――」

「わたしは両方行ったり来たり」

「それも問題だが、この際お前はどうでもいい! 地下は忌み嫌われた者たちの場所だ。そんな所に大和殿を行かせたら……」

「その中でも一番ヤバイ連中の輪の中にいるんだからどうってことないさ。これを機に大乱闘でも始められたらなー、とか思ってる連中の方が多いだろうけどねぇ」

「それが問題なんだろう! もしもが本当に起こったらどうするつもりだ!?」

「ま、絶対に安全だから安心するといいさ。ついでにスペルカードルールも普及させるように言っておいたし」

「……どうなっても知らんぞ」

「それを何とかするのが大人の務めってもんさ。あまり母親を舐めるなよ?」

「ほざけ親馬鹿が。私は帰る。大和殿が地下で働いているのなら、私がサボるわけにはいかないからな」


 ―――しかし、結果としてこれは良かったかもしれん。

 いずれは地下にもスペルカードルールを広げなければならない。なら、今回地下へと向かったのは都合が良かったかもしれない。そう藍は思った。


「どちらにしろ、これからまた忙しくなるな……」


 早く帰って来てくれ。そう呟かれた声は、雲一つない晴天に消えていった。



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