五人だけしかいない
フィカソトリアは異方者と悪魔から敵対することになって、戦闘は再開された。あれーと彼女は首をひねっているが、恋の説得力からすれば当然の結果だ。弱いものが密集するように、恋に説得されるのは、恋しかない。盲目性に定評があるものだから、信頼度の低さは折り紙つきだ。
つらい思い出のように弾の集中豪雨が降ってくる。僕は為す術もなくじっとしていた。なにかできることはあったのかもしれないが、やりたくはなかった。陽射しに引きこもって、針が動くのをひたすらに観察する仕事がしたいと思った。
地下鉄二駅分くらいそうしていると、徐々に銃声が少なくなっていることがわかった。もしや、と覗き込んでみると、フィカソトリアが並んだ連中をばったばったとなぎ倒していた。黒服は離れたところで所在なさげに佇んでいる。
紫色をしたゲル状の気持ちの悪い悪魔が、戦車みたいな足を滑らしてスライディングを仕掛けた。フィカソトリアは丁度よくタイミングを合わせてそれをズダンと踏み抜き、悲鳴を上げる悪魔のミミズがのったくったような顔面を拳でぶち破った。
銃弾は悪魔を巻き込みそうなほど絶え間なく彼女を狙い続ける。感謝に変換すればどんな親子関係も修復できそうだ。しかし風を起こすようにぶんっと腕を振るうだけで弾かれる。目を凝らすと、力場が形成されていて、触れるものすべてを傷つける仕様になっていた。革命者というのはそんなこともできるのか?
一匹、悪魔らしい悪魔がいた。ボディビルダー的筋肉、大型羊の角、もかもかとした体毛。ゴージャスな金の刺しゅう入りマント。吾輩は貴族であるとでも名乗りそうだ。
爆裂な突進。猪でももう少し曲線を描くぜと説教したい真っ直ぐっぷり。
「お、れい」
歌うようにフィカソトリアはひらりとかわした。華麗でもなかったが、最低限の動作だけなので隙がない。悪魔も負けじと、慣性の法則をはぶる方向転換をする。レーサーだったら素晴らしいかもしれない。だけど相手が悪かった。
手刀ですぱりと首が落ちるのを見て、僕はあららどうしましょうとお悩み主婦を演じた。
その悪魔の残骸がずずんと重力に従うのを待たず、ターゲットは変更される。
やがて沈黙は訪れた。可哀そうな全滅。
焼けた家と死骸。かろうじて生きているタンパク質。僕、黒服、フーリム、ミミハウ、フィカソトリア。なんだろう、すごく当たり前に広げられている風呂敷が、包む物を見つけるのに苦労している。
単純に、強い。
まったくもって、認めざるを得ない事実だった。座布団を積み上げて殿堂入りさせるべきだ。
「はあ、終わった」
肩の可動域を確かめるように回しながら、フィカソトリアはこちらに近づいてきた。僕は後ずさりする。一歩ごとに一歩。途中でそれに気づいた彼女は飛んでやってきた。跳んでない。飛んだ。本当に飛んだと思った。
「名前、教えて」
現実逃避を忙しくしようと、空を仰いだ。空には僕がいないのに、僕は楽しい気分になる。それはなぜだろう。どこに感情移入ができるニッチがあるのか。投影しなくても、人は面白がれるならば、要因はなんだろう。あるいはいるのか。もしくはこれっぽっちもいないことが快いのか。
「おーい」
宇宙とつながっている。否定はできない。しかしすべてはすべてとつながっているなどと信じると、僕はうすら寒くなってくる。何万もの人々が柔毛のように表面積を広げる役割を果たして動くと、火刑に処される魔女に憐憫を抱く。群衆の愚かさ、そのうちの一人でしかない自分に失望する。
「もし、もーし」
ちっ。なんだよ。とうとう弱虫の僕は会話を開始してしまった。
「名前、な、ま、え」
言葉がわからないわけじゃない。共通言語でしゃべってる。僕は、アガイだ。ぷるぷる震えそうになる太ももに、我慢辛抱ど根性と言い聞かせた。
「あがい? 足掻い、亜害、アガイ。意味のわからない名前、だね」
意味の分かる名前なんて、どうするんだ? 思わず本気で質問してしまった。
「フィカソトリアは、祝福の名前。フィカは愛、ソトリアは恵み。ジェクピアートは道から現れし女。新言語ではそう言われている」
きちんとした説明をされて、僕は困ってしまった。迷子の子猫ちゃんを案内するより困った。だって、だからどうしたとしか言えない。
「きみの目的を尋ねてもいいかな」
黒服がようやっと助けにきてくれた。彼にその意図はないだろうが、フィカソトリアと交流するのが苦痛なため、僕にとってはお助け戦艦ブラックスーツだった。
「アガイに会う。名前を聞く。もうやったから、じゃあ、アガイと一緒にいること」
なんでだよ!
ややキレ気味に僕は嘆いた。放っておいてくれよ。真夜中にコーヒーを飲みながら恐怖映画を見てトイレまでの明かりを使用不能に、けして家から出ないように命じられてお留守番ピンポンを連打の音聞こえどちらさまですかと尋ねたらおっさんの声でお母さんはいますかとひたすらに言われる、グラタニウス巨山の山頂で一人ぼっち遭難山小屋で暖炉の火がなくなるのを見つめる、無人の旅する列車に無賃乗車車掌から切符を拝見しますとの宣告、どんな罰でもいいから放っておいてくれよ!
ぶつけてやったのだが、風鈴がちりんと鳴るより涼やかにハテナ顔をされた。
「彼にこだわる理由はなんだ?」
「好き、だから」
「……まあいい。我々としては彼の安全さえ確保し、将来における魔力の行使に支障がなければ、かまいはしない」
おい!
「別にあたしは、魔力とか、どうでもいい」
「とにかく移動しよう。ここが嗅ぎつけられるとしたら相手は軍だと思っていたが、異方者と悪魔とはな。やつらの情報網を甘く見積もっていたか」
黒服は落ちていたフーリムとミミハウを足先で突いた。
「おい、出かけるぞ」
すわっと目を開ける二人。僕はあちゃあと額に手を添えた。死んでなかったのか。
「驚いてくれると思ったんだけどな」
「ちょっと溜め過ぎたかしら」
けろりと胸に刺さった剣を抜くフーリムと、ハンカチで喉を拭くミミハウ。せっかく黙ったと安心したのに、これだ。
盗んだ車は穴だらけぐしゃぐしゃレモンになっていたので、移動手段がなかった。家の裏手にはもう一台あったらしいが、そちらもかち割られスイカになっていた。
ぷっぷーとクラクションが鳴らされる。一斉にそちらを向くと、やや離れた位置、大型バンの運転席側窓から博士が顔を出している。
「こっちだ、こっち」
近づくとバンの席半分ほどは黒服が詰めていた。お互いを温め合うペンギンを連想する。ただ暑苦しかった。
「こりゃ派手にやられたものだ。うむ? そちらの御嬢さんは誰かな」
「アガイの、これ」
フィカソトリアが立てそうになった小指を全力でへし折ろうとするが、新手の超素材のように硬くて柔らかくてけして折れなかった。つい触ってしまったことに鳥肌が立つ。
「きみは……革命者か。ほう、革命者を虜にしてしまうとは、魔力が復活して神話性を発揮でもしたかね」
ああ、さっき魔力爆弾が落ちて復活したな、魔力。僕は思い出す。すぐに使っちゃったけど。
「なんと運がいい。いや、必然としてなんらかの作用があったのかもしれない。きみには謎があるからね」
謎?
「謎だ。楽しいなぞなぞだ。解明したいような、そのままにしておきたいような、くすぐったい存在。その名は謎。まあ、人は解いてしまうのだがね。解いたことにしてしまうと言うべきか。これはわたしの持論だが、真理はわからない、という一点にある。だから本当に明かされる謎なんてないのだよ」
はあ、どうでもいいけど、僕の謎はなんなんだよ。
「移動しながら話すとしよう。皆、車に乗りたまえ」
フィカソトリアがついてくるので、僕は助手席に乗ろうとした。しかし黒服に先を越される。ぐぐぐ。仕方なく二列目、隣同士。慣れてきた自分が怖い。なぜか黒服に運転を代わった博士も隣にきた。フーリムとミミハウは後ろで黒服になにが嬉しいのかにこにこ血だらけ姿を自慢している。黒服やっぱり多いな。
なめらか発進とともに、博士がしゃべり出す。眠くならないかが心配だった。
「洗脳子が完成した。予見より幾分か早い。タケミチめ、どうやら偽っておったようだ」
僕の話はどうした。
「おお、そうだそうだ。きみが殺したクラスメイトな、教師を含めてもあの場にいたのは全部で一六人らしいのだが、報告を読むとどうも数が合わんのだ。多くても一五人分の死体しかない。一人生きている可能性があるのだが、心当たりはあるかな」
なんだって? 僕は虚を突かれた。
「ないかな? 錯乱していたかもしれないし、聞いても仕方ないことか。しかし殺されたうちの一人は革命者だったことを考えると、重要にも思える」
なんだって……。呆然とした。そんなはずはない。なぜなら僕の記憶にある僕が殺した人は、あの場にいたのは、サラスナ、ヒラタ、フフクベ、クラマサ、あとは先生……。
五人だけしかいない。