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博士のお遊戯

 果汁三パーセントの、結局どんな味を表現したいのかはっきりしないフルーツジュースを飲みながら、僕はずっと博士のやかましい演説を聞いていなければならなかった。不眠不休で一〇八時間は働けそうな黒服でさえ、それぞれ腰を下ろしてぼーっとしていた。

「革命者が厄介なのは死ににくいという一点にある。彼らが主に銃を使うのは正しい選択だ。奪われてもたいした痛手ではないのだからね。つまりは分相応をわきまえているとも言えよう。自らの道具で滅びる可能性が低い。肉体の延長としてちょうどいいのだな。まったくそれに比べて我々の軍ときたら、我々の、とつけるのは自戒だがね、軍ときたら、魔力患者を舌触りだけで持ちたがっている。神話性現実化病はやつらなぞに扱える特効薬ではないのに、迷惑な話だ。いやしかしきみの発現が呪的発声でよかったよ。中には静的思考というのもあってね。これが極めて行使が困難なんだ。なぜなら思考の形態がまとまりを保つのに集中力などとわけのわからないものを必要とする。これは一般に説かれる集中じゃないよ。焦点を絞ったり、リラックスと呼ばれるものとは違う。イメージとしては金箔をはりつける感じだ。うーむ、天使が地上に降りる、のほうが近いかな」

 口の中のねばつきを清涼感が上塗りしてはひいていく。波が押してはかえすようだ。海に行ったことのない僕はメディアの映像を思い出す。ザザァ、ザザァ。じゅわじゅわした白い線が脈動を刻む。きっとあれは遠い故郷だ。帰りたくもないのに懐かしさを召還する深き青。ゆりかごから墓場までが内包された潤質なパッケージ。

 もうカラだよ。

 黒服が紙コップ入りのアイスコーヒーをずいっと差し出した。

 いい執事になれる、と言ったら肩をすくめられた。

 飲んだらそれは醤油で、白い紙の何百枚かに僕はしぶきを散らした。ふざけてやがる。

「そろそろ本題に入ろう。きみの魔力は手に入ったばかりに失われた。手に入ったから失われた。まあ諸行無常というやつだ。だが多くの過去とは別の話で、魔力は取り戻せる。最も重要なのは、きみの力を有効に活用できれば、戦争を終わらせることが可能。うむ、それだ。可能性が一〇〇パーセントだ」

 まったく聞いていなかったよ、じじ、博士。

「じじいと呼んでくれてもかまわん」

 じじいひどい目にあえ。

 死ねとは言わないことにした。僕はさっきより三時間ほど大人になりつつあったし、今も一瞬のごとに生命持続記録を伸ばしているし、そもそも僕が死ねと言ったばかりにみんなが死んでしまったとしたら反省すべきなのは僕だ。一番悪いのは、どうせ僕なんだろう?

「じじいに協力してくれないか。この老いぼれがくたばる前に人類に滅んでほしくないのだよ」

 どうせ世界は終わるのだから、別にいいじゃないか。

「終わるとしてもまだまだ先だ。きみはきみの子供の顔を拝んでから死になさい」

 自分の遺伝の結果に面を合わせるなんて、背骨が縮むよ。

「博士、面会が要請されています」

 黒服が割り込んできた。

「ああ、約束があったのを忘れていた。通してくれたまえ」

 現れたのは僕より年下の少年少女たちだった。共通の特徴として挙げられるのが、容姿に恵まれているということだ。醜い奴は嫌いだったが美形もそれはそれでむかついた。基準を己に置いた中庸信仰を雪だるま式に作ったものだから、おそらく満足できる人物なんて存在しないだろう。

「博士、いよいよ革命者どもを蹴散らす時がきました」

 青春じみた障壁を肌に備えた美少年が高らかに宣言する。吹くわけもない風を意識するがごとく、赤い長髪をふぁわさふぁわささせた。剃髪機の音を耳元で鳴らしたらどんな顔をするのか、想像するだけでわくわくした。

「時はいつでもきているよ」

 はっきりした声がじじいから発せられた。時計の長針と短針が一二時で合わさったような語り口だ。そんな短い台詞で切れるなら、さっきのおしゃべりはなんだったのだろう。

「ただ、人間がすべきなのは時に動かされることではない。時を動かすことなのだ。わからないか諸君。きみらは時に支配されているのだよ」

「まだ私たちの志に反対なのですか? 今こうしている間にも、犠牲者は増え続けています」

「革命者は無差別に襲ってこない。犠牲者はすなわち、戦争加担人だ。焦る必要はないよ」

 ぎくりと僕は首をひねった。滑稽な人形が劇を始める準備運動をするように。

 興奮した様子で他の奴らが喚きたてる。

「戦争加担人だって、命ですよ!? それに敵は革命者だけじゃない。異方者だって悪魔だっているでしょう」

「博士は賢い人です。わかっていないはずがない。だからこそ父さんもあなたに私たちをまかせたんだ。革命者を放っておくのは危険なのです」

 ふう、とじじいはため息をついた。仕草からして、なんだか急に常識人になったようだった。

「わたしがタケミチの代わりにきみたちの後見をしたのは、革命者を殺すためではない。若さをそのまま野垂れさせては、未来を欲する資格がないと思ったからだ。もちろん、友人への義理もある。……せめてディフェンスに徹してくれはしないか。オフェンスは浪費なのだ」

「博士、私たちは待ったのです。父さんが亡くなって一年待ちました。予見された日は明日だ。もう、待てない」

「それが時間の束縛の最たるものだな。過去を信じすぎるのをやめなさい。予見は予見。従うべき命令とは違う」

 僕はあくびをして、目をこすった。そういえば、しばらく眠っていない。

 眠るタイミングは二度あった。病院へ移送されるときと、イージー・マスカットへくるとき。しかし眠っていない。今が三度目な気がした。三度目の正直か?

 ふと黒服たちに目をやる。あれ、数が減っているような。

「明日、行きます。あなたの許しを得なくても」

 きっぱり言うと、少年少女らは立ち去った。

「……許すもなにも、自由だ。本来すべての人々が」

 センチメンタルやら老いっぷりやらを全開にして、じじいはつぶやいた。年齢というやつはどうしてこう、むやみに説得力を付加するのだろう。迷惑な話だ。

「おお、マガイくん。すまなかったな、行動を急かしておいてわたしのほうが色々遅れてしまっていた」

 アガイだよ、と訂正する。そんなに間違えやすい名前かい?

「彼らのことが気になるだろう。そうさな、説明を省くのはあまりに不親切。戦争を終わらすのは早いに越したことがないが、わたしが少々舌を回したところでさして変わりはないはずだ。うん、では語ろう」

 全然、気にならない。語らなくてけっこう。

 そうした僕の意見は、抜けた下の乳歯みたいにどこか高いところへぶん投げられ、じじいのお遊戯が再開された。

「彼らは洗脳子(せんのうし)と呼ばれる子供たち。この洗脳施設イージー・マスカットの設計段階から想定されていた用途の結果だ。まあ、場所が子供の脳を洗ったのではない。あくまで人だ。タケミチという研究者が、イージー・マスカットで対革命者用に作った兵器なのだ。わたしは兵器としては欠陥品だと思うし、まったく人間でしかないという結論は揺るぎないがね。タケミチはとにかく兵器であることにこだわっていた。革命者への劣等感だよ、彼にあったのは。人間扱いしなければ人間を超えられるとでも信じ込んでいたのかもしれない」

 まあ、のあたりから僕は眠った。

 黒服にぱちんと頬を叩かれる。眠りを妨げられるのはイラつくが、どうやらじじいがしゃべり終えていたのでよしとした。

「退屈か、退屈だったのかね」

 落ち込んだ様子のじじいにざまあみろと思いながら、退屈だった宣言をした。

「そうか……」

「博士、明日は近づいています。予見が外れる確率のほうが低い以上、警戒すべきかと」

 また黒服が減っている。細胞がぷちぷちと消滅していっているような錯覚。全である黒服と個である黒服がもちもちとくっついたり離れたりを繰り返しているのか。そんなふうに思えた。たぶん勘違いだ。

 ああ、と僕は聞きたいことを聞かなければ、どうにも僕にとっての事態を進められない妄執に囚われた。なので質問する。

 結局、僕になんの用があるわけ。

「行動だよ。きみには行動してもらいたい。どうやら洗脳子と革命者諸々との戦いは、うむ……こういう言い方は、非常にしゃくだが……時間の問題だ。どうやったって時間の幻想を頼りにしなければ、わたしは計れないので、しかたない。魔力患者の不足も、時間が解決しよう。急ぐ理由は感情的にしかないが、しかし急いでくれたまえ。少なくともわたしが寿命を迎える前には、達成したい」

 聞き飛ばしたい。早送り再生がほしい。念じて要点を絞ってくれるようお願いしてみた。

「考えられる戦争の簡潔決着は、魔力患者動員による戦争加担人の全排除だ。きみにはその中心になってもらう」

 願いって、通じるものなんだね。これからは色々と願ってみることにしよう。試しに、今日の出来事は全部夢だった、と願った。なにも変わらなかった。もとから夢で、まだ覚めるには早いのかな。

「魔力患者の圧倒的不足は時間が解決するだろう。だが急ごう。はやる気持ちに従って。急げば短縮可能だとわたしは思っているのでな。患者の数はあと八〇〇〇人ほど足りないが、なに、今すぐきみが八〇〇〇倍強力になる可能性がないわけではない。期待しているよ」

 それは期待じゃなくって、ポイ捨てって言うんだよ。

「博士、異方者たちがやってきました。革命者もいます」

 とうとうひとりになった黒服が報告を述べた。

「予見より一二時間ほど早いな。そんなものだ、しょせん。洗脳子は?」

「我々が抑えていますが、無理ですね。革命者と同時には」

「すまんな、損な役ばかり」

「いえ。それでは」

 溶けるように黒服は部屋から出て行った。残ったのは僕とじじい。紙と観葉植物。静けさ。いや、蟻が歩いていた。一匹でちょろちょろと這っている。頭と胴体の大きさがほぼ同じで、複数の足をかさしゅばかさしゅば振り上げている。なにより黒い。とても黒い。比較できないほど黒い。光を九九パーセント吸収してそうだ。進んでいるのか登っているのかもわからない道をえんやこらやんやこら、ご苦労様。

「これからきみには精一杯生きてもらう。患者と魔力が揃うまで。革命者や軍に捕まっても死にはしまいが、できれば単独で生存してくれたまえ。特に軍は面倒でかなわない」

 別に、死ぬつもりはないけど。

 ……死ぬつもりはない? 本当に?

 なんでのうのうと生きているんだ、僕は。米も食べずに。

「さあ、外へ行ってくれ。絶対共同体がよくやってくれるよ」

 絶対共同体?

「黒服を着た者たちのことだ。わたしは機動力がないからここにいる。イージー・マスカットが失われるとしても、精々半分だ」

 言うことを聞くと思っているのか。

「聞かなくてもいい。だがね、わたしは直感を信じているんだよ。きみはそうするだろう、とね。これは希望的観測じゃない。なぜなら、希望していないからね。きみじゃなくていいんだ。でもきみはここにいる。事実を眺めていたら、行き着く先はだいたいこのあたりだろうな、とわかるじゃないか。直感はそのショートカットだよ」

 よくわからない。わからない。

 じじいは、博士は、腕を広げた。不恰好な鳥。まるで人間。空間を切り裂いて異次元の彼方へ飛び立つかのようだ。

「きみはクラスメイトを殺した。理由はわからない。きっかけの殺人……呼び込んだのは状況か、それとも」

 うるさい。僕が殺した。僕が殺した、で、十分じゃないか。

「わたしにとっては十分だ。きっときみは向き合わねばならないだろうね。戦争を終わらせる一助になることを祈るよ」

 ぱちん、と博士は手のひらを打ち鳴らした。すると紙はどろどろになって、洗濯機で攪拌された洗剤が泡へ変化していくように、床の模様に転じた。カラフルなチェス盤へ。観葉植物はごちゃごちゃと混ざって巨大化した。天井に葉がぶつかる。目まぐるしい突然と把握の攻防。部屋はスペースを膨らませ、整理整頓、子供が怒られないくらいまで片付いた良識になった。

「洗脳施設イージー・マスカットの機能だ。暗示も脳を洗う一端なのでね」

 博士はすぐ近くにあった扉を開け、さあどうぞとばかりに僕をいざなった。

 なぜわざわざ、こんなややこしいことを。

「常に行なわれているのだ。耐性を設定するためにね。どんどん知覚できるようになってくる。いずれ抗洗脳も体験してみたらいいだろう」

 廊下は変わらなかった。変わっていないだけで安心した。

「マダイくん、幸運を」

 マガイだよ。あ、間違った。アガイだよ。

 なんとなく急がなければならないような強迫観念に襲われて、僕は廊下を走った。怒る先生がいなくてよかったよ。ヒラタはいっつも怒られていたんだ。







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