死んでるみたいに生きる
勝利と敗北のシステムは人類の発明の中でそれなりの地位を占めている。生まれた子供の競争は、我が物顔で近所の庭を駆けずり回っているし、尊ばれてさえいる。これは人間が、まったくの無からなにかを創るための技法を使った結果だ。プラスとマイナスの関係や、男と女、天と地、自分と他者、そういったものと同じだ。世の中を成り立たせるための幻想の一部。最初からあったわけでなくて、その場その場の選択を繰り返してきたら、足場が幻想なしには踏めなくなっていたのだろう。
僕は勝負を見ていた。幻想に裏打ちされた、確かな暴力の応酬。ただの喧嘩だが、勝ち負けは決まる。
二人の闘いは総合的に見て互角だった。一方的にフィカソトリアが殴る蹴るの暴行を加えているが、ガラハロンドルに効いている様子はない。正しくは、皮膚が裂けたり普通は曲がらない方向に腕が曲がったりどう見てもぷらぷらと骨が折れていたり、効いている様子自体はあるのだが、それが勘違いだったかな、と思うほどすぐに治る。彼は薬の影響か黒ペンキで塗りつぶしたような表情をして、ほとんどガードをせずにしゃにむに体のどこかを打撃武器にして当てようとしていた。自分のことを警棒扱いだ。ことごとくかわされてしまうが、再生能力と呼べるものがフィカソトリアにない以上、当たれば大きいだろう。
細かく彼らの闘いを見るつもりもなく、僕はとりあえず博士を穴から助けた。
「忘れられていたと思ったよ」
さっきまで忘れてたよ。
しょぼんと落ち込む博士を連れて、離れたところから二人の様子をうかがうが、進展はない。持久力無限大な印象のある彼女らがいつまでも殴り合いを続ける未来を想像してげんなりするが、付き合う必要もないかと修正する。
「ふむ、絶対共同体はまだ復活していないか」
博士はあたりを見回して言った。
ああ、あいつら死んでないの?
「そもそも生物とは呼べないかもしれん。定義はしてない」
あんたホントに博士か。どうなんだ、それ。
「作れてしまえたのでな。可能性に突撃してしまったわけだ。私は悪魔を知らずして悪魔の技術を使ってしまった。迂闊だったとも言えるが、後悔はないよ」
後悔してもバチは当たらないよ。
フィカソトリアの一撃が顔面を砕いて、ガラハロンドルがよろめいた。再生する前にどんどん連撃。削られるように一歩一歩下がる。
勝敗が決まったとして、なにが待っているというのだろう。勝利者の愉悦と敗北者の死か?
どうでもいいんだよな。どうでもいい。それを言いたいがために人生を過ごすのも悪くない。
僕はこの勝負が終わるまでに、これからどうするのかを決めることにした。いつまでも続くのであれば、それだけ考える時間が長い。すぐ終わるのであれば、それだけ悩む時間が短い。
ガラハロンドルは大根おろしみたいにどんどん削られていく。戸惑うように再生能力も鈍かった。人が一気に老いる姿を見ているようでもある。
さて、早く終わりそうだ。なら早く決める。まずはごはんを食べる。それは絶対だ。さんざん自分勝手に生きていつの間にかいなくなっているのが理想だが、どうも難しいかもしれない。フィカソトリアはついてくるし、世の中に人は多いし。
ふ、と息を吐き出し、手刀を首にめがけて繰り出すフィカソトリア。スプラッタな光景が飛び込んできそうで目を閉じた。おそるおそる開くと、ガラハロンドルの首と胴体はつながったままだった。その代わり地面に仰向けで倒れている。なんだ、つつがなく負けたな。
「勝てないのか。魂を汚してまでも、勝てないのか」
体が治っても、彼は立とうとしなかった。
「怪我しても、すぐ元通り」
とんちんかんなことを彼女は言った。
決着とともに、僕は決断する。
よし、僕は行くよ。
「どこへだ?」
どこかにさ。
博士に告げて、フィカソトリアに気づかれないようにその場から去る。静かに、泥棒のように、死人のように。
死人のようにだ。
僕は生きたいし、死にたい。そのあいだをとることにした。死んでるみたいに生きる。そう決めた。生きてるみたいに死ぬよりは、簡単に思える。
僕は一歩一歩を踏み出しつつ、こうやって自分の意思で目的地なくどこかへ行くのは初めてじゃないかと気づいた。
いや、生まれて何十時間かしか経っていないのだから、むしろ早い経験だな。
足の動きが、赤ちゃんのハイハイに重なる。
帰るところもないし、行くところもない。宙ぶらりんで、僕はまさにあいだにいる。
どうせまたフィカソトリアに見つかるんだろうな。束の間の自由か。不自由であり続けるよりは、よっぽどいいけど。
自分で決めた形式で続けられなくなり、終わりにしました。復活するかもしれませんが、新しいのを書く可能性のほうが高いです。ありがとうございました。