勝負
どんな方法を取っても、僕はそれ以上にいやな気分になる恩返しをされるだろうと思って、すぐに考えるのをやめた。やめるって、とても素晴らしい自由だね。
代わりにもっと無駄なことに頭を働かせる。僕の肉体は硬直して、ますます死体らしくなっているのだろうが、戻るのが億劫で復活を先送りにする。夏休みの宿題は最後までやらないタイプなんだな、きっと。僕は夏休みを経験したことがないようだけども。
世界が終わるのは、世界が始まったのと同じくらいに謎で、理由を問われている問題だった。違うのは、すでに世界が始まっているのは僕らがいる以上確実で、本当に終わるかどうかはまだ僕らがいる以上わからないってことだ。観測者が誰もいなくなったら終わりだけど、それを確かめるすべはない。
そもそも、なんで終わることになっているんだ?
「予告です。世界そのものが自らの崩壊を予告しました」
世界に意思がある?
「それは人間らしい考え方です。意思があるかどうかなんて、関係ありません。ただそうであった、そうである、という事実があるだけなのです。あなた方は矛盾が好きですから、あえて物事を混乱させようとする」
ああ、矛盾、好きだね。生きてる心地がするもの。
さて、いい加減戻らないと、悪魔とおしゃべりするのも飽きてきた。戻ったら戻ったで、フィカソトリアがいるのだけど、僕は彼女に慣れてきているから大丈夫だろう。飽きると慣れるの差は、一体どこにあるのか、考察すべきではないと、先見性のある僕が訴えてくれていた。
で、どうやって戻ろうか。
「わたくしが手伝って差し上げましょう」
親切だね。
「行動の指向性があるだけです」
悪魔が僕から分離していく。まるで巨大な垢がはがれるような喪失感があった。サンタクロースみたいな姿が、ちらりとよぎる。
……ここは世界の狭間なわけか。
僕は理解の一片をつぶやいた。
「その通り。わたくしは別の世界の者なので、こちら側に直接干渉はできません。だから絶対共同体と呼ばれる存在を利用しました。このあいだのあなたと同じです」
あのとき、部屋にいた僕は、僕じゃなかったのか。
「少なくとも、あなたの肉体ではない。わたくしの世界の、あなたではある。我々は、似ているのです」
僕は徐々に地上に降りていく。望むだけで。現実化、いや眠りから覚めるみたいだ。
重なる精神と肉体。血のめぐりが正常になるのに時間がかかる。心臓がビートを刻む。痛みに悶えそうになるが、実際に悶えられるほどまだ生きていない。神経と意識が糸をつなぐのが、湖面に弾む滴のように無邪気な苦しみをもたらした。
死の克服がこれほど簡単なわけがない、と思った。苦しい。苦しいが、お粗末な苦しみだ。あの悪魔にちょっと引っかけられたか?
身体の明確な感覚を得ると、フィカソトリアに抱かれている態勢をどうにかしようと、僕は移動した。
「あれ?」
急に僕が消失したために、フィカソトリアは自らの腕をまじまじと見た。
くそ、まだいてえや。彼女の背後で僕は尻餅をつき、悪態もつく。ぺったん、ぺっ。
「あ、やっぱり、死んでない」
嬉しそうに振り返るフィカソトリアを手で制し、僕はガラハロンドルのほうを向いた。
彼は、目を悲しげに細め、僕に銃を突きつけている。
「本当に死なないんだな」
死んだよ。でも地獄も天国も、定員がいっぱいなんだってさ。
「きみはすべてを思い通りに運びすぎる。これほどまでに魔力患者が危険な存在だとは、ぼくは考えていなかった。傲慢にも、革命者こそが最も危険で、だからこそ世界を革命しうると自負していた」
フィカソトリアが僕と銃のあいだに立つ。僕もガラハロンドルも、それを自然な行為だとして受け止めた。過去からすると意外で、現在からすると自然。未来は、白紙。
「どいてくれとは言わない。ぼくはきみに勝てないだろう。こんな銃一丁じゃ、とても」
「それでも、勝負、する?」
「勝負……か。そう、勝負がしたい。ぼくはぼくを賭ける」
ガラハロンドルが銃を撃つ。フィカソトリアがそれを当たり前のように避けたので、あわや僕に当たるところだった。本末転倒って、この場合も言うのだろうか。
革命の因子を抑制されたからか、フィカソトリアの動きは俊敏には感じなかった。あくまで、僕の中の彼女と比較して。詰まっていた距離を、ガラハロンドルが下がってあけようとするが、時間稼ぎにもならない弾丸が落ちて、手刀が彼の首に迫るのが見えた。
すんでのところで回避するものの、態勢を崩した彼は、もはや銃に頼るしかなく、引き金を引くからくり人形のようだった。
当たらない。当てられない。ガラハロンドルに宿っているのは絶望ではなかったが、失敗ではあった。
足先で銃が跳ね飛ばされる。勝負あり、か?
「まだ……」
言いかけているうちに、彼の眼前には拳が止まっていた。
「終わり」
「まだ、終わっていない!」
勇気の言葉と無謀の躍動。彼は体をひねり、彼女の懐へもぐりこもうとした。
「遅い」
言ったのは、膝をカウンターで合わせてからだった。めきょ、と音が出てもおかしくないほどクリーンヒットしている。横っ面が砕けているかもしれない。ガラハロンドルは崩れ落ちた。
あー、と僕が合唱していると、笑い声が地面から聞こえた。ガラハロンドルは、土とキスしながら笑っていた。
「ぼくはぼくを革命する。その可能性が、わかった」
なんか、やばい。
僕はフィカソトリアに目くばせした。彼女はわかっているのかいないのか、首を傾げる。意思疎通って難しい。
ガラハロンドルは、無残な顔面誇るようにしながら立ち上がった。僕もフィカソトリアも、彼のことを待った。なにか、彼に決意を感じ取ったからだ。ちゃんと見届けてやらねばならないという気持ちにさせるものがあった。
彼はカプセルのようなものをポケットから取り出した。
「これがなんだか、わかるか」
いいや。
「ぼくにもわからない。でもわかる。これは洗脳子が倒れた拍子に転がってきたものだ。そう、運命のようにね。作為的に、ぼくのところへ転がってきたよ。おそらくこれが洗脳子の能力を高めたんだ。タケミチが作ったのかな」
僕は博士を隠しっぱなしにしていることを思い出した。まあ、いいか。
「ぼくはね、わかったよ。ぼくには才能がない。フィカソトリア、きみのような革命の因子の活性、覚醒はないようだ。だから諦めることにした。凡人としての振る舞いをすることにした」
だからって、ドーピングかよ。
「革命のために生きたいんだ。ひっくり返したいんだ、色々なものを。ぼくには大した背景はない。ぼくには降って湧いたような目的しかない。そしてそれにすがることが、ぼくを支える」
僕も彼と同じように背景はない。過去がない。連続性によって支えられていない。偽りで現在を組み立てている。それでも、彼のような気持ちにならないのはなぜだろうか。すがるくらいなら、裸でいいやって思うのはなぜだろうか。
ガラハロンドルは、薬を口の中に入れ、砕けていないほうの顎で噛み、喉を鳴らした。胃に達するまでの道筋も見えるかのようだ。
「……可哀そうだね」
フィカソトリアが言った。僕はそうは思わない。僕は彼を下に見ない。といって、彼女が見下しているわけではない。それも僕と彼女の違いの一つだろう。立ち位置じゃなくて、次元が違うのだろう。
帯電するように、魔力がガラハロンドルを包む。徐々に膨れるが、微弱ではあった。僕は彼を殺せる。そうしたいかどうかは別にして。
「ぼくを憐れむな」
治りつつある顎を動かして、彼は言った。憐れむな、同情するなって、よく言う人がいる。感情をコントロールするのは、かなり厳しいんだけどな。おまえの感じている苛立ちは、コントロールしてくれないのかい?
「ぼくと勝負しろ」
僕は全部吹き飛ばしてやろうかと、想像を練った。が、フィカソトリアが拳をぎゅっ、ぎゅっ、と固めるように握ったりひらいたりしながらガラハロンドルと向き合う。
「ラウンド、ツー」
彼女にとって、暴力とはコミュニケーションなのかもしれない。もしくは、星がぶつかるようなものか。
革命って、あんまりよくないな。
僕の独り言は、戦闘にかき消された。