悪魔不明
だいたい、なんでやつは黒服を乗っ取って仕掛けてきているんだ? あの部屋にいた悪魔を思い浮かべる。サンタクロースみたいなあいつが、直々にくればいいじゃないか。それに僕がやられたように、自由に移動させられるなら、一人ずつ相手にしたほうが楽だ。
なんか、くさいな。
異方者からの攻撃は音を減らしつつある。フィカソトリアが暴れているのだろう。一度死んでも相変わらずだ。あるいは彼女なら元黒服現靄を簡単に倒せてしまうのかもしれない。まあ、頼るのはしゃくだから呼ばないけど。
血の使い魔がガラハロンドルの背後から襲い掛かるのを助ける。
「すまん」
気をつけろ。僕の注意は散漫だから、いつでも便利にやれはしない。
ガラハロンドルは目をぎらつかせていた。自分から身を危険にさらしている? 革命の因子が活性化するかどうか、ってことなんだろうが、難しそうだ。
靄はいつまでもあり続けたが、僕がいつまでも消し去れるかは怪しい。魔力はあまり心配いらないが、なにせ面倒でたまらない。こちとら一応人間だが、相手は悪魔だ。疲れ知らずなら持久戦で勝てるわけがない。
ま、あっちもなかなか勝てそうにないようだね。
靄はあちこちから現れて惑わしてくるが、だからといって傷を負わせてはこない。体内に侵入されると厄介であると予測は立つが、それだけだ。
膠着状態ってやなんだよなあ。どうしようもなくってさ。
「同感です。しかし、膠着はしてません。長引いていますが」
余裕あるなあ。手段を残してるってか。
僕は早急に片をつけないといけない焦りを抱いた。こうしている間にも、事態は厄介さを増している可能性がある。
穴は、抜け道はどこだ。黒服とサンタクロースの違いは。閃きというほどではないが、思い浮かぶものはある。今こうして相対している黒服は殺せない。サンタクロース悪魔は殺しても蘇った。結果としてやつは生きるが、殺せるか殺せないか、その違いだ。
死ねない理由がある? 死にたくないのは、大抵のやつがそうだ。それとも、そもそも死んで蘇ったのは嘘で、悪魔だって死んだら終わりなのか。
形態の違い。靄と人型。これは違いが大きすぎて判断ができない。
あーもう、わからん。
こういうときは、悪いほうにでもなんでも、転がればいいのだ。とにかく同じ状況が続くのはまずい。ただ痩せ衰えていくだけだから。
靄はやはり積極的に仕掛けてはこず、ふらりふらりと雪のように舞うばかりだ。
「魔力パターンは二〇万五七八です」
あ? なんだい唐突に。
「なぜ、二〇万五七八も種類があるのに、あなたはこれまで都合よく魔力を得てこれたのでしょう」
運がよかったんだろうな。
「いいえ、運が悪かったのです。我々に目をつけられたのですから」
そういう自覚、もっと有効に使ってくれ。
とうとう異方者を一掃したフィカソトリアが戻ってきた。軽やかに、スキップでもするかのように跳ねている。走ったほうが速いだろうに、水切りみたいな感じだ。
「異方者は片付きましたか。おや、いけません。殺してはいないようです。そこまで手間を省いてはくれませんか」
なに?
ぼこぼこ、と不快な響きがした。異方者がいるであろう範囲、それなりに離れてはいたが、明らかな異常が見えた。がああ、と悲鳴。人が肉塊になって膨れ上がっている。
「利用、された?」
察したフィカソトリアが若干の怒りを含ませて言った。
どうやら、そのようだな。これは怒るべきだぞ、フィカ。僕は適当に煽ってから、次にやってくる危機に備えた。
肉塊から生まれるものがあった。悪魔だ。十悪魔十色に、団子をひねり出すようにぽこぽこ生まれてくる。子だくさんだね、どうも。
「多重なのです。あなたは様々な意味において、多重なのです。二〇万五七八に匹敵するほどに」
そんなにいっぱいかい。わざわざ話しかけてくる悪魔に、僕は意図を感じて、警戒する。
「だからこそ利用したかったのですが、残念です」
なにがしたいのかよくわからないんだよ、おまえらは。
僕は呆れつつ、悪魔の対処にかかる。いつだがフィカソトリアが相手にした悪魔とは、質が異なっていた。インフレ起きてないか。生まれてくる悪魔に神話性現実化は十分に効くが、肉塊そのものへの干渉は容易ではなかった。僕の意思が、壁に阻まれているような感じだ。
フィカソトリアが肉塊に蹴りを喰らわせたが、彼女の力をもってしても、肉塊は破壊できなかった。
続々と現れる悪魔をパズルみたいにいちいち消していると、ふいに眠気が僕に訪れた。嘘だろ? なんでこんなときに。ここはベッドじゃないぞ。消灯時間にもまだ早い。
「ようやくですか。神話性現実化は、意思をすり減らします。魔力で誤魔化していたようですが、回復させるために、眠りを必要とする段階にまできたようです」
く、そ。聞いてないぞ。誰も言わないから。
がくん、と落ちそうになる意識を奮い立たせる。指を噛んだ。太ももを叩いた。髪をかきむしった。まだ眠い。
「油断です」
靄が僕の目の前にあった。しまった、と思う前に、靄に口内への侵入を許す。
「あなたを殺すことは簡単にできる。しかし、貴重な人材を失いたくはありません」
僕の喉が勝手にフィカを呼んだ。
「なに、アガイ」
銃声が鳴った。胸に痛みをおぼえる。正体を探すと、胸から血がどくどくと染み出していた。おいおい、心臓があるあたりじゃないか。
「な……」
ガラハロンドルが呆然とつぶやいた。彼の腕は血の使い魔によって固定され、靄は指先を操っていた。瞬発力があったのだろう。彼はわけがわからないといった様子だった。
痛みは熱さになり、熱さは冷たさになって、僕は倒れた。
殺してんじゃねえかよ。
「死にません。あなたは死なない」
銃で心臓撃たれて死ななかったら、そりゃどっかおかしいよ。
死が僕を正常だとするのか、僕の正常が死を体験させてくれるのか。
そうだ、治れと念じれば、治るはずだ。まだ意識はある。意思はある。僕の病は、僕を生かす。
フィカソトリアが僕を仰向けにした。うつぶせになっていたこともわからなかった。うっすらと視界に彼女の姿が映る。僕は彼女に恐怖を抱いた自分を思い出す。死にたいと願った、あのとき。
唇に触れるもの。彼女の唇。なんだってこんな状態でキスをするんだ。僕はむかついた。お別れだとでも言うつもりか。ふざけるな。
どすんと突き飛ばすつもりだったが、実際はこすっと擦れるくらいに腕を動かした。
口を開く。そうだ、はっきりと。
「僕は、生きる」
それは最後の希望だった。無根拠の果てから召喚した、命。なんだって銃に撃たれたくらいでこんな気持ちにならなくちゃいけないんだい。ロマンチックの欠片もありゃしない。キスはむかつくし、フィカソトリアだし、胸はなかなか治らないし。
悪魔の望み通り死なないのがしゃくなので、死んでやろうかとも思ったが、それはそれで問題だ。もっともっと迷惑をかけてやらないと気が済まない。
ぎりっと奥歯を噛みしめ、僕はゆったり立ち上がる。
「大丈夫?」
フィカソトリアが心配そうに言った。
なにキスなんかしてんだよ。
「嫌悪も生命力になるかと思って」
……わかってるな、おまえ。
ごほ、ごほ。体内にいる靄を、咳とともに浄化させる。
さらに肉塊と悪魔を消滅させるに努めた。ようするに僕は、追いつめられると集中力が出るのだ。壁のあった肉塊は、今は膜くらいに感じる。
あの悪魔め。なにがやりたかったんだ。
「一つは、これです」
声はフィカソトリアから聞こえた。ああ、キスのときに移ったのね。うんざりと首を振る。そいつは操れるような女じゃないぞ。
「操る必要などありません。一瞬借りられればそれでいい」
彼女は、いや悪魔は、恐るべき速度で僕の体からなにかを抜き取った。あるいは、僕に抜き取られたという感触を与えた。
なにを……。
「革命の因子は、我々の持つことができない発明です。なるほど素晴らしい。世界干渉もできるのか。まさしく革命」
ぶるっとフィカソトリアが震え、悪魔の気配は消えた。
「むかつくやつ」
彼女は地団駄を踏んだ。侵入を許したのが腹に据えかねるらしい。おまえがキスなんかするからだよ。