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宣言

 フィカソトリアが洗脳子を勢いよく振り払うと、洗濯機のように回転して離れた。洗脳子は俊敏さをいささか失っていたが、どこまでも食らいつくようにしつこい。躊躇どころか動作と動作の間のタメがなく、大量の泥が迫ってくるような脅威を持っていた。

 神話性現実化病に感染してるっていうのか、こいつら。

 僕は動きを止めつつ、病を取り込もうとする。一体ずつであれば、対処できるはずだ。血の使い魔が、何人かの足に絡みつく。ガラハロンドルも援護はしてくれていた。博士もなんかやってくれよ。

 僕が取り込むスピードは軍の施設のときより圧倒的に遅く、綱引きでわずかに勝っているにすぎないもどかしさだった。無抵抗の彼らと戦いを仕掛けてきたやつらの差は確かにあると思うが、なにが決定的な起因なのかはわからない。

 苦戦しているフィカソトリアは、以前に見せたぎらつきを放ち始めていた。エンジンがかかってきたとでも言うのか。

 結局のところ互角になりつつある戦局を左右したのは、僕が支配下に置いたはずのムロヅキだった。

「よくも私の自由を踏みにじってくれたな」

 怒りの気配を背後に感じ、振り向くとムロヅキが虫をまとわりつかせて立っていた。ぞっとする表情。カエルじゃない、人間だ。当たり前だけどさ。

 僕の現実化が破られた? 破られっぱなしだよ、もう。

「私自身で抵抗できたわけではありません。どんな魔力患者でも、虫の一匹一匹にいちいち力を行使できないと考えましてね。あらかじめ対応策を練っておいたというわけです」

 ムロヅキは象が歩くように言った。よほど腹に据えかねているらしい。そりゃ、そうだよな。僕だったら半狂乱になる。

「あなたがたを利用できると思っていたのが間違いだったようです。抹殺しなければならなかった。最初から」

 ぶうんと音がする。とっさに体を横へ飛ばし、見やると、数匹の蜂が僕へ針を向けていた。あわてて消失を願う。が、いくら消しても次から次へと現れた。

 ここにいる全部を消す。

 多少の浪費を覚悟して、僕は魔力を行使する範囲を広げようとした。想像の限り、僕は僕の都合のよい現実に作り変えようとする。

 じゅばり、と不必要な効果音とともに、虫が溶けた。ムロヅキの周囲もぽかりと空間が空く。

 これで、どうだ。

「無駄ですね。あなたと私なら、私が勝つ。虫を甘く見ているようですから」

 地面が盛り上がり、拳の大きさの穴がぼこりと開いた。やばい。僕はそこをふさぐ。と、またぶうんと音がした。ぶうん、ぶうん、蜂が飛ぶ。

 くそっ。闇雲に僕は逃げた。魔力を湯水のように使うが、冷静さを失い、とてもじゃないがうまいやり方はできていなかった。

「アガイ!」

 フィカ?

 声が聞こえて、僕はいつの間にか閉じていた目を開けた。また現実逃避をしようとしていたらしい。

 虫を叩き落としたフィカソトリアが僕の前にいたが、新しく出現した蜂も同時に視界に入っている。フィカソトリアの首に、針を向かわせている。僕は、あ、と思った。それ以上思うことができなかった。思考の速度より、蜂の針が刺さるほうが速かった。

 皮膚に針がめり込む様が、ゆっくり見えた。

 僕は蜂を素手で殺した。精神より肉体のほうが動いた。危険については考えなかった。醤油さしを取るときに、いちいち醤油さしを取る、なんて考えないだろう?

 フィカソトリアはなんら変わるところがないように見え、すぐに洗脳子の相手に戻ったが、あっけなく蹴っ飛ばされた。どしゃり、僕のところへとんぼ返り。

 びくん、びくん、と体を痙攣させているフィカソトリアに、僕は声をかけようとした。なにを? がんばれ、とか、負けるな、だろうか。馬鹿馬鹿しい。言葉はない。そのとき、僕は赤ん坊になっていたんだ。だからお腹をすかせたから泣き叫ぶように、発声しようとしただけだ。これも退化って呼ぶのかな。人は、自身を神にしている無垢から逃れるために、大人になるのだろうか。だけど人は信仰する。逃れたものを信じ奉る。馬鹿なのか? 愚かなのか? 僕は信仰したくないから、赤子になったのか。僕が一番愚かなのか。なのか、なのか。

 フィカソトリアがだんだん動かなくなってくる。指先がかくかく忙しなかったのが、かくん、かくん、と余裕のある指揮者になっている。僕を吸った唇が、息よりも浅く濡れている。太ももが眠気を表すように擦られる。まさか、本当に蜂ごときに? ようやっと疑問を抱いた。

 でも、確かに、死にかけているじゃないか。

 僕らが生きている証明はどこで為される。心臓を、呼吸を、細胞の動きを止めれば、死ねるというなら、死んでもいい。もうなんだか疲れたし、死んでもいい。違うと言っている僕がいる。彼にとって、彼女は死ぬべきでないらしい。昔、死ぬべきだと言っていたやつは、今は沈黙している。恐れていたやつは、動かないなら、大したことないな、と嗤っている。

 僕は、僕は、どこまでいっても僕のことしか考えていない。自分本位で、保己的で、他人を自分の一パーツとしか受け止められない。だからでもあるのか、彼女を失いそうになっていると、僕も臓器の一つが口から吐き出されるようだった。

 飛び回っている蜂が、くしゃりと丸まって崩れる。僕がそう思ったから。ムロヅキはカエルになって、ゲロゲロ鳴いている。どうしてもっと早くにそうしなかったのだろう。ずっとあいつはカエルだったのに、どうして本当の姿にしてやらなかったのだろう。ちゃんと呪いをかけてやらなくっちゃ、いけなかったのに。洗脳子は全員機能を停止させて、やさしく地面に置いてやった。僕が振り絞った大人のふりだった。

 魔が僕を取り込むのがわかる。僕が魔をおいしくいただくのもわかる。消費された分の魔力を空気中から呼ぶ。洗脳子から吸収する。今まで以上の量を手に入れる方法も、用意できるはずだ。なんだ、簡単だな。可能な限りの精神的工夫をやれば、いいわけだよ。

 消えかけの灯火が見えるようなフィカソトリアを、僕はお姫様だっこした。非力な腕力を魔力で補助する。僕はなんでも魔力に頼る。戦争が銃に頼るように。機械が電気に頼るように。命が命に頼るように。

 なんで僕はこいつが嫌いなんだっけ、と今更思った。理由なんて作るつもりはなかったが、礼儀として一回は思っておかなければならないような気がした。礼儀と眠りと飯と性と、それくらいあれば贅沢だ。

 はあ。息を吐く。さあ、禁忌でも犯そうかな。倫理の下着をはぎ取ってさ、不可逆性の神秘を力でねじ伏せて、唾液を垂らしてやった善悪とディープキス、規律の皮ごと乳房にむしゃぶりついて、人間の絶対をレイプするんだ。

 僕は言うだろう。そら、言うぞ。言わないと、神様はわかっちゃくれないんだ。

 だから言う。

 フィカ、生きてしまえ。

 僕は現実を無視した現実で、神様に寄りかかって天上から落として地上にぶつかる寸前に糸で吊り上げてひときしり劇を演じさせた。

 僕の言葉は現実化する。なんて気持ちが悪いんだろう。死ね、とか、馬鹿、とかと同じだ。言葉は現実と人間を傷つける。

 目を開くフィカソトリア。あれ、閉じていたのかい。おまえも現実逃避するときがあるんだね。

「アガイ?」

 そうとも、アガイだよ。

 僕は笑ってみた。なかなかうまくやれたと思う。

「なに笑って、るの」

 おまえが死んだからさ、楽しくって笑っちゃったんだ。

「ひどい」

 彼女も笑った。不思議だった。人が死んで蘇っただけなのに、なんでこんなに晴れやかで、面白いんだろう。僕はひどいな。ひどくてひどくて、誰の言うことも聞きたくなくなったよ。自分の言葉でさえも。

 フィカソトリアを降ろそうとしたら、しがみつかれた。いやいやと首を振られる。おい、新婚ごっこをやっているんじゃないんだよ。頭突きを喰らわせて、無理やり立たせる。

「ふーむ、なにがどうなっているのかわからないな」

 博士がようやく部外者の立ち位置から解放されて、言った。

 僕にだってわからないさ。謎だよ、なぞなぞだよ、博士。

「そういう問題ではないが……まあ、いい。あの洗脳子を倒せたのだからな」

「死んではいないようですね」

 黒服の報告に、殺してないもん、と僕が答える。

「きみがどうやら神話性現実化を使いこなしているらしいのは、なんとかわかった。もしや、すでに戦争を終結へ導けるのではないかね」

 うーん、まあ、できるね。

「できるのか。わたしの計算はなんの役にも立たなかったな。なにせ、一人がすべてを解決してしまえるのだから。本当に八〇〇〇倍になるとは、予測していなかったよ。さて、ではさっそく取りかかってくれるかな。わたしはそろそろ死期が近いような気がしてきたよ。ここ最近は騒がしすぎてな」

 空を見た。僕はなにかあると空を見たくなるようだ。なにもないようでなにかあるから。だから大切なものを見た気になるんだ。芸術と似てるかな。

 僕は宣言することにした。

 できるけど、やらないよ。

「なに?」

 肩をすくませる。気取った動作だが、今ならやれた。

 戦争は終わらせない。僕はなにもしない。それが選択だ。


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