間とねじれ
一枚の地図が空から舞い降りてきた。啓示のようで腹立たしかったが、受け取る。乱暴に掴んだので、ぐしゃぐしゃになって読みづらかった。
僕は地図を把握する能力に欠けていた。そうした性質をあらかじめくんでいたのか、地図には目的地のところにぐりぐりと濃い赤丸がしてあった。童話じみた地図だな、と思った。
不思議な市役所に出かけるように、僕は地図の場所へ向かおうとする。どうやってかわからないが、向かおうとする意思はあった。はたと、テレポウテイションが魔力によってできるのではないかと気づく。赤丸の場所そのものはわからないが、近くのファストフード店はどうやら知っているところだ。それは僕を構成する魔力患者の記憶で、他人の口蓋を利用しているみたいな感じが気色悪くなってきたが、仕方ない。
フィカソトリアを連れて行くべきなのだろうか。どうせ置いていっても、またこいつはくるんだろうな。諦めと割り切りの果てで、僕は彼女を手招きした。
なけなしの勇気で肩を引き寄せる。フィカソトリアが僕を、虚無の反対の瞳で見た。虚無の反対はなんだ。みっちり有かな。
もはや意識の第二層に足跡をつけようとするだけで、僕はファストフード店へ飛んだ。走馬灯のごとき景色と隣あっている絶望的象徴に、このまま死を迎えるのも悪くない気分になってくる。考えてみれば、僕は生きて数日なのだから、二日なのだから、死を覚悟するのはおこがましいのだけど、むしろ一番覚悟のできる年齢だとしてもおかしくない。覚悟なんて、できないほうがいいんだ。ぼくはまだできないそこないだ。
僕らが出現したファストフード店は、ずいぶん閑散としていた。店員すらいない。だとしたら営業していないということになるが、「やっている感じ」はする。ライブ感だ。整列された椅子ですら、空気がよっこいしょと座っている。オーディエンスとバンドメンバーを引き抜いていても、空間に漂う匂いは消されていない。
熱気と束ねられた短い杖が、ここにはあった。ひっそりとした静けさと、どっさりとした騒がしさが同居している。矛盾を体現したような場所だった。
フィカソトリアがとことこ歩いていき、白い柱を拳でとん、と叩いた。すると、ごふ、と吹き出す音がして、柱からなにかがはがれた。
忍者かな、と確かめると、忍者っぽいなにかだった。迷彩が解けて人のかたちになっているが、期待するほど忍者でもない。
一斉に壁からやらなにからやら、忍者っぽいやつが出てきた。パチモン戦隊だ。本物に許可をとっているのならいいけどな。
いちいち相手をするのも面倒で、外へ逃げる。僕の頭の中は、望めば入ってくる情報で忙しくなっていた。いささか退屈になるほど、僕は退化しつつある。
忍者もどきの異方者たちは、フィカソトリアに順調に撃破されていった。頑張って望まないようにしているのか、彼女についての情報は全然入ってこない。プライバシーが保たれているようでなによりだ。
僕は目的地である刑務所に向かった。好んで行きたくもないところだが、赤丸で示されているので、まあ、行くべきだろう。そこに魔力患者たちがたくさんいることがわかっているし、やらなくてはならないことが山積みだ。遺伝子に従って。飯を食べて排泄をして睡眠をとる以外に従う行動なんて、まったくうっとうしい。
守衛らしき人物がいる。眠らせるか気絶させるか、ああ、気づかれなればいいんだ、と僕は姿を消して、そのまま通り過ぎた。想像が現実になる。思いのほか想像というのは不自由だと思った。もっとうまいやり方があるだろうに。
刑務所はどこか病院に似ていた。病院よりは生活の匂いがした。健康的で、不健全な。
そこにいた人々は、みんな魔力患者だった。保護じゃないんだ。罪人扱いか。余っていた施設なんだな、ここは。そう、戦争中で、捕まえるより撃つほうが早いんだ。だから空いている。吐き気がするなあ。
会う端から奪っていく。喰っていく。僕は魔を用いて神に近づく。単純で退屈な存在へと。
いったいぜんたい、どこから神様なんて持ち出されてきたのだろう。いつの間にかいたそいつは、僕や世界に住み着いて、勝手気ままに運命を振り回して暴れまわっている。警察は逮捕すべきだ。法のすべてで。市民は対抗すべきだ。営みのすべてで。経済は対処すべきだ。幻想のすべてで。
厄介な話だよ、まったく。
おっぱいを離さない赤子のように、僕は現実を作り続けた。魔力患者の患者たるゆえんは僕に吸収されていく。星を数えて、途中でやめた。三より先の数は、手に負えないんだ。ちゃんと右手に五本、左手に五本、指はあるんだけどさ。指と脳は、必ずしも連動しないようだね。
どんどんどんどん、どんどんどんどんどんどん、太鼓のリズムで僕は侵されていくし、侵していく。犯していく。これはレイプなんじゃないか? ここにいる誰が、「私からこの病を取りさってください」と言った? 勝手に奪っていく。もしかしたら自由だったかもしれないものを、出そうな杭を打っているんじゃないか?
僕は自分がシステムになっているのを感じた。高まっていく、全能になっていく恍惚と、果てしない連続性に抗う蔑み、普通と特別をがちがち戦わせる歯車に、混乱する。
ああ、僕は人でありたいとも思わないが、神になりたいわけでもない。でも、僕はどちらか極端なほうしか選べないと宣告されている。言葉がそう決めている。いやだ、いやだ。僕は間にいたいんだ。ねじれにいたいんだ。アイダ・ネジレ主義だ。
軍の管轄下にあるすべての神話性現実化病が僕のもとへ収束する。しつつある。した。
だから、なんなんだ?
嵐のように刑務所内を抜けて、僕は止まった。外にいた。外のはずだ。ここが内で、刑務所が外だったとしても、なんらおかしくはなかったが、ここが外だと信じずに生きるのは億劫すぎた。
力がみなぎっている。しかしその力が、僕が僕に逆らうための助けになってくれる余地はなさそうだった。
タン、と銃声がした。足元のコンクリートが削れる。タタタタタタ、と連射。狙われていた。
一発目で殺せなかったら、ダメだろ。
僕の意識は防御態勢になって、ことごとく攻撃を弾いた。殻に閉じこもるイメージ。人間の可能性では、僕を殺せない。僕を超える想像力を、ここでは持っているやつがいない。
接近戦を挑もうとしているのか、何人かが僕へ駆けてくる。失せろ、と念じると、存在を消失させた。そのあっけなさに、胃袋がきしむ。
脆すぎるじゃないか。
可哀そうな異方者たち。悪魔の協力を失って、半端な抵抗を続けるしかなくなっている。僕までたどり着いただけでも、褒めてやらなくてはならない。
帰れよ、帰れ。
しっし、と全員それぞれのつながりある場所へと移動させる。いとも容易く、誰もいなくなった。
……つまらないな。
「アガイ、大丈夫?」
フィカソトリアが、珍しく憂いを帯びた表情で近づいてきた。
珍しく? 僕は彼女の表情なんて、注視したことがあったっけ。
今なら彼女を、いとも簡単に、長い爪を噛むように殺せるだろう。
死、
ぐぐぐ、と思考にブレーキをかける。
いいのかよ。そこまでこいつにいなくなってほしかったか?
思っちゃだめだ、思っちゃだめだ、と思うほど、禁止の内容を思いたくなる。ずぶずぶ沼に沈む。呼吸困難になる。頭を打ちつける手ごろな硬さを探した。地面まで頭を移動するのが面倒だ。くそっ。
「危ないよ」
倒れそうになった僕をフィカソトリアが支えた。いっそ倒れたほうがいい。邪魔しないでくれ。
はあ、もうさ、もう、全部反射でいきたいんだよ。
フィカ。
「ん?」
死ね。
一番得意な呪いを僕は口にした。
平然としているフィカソトリア。
「死ね? 死ねって言われて死ぬ人は、あんまり、いないよ」
こともなげに言う。そりゃそうだ。そうだけどさ。
僕は泣いた。どうして嬉しくも悲しくもないのに、涙が出てくるのだろう。
「どうしたの。つらいの?」
ああ、つらいのかもしれない。
アマガイが、神になれ、と叫んでいる。こいつの望みはわかった。一二人、いやクラマサはちょっと違ったようだから、一一人か。三より上の数なんて、たくさんで済むけど、まあ数えてやろう。そいつらの希望は、たぶん、すげえことをやりたい、って話だったんだろうな。
僕の望みは違う。とりあえず、ご飯を食べて、眠りたいよ。いずれ死んで、もうこの世には生まれたくない。
なあ、フィカ。おまえはなんで、僕と一緒にいるんだ?
「好き、だから」
謎だな、それ。
「理由って、ないんだよ」
ははは、と僕は乾いた笑いを漏らした。僕はおまえを嫌いでいたいよ。理由なく、果てしなく。