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軍の挨拶

 悪魔がばったりと倒れて動かなくなったので、僕は驚いた。顔が接触している地面から、血がどくどくと流れてくる。

 神話性呪的発声現実化病のことはすっかり忘れていたのだが、思い出してみても魔力が尽きている僕には現実化はできないはずだった。

 とっさに相手を否定する言葉として、死ねという選択はいかにも幼稚以前に薄っぺらい。でも僕は使ってしまう。なんだか僕は人に死んでほしいのかもしれない。

みんな死んじまえ。

 あの妄想が実際に起こってしまったときから、言葉が現実と並んでしまったときから、狂った。終わった。

 最も危惧すべきは、狂い終わることかもしれない。

「ダメですよ。迂闊に呪的発声をしたら」

 声は底から響いてきた。悪魔が腕立て伏せの態勢を起こすようにして立ち上がる。穴という穴から血が若干の怠惰を混ぜてだらだらしていたが、悪魔がこほんと咳払いすると消え去った。

 僕は呆気にとられる。ぽかんと開いた口から空気が出入りした。

「この空間は魔力に満ちていますから、あなたのちょっとした現実化の方向性に従ってしまいます。わたくし、一応肉体を持っていますので、いちいち死ななくてはならないのですよ」

 今、あんたは死んだのか。

「ええ、あなたの言うとおりにね。不死身じゃないのですから、死にます。そのたびに蘇らなくてはならない。意外と大変な仕事ですこれは。さて、説明に戻りましょう。それとも、なぜ説明するかという説明をすべきなのでしょうか」

 別に説明しなくていいけど、理解させてくれ。僕とフィカが一緒にいるように悪魔が仕向けるなんて、どうやっても理解したくなりそうにはないが。

「仕方ありません。あなたは最も強力な神話性現実化病に感染したのです。あの教室で起きたことのすべては把握していませんが、その結果は変わらない。さらに、フィカソトリアは革命の因子を覚醒させ、あなたとの出会いで絶頂を迎えようとしている。ここまできてしまうと、もう我々は止められません。ならばせめて我々にとってできるだけ都合のよい方向へ誘導します。ひたすらに比較的有益帰着を求めるほかには、ないのです。あの洗脳子をかませ犬ぐらいに甘く見ていたのが問題でした。心臓求めて尾を忘れる、ですか。ムロヅキの余計さには、少々腹が立ちます」

 僕の目は冴えていて、眠るどころではなかった。言っていることの二分の一もわからないが、とにかく耳ぶたがない以上、手でふさいでも完全防音でない以上、僕は音を通す。ザルと水よりはマシのはずだ。

「あなたとフィカソトリアによって、形はどうあれ戦争は終わるでしょう。それ自体は問題がありません。問題は去勢的に終わることなのです。不安定要素が排除されることなのです。もっとこの戦争は長引かせるつもりでしたが、軍も滅ぼされかねなくなった現状では難しい」

 飽きてきたので、脱出する方法を考えた。魔力が満ちているのなら、呪的発声で逃げられるのではないだろうか。久々の閃きだ。

 ここから出、

「おっと」

 言い切る前に口をふさがれた。瞬間移動したとしか思えない。悪魔の手は唇よりも速く動いた。

「せっかく説明していたのに、ひどい」

 むぐむぐ。

「わかりました。伝えなくてはならないことだけ伝えましょう。この先、あなたは魔力を使わなければならないときがきます。そのときに魔力を用意するのは我々です。疑いなきようにお願いします。いいですか、重要なのはフィカソトリアの行動は我々には制御できませんが、あなたにはできるということです。我々が最終的に協力するのはその点についてです。そのためにあなたには彼女とともにいてもらわなければならない。これが表面的な協力です。この二つについて理解してもらえればよろしい」

 うむぐ。なんなんだ。僕になにをさせたいんだ、と言いたかった。すると悪魔が心を読む。

「本音としては、なにもさせたくはないのです。しかし力は動いています。スカラーではなくベクトルとして。しょうがないのです。戦争は終わってもかまわない。世界が終わるならば」

 悪魔の瞳が比喩なく光った。闇を奪う光。宙より踊りいでし善を封じ、谷より登る賢きを罰し、夜を白く塗りつぶす。

「さあ、これ以上話すべきことはありません。まだ話題はありますが、望まれていないようですので」

 手がどけられる。あったはずの感触がまったく残らなかった。

 ……どうしてもフィカと一緒にいなければならないのか。

「別に危害を加えられるわけでもないでしょう。彼女は自ら望んで生まれた者ですから、あなたが嫌悪するのもわかりますが、諦めてください。人間の得意技でしょう」

 諦めがあるのは、諦めたくない、があるからなんだけどな。

 僕は捨て台詞を残して、くるときより唐突にいなくなってやろうと脱出の呪文を口にした。ここがどこだかわからなくても、行くところがあれば現実化できるはずだ。ここから出る。


 がくんと、もとの世界に戻った。

 病院の駐車場は特段変わった様子を見せていない。しいてあげるなら博士とガラハロンドルの話が終わり、洗脳子が黒服から革命者に受け渡されているくらいだ。フィカソトリアがそばにいない安心感や、消えた眠気も。フーリムとミミハウが起きてどんちゃんやっているのも。あれ、けっこう変わっているな。

 じんじんと、「わかったようなつもり」のやつが僕に説教をしている。

 白昼夢か世界移動か知らないが、僕は飛ばされていた。そんなことはどうでもいい。あの悪魔の話が真実だとして、僕が戦争を終わらせるとか、フィカソトリアと一緒にいなければならないとか、そういう反逆の動機が与えられる、いい加減で勝手なものに対して、どう考えるのか。

 黒服や博士に会ったときから、いや神話性現実化病にかかったときからだろうが、降って湧いたことに追いつめられている。ベルトコンベアーが異常な速さで流れ、周囲の情景は目まぐるしい。行きつく先、一寸先どころかずっと暗闇だ。逆方向に走ってみようものならこけてしまいそうな予測も立つ。

 なんなんだろうな。

 不理解こそこの世の真理だ。

 どこかの有名な人が、一番わからないのは私たちがなぜわかるかということです、などと言っていた。有名なのに名前が思い浮かばない。有名だということしか浮かばない。むしろそれこそが有名だということだろうか。

 この場からこっそり抜け出して、博士や黒服やフィカソトリアに見つからないよう、隠れてしまうのはどうだろう。ダメか。フィカソトリアはにおいで僕を見つけた。真偽はともかく、隠れ切れそうにはない。

 事態は動いているのに、僕は手足がくもの糸で固められてしまったような感覚が拭えなかった。助けてくれ! 僕の叫びはみんなに聞こえるだろう。でも、彼らの助けは僕を縛るばかりだ。善意で自由を殺される。関心がナイフになって、僕を傷つける。

 ふと、体が魔力を知覚した。今まであるかどうか不明瞭だった魔力が、僕に満ちていることがわかる。あの悪魔の部屋にいたせいだろうか。第七感が冷気に似た波を伝える。

 狂気は数瞬間、僕を解放するだろう。祭りは僕を躍らせるだろう。飲まれて楽になればいいとは思えない。だが、フィカソトリアをも殺せてしまうかもしれない己の病に魅力を感じた。

 ピクリと心臓がうずく。ずっとドクドクしているこいつが、そんな急かつ微細な反応をしたらそれも病だ。心臓の近くがうずいただけだろう。うん、そうだ。心臓はうずかない。

 ふっふっ、と短く息を吐いた。吐くという動作ににやける。死体はない。腹は減っている。もう昼食を食べてもいい時間だ。時間が昼食を許可する。朝に食べれば朝食。晩に食べれば晩食。そうか、決めているのは僕じゃなかったんだ。

 呪的発声。神話性現実化。食べ物すらも現実化できるのか試した。

 親子丼が食べたい。

 なにも起こらなかった。あまりに間接的すぎるのか空気の振動が霧散するばかりだ。

 この病を治そうと現実化させることを考えたが、叶ってしまっても今は困るな、とやめた。病によって病を治すとは、血で血を洗うのにも似て不思議だった。

 僕はあまりにこの力について、思考をめぐらせようとしていなかったことに気づく。昨日の今日だから仕方ないか。仕方ありません。悪魔の言葉が蘇る。あいつのほうが諦めていたようだけどな。

「おーい、食事を取ろうではないか」

 博士が僕を呼んだ。すごく当たり前のことが、なんだか初めてみたいだった。もちろん博士が僕を食事に呼ぶのは初めてだ。もっと根本的に、経験の最下層あたりから初めてな気がした。

 初めてじゃなく感じるものは全部デジャビュなんじゃないだろうか、と引っかかった僕は、思考の全自動洗濯機に巻き込まれた。

 回転、回転、大回転。

 ぶるっと背筋をなでる、己の中にある未知に恐れを抱いた。

 軍用ジープには博士と黒服と僕が乗った。フーリムとミミハウはうるさいから置いてきた。くさいものにはふたをする。うるさいものは置いていく。

 病院から五分ほど離れた食堂で、チャーハンと中華スープを飲む。チャーハンは米がぱらりとして玉子がぐっときて塩コショウが効いていてほふっときた。スープはふつうだった。ふつうでよかったよ。

 通常の三倍の遅さで食べる博士を待っていたら、軍の兵士が入ってきて、僕らに銃を突きつけた。

「投降しろ」

 なるほど、これがこいつらの挨拶なんだな。


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