洗脳子再び
「タケミチさんが遺してくれた彼らは、とても優秀です。きみらを倒せてしまうかもしれません」
カエルは淡々と言った。ゲコゲコというよりはケロケロか。僕はカエルが周りの蝿に舌をしゅばりと伸ばして食事をするのではないかとひそかに期待していたが、そぶりも見せない。
「ムロヅキさん、かもしれないじゃなくて、完成した私たちに倒せないものはありませんよ」
自信をみなぎらせた赤い長髪。すでに少し懐かしさを感じる少年だった。似合ってないよ、長い髪。切ったほうがいいんじゃないかな。
「博士、アガキ、下がって」
黒服が壁になるかのように僕らの前に出た。人数は五人いるのかいないのかわからないが、ちょっと戦隊ものっぽい。全員ブラックだけど。
「フィカソトリアだったか。今回は意識的に、おまえにも連携してもらうぞ」
「あたし、あなたに、名乗ったっけ」
「耳は悪くない。彼に名乗ったのを聞いていた」
僕を親指で差す黒服。人を指差すなよ、と言ってやってもよかったが、まあ親指だから許そうか。一番許せるのは薬指だと思う。
「完成した洗脳子は革命者に匹敵、いや凌駕する。おまえは並みの革命者でないようだが、油断するな」
戦闘態勢に入る二人。
赤長髪が、余裕のある様子で口を開く。口の減らないガキ、という言葉が頭に浮かんだ。
「博士、あなたには恩がある。その革命者と魔力患者だけ置いていってくれれば見逃しまぶろぅ!」
話している最中に黒服は彼の顔に蹴りを放っていた。左頬から右頬にかけて衝撃が伝わっているさまが見て取れる。回転が加えられつつ地面に叩きつけられる姿はなにかの生地のようだった。
「卑怯な!」
他の洗脳子たちが色めき立ち、遅れた対応に移る。卑怯かなあ。赤長髪のカバーと黒服への積極的打撃。速い。音速の何十分の一か何百分の一か。黒服が黒服の後ろから血液悪魔でガード、足払いを仕掛けられすっ転ぶが馬跳びで乗り越えるように黒服、手首から剣のごとく悪魔を尖らせ、洗脳子に切りつける。もうなんか黒服ばっかりで疲れた。
不意に洗脳子がこちらに向かっていることに気づく。え、まじかよ。なんとなく危害は加えられないだろうと高をくくっていたのだが、まさかの標的にされ、ああそうか人質とかあるもんなと、苦々しく唇を曲げる。口笛を吹いて無関係を装うも間に合わず無意味で、子供の表情に宿る幼さに舌打ちした。
メキ、ときしむ音がする。フィカソトリアが右手で洗脳子の頭を掴み、握力を発揮していた。とても大きさが釣り合っているとは見えないのだが、吸盤でもついているのか洗脳子の体が浮き上がる。そのときの僕の顔は相当うわあという感じだった。うわあ。
浮かんでいた洗脳子が、フィカソトリアの腕にしがみつき、体を持ち上げてきゅっと縮め、解き放つように両足をフィカソトリアへ喰らわせた。
吹き飛、ばない。
直撃を受けた腹を中心にのけぞったが、大樹のようにフィカソトリアはそこに居続けた。なんだこれは、と思った。新しいダンスを見ている心地。
ぱっと手のひらを広げ、なおもしがみついている洗脳子の首を自由な左手で締める。派手さは欠片もない。ただ不能にするためだけの行動。静かに、たおやかに、若い花をへし折ろうとしている。
まっ。
待て、と言いかける。なぜだ? 僕は己の声帯に疑問を抱く。あるいは脳か。いや、すべて? 細胞細胞の一片一片、ミトコンドリアにいたるまで疑問を浸透させれば、答えは見つかるのか。どこかの哲学者ならそうだと言いそうだ。それは否定だが、肯定に至るまでの過程でしかない。ていていうるさい。
フィカソトリアは動きを止めていた。握力の判定ができるはずもないが、殺さず生かさずで寸止めしているようだった。洗脳子は気絶しそうなのかした後なのか、うめいてぴくりぴくりと軽い痙攣を起こしていた。
目が合う。彼女と。祝福の名前と。
どうするの、と問いかけている。僕に決定権があるというのか。違うな。どうでもいいから、余裕があるから、委ねてもいいよ、なのか。どうして伝えてこない。言葉で。
殺すな。
絞り出してみると、意外に薄いジュースだった。果汁三〇パーセント。
フィカソトリアは洗脳子を開放する。しおれるように横たわる子供。
「殺さないほうが、いいの?」
……ああ。
説得力があるのかないのか、人殺しが人殺しをやめろと言う。いい加減にしてくれよな、まったく、勝手ばかりだ。
僕は僕自身に僕の不在を感じ、僕が嫌いになった。
黒服と洗脳子の戦いは、黒服の劣勢だった。血の使い魔と黒服の肉体のコンビネーションは正常に機能していたが、やはり速さが違う。技術と地力の勝負か。老人と若者の勝負か。黒服はいくつなんだ?
フィカソトリアはそこに参入する。
寡占が独占になるかと思ったが、意外や混戦になった。洗脳子の力はちくわ、ガラハロンドル・ナックトイテを上回っているように感じた。フィカソトリアといい、あいつら名前長いよね。でも僕は間違えないんだ。
洗脳子は敗れたやつを参考にしたのか、フィカソトリアに対して間合いを保ち、無理をせず牽制を続けた。黒服の負担が減った分優勢にはなったが、決定的ではない。ミスをなくしてやや膠着状態になったようにも見える。
ごしんっ、と洗脳子が車にぶつかる。ここは端っことはいえ駐車場だから、当然自動車が近くに並んでいる。そのことを初めて意識した。けっこう狭く戦っていたのかと、なんだか不思議だった。演劇で観客をかぼちゃだと思うようなものだろうか。パンプキン・バトル。お父さんとお母さん、来るって言ってたのに、いなかったね。
カエルと博士はどうしているのか目をやると、どうもしていなかった。博士はもっと逃げたほうがいいし、カエルはその虫でなにかできないのだろうか。
そしてなぜ僕はここに留まって、棒立ちで観戦しているのか。正義の前口上を全部聞いてやる悪の幹部に転職しようかな。チアリーディングもできないしね。
黒服が血の悪魔をびしゃりと大量にぶっかけて肺に入り込ませる例のやつをやった。ガラハロンドルは降参したが、洗脳子はおかまいなく前進してくる。血の悪魔の操作で隙ができた黒服は、抉り込むような拳を受けて崩れ落ちた。本当にえぐられて、拳が貫通しているのを確認し、僕はこみ上げるものを感じる。
「むう」
博士が反応らしい反応をした。黒服が死ぬなんて想像はできなかったが、明らかに致命的だった。
やばいんじゃないか。
「洗脳子の力を甘く見ていたわけではないが、どうもタケミチの目標は達成したと認めざるを得ないな。革命者の平均は上回っているようだ。あのお嬢さんにかないはしないだろうが、まともに戦っては絶対共同体に勝ち目はない。そもそも戦闘行為が彼らの得意分野ではないからな」
やられるってことか。
「絶対共同体に敗北はない。ガラハロンドルはわかっていたから退いた。あの子供らはわかっていないから退かない。あの傷はその差に過ぎないよ。ただ、このままだとまずいことは確かだ」
敗北はないのにまずいのか。青汁みたいな?
「違う。事態を打開する術がない、ということだよ」
冷静にご指摘ありがとう。
戦いは続いている。線路のように。フィカソトリアが相手を圧倒できないのが、短い付き合いながら妙だった。付き合いって、まあ、あれだけど。
僕のせいで手加減しているのか、彼女は一歩踏み込みが浅かった。砂浜で波が来る前に引くように。遊んでいるようですらあったが、表情にはわずかに焦りが浮かんでいたので僕はびっくりした。
焦り? フィカに一番似合わない感情だ。
「彼女が焦っている? そうなのか」
博士が僕に聞いてきた。うーん、勘違いかもしれない。
「めん、どう」
つぶやきが風に乗ってきた。剣道? フィカソトリアの手刀が洗脳子の首を捉える。えー、殺しちゃうのかよ。吐くぞ、僕は。悪魔のときは大丈夫だったから、もう大丈夫になったと考えるのは早い。僕は差別するから。
洗脳子はなんとかそらそうとしたが、喉をざっくりと切り裂かれた。血がどぼどぼと溢れる、と僕は覚悟し、目を閉じた。視覚情報を隠してしまえば、なんとかなるはずだ。現実逃避の常套手段。
ややあって目を開けると、やっぱり喉から血を流す洗脳子がいたが、わりと平然としていたので拍子抜けする。特殊メイクかな。
「おかしいな」
はい? そりゃおかしい。うん、おかしい。で、なにが?
「傷がふさがっている」
うなる博士。洗脳子は汗を拭うかのように血を手で除けた。傷は見えない。しかし新しい血液が溢れてくることはなかった。目を閉じていた数秒のうちに治ってしまったというのか。
フィカソトリアが、さきほど焦りだと思っていた表情を進化させ、手についた血を払った。ああ、これは焦りじゃない。これは。
昂揚だ。