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神話性現実化病

 銃弾飛び交う教室で、僕は叫んだ。

 みんな死んじまえ。

 すると現実はなぜか言葉に従ってその場は血の池地獄になり、死体じゃないのは僕だけになった。

 これはおかしな話だ。理論は現実に従うはずだろう。それと同じで、頭の妄想は直接現実にならないはずだ。でもなった。僕の馬鹿みたいな命令は拡散して全員に届き、みんな死んでしまった。

 誰しもが考えていることが本当になればいいと思ったことがあるに決まっている。しかし、どうもそいつは考え直したほうがよさそうだ。

 なぜって、気持ち悪いからさ。頭の中のものがそのまま生まれてしまうなんて、イタイなんてものじゃない。根本的に吐き気がする。死ねといった相手が死んでみろ。驚いて、なにかが崩壊する音が聞こえるよ。

 ねえ、ここは軍隊かい? もし仮に軍隊だとしても、今が戦争だとしても、死ねと言われて死ぬなんて、狂っている。狂っているだけならいい。狂人にだって居場所は用意されるべきだ。でもね、狂っていて、かつ、終わっているんだ。終わってしまったら、終わってしまうしかない。

 嗚咽が漏れる。漏れて漏れて、体が裏返りそうだった。

 体内から出てきたどろどろの物体が血と混じって、どこかの有名な画家が絵具に欲しがりそうな色合いになった。

 きっとそいつは無邪気に、こりゃあ素晴らしい、是非譲ってくれないかい、と尋ねてくるんだ。

 そしたらこう返してやる。くそったれ、全部人間からできているから、自分で作れよ。

 涙があふれてくる。

 こんな、こんなはずじゃなかった。

 世界を恨んでいた。社会に殺意を抱いていた。学校を破壊したかった。でも、こんなはずじゃなかった。

 せめて怒りと憎しみがもっと間に挟まっていると思っていた。不安と絶望が待ち受けていると予想していた。プロセスが、過程が足りない。一分間の心臓の鼓動を七つか八つ飛ばしている。

 音が聞こえた。ぷぅん、ぷぅん。虫が来たのだろうか。もしかして絶好の場所なのか。

 食料、繁殖、さんざん自分たちを殺してきた者どもへの嘲笑。目的はどれだ。虫に目的を問いたい。目的、目的。せめて目的。

 かつかつかつかつ。虫の次は人間の足音だ。

 こないでくれ。死んだらどうする。もう殺したくない。殺したのか? みんな銃で撃たれて死んだだけかもしれない。

 嘘だ。僕自身が信じていない。そんなに命中率が高かったら、とっくに戦争は終わっている。

 誰かの話し声がする。おそろしい人間語だ。死体の処理、無線の連絡、僕の処遇。運命を決める言語のやりとりが行なわれている。

 どうにでもしてほしい。早く過去にしてほしい。牢屋に入って、一生しゃべらず、ただ米を食べたい。

 体を持ち上げられる感触がする。

 反射的に抵抗した。まだ吐きたい。とっくに吐くものなんてなくなっているが、とにかく内臓でもなんでもいいから、いちから育ててもいいから、出させてください。

 だけど、僕以外が僕のことを考慮してくれるには、愛も交渉もなかった。

 担架に乗せられて外に連れ出される。どうせ医者のところへ行くのだろう。

 いやだ。カテゴライズされるのはいやだ。分類と診断、そして断罪。医者と裁判官の世話になるのはいやだ。




 白い部屋に入れられた。

 病的に白い部屋。ここは病院だった。病院がすでに病的なのだ。病気が治るわけがない。

 そう、病院とは病気を治す場所ではなく、病気を決定する場所なのだ。誰かがそう言っていた。

 天秤で計るように僕を見ている医者の男。青白い肌に禿げた頭、眼鏡をかけている。大きな目玉と出っ張った腹がカエルを連想させた。

「神話性呪的発声現実化病ですね」カエルがしゃべった。げろげろ。

 はあ? と律儀に尋ね返した。

「病気ですよ。あなたは病気なんですよ」

 そうだろうな。あんたらに言わせれば、ジャンケンで給食の余った牛乳を取り合うのだって病気なんだ。運命性牛乳奪取病だ。

「神話性現実化病は最近流行っているんですよ。軍の実験のせいで。魔力爆弾があちこちに落とされて、迷惑な話です」

 流行り病のせいで教室のみんなは死んで僕は生き残った。そういうことかよ。

「生きていることを喜ぶべきでしょうね。概要しか聞かされていませんが、革命者が学校に潜んでいた以上、人間の生存そのものが奇跡です」

 本当の奇跡なら、みんな助かったはずだ。

 僕の頬から、つつ、っと涙が流れた。

 友人のサラスナは良いやつだった。良い人代表だった。いつもにこにこと笑って、争いを好まず、スポーツが得意だった。

 お調子者のヒラタはいるだけで雰囲気を明るくした。勉強ができなかったが、影で努力しているのを知っていた。

 ガキ大将的なフフクベは暴力的で、僕は嫌いだった。でも、彼が仕入れてくる性的な情報は質が高く、ひそかに期待して待っていた。

 クラマサは女性として魅力的で、ふとした優しさに惹かれた。消しゴムを拾ってもらっただけでドキドキした。

 全員いなくなった。過去形の馬鹿野郎。

 冷ややかな目でカエルがため息をついた。

「概要しか聞いていないと言いましたが、今のあなたに対して向けるべき報告は受けていますよ。……いいですか、あなたは『みんな死んじまえ』と呪いをかけたんです。みんなを殺したのは、あなたですよ」

 僕は口を開かなかった。子供が都合の悪いことをやり過ごすように、沈黙した。

「あなたの呪的能力はあの場限りの発現で、現在は失われています。また魔力を得れば復活する可能性はありますが、おそらくこれから先、思うがままに使える機会ないでしょう」

 ……なにが言いたい?

「変な気は起こさないように。それだけです」

 お大事に、という言葉とともに僕は病院から出た。




 太陽にはナチュラルメイクしか施されておらず、鬼畜に肌を焼いてくる。

 突き抜ける青空があまりにも爽やかで不快だ。異常気象が噂されなくなって久しいが、夏が暑くて熱いことはなんら変わらない。

 街並みは僕が人殺しになってもボロボロのままだった。穴だらけビルの壁、傾いたコンビニエンスストア、ひしゃげたポスト。直っているものは一つもない。

 人の更新と街の更新が必ずしも一致するわけではないことに、なんだかがっかりする。

 ……なんでここは牢屋じゃないんだ。

 実のところ理由はわかっている。僕がしでかした出来事は、事件とは名づけられないからだ。それだけだ。風邪をひいたり、看板に車をぶつけるくらいの交通事故を起こしたりするのと同じだ。すでに僕は悲しみと後悔を忘れて歩き出しているし、医者はカルテを捨てているかもしれない。いずれも保存しておかなければならないなんて法律はない。

 この世がいかれているのは今に始まったことじゃなかった。不思議なのは、いかれていると思える自分だ。たぶん、大半の人々が自覚的に、状況のネジの抜け具合を説明できる。にもかかわらず同時に、慣れっこにもなっている。正気の綱を補修し続けたら、補修部分のほうが長く太くなってしまったようだった。

 ザ、ザ、ザ。

 地面のけずりカスを蹴る効果音。

 目の前に現れた黒服の男たちについて、僕はようやく死神が重たい腰を上げたか、と思った。そろそろ活躍してもらってもいいころだ。人間は神様のフリを続けすぎた。本家本元に気張ってもらわなくちゃ、役どころがあやふやになる。

「アサイだな。我々と一緒にきてもらおうか」

 アガイだよ、と訂正する。

 黒服のひとりが一歩前に進み、懐から無造作に、ライターくらいの刃渡りをしたナイフを取り出した。

 不安と期待で胸がふくらむ。そんな貧弱な武装でなにができるのか。そんなちっぽけな凶器でとんでもないことをやらかせるのか。

「手荒な真似はしない」

 行動と言動と心理が一致しないのは今の人類によくあることだ。でもさすがにきょとんとした。目が演奏記号のフェルマータみたいになった。ナイフは「手荒」か「調理」の象徴ではなかったか。食材は人間以外には見当たらない。

 黒服がナイフを手首に当てた。とっさに、やめろ、と言った。

 僕の一言なんて、なしのつぶて。

 摩擦が血液のしぶきを呼んだ。天然リストカッターを僕は初めて見た。

 どぼどぼと赤で染まる地面にフラッシュバックを起こし、腹から喉にかけて躍動がずんっとくる。

 暗い祭りがどこどこと太鼓を叩いて、一生懸命吐き気を催そうと頑張った。空っぽだったはずだが、胃液かなにかをちょっと落とした。

 血液は足元まで迫ってから、不意に挨拶するようにぴょこんとジャンプした。僕が驚いていると川に戻ってきた鮭みたいにどんどん跳ねて、僕を取り囲んだ。

 なんだこれ。

「血の形をした使い魔だ。悪魔動物の一種だよ。きみが疲れていると思ってね。そいつが運んでくれる」

 ついていくとは言っていない。

「そうか。言い方が悪かったな。頼んでいるわけではないのだ。きみは我々と一緒にくることが決定されている」

 どこへ?

 あきらかに致死量を超えた血が流れていたが、黒服は汗もかいていなかった。たぶん皮膚が鉄でできている。血液悪魔は増大し、僕の爪先から腰あたりまでを覆った。ぐらんと揺らつく。

 どこへ? もう一度聞いた。

 黒服の表情が変化する。無から有へ。筋肉が形作る皮肉と寂しさ。

「洗脳施設イージー・マスカットだ」






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