第31話「絶避の剣姫」
「レファナ君……?!」
空間の裂け目から現れた人物を見て、ウィズさんが目を見開いた。
「……絶避の剣姫?」
ゼルジネさんが眉間を深く歪める。
彼女を知る者たちは皆、一様に反応を示していた。
……当然、私もその一人。
私は唇を噛む。
想像できたはずだった。
想定できたはずだった。
でも——そうならないでほしいという希望が、無意識にその思考を遠ざけていた。
『レファナさんが、リンの敵として現れる』
リンが今感じている絶望はきっと……計り知れない。
ゼルジネさんもウィズさんも動かない。
それは、理解しているから。
——絶避の剣姫。
停止世界へ足を踏み入れられる彼女の相手をできるのは、ただ一人。
——リンしかいないということを。
私はリンの名前を呼ぼうとして——だが、止まった。
リンが、真っ直ぐにレファナさんを見据えていたから。
その目には、まだ悲しみや絶望が残っていた。
けれど——確かに、それらに抗う意思を宿していたから。
リンが細剣を抜き、構える。
レファナさんはそれを見つめ、両腕をだらりと垂らしたまま、ゆらりと体を揺らした。
刹那——
胸元の刻印が淡く光り、レファナさんの姿がかき消える。
直後。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。
リンとレファナさんが鍔迫り合いをして、力負けしたリンが数歩後ろに弾かれる。
その攻防を合図にするかのように、飛龍たちが動き出した。
一瞬、全体に動揺が走る。
だが——
「レファナ君はリン君に任せる! 我々は飛龍の対処だ!」
ウィズさんの声が響いた。
その一言で、空気が締まる。
勇者たちをはじめ、冒険者たちが雄叫びを上げた。
そして——戦いが始まった。
「ユーフィリア君。リン君を」
その短い言葉に、私は即座に頷いた。
私にできることは無いかもしれない。
けれど……それでも何か、少しでも支えになれることがあるかもしれないから。
リンとレファナさんは、停止世界ではなくこちらの世界で剣を打ち合っていた。
レファナさんの剣筋は鋭く、速い。
対するリンも、正確な剣を身軽な動きで返している。
ゼルジネさんとの修行を経て、剣技に磨きがかかっている。
……だが。
素人目にもわかる。
——リンが、押されている。
速さは同等。
だが一撃一撃が、レファナさんの方が重い。
剣を合わせるたびに、リンの顔が歪む。
「くっ……」
リンが歯を食いしばる。
レファナさんが上段から斬り下ろす。
リンは剣を滑り込ませ、力を受け流す。
しかし、即座に重心を入れ替えたレファナさんが横薙ぎに剣を振るう。
リンは反射的に後ろへ飛ぶ。
直後、それを読んでいたかのようにレファナさんが一歩踏み込む。
距離が一瞬で詰まり——
リンの喉元へ向けて、剣が突き出された。
だが——その剣先が届く直前。
ぴたりと、その動きが止まった。
レファナさんの胸元の刻印が、強く赤く光っている。
リンはその隙を逃さず、レファナさんの剣を弾いて距離を取った。
リンが目を細めてレファナさんを見つめる。
『おかあさん』
わずかに動いた唇が、そう言っているように見えた。
けれど、レファナさんは答えない。
再び両腕を垂らす。
胸元の刻印が、再度赤く光った。
——二人の姿が消える。
そして、甲高い金属音が鼓膜を打った。
続く一瞬。
レファナさんは剣を振り抜いた体勢で地面に立ち——
リンは、剣を持つ右手を弾かれたように上げて空中に浮いていた。
ふわりと着地するリン。
その頬に、一筋の切り傷が生まれていた。
傷口から鮮血が垂れる。
停止世界での剣戟は、私には見えない。
けれど——このままじゃ、リンは勝てない。
それだけは、わかる。
……でも、倒すだけじゃ——ダメだ。
レファナさんも、救う。
それが——絶対条件。
そのための手がかりは、あの胸元の刻印。
淡く光るそれは、リンへ攻撃するたび強く赤く光っている。
おそらくあれが、レファナさんの意思を操っているんだ。
——ふいに、隣で鈍い音が響いた。
振り向くと、こちらに迫っていた飛龍の顔面をウィズさんが拳で打ち抜いていた。
そのまま着地し、今度は回し蹴りを飛龍の腹部へ叩き込む。
飛龍が後ろへ吹き飛ぶ。
だが、翼をはためかせ空中で体勢を立て直した。
その直後、ジュジュさんのスキルが飛龍を襲う。
飛龍は身を捩ってそれを躱すと、視線をこちらから外しジュジュさんへ向かった。
ウィズさんは油断なく飛龍を見据えながら、低く言う。
「安心して集中したまえ」
「はい……!」
——あの胸元の刻印を、リンが斬る。
そのための作戦を考える。
剣の腕はレファナさんが優勢。
でも、一瞬でも隙を作れれば——リンならそれで十分。
リンには一つ、決定的な優位性がある。
それは、停止世界での干渉範囲。
「ふぅ……」
私は大きく息を吐く。
……方法は、もう思いついている。
必要なのは——勇気だけ。
……あとでリンには、謝らないといけないな。
震える手で、拳を握る。
「……ユーフィリア君」
その様子を見て、ウィズさんが声をかけた。
「何か思いついたのだな」
「……はい」
私はウィズさんに作戦を話す。
話を聞き終えると、ウィズさんは短く頷いた。
「ならば——」
そう言って、一つ提案する。
少しの話し合いの後。
私たちは、ルノーさんのところへ向かった。
◆ ◆ ◆
(——わたしは、何をしているのだろう)
視界はぼやけている。
思考も、霧がかかったように曖昧だった。
ただ一つ。
脳の奥に響く声だけが、はっきりしている。
『時の勇者を殺せ』
その命令に、体が勝手に動く。
剣を振るい、斬り込み、突き出す。
意思とは関係なく、体が従う。
(時の勇者……?)
それが誰なのか、わからない。
だが——その命令に、強い拒否感が生まれていた。
攻撃したくない。
殺したくない。
そんな、言葉にすらならない思いが浮かんでは、霧の中に溶けていく。
霞んだ視界の先に、銀色の少女の影が見える。
その少女が、私へ剣を向けていた。
それに、なぜだかひどく胸が痛んだ。
その時——
「リン!」
左後方から声が聞こえた。
「刻印を斬って!」
その声に、頭に響く命令が切り替わる。
『声を斬れ』
体が反射的に動いた。
声が聞こえた後方へ——何もない空間へ向かって、剣を大きく振るう。
直後。
「ガンッ」と、剣と硬い何かがぶつかり合う音が聞こえた。
何もなかった空間に、人影が浮かび上がる。
わたしの剣を、拳で受け止めていた。
「正気に戻れ、レファナ君」
その人物は、諭すような声でそう言った。
拳が振り抜かれる。
その衝撃で、わたしの手から剣が弾き飛ばされた。
そして——
ぎゅっと、何かが私の体を捕えた。
腕が回され、横から強く抱き止められる。
「今!」
誰かが叫ぶ。
刹那——世界が、灰色に染まる。
回された腕のせいで身体を動かせない。
——銀色の光が、一閃した。
胸元を刃が走る。
——「パキン」と、何かが割れる音が鳴った。
視界が、思考が——晴れる。
それと同時、膝から力が抜けた。
体が崩れ落ちる。
だが、地面に落ちることはなかった。
誰かが、そっと体を支えてくれていた。
◆ ◆ ◆
崩れ落ちそうになったレファナさんの体を、私はとっさに支えた。
そのまま体重を預けるようにして、レファナさんが私の方にもたれる。
彼女は一度、私の顔を見た。
「……ありがとう」
そう言って、柔らかく微笑む。
次に、その視線は目の前に立つリンへ向けられた。
「……久しぶり。リン」
「……おかあさん」
微笑むレファナさんを見て、リンの唇が小さく震える。
言いたいことはきっと、たくさんあるのだろう。
でも、言葉にならない。
そんな表情だった。
「立派になって……」
レファナさんはそう言って、手を伸ばす。
その手が、リンの頬に触れた。
「ごめんね……怪我させて。ずっと、会えなくて」
リンは目に涙を浮かべて、首を横に振る。
そして次の瞬間。
レファナさんの胸に飛び込んだ。
レファナさんは慈愛に満ちた表情でそれを受け止める。
リンの背中に手を回し、優しく撫でる。
その光景に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
やがてレファナさんは顔を上げ、私を見た。
「ありがとう。リンを、支えてくれて」
「……いえ」
私は小さく首を振った。
次にレファナさんは、ウィズさんへ顔を向ける。
「ウィズさんも。ご迷惑をおかけしました」
「構わんよ」
ウィズさんは軽く手を上げた。
それからすぐ、視線を戦場へ向ける。
私もつられてそちらを見る。
地面には、すでに何体もの飛龍が倒れていた。
「おりゃあぁぁ!!」
バルフェルド君が雄叫びを上げる。
その拳が飛龍の顎を打ち抜き、巨体が地面へ叩きつけられる。
「バルバル、超〜いい感じじゃん! 負けられないね〜!」
ジュジュさんが笑いながら叫ぶ。
次の瞬間、放たれたスキルが飛龍を貫いた。
まだ飛龍は残っている。
それでも、勇者と冒険者たちの連携で確実に数は減っていた。
誰もが息を上げ、額に汗を流している。
だが、隊列は崩れない。
負傷者も出ていない。
まるで綱渡りのような緊張感の中で、それでも完璧に近い戦いが続いていた。
……このままなら。
「勝てる……!」
思わず、そう呟いた。
その瞬間——
「パキッ」と、空気を裂くような音が耳に届いた。
反射的に空を見上げる。
空に現れた裂け目から、新たな飛龍が出現していた。
その数は——第一波と、ほぼ同数。
「……っ」
誰かが息を呑む。
——さらに。
また、「パキッ」と空間が裂ける。
新たな裂け目から、六体の飛龍が姿を現した。
それらはゆっくりと空中を旋回する。
そして、それぞれの視線が——勇者たちへ向けられた。
他の者には一切目もくれない。
まるで、狙いを定めているかのように。
その体を見て、私は息を詰めた。
他の飛龍とは明らかに違う。
ある個体の身体には、雷のようなエネルギーが迸り。
別の個体は、黒い靄を全身に纏っていた。
異質な圧力。
明らかに、上位の存在。
「……勇者特化か」
ウィズさんが、低くそう呟いた。




