第14話「絢爛と静謐」
私たちに割り当てられた拠点の建物の中は、外から見た印象よりもずっと静かだった。
外に設けられた天幕が作戦会議や連絡の場として使われているのに対し、こちらは完全に生活用の空間として切り分けられているらしい。
厚めの扉を閉めると、外の気配はほとんど遮断された。
私は机に書類を広げ、地図を壁際に固定する。
過去の調査記録、周辺地形、想定される魔力反応——必要なものをひとつずつ並べていく。
書類を整え、必要な箇所に印をつけていく。
そうして情報が整理されていくたび、頭の中も静かに澄んでいく。
すぐそばでは、リンが黙々と装備の点検をしていた。
腰に下げた細剣を外し、布で丁寧に刃を拭き、光の反射を確かめている。
金属がわずかに触れ合う、控えめな音。
集中している時は呼吸さえ止まり、作業が一区切りつくと小さく吐き出される。
その気配があるだけで、不思議と心が落ち着いた。
言葉を交わさなくても、同じ空間でそれぞれの役割を果たしている。
それだけで、心地よかった。
私が地図に最後の印をつけた、その時。
コンコンと、軽く扉が叩かれる。
「レスです」
扉の向こうからの声に、私は入室を促す。
レスさんは手に小さな箱を抱えていた。
「準備は順調そうですね」
「はい。大体は」
「リン殿も問題なさそうでなによりです」
リンは剣を鞘に収め、小さく頷いた。
「今日、通信用の魔石が届きました」
レスさんは箱を机の上に置き、蓋を開ける。
中には、淡く光を帯びた魔石が二つ並んでいた。
「何かあれば、即座に連絡が取れます。ただ数が多くなく、私、リン殿、ジュジュ殿、そしてユーフィリア殿のみが持つことになります」
「わかりました」
私は一つ手に取り、状態を確認する。
円形の金属製の細長い鎖が取り付けられており、首から下げられるようになっていた。
「……これも、公爵家から?」
「ええ」
「冒険者嫌いでも、支援はするんですね」
「王命ですから」
なるほど。
「……貴族としての務め、ということでしょうか」
「そういうことにしておきましょう」
それ以上、レスさんは何も付け加えなかった。
必要なことだけを伝え、余計な感情は挟まない人だ。
「では、私はこれで。何かあれば天幕にいますので」
「ありがとうございます」
レスさんは軽く会釈すると、静かに拠点を後にした。
扉が閉まり、再び室内に静寂が戻る。
私は通信石を所定の場所にしまった。
「……そういえば」
ふと、ひとつ思い出す。
「調査が始まる前に、一度孤児院に顔を出そうと思ってて。ここから近いし」
そこまで言うと、リンがこちらを向いた。
「……ついて行っても……いい?」
「もちろん」
リンが少し嬉しそうに口元を緩めた。
「じゃあ、明日だね」
「うん」
◇ ◇ ◇
翌日。
私たちは拠点を出て、山を少し下った先にある孤児院へ向かった。
石造りの門扉。
小さな庭。
昔、自分たちが何度も泥だらけにした花壇。
見慣れたはずの風景に、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
「……変わってない」
思わず、そう呟いた。
玄関を叩くと、中から軽い足音が近づいてくる。
扉を開けたのは、見覚えのある少女だった。
「あれ……?」
少女はぱちぱちと瞬きをしてから、目を見開いた。
「ユーフィリア姉さん?」
「……クゥリ?」
思わず笑みがこぼれる。
私がここにいた頃、よく後ろをついて回っていた小さな女の子。
そのクゥリが、今は簡素な修道服を身に纏って立っていた。
「シスター見習いになったの?」
「うん。まだまだだけどね」
「似合ってるよ」
「からかうのはやめてよ〜」
照れたように笑う顔は、あの頃のままだ。
「姉さんはどうしてここに?」
「近くの夢幻洞窟で調査に来たの」
「ああ……そういえば姉さん、ギルド職員になったんだっけ」
クゥリが納得したように頷く。
「……ところで、シスターは?」
「今は別の院へ応援に行ってていないんだ」
「そっか……」
少し残念に思いながらも、込み上げる懐かしさのほうが勝った。
「それで姉さん、そちらの方は?」
クゥリは私の肩越しに、後ろにいるリンをちらりと見た。
「ごめん、紹介が遅れた。この子はリン。時の勇者だよ」
「勇者さま?!」
クゥリは驚いたように目を見開くと、素早く回り込みリンの前にしゃがみ込んだ。
「初めまして、クゥリといいます!」
「……初め、まして」
目を輝かせ、クゥリは続ける。
「本物の勇者さまに会えるなんて……嬉しいです!」
リンは照れているのか、少し居心地悪そうに視線を逸らした。
そんな反応に、クゥリは慌てたように一歩下がった。
「ああ、すみません。最近、院内で六辺勇者の絵本が流行ってて……つい」
「そんな本あったっけ?」
「最近寄付されたんだ。子供向けの内容だけど、結構面白いよ」
「へえ、そうなんだ」
その時、奥から子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
その中にはクゥリの名前を呼ぶものもあり、段々と声が近づいてくる。
クゥリを見つけた子供たちは、こちらへと駆け寄ってきた。
だが、近づくにつれてその視線はリンへと注がれ——
「かわいいー!」
「お人形さんみたーい!」
あっという間に、リンは囲まれた。
「……え」
リンが困ったように眉を寄せる。
どうしたらいいのかわからず、両手を上げて視線を彷徨わせている。
小さな手が袖を引っ張り、銀髪に触れようと背伸びをする子もいる。
私は少しだけ、その様子を眺めていた。
剣を握れば誰よりも強いのに、こういう場では完全に無防備になる。
そのアンバランスさがなんだか可笑しくて、自然と口元が緩む。
「ユ、ユフィ……」
リンがこちらに視線を投げる。
いよいよ限界らしい。
「はいはい。みんな、お姉ちゃんが困ってるから少し離れてねー」
そう言いながら間に入ると、子供たちは素直に一歩下がった。
「お姉ちゃんと何して遊びたい?」
「鬼ごっこ!」
「かくれんぼ!」
次々に上がる声。
「じゃあ、順番ね」
庭に出ると、子供たちの笑い声が一気に広がった。
リンも最初は戸惑っていたが、走り回るうちに少しずつ表情が柔らいでいく。
小さな子が転びそうになると、すぐに手を差し伸べる。
泣きそうになれば、しゃがんで目線を合わせる。
不器用だけれど、優しい。
その姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
少し経って、子供たちの包囲から抜けたリンが私の隣に立った。
「……すごい、元気」
「だね」
私は小さく笑って頷いた。
リンは、子供たちを穏やかに見つめていた。
その目には、さっきまでの戸惑いはもうなかった。
「……守らなきゃね」
思わず呟く。
子供たちも、この場所も。
そして——
「……うん」
リンが、小さく頷いた。
その声は、昨日までよりも少しだけ強く聞こえた。
◆ ◆ ◆
一夜明け。
私たちは、夢幻洞窟の外縁部に来ていた。
昼でも薄暗いそこには、山肌にぽっかりと開いた巨大な口が開いている。
内部から流れ出る冷たい空気が、肌を撫でるように通り過ぎる。
「今一度お伝えします。今日は本格調査前の下見です。決して無理はなさらないよう」
レスさんの言葉に静かに頷き、リンとジュジュさん、千紫万紅の八名、そして記録係として私が洞窟の入口へと足を進めた。
今日はあくまで確認。
魔力反応の測定。
外縁の安全確認。
調査開始時の動線の想定。
リンたちが周囲を警戒しながら進む中、私は測定器を取り出し空中に漂う魔力濃度を順に記録していく。
記録が終わると、通信石を起動し入り口付近にある天幕で待機するレスさんへ報告を行う。
「現時点では、想定範囲内です」
私の言葉に、通信石から声が返る。
『よし。ではもう少し進んで——』
『あー、ちょっと待った』
その言葉を遮ったのはジュジュさんだった。
全員の視線が集まる。
『洞窟の外、周囲にモンスター反応』
一瞬で緊張が走る。
「巧」の勇者。
その称号を持つ彼女は、自らの目で見たスキルを模倣して扱うことができる。
当然、索敵系も例外ではないのだろう。
その当の本人は、まるで散歩前のような気軽さで言った。
「リンリン、そっちのでかいの二匹頼むよ」
「……ん」
リンが短く頷き、ジュジュさんが指差した方向へ一歩踏み出す。
私は自然と後方に下がり、記録用紙を握り直した。
「さてさて、あたしはこっち〜」
その瞬間。
リンの前に大型モンスターが二体。
ジュジュさんの前には、小型モンスターの群れが岩陰から姿を現した。
ジュジュさんはそれを一瞥すると、にやりと口角を上げる。
そして一度指を鳴らした瞬間——空気が歪んだ。
赤、青、紫、金。
色とりどりの光が彼女の周囲に浮かび上がる。
幾何学模様のような魔法陣が幾重にも展開し、回転し、重なり合い——そして、弾けた。
小型モンスターの群れがいた場所に、色彩の華が一斉に咲いたかのような光景が広がった。
光が爆ぜ、音が重なり、衝撃波が岩肌を揺らす。
「ん〜、最高〜!」
ジュジュさんが軽やかな声を上げる。
それとほぼ同時——
ズン、という重い衝撃音が響いた。
振り向けば、リンの足元に巨体が二体沈んでいた。
リンは血飛沫ひとつない細剣を、静かに鞘へ収める。
いつも通り斬撃は最小限で、一切の無駄が無い。
「絢爛」と「静謐」。
対照的な二人の戦闘は、どちらも目を奪われるほど完成されていた。
『終わったよ〜』
ジュジュさんの通信石越しの声を合図に、私は前へ出て記録へ戻る。
その途中で、リンが倒したモンスターの死体の様子に違和感を覚え、手が止まる。
「何かあった〜?」
背後から、ひょいとジュジュさんが覗き込む。
その隣にはリンの姿もあった。
「……モンスターが、もう止まってるの」
「……どゆこと?」
ジュジュさんの問いに、私は言葉を整理する。
「……リンはいつも、首を一閃して瞬時に息の根を止める。でもその場合、ほんのわずかな時間、眼球や末端神経は反応を示す」
「斬首された罪人が、少しの間だけ目を動かすってあれ?」
「そう。リンの場合は、それが比較的顕著に出る」
リンの斬撃は停止した世界で行われ、文字通り一瞬。
そのため、脳が死を認識する前に切断されているのだ。
「でも、このモンスターはリンに首を切られると同時に活動を停止してる。それに……」
「まだ何かあるの?」
私は一つ頷く。
「魔力反応にも、気になる点が」
ジュジュさんに計測器を見せながら続ける。
「モンスターの体内には魔力が循環してる。だから、死体の魔力反応は体全体で感知するはず。でも……これは、心臓部にほとんどの魔力が集中してる」
「循環してないってことか」
私は首肯する。
「そう。そこで考えられるのは……」
そこまで言って、私はリンを見る。
「ねえリン。このモンスター、何か気になるところはなかった? 例えば——目線が変な方向を向いてたとか」
リンは少し考えるような仕草をし、口を開いた。
「……目線、よりは……焦点、かな」
「焦点?」
リンはこくりと頷く。
「目が……どこも、見てなかった」
その言葉に、私の脳内で点と点が線で繋がる。
「ねえ、結局どういうことなの?」
「……あくまでまだ仮説だけど……このモンスターは、操られてた可能性がある」
リンとジュジュさんが大きく目を見開く。
「……やな感じだね」
「うん。ただ、まだあくまで仮説ね。確証はない」
「あたしが模倣できないから、スキルの類じゃないね〜……念頭に置いておく必要がありそうだ」
それから洞窟の下見が終わった後、私はレスさんにも簡潔に報告した。
彼は深く頷き、
「記録しておいてください」
と、そう言った。
その声音は冷静だったが、目の奥は鋭かった。
◇ ◇ ◇
拠点へと戻った私は、記録を整理しながら先ほどの違和感を反芻していた。
操られたモンスター。
もしその仮説が正しければ……未曾有の大災害を引き起こせる最悪の技術だ。
その時、コンコンと扉がノックされた。
開けると、そこに立っていたのはクゥリだった。
「どうしたの?」
「シスターララミアから、明日帰ってくるって連絡があったの。昨日会いたがってたから、知らせてあげようと思って」
その言葉に胸が少し弾む。
孤児院で最も長く子供たちを支えてきた人。
私にとっても恩人だ。
「ありがとう。明日行くよ」
そう答えると、クゥリは少し躊躇ってから口を開いた。
「それと……できれば勇者さまも一緒に来てくれないかな。昨日来た時から、子供たちがずっとまた会いたいって言ってて。忙しいのはわかってるけど……」
私はリンを見て問いかける。
「どうする?」
「……わたし、も……会いたい」
リンが頷きながら答えた。
その言葉に、私は自然と微笑む。
「じゃあ、明日二人で行くよ」
「ありがとう、姉さん。それに勇者さま」
クゥリが頭を下げ、去っていく。
扉が閉まった後、ふと私はリンを見る。
リンはどこか穏やかな表情で、窓の外を見ていた。
洞窟の冷たい空気とは違う、あの庭の匂い。
そして、子供たちの笑い声。
それらを思い浮かべているのかもしれない。
私は、再び記録へと視線を落とした。
——この時の私はまだ知らない。
明日が、静かな一日で終わらないことを。
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