第10話「二度とユフィと呼ばないで」
「本当にユーフィリアなのかい?」
まるで珍しい標本を見つけたかのように、アデランは私を上から下まで眺め回した。
その視線には、懐かしさよりも先に値踏みする色があった。
「見違えたじゃないかユーフィリア——いや、ユフィ!」
懐かしさを装ったその呼び方に、私は自分の眉がわずかに動いたのを自覚する。
「その格好、ギルド職員に復帰したんだね。ちょうどいい」
「……リン、こっち来て」
リンが足早に私の元まで駆ける。
私は、リンを背に庇うように立った。
「おや、その子もユフィの知り合いなのかい? だったら話は早い」
アデランはリンを一瞥し、すぐに視線を私へ戻した。
その口元には、余裕ぶった笑みが貼り付いている。
「ユフィ。もう一度、僕のパーティーに来てくれよ」
両手を広げる仕草は、誘いというよりも受け入れを前提としたものだった。
「今の君なら、僕のパーティーにいても格を落とすことにはならないだろう。そっちの子も一緒に来れば、象牙の刃は名実ともに一段上に上がれる」
それは、リンの存在を装飾品のように扱う言葉だった。
「さあ、帰ろう——ユフィ」
アデランが一歩距離を詰め、手を伸ばす。
その手を見て、私は——痛いほど拳を握っていた。
……私だけじゃなく、リンのことまで……こいつは……!
胸の奥からドス黒い感情が湧き上がるのを感じる。
その感情の強さに耐えきれず、拳を握る手が震え始める。
——不意に、その手がそっと温かさに包まれる。
見れば、リンが私の手を両手で包んでいた。
それだけで——不思議と、手の力が抜けていく。
リンが、私を見上げる。
その眼差しに、私はひとつ頷いた。
「……そうやって頼めば、私をまたいいように使えると思った?」
その言葉に、アデランの眉がぴくりと動く。
「生憎だけど、私にはもう帰る場所も、守りたい人もできたの。だから——あんたのところへは行かない」
アデランは大きく目を見開き、信じられないものを見るような目で続ける。
「……馬鹿な。母親に捨てられたお前を拾ってやった恩を忘れたのか?」
「拾ってくれたのはあんたの両親であって、あんたじゃない」
私は一度目を閉じて深く息を吐き、そして——ゆっくりと目を開いた。
「……二度とユフィと呼ばないで」
アデランが眉間を大きく歪ませる。
そして、ぎりっと音が鳴りそうなほど歯を食いしばった。
「……ふざけるなよユフィ!」
刺すように睨みながら、アデランは私の腕を掴んだ。
「……っ」
鋭い痛みに顔が歪む。
「お前のせいで、僕が——」
アデランの言葉が途中で止まる。
視界の端で、リンが殺気にも似た刃のような眼光を放っているのを目にする。
だが、それでもアデランは再度言葉を吐き出した。
「お前は、僕より下じゃなきゃいけないんだッ!!」
苛烈な視線で、目を大きく開きながらアデランが叫んだ。
その時——
「その手を離しなさい!」
遮るような声が響き、私を掴んでいたアデランの腕が瞬く間に背中へ回され、「ダン!」という大きな音とともに床へ倒れる。
床に伏したアデランの背中の上で、メイが膝をつき腕を押さえつけていた。
その横で、ユウが冷静に拘束具を取り出す。
「な、何を——」
「冒険者規約第五条、ギルド職員への威圧行為に関する規約違反です」
「重要参考人の拘束を依頼します。協力者は前に出てください!」
メイとユウの言葉を聞き、多くの冒険者が即座に動く。
「くれぐれも暴れないでください。そうなれば、身の保証はしかねます」
「ぐっ……」
アデランの奥歯が軋む音が、はっきりと聞こえた。
協力要請に応じた冒険者が素早く役割を分担し、アデランを奥へと連れて行く。
「……ユフィ!」
それでも、最後までアデランは凄絶に私を睨みつけていた。
けれど、その姿が見えなくなるまで、私はアデランから視線を逸らさなかった。
それをすることだけは、私の責任だと思ったから。
……それでも、アデランの姿が見えなくなった途端、足の力が抜けてその場にへたり込んだ。
息も吐けず、手が震えていることだけがわかる。
ギルドの喧騒も、どこか遠くのことのように聞こえる。
——それでも。
そっと、私の手に触れる温かさだけは、近くに感じていた。
「……ユフィ」
その温もりの主であるリンは、私のすぐ近くに腰を下ろし、手を握って続けた。
「わたし、は……ユフィの、癖の強い可愛い髪も……切れ長で、かっこいい目も……すらっとした、体も……」
ぎゅっと、手に力を込めながら。
「困ってる人を……放っておけない、優しさも……買い物で、慎重に……商品を選ぶ時の……真剣な顔も……」
精いっぱい、自分の心を口にするように——
「それと——こんなわたし、と……一緒に、いてくれる……ところも……」
伝わってほしいと、まるでそう祈るかように——リンは言葉を締めくくる。
「全部全部……大好きだよ」
隣で見上げるリンの肩に、私は軽く頭を預けた。
「ありがとう……リン」
頬を伝う涙がリンの肩を濡らす。
リンは、それから何も言わず、黙って私の頭を撫でてくれた。
——その日を境に、象牙の刃の名を耳にする機会は、急速に減っていった。
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