第三話 きびミルクで脳がオーバークロックしたので、全力で「鬼ヶ島」の不在を証明する件』
異世界転生、そこは言語の壁が立ちはだかる未知の領域――。
のはずが、本作の主人公・モモは「二浪生」という極限のサガによって、思考停止を何よりも恐れる男でした。
おばあさんから差し出された、いかにも怪しい「きびミルク」。
生き残るためのエネルギー摂取か、それとも破滅へのフラグか。
理性の堤防が決壊したその先に待っていたのは、赤ん坊の平穏を根底から覆す「世界の解読」でした。
グリモワールドの真実が、モモの脳内を強制労働させ始めます!
おばあさんの視線が、部屋の隅にある小さな石盤へと滑った。
今の俺には、彼女が何を見て、何を確信したのかを知る術はない。
ただ、彼女の背中越しに感じる得体の知れない「期待」の温度が、俺の生存本能を激しく逆なでしていた。
だが……俺の精神は、二浪という極限状態で、常に「脳を回すための燃料」を最短距離で求め続けたサガに支配されていた。
思考停止こそ最大の失態。たとえ毒を食らってでも、思考リソースを確保する――。
「ぐっはぁーー!!」
理性の堤防が決壊した。俺は器を奪い取るようにして、残りのミルクを一気に飲み干していた。
(……アレッ。俺、今、何した?)
手元に転がる、空の器。
おばあちゃんの、驚きと「確信」が混じったような恐ろしい笑顔。
自分がしでかしたことの重大さに、俺の顔はみるみるうちに青ざめていった。
「イヤイヤイヤ! 俺は何をやってるんだーー!!!」
俺は心の中で、全力で自分の喉元を締め上げた。
自分からフラグ(きびミルク)を飲み干してどうする。
「期待(合格)」への第一歩を、自分の意志で踏み出してしまった絶望。
俺の脳内にある「人生志望校」の判定が、A判定から一気に退学処分へと転落していくような錯覚に陥る。
俺の平穏な隠居生活に向けた作戦は、開始早々、自らの食欲と二浪生のサガに負けて大崩壊を始めていた。
(ミルクを飲み干した直後から……)
胃に流し込まれた「きび」のエネルギーが、血管を
通り、へとへとだった脳の最深部を激しく揺さぶる。
かつてないほど視界がクリアになり、周囲の音、匂い、世界の情報の密度が一段階跳ね上がる。
――いや、それだけじゃない。
(なんだ……これ。壁の模様だと思ってた木目が、意
味を持って脳に飛び込んでくる……?)
視界が異常なほど「鋭く」なっていた。
おばあさんの服の刺繍、
柱に刻まれた傷、
それら全てが、前世で死ぬほど詰め込んだ「言語のパターン」と結びついていく。
「きび」の魔力は、脳のニューロンを強制的に接合し、この異世界の概念を強引に俺の知性とリンクさせたのだ。
(……読める。読めるぞ! あの棚にある本の背表紙も、おばあさんが口ずさんでいる鼻歌の旋律の意味さえも!)
これこそが「きびミルク」の真価。
それは、言葉の通じない動物たちと無理やり波長を合
わせる**「調律」**だった。
きびミルクという名の**「鍵」**が、モモの脳内にあ
る禁忌の門をこじ開けたのだ。
だが、俺にとってそれは、鬼ヶ島への招待状に他ならない。
(マズい……マズすぎる。赤ん坊が文字を読めるなん
てバレたら、それこそ『神童』確定だ。合格通知を無
理やり自宅に送りつけられるようなもんだぞ……!)
冷や汗が止まらない。
だが、おばあさんは俺を背負い籠に入れると、無邪気に笑って外へと歩き出した。
「桃太郎や、いい子にしておくれ。これからおばあちゃんの職場、**中央図書館**へ行くからね」
おばあちゃんは俺を籠に入れたまま、日課の散歩を兼ねて街を歩き出す。
今の俺は「きび」の効果で、彼女の言葉が100%理解できてしまう。
「ほーら、桃太郎。あそこの卵型のお家を見てごらん、可愛らしいだろう?」
(……いや、可愛らしいっていうか、物理限界に挑戦してないか? 巨木の枝にぶら下がってるだけに見えるんだが……あ、看板が見える。
『グリモ不動産:築300年、揺れ心地抜群』。
文字が……文字が勝手に脳内に翻訳されて突き刺さる……! 俺の脳を強制労働させるのはやめてくれ!)
おばあちゃんは楽しそうに指をさし、街の住人の「日常」を解説していく。
「あそこのお家のご夫婦はね、いつも喧嘩してばかりなの。ほら、今日も聞こえるだろう?」
(聞こえる!『お前の換羽期の抜け毛がスープに入っただろ!』
『それはお前のトッピングだろ!』……って、梟人の喧嘩の内容が生々しすぎるんだよ!
世界観を守れ!
もっとファンタジーらしい高尚な争いをしろ!)
おばあちゃんが知り合いの梟人に会うたびに、俺は「あぶぶ」と赤ん坊のフリをしながら、必死に脳内ツッコミを繰り返す。
(『あら、利発そうな赤ちゃんね』じゃないよ! こっちは今、脳がオーバークロック状態で君らの個人情報を強制受信させられてるんだ。勘弁してくれ……)
だが、揺れる籠の中で、ふと見上げたおばあちゃんの横顔は、驚くほど穏やかだった。
(……最初は、この鳥人間にいつ食われるかと思ったが、案外、こいつがいいヤツでよかった。
二浪して予備校の隅っこで死んだ魚の目をしてた俺を、こいつは本気で慈しんでやがる……)
前世で受けてきた「期待」は、常に「成果」との引き換えだった。
だが、このおばあちゃんが向ける眼差しには、まだ何も成し遂げていない赤ん坊への、無条件の肯定がある。
だからこそ、俺は恐ろしい。
彼女のその「いい人さ」を、俺が「勇者として鬼を殺す」ことで裏切りたくない。
(おばあちゃん、悪いな。俺はお前の期待に応えて英雄になるつもりはないんだ。
お前と、この平和な街で、一生だらだら過ごすために……俺は動くぞ)
おばあさんに連れられて外に出た俺の目に飛び込んできたのは、あまりにも穏やかな、この街――グリモワールドの夕暮れだった。
(……なんだ、これは。どこを見ても、平和そのものじゃないか)
夕闇の中、淡く光る大樹の下で、梟人たちが穏やかに語らっている。
聞こえてくるのは、明日の献立の相談や、季節の移ろいを愛でる歌声。
どこをどう見ても、血なまぐさい「鬼退治の出発点」には見えない。
(……待てよ。物語には必ず『目的地』がある。だが、この空気感を見る限り、そんな殺伐とした場所がこの世界に実在するとは到底思えない。
もし『鬼ヶ島』が存在しないのなら、俺を縛る物語のレールそのものが消滅するはずだ)
(……調べる価値はある。
いや、調べ尽くして『目的地はどこにもない』ことを
証明してやる!)
おばあさんは図書館員だ。
そして俺には、きびミルクで得た「文字を読む力」がある。
中央図書館にある全資料を精査し、このグリモワールドの地図から「鬼ヶ島」や、それに類する不穏な地名を一掃してやるんだ。
「鬼ヶ島」がこの世に存在しないと確定した瞬間、俺の「一生隠居」という第一志望の合格が決まる。
(やれる。回避できるぞ……!)
籠の中で揺られながら、俺は赤ん坊らしからぬ鋭い眼光で、夕闇にそびえ立つ図書館を見据えた。
だが、その決意を嘲笑うように、街の灯が届かない「空白」から冷たい風が吹き抜ける。
平和な景色が、まるで薄っぺらな舞台装置のように、一瞬だけ歪んで見えた。
第三話をお読みいただきありがとうございました!
ついに「きびミルク」の効果が発動しました。
本来なら「言葉が通じてハッピー!」となるはずの展開ですが、隠居を望むモモにとっては、これこそが「神童」や「勇者」へ祭り上げられるための地獄の片道切符。
「鬼ヶ島がないことを証明すれば、鬼退治に行かなくて済む」
という二浪生らしい逆転の発想で、彼は舞台となる中央図書館へと乗り込みます。
果たして、彼が手にするのは「一生隠居」の合格通知か、それとも「戦場行き」の赤紙か……。
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