第十一話(後編):大人の事情に巻き込まれ始めた件
世界は、努力や善意だけでは回らない。
それでも人は、祈り、耐え、何度も同じ場所に立ち続ける。
大人になるというのは、
失敗の理由を探すことではなく、
それでも「今年こそは」と言い続けることなのかもしれない。
五歳の俺には、まだ早すぎる現場。
だが、ここで目を逸らすことは、
きっと一番簡単で、一番卑怯な選択だった。
これは、
枯れた畑と、祈る背中と、
一つの「正解」が出てしまった日の話。
(続き)
到着した『南のアンフィテアトルム農園』を支配していたのは、無慈悲な死の静寂だった。
広大な敷地に並ぶ『きびの木』は、どれも灰色に乾き、便利屋の技術でどうにかなる次元を超えていた。
「…………隅から隅まで点検したはずなのに。構造上の欠陥なんて、どこにもなかったはずなのに、どうしてだ」
お父さんは立ち尽くした。
街のどんな故障も直してきたはずのその大きな手が、リヤカーのハンドルをミチミチと音を立てて握りしめる。
カリンは父の絶望を察し、精一杯明るく振る舞おうと、枯れた木に向かって指先を向けた。
「パパ、見てて! 私、練習したから! えいっ!」
だが、さっきの競争の時と同じだ。
彼女の指先からは火花一つ出ない。
お父さんは、娘に顔を見せないよう、黙って俯いた。
震える肩を必死に抑え、どんな依頼も完遂してきたベテランが、「娘の未来」という一番大切な依頼に応えられない悔しさを、無理やり飲み込もうとしている。
その「耐える背中」が、俺にはどんな絶叫よりも重く響いた。
(……ああ、クソ)
浪人時代、合格祈願のつもりで毎日『一日一善』なんて柄にもないことを習慣にしていた、あの癖が疼きやがる。
あの頃の俺は、たった一つの正解すら手に入れられなくて、
せめて「徳を積む」ことで神様に袖の下を握らせようと必死だった。
結局、合格通知は来なかったけれど――
今の俺には、目の前のこの光景を、
無効化できる『解』が、確かに手元にある。
俺は地面に掌を当てた。
(……待て。本当にやるのか、俺)
ここで踏み込めば、もう「何も起きなかった人生」には戻れない。
便利屋の親父に、農夫たちに、そして――カリンに。
理由の分からない「期待」を背負わされる未来が、はっきりと見える。
それでも。
目の前で耐える背中と、笑おうとする五歳の少女を見て、
何もしない選択肢を「正解」だと言い切れるほど、
俺はもう、あの頃の浪人生じゃなかった。
……クソ。
まただ。結局俺は、白紙のまま提出できない人間らしい。
脳内の浪人エンジンが、超高速で地脈のアルカナ数理を解析し始める。
だが、五歳の幼い体には、この演算負荷はあまりにデカすぎた。
指先の感覚が、急速に遠のいていく。
自分の手が、まるで他人のものみたいだ。
耳鳴りがして、世界の輪郭が歪む。
立っているはずなのに、足元がひどく不確かで、
次の瞬間には地面に倒れてもおかしくないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
(……ああ、そうか)
これは「成功したら気持ちいいやつ」じゃない。
明確に――やりすぎだ。
それでも、止めなかった。
(……いや、そんなところで止まってたまるか!
やるんだ! 今ここで、俺が「正解」を出さないで、何が二浪の意地だ!)
魂を削り、数式をねじ込む。
透過防壁の多重展開理論を、農園の全土へ――。
「地脈クロック、オーバークロック! 展開――!!」
――瞬間。
世界が、黄金に爆ぜた。
数千本の枯れ木が、物理法則を嘲笑うような速度で緑を吹き返し、
輝く『きびの実』を実らせる。
「な、なんだ……!? 地脈の自浄作用か?」
お父さんが驚愕して周囲を見渡す。
俺は意識が飛びそうなのを必死に堪え、
用意していた“逃げ道”を口にした。
「わぁ、見て……川が、光ってる。
これって……『トリグリス現象』だよね……?」
お父さんは一瞬フリーズしたが、
街の隅々を知り尽くした「プロ」としての経験則が彼を突き動かした。
「……あ、ああ! そうだ、古い記録にあったな!
千年に一度の特異現象だ!」
俺のデタラメを、彼は自らのプライドで完璧に補完した。
「そうだ、これこそがトリグリス現象だ!
よく気づいたな、桃太郎くん!」
周囲の農夫たちが喝采を送る中、
カリンは黄金の実を口にし、その指先から初めて淡い光を放った。
「ももっち、私……魔法が使えるようになったよ!」
その笑顔を確認した瞬間、
俺の意識の糸は、ぷつりと切れた。
(よし……隠蔽工作、完全勝利……
あとは……寝かせて、くれ……)
深い闇に落ちていく意識の底で、
俺は最後にそれを見た。
カリンの指先に宿った、淡く、あまりにも儚い光。
それが、この過酷なグリモワールドで
「魔法」と呼ぶにはまだ程遠い、
ただの徒花に過ぎないという残酷な事実を。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回のお話は、
派手なバトルや明確な敵ではなく、
「大人の祈り」と「子供が踏み込んではいけない重さ」
を描きたくて書きました。
主人公は「隠居」を望んでいますが、
世界はそれをなかなか許してくれません。
善意で動けば動くほど、
責任と期待が積み重なっていく――
そんな物語になっていく予定です。
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直結するタイプの作者です……!
次話からは、
今回の“正解”がどんな歪みを残したのか、
少しずつ描いていきます。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。




