第十話(後編):五歳で勇者に憧れる少女と幼なじみになった件
五歳になった。
初めてだから、挨拶くらいはしておく。
――ヤッホー、モモです。
俺の人生設計は、極めてシンプルだった。
目立たない。騒がれない。才能を隠す。
そして何より、鬼ヶ島に関わらない。
正解を出さないことが正解。
何も起きないことが成功。
そんな思想で、俺は五年間、完璧に「無能」を演じてきた。
……演じてきた、はずだった。
だが、人生は往々にして、
こちらが全力で避けた方向から転がり落ちてくる。
勇者に憧れる少女と、
幼なじみになってしまうくらいには。
(続き)
「(ちょ、待て待て待て! なんだその完璧すぎる事故フラグは! 物理演算の計算外だぞ!)」
このままいけば、彼女はあの岩に激突する。打ち所が悪ければ、大怪我……あるいは。
「(――クソッ、隠居プランが! 俺の平穏が! でもここで見捨てるのは寝覚めが悪すぎる! 確率論? 知るか! 今は……ゼロを叩き出す!)」
俺の指が、思考より先に空間を演算した。
「(――空気よ、固まれ! 分子間距離を圧縮、弾性定数を最大に固定!)」
触媒も杖もなし。ただの指先から放たれた目に見えない衝撃と圧力が、岩を木っ端微塵に粉砕し、カリンの体をふわりと抱き上げるように空中で静止させた。
沈黙が流れる。
俺はゴールラインを越えた姿勢のまま、空中で静止するカリンを背に、突き出した拳を天に突き上げ――。
「(――っしゃあ! 物理演算、完璧ィ! 摩擦係数と弾性エネルギーの収束、理論値通りだぜ! ざまぁ見ろ重力の法則!)」
脳汁が溢れ出していた。
前世で、模試の難問を完答した時のような、あるいは停滞していた時計の針を力ずくで進めた時のような、暴力的なまでの達成感。
俺は思いっきり、勝利のガッツポーズを決めていた。
「ふふ、完璧だ。これで隠居生活が守られた。」
そう思った瞬間、心の中でちょっとした笑みが浮かぶが、すぐに自分を制止する。
「いかんいかん、また心の声が……」
ももっちは軽く顔をしかめ、周りを気にしながら、その笑顔を引っ込めた。
けれど、どこかで引っかかる感覚が残った。
「気のせいだろうな。」
数秒後、急激に体温が下がるのを感じた。
背後からの、熱烈な、あまりにも熱烈な視線。
ゆっくりと、錆びついた機械のように首を回す。そこには、宙に浮いたまま、口をあんぐりと開け、目をこれでもかとキラキラさせたカリンがいた。
「……ももっち、今の、魔法……?」
「(……。)」
イヤイヤイヤイヤ。
待て。待て待て待て。
俺は何をやっているんだーー!
五年だぞ? 五年間、一歳の赤ん坊の頃から、俺は徹底して「無能な図書室の地縛霊」を演じてきたんだ。
すべては、目立たず、騒がれず、鬼ヶ島へ連行されるフラグを一本残らずへし折って、安穏とした隠居生活を勝ち取るため。
なのに、今の俺は何だ。
カリンを助けた拍子に、あろうことか魔法が成功した快感に酔いしれ、あろうことかド派手なガッツポーズまで決めてしまった!
五年分の隠蔽工作を、たった数秒の「ドヤ顔」と「ガッツポーズ」でドブに捨てたんだ!
「(五年隠して来たのに……! あと六十年は隠し通すつもりだったのに……! 何をやってるんだ俺は……! 何を……!)」
「ももっち、すごーい! 本物の魔法じゃん! 私、お父さんに言ってくる! 村のみんなにも!」
「待て待て待て! ステイ! 落ち着けカリン、一旦ステイだ!」
俺はなりふり構わず、駆け出そうとするカリンに泥臭く縋り付いた。
「(あいつの親にバレれば、その日のうちに噂が広まる! 明日には『神童現る』なんて瓦版が出て、明後日には鬼ヶ島への強制徴募兵がやってくるに決まってるんだ! 桃から生まれた桃太郎ならぬ、本から生まれた魔法太郎として連行される!)」
「魔法、教えるから! 今の『見えない座布団』のやり方、全部教えるから! だから、誰にも、親にも、リミバァにも絶対に言うな!」
「……えっ、魔法、教えてくれるの? 私にもできる?」
「できる! 俺が責任を持って、スパルタで教える! だから秘密の同盟だ。いいな?」
「……うん! わかった! ももっち師匠、これからよろしくね!」
最悪だ。
内緒話という名の、逃げ場のない鉄の同盟が結ばれてしまった。
イヤイヤ、俺は何をやってるんだーー!(二回目)
「(……クソ。俺としたことが、たった一度の計算ミス――いや、感情の爆発で全てを台無しにしちまった。努力して、努力して積み上げた五年間を、自分の拳一つで粉砕するなんて……。これじゃあ、不合格だったあの頃と何も変わってないじゃないか……!)」
さっそく「ねぇ、今の空気のギュッてやつ、もう一回やって!」と俺の裾を千切れんばかりに引っ張るカリン。
夕暮れ時のグリモワールド。
大樹の広場に差し込む西日が、俺の五年間の偽装工作と、完璧な隠居プランの残像を、無慈悲に、そして残酷なほど美しく溶かしていった。
隠居プランは、
敵によって破壊されるとは限らない。
事故。善意。達成感。
そして、うっかり決めてしまったガッツポーズ。
五年間の努力は、
たった数秒のドヤ顔に敗北した。
秘密は共有された瞬間から、
秘密ではなく「同盟」になる。
しかも相手は、好奇心と夢で動く少女だ。
――詰みである。
夕焼けに溶けたのは、
大樹の広場だけじゃない。
俺の完璧だったはずの隠居生活も、
もう元の形には戻らない。
次は、きっともっと面倒なことが起きる。
そう確信しながら、
俺は今日も深いため息をつくのだった。




