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第九話(前編):受付嬢が来て、俺の隠居計画が崩れた件


この話は、いよいよ「赤ちゃん編」の最終局面へ向かう前編です。


これまでの赤ちゃん編は、基本的に

「桃太郎が赤ちゃんとして生き延びる」

という、隠居のための戦いでした。


しかし、ここから先は違います。


この世界は、桃太郎が隠れているだけでは終わらせてくれない。


崩落現場の“証拠”という存在が、

彼の平穏を脅かし続ける。


そして、今回の話は

その証拠が“回収された後”に起きる

最初の波です。


つまり――


隠れているつもりで、

実は世界に見つかっている。


その恐怖を、桃太郎はこれから味わうことになります。


ここから先、赤ちゃん編の結末へ向けて、

物語のテンポが一気に加速します。


読者の皆さんには、

「隠れることの難しさ」を

もう一度噛みしめてもらえると嬉しいです。


それでは、前編をお楽しみください。


(……回収、だと……?)


あの日、崩落現場でリミバァが放った「証拠はあたしが回収してあげる」という言葉。それが死刑宣告にしか聞こえなかった桃太郎は、数日経った今も、その戦慄の中にいた。


中央図書館「ルーンメモリア」の司書長室。リミバァは重厚な「執務原簿」を広げ、冷徹な数字と配置図をなぞりながら、厳しい顔で計算を弾き出していく。


数日後。

「……さぁ、起きなさい、桃太郎.出発だよ」


リミバァに担がれた特製竹カゴ。外へ出た瞬間、視界に飛び込んできたのは白銀の世界だった。


「今日はね、ギルドへ修復の依頼に行くからね。……きっちり、ケリをつけてくるよ」


(……ギルドか。良かった。てっきり「フェアリーキープ」に連行されるのかと思ってヒヤヒヤしたぜ)


束の間の安堵。だが、雪道を曲がった先、崩れた橋の袂で待っていた人物を見て、桃太郎の表情は凍りついた。


「お待たせいたしました、司書長!」


(……は? なんで「受付のお姉さん」がここに……!?)


(……詰んだ!)


(万が一にも正体がバレてみろ。俺の「完全隠居プラン」は粉砕だ。英雄? 冒険? 冗談じゃない。努力の果てに、俺はやっとこの安寧を掴んだんだ……!)


「こんにちは、桃太郎くん! また会えたね!」


お姉さんは無邪気な笑顔でカゴを覗き込んできた。その瞬間、桃太郎の心臓は肋骨を突き破らんばかりの衝撃を刻む。


(……ひっ! 心臓が口から飛び出す……!! この女、挨拶の後に絶対「あの日の魔法」の話をブチ込む気だ! 来るな、喋るな、俺の余生を殺さないでくれ……!!)


カゴの中で、桃太郎は脂汗を流しながら、必死に「ただの乳児」を演じようと固まっていた。


そのとき、不意に、静寂を破る低い音がした。グゥ――。


一瞬、誰も言葉を発さなかった。リミバァは眉一つ動かさず、執務原簿を閉じる。


「……出発を急ごう。無駄な時間はない」


だが、受付のお姉さんはその誤魔化しを逃さず、心配そうに声を上げた。


「司書長、ちゃんと召し上がってます?」


(……ナイスタイミング)


カゴの中で、桃太郎は心中でそう呟いた。


(お姉さんの意識が『魔法』から『リミバァの空腹』へと完全に切り替わった。計算外の生理現象。だが、これこそが俺の破滅を押し止める、最高に合理的な救いの鐘だ……!)


無事にその場を凌ぎ、ギルドの扉を開けると、いつものような活気が広がっていた。


「住所、蔓の中7番地! ザクロンの家、雪でドアが開かないらしい! 誰か行ける奴はいないか!?」


「あぁ、それ、うちのパーティ『解凍のセンビキ』が引き受けるぜ!」


飛び交うのは、依頼を奪い合うギルドのパーティたちの声。誰もが目の前の仕事に集中し、プロとして動いている。


リミバァがカウンターへ近づくと、顔馴染みのパーティの面々が次々と声をかけてきた。


「おぉ、久しぶりですね、リミさん!」


「フェアリーキープは大変だったんでしょ? 橋が落ちたって、うちの子が言ってたぜ!」


「ああ、それなら聞いたぜ。うちのパーティメンバーも言ってた。えらい騒ぎだったらしいな。リミさん、あんたが巻き込まれなくて良かったよ」


(……ああ、どこもかしこも、その話題でもちきりか。まぁ、あれだけ派手に壊れれば当然だな)


カゴの中で、桃太郎はギルドの喧騒をBGMに、ただぼんやりと天井を眺めていた。


リミバァは相変わらず鉄の仮面を崩さないまま、執務原簿から一枚の公式な依頼書を突き出した。


「……その件だ。崩落した橋の修復と、周辺の魔力残滓の掃拭。予算は中央図書館の維持費から出す。至急、腕のいい奴に頼みたい」


「リミさん直々の指名依頼か! そーと決まれば話は早い。すぐに手配できますよ。なぁ、みんな!」


ギルドの職員が威勢よく応じると、周囲のパーティからも「おうよ!」「司書長が直々に足を運ぶなんて珍しいな。引き受けるぜ!」と、和やかな活気が返ってくる。


「……助かるよ。そーと決まれば、すぐにお願いできるかい?」


リミバァの問いに、受付のお姉さんもいつの間にかギルドの現場のノリに飲まれ、手際よく受理印を叩いている。


(……いいな、この事務的な処理。司書長が『公式の依頼者』として予算を組めば、あの現場はただの『公共工事』として終わるわけだ)


リミバァは満足げに頷くと、ここで意外な動きを見せた。


「――さて、ギルド長と詰めの話がある。お前さん、この子を少し見ていておくれ」


リミバァは、事務的な口調のまま桃太郎の入ったカゴを持ち上げ、受付のお姉さんへと手渡した。


「はい! 喜んで、司書長!」


お姉さんは待ってましたとばかりにカゴを受け取った。


(……は? ちょ、待てバァさん! 俺をこの女に託すのか!? 職務放棄だろ、計算が合わねぇぞ!)


非情にもリミバァは一度も振り返ることなく奥の執務室へと消えていく。


「さぁ、行きましょうか! 職人団『すすの鷹』の皆さん!」


お姉さんの呼びかけに、総勢三十人余りにのぼる屈強な職人たちが応じた。資材を担いだ大所帯が動き出し、雪を蹴立てていく。


だが、そんな大集団の喧騒も、今の桃太郎には届かない。今、この腕の中という極小の空間において、自分は間違いなくお姉さんと「二人きり」なのだ。


「桃太郎くん、見て。お外は雪で真っ白ね。寒くないかな? お姉さんがしっかりカゴを持っててあげるから、安心してね」


お姉さんは歩きながら、腕に抱えたカゴの隙間からニコニコと微笑みかけてくる。


(……笑ってる。この女、一点の曇りもない顔をして……まさか、もう俺の正体に目星をつけてるのか!?)


お姉さんの指先が、カゴの隙間から桃太郎の頬を軽く突っつく。


「ふふ、桃太郎くんは本当にお利口さんね」


(……ひっ!!)

(どこで計算を間違えた。どこで詰めを誤った……!?)


(この女、怖すぎる……! 逃げ場がねぇ……!)


お姉さんは楽しそうに鼻歌を混じらせ、カゴを優しく揺らす。


三十人余りの職人の足音が遠く響く中、桃太郎は逃げ場のないカゴの中で、ただただ戦慄していた。


やがて、一行の足が止まった。


「――到着だ。野郎ども、資材を下ろせ!」

リーダー格の男の野太い声が、フェアリーキープの冷たい空気を震わせた。職人たちが一瞬で「現場のプロ」の顔に切り替わる。


「坊主! 俺たちの仕事、見てなぁ!」

一人の職人が、カゴの中の桃太郎にニカッと笑いかけた。


男たちは雪を蹴散らし、巨大な資材の山へと群がっていく。


「おい雪で、滑りやすいぞ! 気をつけろ!」

リーダーの怒号が飛ぶ。


雪と氷に閉ざされた断崖の縁。三十人余りの職人たちが精密な機械のようにそれぞれの持ち場へと散っていく。


(……あいつ、ガタガタ震えてやがる。寒いのか? いや、この若さでこの震え方は……!)


熟練職人たちに混じり、一人だけ動きの硬い若い男がいるのを、桃太郎は見逃さなかった。


「まず……つる五連梯子はしごかけろッ!!」


その指示が飛んだ瞬間、太い蔓を編み込んだ巨大な梯子が断崖へと投げ下ろされた。蛇のようにしなり、雪の斜面にガツンと食らいつく。


「よっしゃ、いくぞ!」

男たちが次々と飛び込んでいく。


そのとき、先ほどの若い職人が足を滑らせ、虚空へと投げ出された。


(――チッ!!)


誰の視線も「落下する男」に集中した一瞬。桃太郎はカゴの影から、極小かつ超高密度の魔力を放った。


断崖の蔓が生き物のようにしなり、空中で男の体を巻き取る。


「助かった……のか!?」

間一髪。蔓が偶然絡みついたように見えた救出劇。男は仲間の手で引き上げられていく。


(……ふぅ。完璧な隠蔽だ。誰も見ていない、ただの幸運に見えたはずだ)


桃太郎は再び「無垢な乳児」のふりをして空を眺めた。


「――上手くいってよかったね、桃太郎くん」


カゴを抱える腕に、わずかな力がこもる。お姉さんが、ひょいとカゴの中に顔を覗かせていた。


その目は相変わらず優しく微笑んでいるが、その言葉だけが、桃太郎の鼓膜を氷のように冷たく撫で上げた。


(コイツ……まさか……!!)


逃げ場のないカゴの中。職人たちの歓声と槌音が遠くで響く中、桃太郎は、底知れぬ恐怖の余韻に身を震えた。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は「赤ちゃん編」最終回の前編ということで、

桃太郎の隠居生活がまた一段と危険になっていく回でした。


……まあ、彼が隠れてるのに世界が追いかけてくるのは

いつものことなんですけどね。


今回の内容、読者の皆さんには「赤ちゃんの可愛さ」よりも

「桃太郎の焦り」を堪能していただけたら嬉しいです。

(本人は赤ちゃんのくせに、内心めちゃくちゃ必死です)


もし「続きが気になる!」と思ったら、

ブックマークしてもらえると作者が泣いて喜びます。

※泣くのは多分桃太郎じゃなくて、作者の方です。


次回はいよいよ赤ちゃん編の決着へ。

お楽しみに。


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