第二章:背徳の安息と、妻からの預言
修の生活は、この日を境に、二つの世界に引き裂かれた。
一つは、病院の白い病室。
もう一つは、瑠美の白い手に支配された、アパートの暗い寝室だ。
昼間、修は病室の葉月の手を握り、優しい言葉をかけた。
「小春は、今日も一つ成長したよ。もうすぐ寝返りを打ちそうだ」
葉月は微笑む。
その笑顔は衰弱しきっていても、修の心を慰めた。
しかし、葉月の手を握るたびに、修の心は罪悪感で軋む。
その手の温もりと、昨夜瑠美の白い手から受けた背徳的な熱とを、無意識に比較してしまうからだ。
葉月は、修の疲労を見抜いていた。
「修……無理しないで。お義姉さんに、頼っていいのよ。瑠美さんは、私たちが思っている以上に、あなたを支えてくれる力を持っているわ」
葉月の言葉に、修の心はさらに乱れた。
葉月は、瑠美の引きこもりという意外な人間関係の裏にある、彼女の強さを知っている。
だが、その強さが、修に禁断の安息を与えていることは、知る由もないだろう。
(僕は、葉月を裏切っている。姉に身を委ね、心で葉月との愛を汚している)
修は自己嫌悪に苛まれながらも、夜が来るのを内心で待ってしまう自分に気づいていた。
瑠美の密かな行為は、彼の心に空いた喪失の穴を埋め、生きる気力を与える麻薬となっていた。
小春が生後三ヶ月になる頃。瑠美は、修の生活に完全に溶け込んでいた。
彼女の笑顔は、アパートに来た頃の閉塞的な影が薄れ、小春を抱く姿には、母性が溢れていた。
ある夜、修は寝たふりをして、瑠美の白い手が自分に伸びてくるのを待っていた。
瑠美は、修の隣に座り、まず小春の寝顔をじっと見つめる。
そして、ゆっくりと、修の額の汗を拭い、そして唇に触れた。
「修……ごめんなさい」
彼女はいつも、行為の前に、この謝罪の言葉を口にした。
それは、彼女自身が、この禁断の愛が許されないことだと理解している証だった。
しかし、その謝罪の後、彼女の手の動きは止まらない。
瑠美の白い指は、修のパジャマのボタンを外し、彼の肌に触れる。
修の体は、抵抗を忘れ、その動きに答えた。
「ああ、姉さん……る、み……」
修が初めて、姉としてではなく、一人の女性として彼女の名を口にすると、瑠美の息が詰まった。
彼女は、修の顔に、涙が混じった熱いキスを落とした。
「修……私、嬉しい。あなたが、私を拒絶しないから。血が繋がっていても、私を必要としてくれるから……」
彼女の愛情は、修の苦悩を解放する救済であり、同時に、魂の鎖となった。
修は、またしても瑠美の手の中で理性を失いかけた。
(もう、後戻りはできない。僕は、姉との愛という、泥沼に足を踏み入れたんだ)
修は、白い熱を放出する寸前、心の中で葉月の名を呼んだ。
葉月への愛と、瑠美から受ける快感が、彼の魂を引き裂き、彼は深い吐息と共に、白い熱を瑠美の手に預けた。
季節は移り、小春が生後六ヶ月を迎えた。
葉月の容態は、宣告通り、深刻な段階へと入っていた。
葉月は、もう起き上がることも難しくなっていたが、修と小春の写真を、毎日ベッドサイドに置き、眺めていた。
ある日、修が病室を訪れると、葉月は修に言った。
「修、私のクローゼットの奥に、整理していないものがあるの。私の大切なものだから、今のうちに、見ておいてほしい」
それは、別れの準備だった。
修は胸を締め付けられながらも、アパートへ戻り、葉月のクローゼットを開けた。
洋服の奥から、一つの小さな箱が出てきた。
その箱の中に、修は見覚えのある本を見つけた。
瑠美が以前読んでいた、あの『血縁を越える愛:禁断の魂の対話』というタイトルの本だ。
修は息を飲んだ。
なぜ葉月が、この本を持っていたのか?
そして、なぜ瑠美が、そのタイトルを「フィクション」だとごまかしたのか?
修が本を開くと、以前瑠美に指摘した通り、葉月の筆跡でマーカーが引かれた一文があった。
『魂の絆は、血の絆よりも深い。真の家族とは、血の繋がりでなく、互いの存在を必要とし合う、無形の愛によって構築される』
修は震える手で、本の下に隠されていた、一枚の薄い便箋を取り出した。
それは、瑠美が、修のSNSを盗み見て、葉月に送ったという意地の悪いメールに対する、葉月からの返信だった。
『瑠美さんへ。修を心から愛しています。でも、あなたが修に送ってくれたメールを読んで、驚きはしませんでした。修とあなたの間に流れる、特別な感情があることを、私は知っていましたから。修は、あなたが思っている以上に繊細です。そして、誰かに深く愛されることを必要としている。あなたの愛は、血縁という鎖を超えた、純粋な魂の愛だと感じています。だから、どうか、その愛を隠さないで。もし、私に何かあったら、どうか、修と小春のそばにいてあげてください。あなたは、修にとって、私と同じくらい、必要な人です。血縁という鎖に、愛を閉じ込めないで。愛は、もっと自由なものだから。葉月』
修の目から、大粒の涙が溢れ出した。
葉月は、全てを知っていた。
瑠美が修へ抱く禁断の愛を。
そして、修が葉月の死によって負うであろう孤独を。
彼女は、その全てを感動的なまでに受け入れ、二人の間に流れる血縁を超えた魂の絆を、恐れるどころか、未来への希望として託していたのだ。
修の心の中の、姉弟の境界線が、音を立てて崩れていった。
それは、禁断の愛に対する罪悪感ではなく、葉月という偉大な愛の前で、自分たちがちっぽけな常識に囚われていたことへの羞恥心だった。
瑠美が毎夜、修の苦悩を解放してくれたのは、葉月の預言と、許しの上に成り立つ愛だったのだ。
修は、その手紙を握りしめ、リビングで小春を抱いて眠る瑠美の元へと向かった。
瑠美の瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。
それは、解放されたことへの安堵の涙のように見えた。
「葉月さんは……私たちを、認めてくれていたんだ」
修は、そっと瑠美の手に触れた。
その熱は、確かに、彼と瑠美の間を流れる、血縁を超えた愛の証明だった。




