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第二章 ガレオマレニ第三惑星

 酒井義雄は波間に浮かんでいる何かを見つけた。黄色く見える部分と、白く見える部分がある。

 義雄は最初、それをゴミだと思った。いずれ港に漂着するかもしれないので、回収した方が良いか迷っていた。

 何であるかを確認してから判断しようと船を向けた。

 近付くとソレの正体がわかり、船尾で網を片付けている息子の昌義に声をかけた。

「人が漂流している。子供だ。船を寄せるから救助してくれ」

 ソレは確かに人間だった。黄色く見えたのは長い金髪だった。白い服を着ている。体は小さかった。

 昌義は救命胴衣をつけると、ロープの片方を船に、もう片方を自分の体に結びつけた。

 もう一本ロープを用意して、片方は同じように船に、もう片方はロープの先を長めに残して、船に備えつけてあった浮き輪を取り付けた。

 船を近づけると、昌義は海に飛び込む。救助活動は初めてだ。

 なんとか救助対象者まで泳ぎ着くと、多少時間はかかったが、なんとかその体を浮き輪にくくりつけた。

「親父、ロープを引き上げてくれ」

 昌義の合図で、船の上の義雄はロープを手繰り寄せる。昌義は救助対象者の体が船体にぶつからないように、必死に浮き輪がクッションになるように支える。

 二人が力を合わせたおかげで、無事に船に引き上げることができた。いや、まだ無事かどうかはわからない。

 引き上げられたのはヒルダだった。

 義雄が脈を確認する。その間に昌義は自力で船に上がった。

 脈はなかった。海の水のせいか体温は冷たかった。

 船にもAEDは備え付けてあるが、この場で処置はせずに、漁港まで運ぶことを優先した。大瀬漁港は目視できる距離にある。二人ともAEDを実際に使ったことはない。悪戯に時間を浪費するよりは、漁協の人たちを頼った方が良いと判断した。

 漁港に向かいながら。義雄は漁協に無線で状況を連絡した。

 船が漁港に着くと、すぐに女性の看護師が船に乗り込んできた。漁協の人間が、近くの診療所から呼んでいた。急患のため、医師は来られなかった。

 看護師はヒルダの容体を診ると、すぐに船のAEDを装着した。

 自動音声が流れ、電気ショックを与える。すかさず人工呼吸を行い、続けて胸部圧迫を行った。

 息を吹き返さなかったので、もう一度電気ショックから繰り返す。

 まだ息を吹き返さない。

 三回目を繰り返し、ヒルダは息を吹き返した。船の上の義雄と昌義はもちろん、岸壁から見守っていた人たちからも、安堵の声が漏れた。

 ヒルダは看護師に手助けされて上体を起こすと、ゆっくりと周辺を見渡した。その瞳は、しっかりと一人一人の顔を捉えていた。その中にはスマートフォンで撮影している者もいた。ヒルダは撮影されていると感じたが、今は動かない方が良いと考えてそのままにした。映像を記録されるのは危険だが、能力を知られることも今は避けたい。もっとも、ヒルダの能力がこの星でも特別であることは、この時点のヒルダは知る由もなかった。

「名前はわかる?」

 看護師がヒルダに訊いた。ヒルダは何も言わずに看護師を見つめる。その瞳は青というより緑に近い。

「日本語がわからないんじゃないの?」

「ショックで口が聞けないんじゃないかな?」

「耳が聞こえていないのかも」

 岸壁から見守っていた人たちが口々に言った。ヒルダの容姿から、ほとんどの者が外国人だと思っている。しかし、日本に住んでいるのなら日本語がわかるかもしれないので、他に理由があると考えた者もいた。

 看護師にもヒルダが何も言わない理由はわからない。

 そんな時に昌義が大きなくしゃみをした。濡れたままだったので、体が冷えたのかもしれない。

 ヒルダが昌義の方を見る。耳が聞こえないわけではないことがはっきりとした。

「ワッツ・ユア・ネーム?」

 看護師は、少し照れながらヒルダに言う。昌義の方を見ていたヒルダが、看護師の方に目を向ける。

 探るような目をしている、看護師はそう感じた。

「フランス人じゃないのか?」

「イタリア人かも」

「発音が悪いんだよ」

 確かに外国人でも英語とは限らない。

「簡単な英語ならわからないか?」

「子供ならどうかな?」

 大人なら多少の英語が分かっても、小さい子供なら理解できないことも有り得るだろう。集まった人々は、ヒルダを小学校の低学年くらいだと思っている。

「どうしよう……」

 看護師は困惑した。意識は戻ったが、ちゃんと診察した方が良いだろう。言葉が通じなければ、どうやって診療所や病院に連れていこう。手を引けば大人しく付いてきてくれるだろうか。

 看護師は改めてヒルダを見た。ヒルダは冷静に辺りを見渡している。看護師には、まだ幼いとは思えないほど、ヒルダが落ち着いているように見えた。これなら状況を理解してくれるだろうと看護師は思ったが、落ち着きすぎているようにも感じていた。

「立てるかな?」

 通じないとは思いながらも、看護師はヒルダに語りかけて、立ち上がるように身振りで促した。ヒルダは素直に立ち上がる。足元はしっかりしていた。船の上なので多少揺れてはいるが、まったく支障はないようだった。

 看護師に手を引かれ、ヒルダも船から岸壁に移動する。

「皆さん、ご心配おかけしました。この子はもう大丈夫とは思いますが、念の為先生に診てもらいます」

 看護師は集まった人の群れを抜けると、漁港の出入り口の方に向かった。診療所はその先にある。

「自分も一緒に行きます」

 人の群れの中にいた駐在所の巡査が二人の後を追った。漁協の誰かが連絡していたのだ。

 診療所までの道すがら、ヒルダはずっと周囲を見渡していた。逃げるタイミングを図っている。身長差があるのですぐに追いつかれる。土地勘もないので余計に不利だ。

「駐在さんは昨日の下田の件には関わっていたんですか?」

 ヒルダの様子を伺いつつ、看護師が巡査に訊いた。

「管轄が違うのでこの辺りの見回りくらいだったよ」

「そうですか……本当に熊だったんですか?」

 看護師は不安そうに訊いた。伊豆半島では長い間目撃されていないが、ここ数年は目撃されている。

「監視カメラには熊のような姿が映っていたらしい。その前後で病院の電力系統が不安定になっていて、画像が乱れていたようだけど」

「だから女の子の行方もわからないんですか?」

 入院患者の小学三年生の女児が、行方不明になっていると看護師は聞いていた。

「停電が発生したからね。侵入した後の映像は残っていなかった。病室に残っていた血液は、女児の血液型と一致したから被害に遭ったのは確かだ。侵入した熊と断定はできないけど、午前中にツキノワグマを一頭駆除した。だけど女児の姿はどこにもなかった。血痕もなかったらしい」

「この辺りにもいるのかしら……」

 看護師が呟いた時、不意にヒルダが看護師の手を解いて走り出した。道路脇の植え込みの隙間を器用に潜り抜けると、瞬く間に二人の視界から見えなくなった。

 看護師は植え込みの側まで近づいたが、中に入って行くことは躊躇した。

「ここは自分が」

 巡査はそう言って、植え込みの隙間に消えていった。

 看護師は心配そうな顔で、巡査がヒルダを連れて戻ってくるのを待つ。

 しばらくして、疲れ切った顔で巡査が一人で戻ってきた。

「見つからなかったのですか?」

「申し訳ない。姿が全く見えなかったので、どちらの方向に行ったのかもわからなかった」

 巡査は本当に申し訳なさそうだ。

「どうしてかしら? どこに連れて行かれるのかわからなくて、怖かったのかしら?」

「言葉がわからなかったなら、そうかもしれない。まさか、悪いことをしていたわけではないだろうから」

 二人ともヒルダが逃げた理由はわからなかった。いや、逃げたのかどうかもわからない。そもそもヒルダが何者なのかもわかっていない。

「無事でいてくれたらいいけど……」

 看護師が心配したのは、危険な目に遭わないかと、体が本当に回復しているのかだった。どこかで倒れていることはないだろうか。

「応援を呼んで、この辺りを捜索してみます」

 巡査は無線で状況を連絡した。

「わたしは診療所に戻ります」

 看護師はこの場を巡査に任せて診療所へ向かった。

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