第08話 初めてのダンジョン④静九郎という男
『ドラゴン』と一口に言っても、魔法生物学的にはいくつかの分類があることは、冒険者にとっての常識である。
最も大きな区別として、知性をもつ『魔法生物』か、知性をもたない『魔獣』かということがあるが、前者が問題になることは稀だ。
彼らはジャングルの奥深く、あるいは火口、あるいは深海といった人間の活動がおよそ及ぶことのない深い深い秘境に潜んでいる伝説の生物だ。
そもそもお目にかかれないし、人間の生活を脅かすことも基本的にはないため、交戦する機会もまずないといっていい。
問題になるのは、知性を持たず『魔獣』に分類される連中である。
これらは前者の龍とは形が似ているだけで、全然別の、なんというか、ただの魔物である。
ただし龍と同じく魔力もひときわ強いばかりか、著しく凶暴であるため普通の冒険者ではまず戦闘にすらならない。
出くわしたら終わり。
待っているのは凄惨な死だけという結論は、両者ともに同じである。
そして今――
ウルズシャール洞窟の入口に現れたのは、よりにもよって、最凶にして最悪の魔龍だった。
体は黒く、長い尾部だけが禍々しい赤色。
(レッドテイルドラゴン!?)
凶暴性については龍種魔獣の中でも一二を争うと定評がある危険な種類。
しかもそれが何故か――傷を負って血を流している。
つまり、激怒しているのだ。
(なん……で……?)
絶望し、杖を取り落としたクルル。
冒険者として仕事をしている以上、死は常にそこにある。
だが彼女には、今日それを迎える準備はなかった。
そこへ――
「クルル、結界魔法はあるか?」
平然として……というか普段とまったく変わらない表情で、何かを考えている男が落ち着いた声で聞いた。
「ちょっと……待って? 何考えてるの?」
今考えるべきはどう生き残るか、というより、どう逃げるかだけだ。
結界魔法? なんで?
「二十秒でいい。その人たちを守ってくれ」
両肩の負傷者を丁寧に地面に降ろした男は、鞘からスラリと大刀を抜き放った。
「ちょっと……待っ……」
「その間に俺はあのBランクを倒す」
格好をつけてトンチンカンなことを言い放った男は、返答を待たず、勝手にドラゴンに向かって走り出した。
今日再三見た光景だったが、今回ばかりは、さしものクルルも唖然として見守ってしまった。
しかし、みるみる遠ざかるその背中に、ようやく叫ぶ。
「待って! コイツはSランクの……!!」
少女の慟哭もむなしく、戦争が始まってしまった。
静九郎はあっという間に敵の間合い――死の領域――に入ると、その距離をさらに詰め、強引に自分の間合いにまで持っていった。
クルルの息が詰まる。
「ダメッ……!」
拙すぎる。
そんな無茶苦茶な攻め方ではすぐにやられてしまう。
だがクルルがそう思った直後にはドラゴンの左前肢が落ちていた。
「えっ」
ドラゴンも同じ感想を抱いただろう。
なにせ敵の姿がいきなり視界から消えたのだから。
しかし、そのことについて深く考える余裕はなかったかもしれない。
一瞬後には左後肢まで斬り落とされてしまったのだ。
「どういう……こと……?」
ドラゴンの悲鳴を聞きながらクルルは混乱した。
しかしその実、なんということはなかった。
特別なことは何もしていないのだ。
侍が突然上げたスピードに、彼女と魔龍の目がついていけなかっただけだ。
静九郎は対魔獣戦闘の専門家ではない。
しかし、魔獣と戦ったことがないわけではない。
故郷ヤシマの山奥で大暴れしていた『竜種の魔物』を、一日がかりで倒したこともあった。
細かい魔獣の脅威度ランキングなど――そして魔法生物分類学など――あの国にはなかった。
やれと言われたから殺った。
それだけのことである。
一方のドラゴンは怒り狂っていた。
この魔獣に知性はない。
ただ動くものを全身を使って叩きのめすだけなのだが、その全身はあまりにも自由に機敏に動く。
この哀れな自信過剰の新米冒険者も、レッドテイルドラゴンの長い長い赤尾に絡め取られてしまった。
「グッ!?」
上空にさらわれる侍。
万力の締め付けに、思わず取り落とした刀が、はるか下方に回転しながら落ちて行った。
「ジョー!!」
ここでクルルが踊り出た。
見捨てる選択肢は、今度はない。
天高く舞い上がった魔女。
その冷たい双眸には恐怖もない。
彼女の後方の天空に、巨大魔法陣が浮かび上がった。
「ランダムアイシクル――!」
天才魔術師の面目躍如と言わんばかりの、超高速の氷塊の雨が、凶竜に降り注ぐ。
尋常ならざる質量で撃ち出された運動エネルギーの奔流が、勢いそのまま地を抉り、木々をなぎ倒す。
一帯の地形を変えるほどの激烈な一撃だったが、それを受けてなおドラゴンは傷ひとつついていなかった。
だがそれは織り込み済みだ。
「グランドフォース!」
今度はドラゴンの下方から土の柱が飛び出す。超硬度を誇る幾百の土の剣が容赦なく龍鱗に突き刺さり、動きを止めはしたが――さして効いている様子はなかった。
クルルは諦めない。諦めるわけにはいかない。
「食らえ! ソード・オブ・フレイム!!」
杖先から出た必殺の光線。
すべてを溶かし尽くす灼熱の魔法光線が、ドラゴンの胸に突き刺さり――一瞬で掻き消えた。
高位魔獣の、高すぎる魔法防御力。
魔力不足気味の魔術師が、単独で行った一連の波状攻撃は、何の効果もなかった。
当然だった。
このランクの魔獣の相手は、何百何千もの軍勢からなる魔法騎士団の仕事である。
(硬すぎる……! 私じゃ……!)
だがそれで十分だった。
「フッ!」
彼女の相棒は、すかさず死地から脱出していた。
クルルの一撃を受けて尾の拘束が緩んだのだ。
ただの獣が武の達人に見せた致命的な隙。
その代償は高くつく。
「おおぉぉ!」
裂帛の気合とともに、ドラゴンの背から頸にかけて一瞬で駆け上った侍は、飛んだ。
その手に刀はない。
武の極限に達した男は――その全身が凶器だった。
「ハッ!!!」
一体、どう動いたのか。
空中で半身を翻した男。
一瞬後には、渾身の踵落としが、動けない龍の脳天に突き刺さった。
「!!?」
ダイレクトに中枢神経を破壊された哀れな巨獣は、終焉の咆哮も、呻きすら発することなく崩れ落ち、轟音とともに地に伏したのだった。
* * * * *
大戦果にも特に感慨はない。
落とした刀をヒョイと拾った静九郎が仲間のところに帰ると、クルルが負傷者たちの様子を見ていた。
「やれやれ助かった。だいぶ鈍ってるようだ」
静九郎が声をかけると、クルルがビクッと肩を揺らして振り向いた。
視線が交わる。
「あ……」
バカだの命令違反だのといった、お叱りはない。
その顔は男が見たこともないほど憔悴しているように見えた。
「クルル?」
「あ……えっ……と……」
上手く言葉を紡げない。
歯が噛み合わない。
見てわかるくらい、彼女の身体は震えている。
その反応を、男は知っていた。
故郷で慣れ親しんだものだった。
傷ついたように目を伏して、言った。
「俺が、怖いか」
クルルは大きな瞳をさらに開き、懸命に首を振った。
「ち、ちが……!」
その時だった。
「おい、そこの冒険者ども!」
無粋な声。
振り向くと、そこには見るからに高価な鎧をまとい、馬に騎乗した数名の騎馬小隊がいつの間にか到着していた。
「これをやったのは誰だ! 何があったか説明しろ!」
神殿騎士団の一隊である。
騎士たちは目の前の光景に度肝を抜かした。
「レッ、レッドテイルドラゴンを発見! すでに討伐されている!」
「冒険者パーティが討伐した模様! 本隊に報告急げ!」
「〈ライオンハーツ〉にも連絡!」
慌ただしく動き出した騎士団員たちを見て、クルルはようやく思い出す。
『ランザでは神殿騎士団が〈ライオンハーツ〉と合同で討伐作戦中。絶対に近づいちゃダメよ』
そう、冒険者協会の担当職員レアの警告だ。
(あ……仕留め損なったのか……)
ドラゴンはランザ渓谷で襲われ、命からがらウルズシャールまで逃げてきたのだろう。
つまり彼らは正規の作戦行動中である。
「ジョー、何を言われても逆ら……」
「そこの外国人! 何か知っているなら説明しろ!」
クルルの警告は、小隊長と思しき中年騎士のがなり声でかき消された。
官憲にありがちな高圧的な問責に、ムッとした外国人は反抗的な態度で応対する。
「喚くな。徘徊していた雑魚を駆除しただけだ。そちらは今さら出てきて、死骸に何か用か?」
殺気に騎士が怯む。
だが、後ろでいさむ部下たちを抑え、威厳を保とうと声を上げた。
「きっ、貴様がこのパーティーのリーダーか?」
「負傷者と我々は別だ。ウチのリーダーは彼女だが?」
「女! こちらへ来い!」
「は、はい……でも……」
クルルは応じながらも、負傷者たちから手が離せない。
彼女が二の句を継ぐ前に、静九郎が割って入る。
「士官なら優先事項をわきまえろ」
「何だと?」
「人命救助だ。さっさと馬を貸せ。街まで運ぶ」
下等の冒険者にどこまでも小馬鹿にされて、小隊長は気分を害した。
「貴様ッ!」
その合図で一斉に、部下の兵士たちが細身の剣に手をかけたところで――
「待ちたまえ」
後ろから制止がかかる。
また騎士だ。
ひときわ高級そうな鎧をまとい、悠然として歩み出る。
金髪碧眼の美しい顔には困ったような笑みを浮かべている。
「彼の言うとおりだよ。冒険者とて、我々の保護すべき市民には違いない。荷馬車の荷を捨て、怪我人を乗せてやりなさい」
「ハッ」
その一言で騎士たちがテキパキと怪我人たちの搬送作業を始めた。
同じ指示でも誰が言うかが大事らしい。
静九郎は美青年騎士に礼を言った。
「感謝する」
「構わないよ。当然のことをしたまで……と言いたいところだけど、交換条件にさせてもらっていいかな」
「条件?」
「彼らを助けるかわり、山ほどの質問にすべて正直に答えること。いいね?」
「もちろん。隠すことなどない」
騎士団の力を借りれば、街までの帰路は一瞬のことだった。
その間、クルルは献身的に治療を続けた。治療施設まで彼らに付き添い、後の処置を専門家に託した。
「どうだった?」
「うん、ちゃんと引き継いできた。きっと大丈……夫……」
限界だった。
そこまで言って体が宙に投げ出される。
「クルルッ!!」
力の抜けた体を受け止めた静九郎は思わず叫んだ。
その様はドラゴンを斃した男とは思えない。
苦笑した金髪の騎士――静九郎とともにクルルを待っていた――は、腰巻から小瓶を取り出すと、蓋を開けて寄越した。
「魔力切れだよ。これを飲ませてやってくれ。気分が多少良くなる」
ヤバすぎる色の魔法薬だったが、ジョーは言われるがまま瓶を腕の中の少女の口にあてがう。
「気を付けて。激マズらしいよ」
それはむしろ彼女の好物のはずだ。
ドス黒い液体をコクリと飲んだクルルの血色が一瞬で戻る。
驚くべき激……秘薬の効果だった。
「すみません、高価なものを……」
クルルが目を伏せて礼をいう。
「いいっていいって。どうせ公費で買ったものだし、騎士たちの罰ゲームで浪費されるより、よほどいい」
とんでもないことを言った金髪男は、いたずらな笑顔で続ける。
「今日はこれで失礼するよ」
「山ほどの質問とやらはいいのか?」
静九郎はずっとこの男が気に入らない。
官憲のわりに親切すぎるのだ。
クルルを待っている間も、他愛もない世間話を振ってくるばかりで、事情聴取のようなことは一切なかった。
「ゆっくり休んでもらって、明日の正午、二人で騎士団の司令部まで来てくれるかな?」
「ありがたいが……本当にいいのか?」
そしてこの気の遣いようである。
部下たちのテンションとあまりに違いすぎる言動を静九郎は訝しんだが、美青年は肩をすくめて踵を返した。
「君たちは恩人だ。同僚には適当に言っておく」
「明日はあんたを訪ねればいいのか?」
「そうしてくれると助かる。僕はアドラー。東部騎士団副長のアドラー・シュテルンベルクだ。身体をお大事に」
* * * * *
帰り道。
相変わらず動けないクルルを背中に背負った静九郎は、ようやく得心していた。
「なるほど。あの魔獣はあいつらが取り逃がした獲物だったのか」
「うん……」
騎士団の登場と、その後の態度について理解したのだ。
「そういえば昼間、協会でレア女史がそんなことを言っていたな。詰めの甘いことだ。まあ、街の人たちに被害がいかなくて何よりだった」
自分の手柄を他人事のように言う。
その落ち着いた声を聞いていたクルルの身体が、フルフルと震え始めた。
「クルル?」
「ごめんね……」
静九郎は少女を気づかう。
「何を謝ることがある。君はよくやった。人の命を救ったんだ」
「そうじゃなくて……」
しばしの間のあと、嗚咽が始まった。
「さっ、さっき……! 私あんたに……ひ、ひどいこと……!」
それ以上は言葉にならなかった。
恐れてしまったのだ。
理不尽なまでに圧倒的な武力。
人間という生物の枠を、完全に逸脱した異常な暴力。
一個の生命体として、クルルは根源的な恐怖を感じてしまったのだった。
その力の持ち主が、誰より親切で、誰より誠実で、命を重んじるが故に心に傷を負っていることを、自分は知っていたはずなのに……。
だが静九郎はフルフルと首を振った。
「いいさ。気にしないでくれ。悪魔とかバケモノとか、よく言われるんだ」
「ちがう!!」
いきなり耳元で大声を出され、男は飛び上がった。
「こんな優しい人を……わたし……」
クルルはそれきり沈黙し、大きな背中を拳で叩いた。
この人がそんな風に言われるのが、そして同じことを思った自分が、堪らなく悔しかった。
ポコポコと背中に振動を感じながら、静九郎は笑った。
「俺も命令無視はこれきりにするよ。それでイーブンにしてくれ」
『初めてのダンジョン』編、いかがでしたか?
楽しんでいただけたら幸いです。
次回『神殿騎士団軍法会議』、お楽しみに!




